『ロージー・シングズ・ビング』/ローズマリー・クルーニー Rosie Sings Bing/Rosemary Clooney

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ロージー・シングズ・ビング』
/ ローズマリー・クルーニー
sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ロージー・シングズ・ビング』 /ローズマリー・クルーニー

『ロージー・シングズ・ビング』/
ローズマリー・クルーニー
Rosie Sings Bing/
Rosemary Clooney
特別価格
(XQAM-1009)
Concord 原盤
1978年録音 紙ジャケ初登場
>>購入する  

   1977年に大復活を遂げたロージーが、同年10月にスペインで急逝した恩人ビング・クロスビーに捧げた追悼盤。ビングの名唱でおなじみの曲の数々を深い愛情と敬意を込めて歌い綴る。バックはスコット・ハミルトン(ts)、ナット・ピアス(p)ほか。コンコード時代を代表するロージーの名盤、14年ぶりの復活である。
 



1. But Beautiful/バット・ビューティフル >>試聴
2. Pennies From Heaven黄金の雨>>試聴
3. Blue Skies/ブルー・スカイ>>試聴
4. I Surrender, Dear/アイ・サレンダー・ディア>>試聴
5. Where the Blue of the Night/いつの日か君に>>試聴
6. It's Easy to Remember/イッツ・イージー・トゥ・リメンバー >>試聴
7. Swinging on a Star/星にスイング>>試聴
8. Just One More Chance/ジャスト・ワン・モア・チャンス>>試聴
9. I Wished on the Moon/アイ・ウィッシュト・オン・ザ・ムーン>>試聴
10. Too-Ra-Loo-Ra-Loo-Ral/アイルランドの子守唄>>試聴

 


 
偉大なシンガーへのトリビュート・アルバム

  「シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン・プリゼンツ」シリーズ第4弾には偉大なシンガーへのトリビュート・アルバムが2枚ラインナップされている。1枚はシナトラの親友だったキーリー・スミスによる『キーリー・シングズ・シナトラ(Keely Sings Sinatra)』(XQAM-1008)、そしてもう1枚が本作『ロージー・シングズ・ビング(Rosie Sings Bing)』である。   ビング・クロスビーへのトリビュート・アルバムを作るなら、ロージーほどの適任者はいないし、事実出来上がったアルバムは期待に違わぬ大変立派な作品となった。ロージーが1977年から2002年に亡くなるまでコンコード・レーベルから発表した30枚近いオリジナル・アルバムはいずれも高水準の作品ばかりだが、『ロージー・シングズ・ビング』はその中でもベスト3に入る出来栄えである。  

恩人ビング・クロスビー

  ロージーの2冊目の自伝『ガール・シンガー』(ダブルデイ)によれば、彼女がビングに偶然出会ったのは1952年、初めてパラマウント映画の撮影所を訪れた時で、その月の後半にはビングのラジオ・ショウにゲスト出演することが決まっていた。ふたりはすぐに打ち解けて意気投合し、ロージーの歌唱力を認めたビングは1954年のミュージカル映画『ホワイト・クリスマス』の共演者に推薦してくれた。『ホワイト・クリスマス』がロージーにとって大きなキャリアアップになったことはよく知られている。その後、“Fancy Meeting You Here”(1958年・RCA LSP-1854)や “That Travelin’ Two-Beat”(1964年・キャピトル ST-2300)といった楽しいデュエット・アルバムを作り、ビングがホストをつとめた『ザ・ビング・クロスビー・ショウ』をはじめラジオやTVの音楽番組でも数多く共演した。あのシナトラが「ビングの前で、君はなんで平気でいられるんだい?」とロージーに尋ねたことがある。「ビング・クロスビーと思わないことよ」というのがロージーの答だった。
   ビングはロージーにとってショウビズ界の大先輩、親友、そして大恩人でもあった。1960年代初め以降のロージーは、アカデミー賞も受賞したこともある性格俳優のホセ・ファーラーとの離婚・再婚・離婚、ネルソン・リドルとの道ならぬ恋、そして5人の子育て等々で心身ともボロボロで薬や精神科医の世話になり、きちんと歌手を続けられるような状態ではなかった。そんな彼女を励ましたのがTVショウに何度も出演させてくれたダイナ・ショアとマーヴ・グリフィン、そして誰よりもビング・クロスビーだった。     1975年のクリスマス前のあるパーティーで、ビングは翌76年3月17日にロスのドロシー・チャンドラー・パヴィリオンで行われる自身の芸能生活50周年記念コンサートのゲストとして出演するようロージーを誘った。ロージーはワンショットのステージと思い、気楽に引き受けたが、このコンサートはラスヴェガス、サンフランシスコ、ニューヨーク、さらに大西洋を渡ってロンドンやダブリン、エディンバラへと続いた。  
   ビングとロージーは翌77年秋にもロンドンでのアンコール公演を成功させ、その後ジョイント・コンサートは日本でも予定されていた。しかし、ロンドンでロージーと別れてスペイン入りしたビングは10月14日マドリッド郊外で大好きなゴルフに興じ、最終ホールを終えた直後に心臓麻痺のため亡くなった。

第二期ゴールデン・イヤーズを開いたコンコード・レーベル
 
  ロージーは1975年に英ユナイトにアルバムを2枚吹き込んだが、印象に残るほどの作品ではなかった。ロージーが本当に蘇ったのはビングと同じステージに立ったからである。ロンドン公演で伴奏してくれたドラマーのジェイク・ハナから「レコーディングしないか?」という電話が入り、コンコード・レコードでのレコーディングに臨んだ。その日のセッションを終えると、立ち会っていたコンコード・レーベルのカール・E・ジェファーソン社長から「うちで年に1枚ずつアルバムを作りませんか。内容はお任せします」というオファーがあった。ロージーはマイナー・レーベルに対する不安はあったものの、コンコードもまた自分に賭けようとしていることを思い、その場で快諾した。握手が契約書だった。そして、1977年に発表されたコンコード第1弾 “Everything’s Coming Up Rosie”(CJ-47)が、ロージー第2の黄金時代の幕開けとなった。  
   “Everything’s Coming Up Rosie” に続いて吹き込まれたのが “Rosie Sings Bing”(CJ-60)である。バックは、ナット・ピアス(p)、モンティ・バドウィック(b)、ジェイク・ハナ(ds)、スコット・ハミルトン(ts)、カル・コリンズ(g)だが、まだ新進だったスコット・ハミルトンの序列に注目を。オリジナルLPのライナーノーツはビングの未亡人キャスリン・クロスビーが寄せている。  
   ロージーはこの後、ビリー・ホリデイへのトリビュート “Here’s To My Lady”(CJ-81)、ビヴァリー・ヒルズの自宅の隣に住むアイラ・ガーシュインへのトリビュート・アルバム“Rosemary Clooney Sings The Lyrics Of Ira Gershwin”(CJ-112)を吹き込み、アイラへのトリビュートはさらにソングライター・シリーズへと発展して行った。


【 曲目 】

(1)バット・ビューティフル
1947年にジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲して、ビング・クロスビーとボブ・ホープが共演した映画『南米珍道中』の中でビングが歌った。ロージーはしっとりとしたムードでこのアルバムをスタートさせる。

(2)黄金の雨
1936年にジョニー・バークが作詞、アーサー・ジョンストンが作曲した歌で、映画『黄金の雨』でビングが歌い、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。ロージーはヴァースから入るが、コーラス部のフレージングはビングよりシナトラに近い。

(3)ブルー・スカイ

アーヴィング・バーリンが作詞作曲して、1926年のミュージカル『ベッツィ』でベル・ベイカーが紹介した。ミュージカル映画『ジャズ・シンガー』(1927)でアル・ジョルスンが、『世紀の楽団(アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド)』(1938)でエセル・マーマンとアリス・フェイが歌い、ビング・クロスビーもフレッド・アステアと共演した『ブルー・スカイ』(1946)や『ホワイト・クリスマス』(1954)で歌っている。

(4)アイ・サレンダー、ディア
1931年にゴードン・クリフォードが作詞、ビングやアル・リンカーとコーラス・グループのザ・リズム・ボーイズを組んでいたハリー・バリスが作曲した。同年ビングをフィーチャーしたザ・リズム・ボーイズのレコード(伴奏ガス・アーンハイム楽団)がヒットして、ビング独立の引き金となった。

(5)いつの日か君に
ビングのテーマ・ソング。1931年にビングがロイ・タークやフレッド・E・アーラートと合作したしみじみとしたバラードで、1932年のミュージカル映画『ラヂオは笑ふ(ザ・ビッグ・ブロードキャスト)』でビングが歌った。C同様、万感の想いのこもった、何度聴いても感動を誘う素晴しい歌だ。

(6)イッツ・イージー・トゥ・リメンバー
ミュージカル映画『ミシシッピ』(1935)に出演したビングの「もう1曲歌いたい」という要求に応えて、ハリウッドからニューヨークに戻っていたロレンツ・ハート(作詞)とリチャード・ロジャース(作曲)が急遽作ったナンバーだが、今では大スタンダードになっている。

(7)星にスイング
ビングがアカデミー主演男優賞を受賞した1944年の『我が道を往く』の主題歌で、アカデミー主題歌賞を受賞した。作詞はジョニー・バーク、作曲はジミー・ヴァン・ヒューゼンというおなじみのコンビ。『我が道を往く』は作品賞、監督賞、助演男優賞、脚本賞、脚色賞も受賞した。

(8)ジャスト・ワン・モア・チャンス
1931年にサム・コスロウが作詞、アーサー・ジョンストンが作曲した。ビングがソロ歌手として独立して初めてラジオで歌った記念すべき曲である。1931年9月1日、CBSラジオだった。

(9)アイ・ウィッシュト・オン・ザ・ムーン
1935年にドロシー・パーカーが作詞、ラルフ・レインジャーが作曲して、この年の映画『1936年の大放送』に特別出演したビングが歌った。ロマンティックだが、メランコリックな雰囲気を漂わせた美しいバラードだ。

(10)アイルランドの子守唄
1914年にジェームス・ロイス・シャノンがアイルランドの民謡風につくった唄で、別名「ザッツ・アン・アイリッシュ・ララバイ」。ビングは、映画『我が道を往く』の中で歌っている。ロージーは、ビングと同じアイルランド系だし、子守唄やファミリー・ソングを積極的に歌ってきたので、こういった唄はお得意だ。トリビュート・アルバムに相応しく、静かな余韻を残して終わる。



(2006年10月30日 三具保夫)
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