『ラヴァー』/アン・リチャーズほか Circa 1960/Ann Richards & Others

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan

『ラヴァー』/
アン・リチャーズほか
Circa 1960/
Ann Richards & Others
特別価格
(XQAM-1011)
90th Floor 原盤
1960年頃録音 日本初登場
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   スタン・ケントン楽団の名花アン・リチャーズが奔放なスキャットで迫ったダラスの熱い日! さらに、ダラスの隠れ名手やスタン・ケントンの薫陶を受けた全米一の大学ビッグバンド等々 "開けてビックリ玉手箱" 的アルバムだ。90th Floorレーベルらしいこだわりの1作。 
 

 
1. There Will Never Be Another You/ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー (1)>>試聴
2. Polka Dots and Moonbeams/ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームズ (1)>>試聴
3. Vino for Doris/ヴィーノ・フォー・ドリス (1)>>試聴
4. Too Marvelous for Words/君を讃える言葉もなし (1)>>試聴
5. Hey There/ヘイ・ゼア (1)>>試聴
6. Porgy and Bess Medley/『ポーギー・アンド・ベス』メドレー (2)>>試聴
7. Louie's Lament/ルイーズ・ラメント (3)>>試聴
8. Easy Living/イージー・リヴィング (4)>>試聴
9. The Lady Is a Tramp/レイディ・イズ・ア・トランプ (5)>>試聴
10. Harvey's Tune/ハーヴィーズ・テューン (5)>>試聴
11. Pennies from Heaven/黄金の雨 (6)>>試聴
12. You Go to My Head/ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド (6)>>試聴
13. Gone with the Wind/風とともに去りぬ (6)>>試聴
14. Lover, Come Back to Me/ラヴァー、カム・バック・トゥ・ミー (6)>>試聴

(1):ノーステキサス州立音大バンド
(2):ディック・ハープ・クァルテット
(3):ポール・ゲレロ・クインテット
(4):ジェーン・エイムス
(5):ハーヴィー・アンダーソン・クァルテット
(6):アン・リチャーズ&トリオ

 

“Circa 1960” つまり『1960年頃』と題されたこのアルバムは、タイトルやカバー・デザインなど、外見からのアピール度はけっして高くないが、“テキサス・ジャズ侮り難し”を実感させる素晴しい歌と演奏がぎっしりと詰まった“開けてビックリ玉手箱”的な作品である。
   本作を発表した 90th フロア・レーベルについては、今年の8月にリリースした2枚のアルバム『ナイス・ン・イージー/マル・フィッチ』と『エンジェル・アイズ+2/ディック・アンド・キズ』のライナーでご紹介した。そのライナーは www.sinatrajapan.com/ にアップされているので興味のある方はお読みいただくとして、このレーベルを一言で形容するなら“テキサスの地に息づいた孤高のレーベル”ということになろうか。テキサス州ダラスというジャズの僻地にありながら、1950年代後半から60年代初めにかけて地元の優れたアーティストたちを丹念に記録して気を吐いた。
   2004年になって初めてリリースされた本作も、全米的な規模でましてや日本ではまったくあるいはほとんど無名ではあるが、すぐれた腕前を持ったアーティストたちのパフォーマンスを刻んだ、きわめて貴重な記録である。  


ノース・テキサス・ステート・カレッジ・ラブ・バンド・A

1959年4月27日に、ダラスから50キロほど離れたデントン(Denton)という町のデントン高等学校の講堂で行われた、年1度のジャズ・コンサートのライヴ。音楽水準の高さで有名なノース・テキサス州立音楽大学(North Texas State College School Of Music)の学生たちの演奏で、バンド名(North Texas State College Laboratory Dance Band A)の最後に「A」とあるのは、この学校にいくつかあったバンドのうち最も優秀なグループだったからで、全米29の大学が集まった1960年の学生ビッグバンド・コンテストで優勝し、TV『スティーヴ・アレン・ショウ』にも出演した。この大学にはスタン・ケントンがたびたび訪れ、熱心に指導した。このバンドの伝統は今も受け継がれ、数年前に来日公演も行っている。
バンドからは優秀なプロ・ミュージシャンが何人も輩出した。このアルバムで演奏しているマーヴィン・スタム(tp)はスタン・ケントンやウディー・ハーマン、サド・ジョーンズ=メル・ルイス、ベニー・グッドマンの楽団で活躍したほか、1973-74年にはフランク・シナトラの伴奏をつとめ、クインシー・ジョーンズやビル・エヴァンス、ウェス・モンゴメリーほかのレコーディングにも参加している。ディー・バートン(tb)もスタン・ケントン楽団を皮切りに、フランク・シナトラやトニー・ベネット、ペギー・リーからローリング・ストーンズやジョン・レノンらとも関わり、50本を超える映画のスコアを書いた。ジャズ通のクリント・イーストウッド作品『恐怖のメロディ』(1971)の音楽はバートンである。   
演奏メンバーは、Bob Foutz (tp), Marvin Stamm (tp), Bob Pickering (tp), Tom Wirtel (tp), Bucky Milam (tp), Bob Beigler (tb), Dee Barton (tb), Dave Wheeler (tb), Bubba Kolb (btb), Bob Thomas (as, cl), John Scarborough (as, ts), Ed Summerlin (ts), Earl Dhus (ts), Herb Porter (bs), Gene Gandy (p), Don Ratteree (b), Tony Pondant (ds), Conducted by Gene Hall
@「ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー」は、1942年にマック・ゴードンが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミュージカル映画『アイスランド』(本邦劇場未公開)で紹介された。編曲はE・ダス、ソロはB・トーマス、E・サマーリン、T・ワーテル。
A「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームズ」は1940年にジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲したダンスバンド向きの美しいバラードで、シナトラをフィーチャーしたトミー・ドーシー楽団のRCA盤がヒットした。編曲はT・ワーテル、ソロはB・コブ、T・ワーテル、B・トーマス。
B「ヴィーノ・フォー・ドリス」はディー・バートンの作曲・編曲で、M・スタムと彼がソロをとる。
C「君を讃える言葉もなし」はジョニー・マーサーが作詞、リチャード・ホワイティングが作曲した1937年の作品。編曲はアドルフ・サンドール、ソロはE・サマーリン、M・スタム、B・ビーグラー、G・ギャンディ。
D「ヘイ・ゼア」はリチャード・アドラーとジェリー・ロスが1954年のミュージカル『パジャマ・ゲーム』のために共作した。ローズマリー・クルーニーのミリオン・ヒットがある。ソロは編曲のE・サマーリンに続いてD・バートンとB・トーマス。


ディック・ハープ・クァルテット

ディック・ハープはキズ・ハープ夫人とヴォーカル・デュオを組みピアノも担当していたが、デビュー・アルバム『エンジェル・アイズ』リリース直前の1959年末にキズが急逝。ディックは別のフォーマットでパフォーマンスを続けたが、往年の人気を維持できず、ダラスのクラブ「アット・ザ・90th・フロア」を閉鎖して写真の世界へと転進した。
E1935年のフォーク・オペラ『ポーギー・アンド・ベス』から、「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」「イット・エイント・ネセサリリー・ソー」「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」「サムワンズ・トッキン・アット・ザ・ドア」が、緊張感あふれるムードでメドレー演奏される。作曲はジョージ・ガーシュイン。パーソネルは、Dick Harp (p), Ben Hill (vib), Pete Warren (cello), Reinie Press (b), Banks Dimon (ds)。1961年初頭、「アット・ザ・90th・フロア」でのライヴ録音。MJQのレコードより4年早い演奏だ。


ポール・ゲレロ・クインテット

ポール・ゲレロもノース・テキサス州立音大の卒業生で、1960年代にやはりスタン・ケントン楽団に入るなど、プロとして各地で活躍した。
F「ルイーズ・ラメント」はP・ゲレロの作品。メンバーは、Paul Guerrero (ds), Jack Peterson (p), Marvin Shaw (tp), Peyton Parks (sax), Al Wesar (b)
G「イージー・リヴィング」(英文ライナーの「イージー・トゥ・ラヴ」は誤り)は1937年レオ・ロビンの作詞、ラルフ・レインジャーの作曲で、ビリー・ホリデイのレコ ードが有名だ。M・ショウ夫人の Jane Ames の歌で、バックは、Paul Guerrero (ds), Jack Peterson (g), Al Wesar (b)。


ハーヴィー・アンダーソン・クァルテット

ハーヴィー・アンダーソンはダラス地区では名の知られたオールラウンドのミュージシャンで、ジャズのグループも結成していた。
H「ザ・レイディ・イズ・ア・トランプ」は1937年のブロードウェイ・ミュージカル『ベイブズ・イン・アームズ』のためにロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャー スが作曲したナンバーで、シナトラやリナ・ホーンのオハコ。 メンバーは Harvey Anderson (as), Alan Snodgrass (p), Reinie Press (b), Ronnie Tutt (ds)。
I「ハーヴィーズ・テューン」はハーヴィーがどこからか引っ張り出してきた曲だが、名前がわからずこのようなタイトルになっている。
パーソネルはHから、ドラマーがレギュラーの Ralph Pittman に代わり、ホーンも加わるが詳細は不明だ。 ディック・アンド・キズのベイシストだったR・プレスは後にニール・ダイヤモンドのバンドに30年以上在籍し、R・タットもエルヴィス・プレスリーのバンドに参加する。


アン・リチャーズ

このアルバムでは最も有名なアーティスト。1935年生まれ。18歳でチャーリー・バーネット楽団の専属歌手となり、1955年アニタ・オデイ、ジューン・クリスティ、クリス・コナーの後を継いで憧れのスタン・ケントン楽団に入り、8カ月後にはケントン夫人となった。ケントンとは1961年に離婚し、さらに2度結婚するがいずれも失敗し、1982年ロスの自宅で自ら命を絶った。
ケントン楽団の歌手は伝統的にハスキー・ボイスが多かったが、アンは艶のある声と奔放なスキャットで人気を集めたが、何よりも『プレイボーイ』誌のグラビアを飾った美貌で先輩たちを凌駕した。 以下の4曲は、ケントンがノース・テキサス州立音大に招かれていた1957年の終わりか58年の初頭の時期に、しばらく後に「アット・ザ・90th・フロア」クラブとなる「ブルー・ミスト」で行われたライヴ。バックは後年ケントン楽団に入るディー・バートンとその兄弟(名前は不明)やラスヴェガスへ出て成功するトニー・モリーリョ(ds)といわれるが特定されていない。アンのレコードはもともと少ないしトリオがバックなので、いつも以上に奔放な歌を繰り広げている点で貴重だ。
J「黄金の雨」は1936年にジョニー・バークとアーサー・ジョンストンが作り、同名の映画でビング・クロスビーが歌ってアカデミー主題歌賞にノミネートされた。
K「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」は1938年にヘイヴン・ギレスピーが作詞、J・フレッド・クーツが作曲したバラード。
L「風と共に去りぬ」はマーガレット・ミッチェルの大河小説に触発されて、1937年にハーブ・マジドソンが作詞、アリ・ルーベルが作曲した作品。バラードだがミディアムで歌われることも多い。
M「ラヴァー、カンバック・トゥ、ミー」は1928年、オスカー・ハマースタイン2世作詞、シグムンド・ロンバーグ作曲。ナット・キング・コールのキャピトル盤やブレンダ・リーのデッカ盤でおなじみ。ジャケット裏の「ラヴァー」は間違い





(2006年10月15日 三具保夫)
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