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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『アンド・アイ・ラヴ・ユー・ソー』 /ペリー・コモ

『帰り来ぬ青春』/
ジャック・ジョーンズ
Write Me A Love Song, Charlie/
Jack Jones
特別価格
 (XQAM-1002)
RCA 原盤 ⇒ Jack Jones Music
1974 年録音 世界初CD化
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   瑞々しい感性で歌い綴ったポエジー溢れる、シャルル・アズナヴールの作品集。シナトラから後継者に指名された人気シンガー=ジャック・ジョーンズ1970年代の最高傑作がコレだ。 
 

 
1. Write Me A Love Song, Charlie/ライト・ミー・ア・ラヴ・ソング・チャーリー >>試聴
2. The "I Love You" Song/”アイ・ラヴ・ユー”ソング (愛)>>試聴
3. Like Roses/バラのように>>試聴
4. After Loving You/アフター・ラヴィング・ユー (君を愛した)>>試聴
5. We Had It All/ウィー・ハッド・イット・オール (孤独の心) >>試聴
6. She/シー (忘れじのおもかげ)>>試聴
7. Happy Anniversary!/素晴らしい結婚記念日>>試聴
8. Moonlight Serenade (4-bar intro.) 〜 The Old Fashioned Way/
ムーンライト・セレナード(イントロ) 〜 ジ・オールド・ファッションド・ウェイ (昔かたぎ)>>試聴
9. Yesterday When I Was Young/帰り来ぬ青春>>試聴
10. The Happy Days/幸せの日々>>試聴
11. You've Let Yourself Go/ユーヴ・レット・ユアセルフ・ゴー (のらくらもの)>>試聴
 

 
シナトラの後継者=ジャック・ジョーンズ

 
  ジャック・ジョーンズはスタンダード・ヴォーカル界の貴公子である。1938年1月14日にシンガー/アクターのアラン・ジョーンズ(ミリオンセラーの ”The Donkey Serenade” はジャックが生まれた日にレコーディングされた)と女優のアイリーン・ハーヴェイ(TVシリース『バークにまかせろ』に出ていた)の間に生まれた根っからのハリウッド子で、丹精なマスクとシンガーとしては珍しく長身(6フィート1インチ)、そしてしなやかで透明感溢れるロマンティックな歌声で、多くのファンから愛されてきた。歌手になる決心をしたのは、ウェスト・ロサンゼルスのユニヴァーシティー高校在学中で、友人のナンシー・シナトラが父親のフランクを高校に呼んで講堂で歌ってもらった時だったという。19歳で歌の世界に飛び込んだジャックは親の七光りをあてにせず、自らの努力でキャリアを築いた意志の人でもある。

1959年にシナトラが在籍していたキャピトル・レコードと契約したが丁寧な扱いを受けなかったため、早々に見切りをつけ、サンフランシスコのガソリン・スタンドで働きながらクラブで歌っているところを、キャップ・レコードのプロデューサーでもあったアレンジャーのピート・キングに認められた。キャップはマイナー・レーベルだったが、いやマイナーゆえにジャック・ジョーンズに賭けてくれた。1961年の初アルバム “Shall We Dance?”(KL-1228)のアレンジャーにはシナトラのお気に入りビリー・メイをつけてくれたし、アルバム第2作目の “This Was My Love”(KL-1259/KS-3259)に吹き込んだ1961年の「あめん棒とバラ Lollipops And Roses」と1963年の「ワイフと恋人 Wives And Lovers」がグラミー賞で最優秀男性歌唱賞を受賞し、シナトラの後継者として俄然注目と期待を集めるようになった。そして、キャップ・レコードでの6年間に17枚ものオリジナル・アルバムを発表したことからもわかるように、人気歌手、スター・シンガーとしての地位を確立した。


RCAへ移籍して、新たな世界を切り拓く

 
 
 1967年にメジャーのRCAに移籍してステップ・アップを図った。RCAの第1作 “Without Her”(LPM/LSP-3911)、それに続く “If You Ever Leave Me”(LPM/LSP-3969)は、いずれも編曲者に名手マーティ・ペイチを迎え、キャップ時代よりソフトでリラックスした歌を聴かせるようになったが、1970年代に入るとスタイルだけでなく内容的にも大きく変化していく。すなわち、スタンダードよりコンテンポラリーな歌への傾斜である。コンテンポラリー・ポップスを集めた1971年の “A Song For You”(LSP-4613)やブレッドのデイヴィッド・ゲイツの作品を中心に取り上げた1972年の “Bread Winners”(LPS-4692)で新しいジャック・ジョーンズ像を印象づけたが、いずれも自分のスタイルに合った曲を選び、彼独特のクリスタルで清涼感溢れる作品に仕上がっている。
その間に位置するのが1970年にパリで録音され翌71年に発表された “Jack Jones Sings Michel Legrand”(LSP-4480)と、シャルル・アズナヴールに捧げた本作 “Write Me A Love Song, Charlie”(APL1-0773)である。今ではアメリカでも大巨匠と認められているルグランとアズナヴールだが、英詞によるトリビュート作を初めて、しかも1970年代の初頭という早い時点で世に送り出したのはジャック・ジョーンズだった。彼の先見性と審美眼は大いに評価されるべきである。


『帰り来ぬ青春』 復刻

 
 
 さて、本作『帰り来ぬ青春 Write Me A Love Song, Charlie』は1974年に録音された、ジャック・ジョーンズ1970年代の最高傑作である。アズナヴールは歌詞にアクセントをつけドラマ性を重視する、アクの強いシンガーだが、ジャック・ジョーンズは、アズナヴールとは一線を画すソフトな語り口とメローなサウンドで、アズナヴールの作品が内包する叙情性を浮き上がらせており、そこにこのアルバムのオリジナリティーがある。
LPはアメリカでも日本でも翌75年にリリースされたが、いつしか廃盤になってしまった。RCA時代のジャック・ジョーンズのマスターは現在すべて本人が所有しており、今回のリリースはSSJレーベルが本人に直接交渉し世界に先駆けてCD化に漕ぎ着けたものである。
ジャック・ジョーンズは今も精力的にステージ活動を行っており、1998年に発表したトニー・ベネットへのトリビュート・アルバム “Jack Jones Paints A Tribute To Tony Bennett”(米 Honest OME-1021)はグラミー賞のトラディショナル・ポップ部門にノミネートされた。そして次回作には、フランク・シナトラへのトリビュートが噂されている。


シャルル・アズナヴールについて

 
 
 1924年5月22日に、トルコから移住してきたアルメニア人の子としてパリで生まれた。レストランを経営しながらオペラ歌手でもあった父と女優だった母の血を引き、1933年プチ・モンド劇場で芝居の子役として芸能界にデビュー。1941年に作曲家のピエール・ロッシュと出会い、ふたりでシャンソンを作りデュエットで歌うようになった。ジョルジュ・ユルメールが歌って1947年のACCディスク大賞を受賞した「酔いしれて」はふたりの作品である。
1946年にエディット・ピアフに認められたが、1950年にコンビを解散。1952年にソロ歌手としてスタートしたあとは鳴かず飛ばずだったが、1954年のムーラン・ルージュ、翌55年のオランピア劇場公演で大成功をおさめたことでスターの座を獲得した。以後は歌手、ソングライター、俳優として世界を舞台に活躍している。「ラ・マンマ」、「悲しみのベニス」、「ラ・ボエーム」、「帰り来ぬ青春」、「イザベル」、「想い出の瞳」等は日本でもよく知られている。
1960年代 にはフランク・シナトラが主宰するリプリーズ・レーベルからサイ・オリヴァー編曲指揮の “His Songs In English”(R/RS-6157)やゴードン・ジェンキンス編曲指揮の “His Kind Of Love Songs(R/RS-6245)といった英語のアルバムを発表している。近年の作品では、ミシェル・ペトルチアーニ、ジャッキー・テラソン、ダイアン・リーヴズらとジャズのサウンドとイントネーションで吹き込んだ1998年の “Jazznavour”(仏EMI 4-96903)が、シャンソン・ファンでなくとも大いに楽しめる作品となっている。





【 曲目 】
(1)アンド・アイ・ラヴ・ユー・ソー
「アメリカン・パイ」で一躍その名を轟かせたシンガー・ソングライターのドン・マクリーンが1970年に発表したナンバー。自演盤は評判にならなかったが、1971年にボビー・ゴールズボロのユナイト盤がビルボード・チャートの83位にランクされたあと、1973年にペリー・コモのこのレコードが29位にランクされるヒットとなった。エディ・アーノルド、ハリー・ベラフォンテ、ジョニー・マティス、シャーリー・バッシー、さらにエルヴィス・プレスリーもカバーしている。6月4日にはスペイン語でレコーディングしているが、未発表

(2)やさしく歌って
ロバータ・フラック1973年の大ヒット。彼女のアトランティック盤がビルボード・チャートのトップに5週間君臨してミリオンセラーを記録し、グラミー賞では最優秀レコード賞と歌曲賞、女性ポップ・ヴォーカル賞に輝いた。もとは1972年にローリ・リーバーマンのためにノーマン・ギンベルが作詞、チャールズ・フォックスが作曲したナンバーで、彼女のRCA盤で紹介された。

(3)心の想い出(フォー・ザ・グッド・タイムズ)

カントリー系のシンガー・ソングライターのクリス・クリストファーソンが1968年に作詞作曲した曲で、1970年にレイ・プライスのコロンビア盤がビルボード・チャートの11位にランクされるヒットとなり、グラミー賞で最優秀カントリー男性歌唱賞を受賞した。カントリー臭がないので、コモをはじめフランク・シナトラやディーン・マーティン、アンディ・ウィリアムズ、ジョニー・マティス、ダイナ・ショアら、スタンダード・シンガーも取り上げている。

(4)オーブリー
ブレッドのエレクトラ盤が1973年にビルボード・チャートの15位にランクされたヒット曲で、ブレッドのリード・シンガーのデイヴィッド・ゲイツが1972年に作詞作曲した。デイヴィッド・ゲイツはほかにも、「メイク・イット・ウィズ・ユー」や「イフ」といった美しいメロディーを書いている。

(5)シング
ジョー・ラポーゾ1971年の作品で、人気TV番組『セサミ・ストリート』で1972年に紹介された。1973年にカーペンターズのA&M盤がビルボード・チャートの3位にランクされ、ミリオンセラーを記録した。

(6)アイ・ウォント・トゥ・ギヴ
ジョー・ラポーゾ1971年の作品で、人気TV番組『セサミ・ストリート』で1972年に紹介された。1973年にカーペンターズのA&M盤がビルボード・チャートの3位にランクされ、ミリオンセラーを記録した。6月4日にはスペイン語でレコーディングしているが、未発表

(7)幸せの黄色いリボン
1972年にアーウィン・レヴィーンが作詞、L・ラッセル・ブラウンが作曲して、翌73年にトニー・オーランド&ドーンのベル盤が4週ビルボード・チャートのトップに立ち、ミリオンセラーとなった。グラミー賞では最優秀歌曲賞とヴォーカル・グループ賞にノミネートされた。シナトラやディーン・マーティンも吹き込んでいる。

(8)あなたへの追憶

ローランド・E・マックラウンが作詞作曲したナンバーで、カントリー系のメル・テリスが1971年にMGMに吹き込んだ。「アイ・ソート・アバウト・ユー」といえば、ジョニー・マーサーとジミー・ヴァン・ヒューゼンが作った1939年の歌のほうがはるかに有名ではある。

(9)イット・オール・シームド・トゥ・フォール・イントゥ・ライン
ジョニー・マティスの大ヒット「イッツ・ノット・フォー・ミー・トゥ・セイ」を書いたベテランのアル・スティルマンが作詞、「ロカフラ・ベイビー」「ムーンライト・スイム」「アカプルコの海」ほかプレスリーにも多くの曲を提供したベンジャミン・ワイスマンが作曲した。

(10)アイ・ビリーヴ・イン・ミュージック
カントリー系のシンガーでありソングライターのマック・デイヴィスが1970年に書いた歌で、1972年にデトロイト出身のソフトロック・グループのギャラリーによるサセックス盤がヒットチャートの22位につけるヒットとなった。

編曲は@EGH、つまり1月のセッションはキャム・マリンズが担当し、他の6曲はバーゲン・ホワイトが担当した。

なお未発表の7曲は次の通りである。
1月15日: Reach Out Your Hand(18日ダビング)
1月16日: If I Never Had Loved You, Take A Look At Me, Without Your Love, He Couldn’t Love You More
1月17日: It Was Such A Good Day, Take Me Home(18日ダビング)


新星堂上大岡店の鈴木伸男さんからのご指摘により、ピンク字の部分を訂正します。                  
@E このアルバムが発売され暫くしてから、NYCの Arcano というレーベルからシングル盤でリリースされました。
A   ローリ・リーバーマンのレコードはキャピトル盤でした。





(2006年6月2日 三具保夫)
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