『ペリー・コモ・イン・イタリー』/
ペリー・コモ Perry Como In Italy/Perry Como

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ペリー・コモ・イン・イタリー』/ペリー・コモ


『ペリー・コモ・イン・イタリー』/
ペリー・コモ
Perry Como In Italy/
Perry Como
\2800 (XQAM-1015) RCAビクター ⇒ BMGミュージック
録音:1966年5月/ローマ 初の紙ジャケット仕様
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   ナッシュビル(カントリー)、南アメリカ(ボサノヴァ、ラテン)に続く“旅情3部作”の完結編。 太陽と音楽あふれる南国イタリアの歌を情感豊かに歌い綴ったコモ代表作の1枚だ。
 


1. Souvenir d'Italie/イタリアの思い出  >>試聴
2. Oh Marie/オー・マリー  >>試聴
3. Cominciamo Ad Amarci/愛がはじまる  >>試聴
4. Love Theme from "La Strada" (Traveling Down a Lonely Road)/ジェルソミーナ  >>試聴
5. Forget Domani/明日を忘れて  >>試聴
6. Anema e Core/アネマ・エ・コーレ  >>試聴
7. Un Giorno Dopo L'altro (One Day Is Like Another)/あの日のような  >>試聴
8. Santa Lucia/サンタ・ルチア  >>試聴
9. E Lei (To You)/エ・レイ  >>試聴
10. Toselli's Serenade (Dreams and Memories)/トセルリのセレナーデ  >>試聴
11. 'O Marenariello/舟人の歌  >>試聴
12. Arrivederci Roma (Goodbye to Roma)/アリヴェデルチ・ローマ  >>試聴

 

 1912年にペンシルバニア州キャノンズバーグのイタリア移民の家庭に生まれたペリー・コモは、1933年にフレディ・カーローン楽団のオーディションに合格して1935年12月まで在籍し、その後テッド・ウィームズ楽団に移って広く知られるようになった。1942年12月にテッド・ウィームズは楽団を解散するが、旅に疲れたコモは故郷でバーバー・ショップを開くことも考えたが、ニューヨークだけで仕事をすることを条件にCBSラジオのオファーを受け入れた。そして1943年にヴィクターと専属録音契約を結び、1987年2月3日のラスト・レコーディングまで一貫して同レーベルで録音した。「ティル・ジ・エンド・オブ・タイム」(1945)、「プリズナー・オブ・ラヴ」(1946)、「魅惑の宵」(1949)、「フープ・ディードゥー」(1950)、「イフ」(1951)、「ドント・レット・ザ・スターズ・ゲット・イン・ユア・アイズ」(1952)、「ノー・アザー・ラヴ」(1953)、「ラウンド・アンド・ラウンド」(1957)、「キャッチ・ア・フォーリング・スター」(1958)ほかのビルボード・チャート#1ソングをふくむヒット・チャート向けの曲もかなりまじえながら、スタンダード・ナンバーを中心に歌ってきたが、1960年代半ば新たな挑戦を開始した。

旅 情 3 部 作

 その第一弾は1965年にテネシー州のナッシュヴィルでレコーディングされたカントリー・ソング集『ザ・シーン・チェンジズ』(LPM/LSP-3396)である。RCAはナッシュヴィルに立派なスタジオを持ち、エディ・アーノルド、ジム・リーヴス、ドン・ギブソン、チャーリー・プライド、スキーター・デイヴィスをはじめ多くのカントリー系シンガーやアーティストを擁していた。その元締め的存在がギターの名手チェット・アトキンスで、『ザ・シーン・チェンジズ』は彼のプロデュース、才媛アニタ・カーの編曲で制作された。スタンダード・シンガーは本人の希望か会社の意向かはともかく、一度はカントリー・アルバムを作るようだが、コモはカントリーと最も相性のよかったシンガーといえる。コモはカントリー・ソングをあくまで素材として扱い、いつものコモらしい温かみとスムーズさを特長とする格調高い作品となっている。これ以降、コモはカントリー・ナンバーやカントリー的なサウンドを持った曲を数多くレコーディングしていく。次のアドヴェンチャーは「メディテーション」「ハウ・インセンシティヴ」などに加えて「いそしぎ」「イエスタデイ」などをボサノヴァのリズムで歌った1966年発表のアルバム『ライトリー・ラテン(オルフェの唄)』(LPM/LSP-3552)である。そして、次に本作『ペリー・コモ・イン・イタリー(イタリアの思い出)』(LMP/LSP-3608)が来る。

旅 情 完 結 編 『 イ タ リ ア の 思 い 出 』

 『イタリアの思い出』は1966年5月にローマのRCAスタジオで録音された。イタリア系アメリカ人のコモにとって、イタリアの歌や音楽への思い入れはきわめて深いものがあっただろうし、その解釈と表現はまことに見事である。当初このアルバムはニューヨークで録音する予定だったが、最終的にはローマで録音することになった。ローマ訪問はコンサート・ツアーの途中ではなくこのアルバムためだけの旅だったので、現地で十分に時間をとり、リハーサルやトライアル、レコーディングは間に4日間のオフを入れて5月9日から19日まで行われた。スタートは午後1時半、終了は午後5時だったが、ある日ホテルからスタジオまでのタクシーの中で、運転手が自慢げに話しかけてきた。「クリント・イーストウッドを乗せたんだよ」。マカロニ・ウェスタンの撮影だったのだろう、イーストウッドがアメリカで大ブレークする前のことである。
 選曲は『オルフェの唄』からコモの編曲と指揮を担当することになったやはりイタリア系のニック・ペリートが行った。イタリアの曲というと、張りのある力強い声で朗々と、あるいはドラマティックに歌うというイメージがあるが、コモはあくまでも自分のペースを守っている。歌詞を繊細に読みこなし、ソフトでハートウォーミングな歌声で微妙なニュアンスづけとゆったりとした円やかなフレージングで、われわれ聴き手を陽光降りそそぐ夢の世界へと誘って行く。どの曲もアメリカン・スタンダードのバラードであるかのような錯覚を起こさせてしまう力量には脱帽あるのみだ。ちなみに、コモは流暢なイタリア語をしゃべれた。1958年にイタリアでTVショウに出演した時は、すべてイタリア語で通したという。
 ペリー・コモ“旅情三部作”の完結編『イタリアの思い出』は、コモにとって異色作であると同時に、最高の1枚となった。

レコーディング・データは次の通りである。
【録音日】     1966年5月9・11・13・16・17・18・19日
【録音場所】    RCAイタリア・スタジオ(ローマ)
【プロデュース】  アンディ・ウィズウェル
【編曲指揮】    ニック・ペリート
【バック・コーラス】レイ・チャールズ指揮のアレッサンドゥロ・アレッサンドゥローニ合唱団(男性8名・女性6名構成)

 



【 曲目 】

@イタリアの思い出(Souvenir d’Italie)
1954年に、映画の脚本や戯曲を多く手がけているジュリオ・スカルニッチとレンツォ・タラブーズィのコンビが作詞し、トリエステ生まれの歌手・ピアニスト・指揮者のレリオ・ルタッツィが作曲して、1955年にニラ・ピッツィの歌でヒットし、同名映画の主題歌にもなった。英詞は1957年にカール・シグマン。

Aオー・マリー(Maria Mari)
ヴィンチェンツォ・ルッソが作詞、エドアルド・ディ・カプアが作曲したナポリ歌謡の傑作で、「窓を開け、マリアよ、姿を見せておくれ、私はここで待っている...」と歌うセレナーデ・スタイルのカンツォーネ。1899年にヒットしたが、カプアは1898年に「オ・ソレ・ミオ」を作曲している。

B愛がはじまる(Cominciamo Ad Amarci)
ヴィート・パラヴィチーニが作詞、ジーノ・メスコーリが作曲して、1965年度のサン・レモ音楽祭でジョン・フォスターとジョー・ダミアノが歌った。今では優勝曲の「君に涙とほほえみを」より歌われている。パラヴィチーニはダスティ・スプリングフィールドやエルヴィス・プレスリーの英語ヴァージョンで有名な「この胸のときめきを」のイタリア語詞の作者でもある。

Cジェルソミーナ
フェデリコ・フェリーニが監督、ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインが主演した1954年のイタリア映画『道』のテーマ曲で、ミケーレ・ガルディエリが作詞、ニーノ・ロータが作曲した。英詞はドン・レイ。日本では映画とともにサントラ盤がヒットした。

D明日を忘れて
レックス・ハリスン、ジャンヌ・モロー、イングリッド・バーグマン、アラン・ドロン、シャーリー・マクレーンらが出演したリレー形式のアメリカ映画『黄色いロールス・ロイス』(1964)の主題歌で、作詞はノーマン・ニューウェル、作曲はイタリアのリズ・オルトラーニ。イタリアではオズトラーニ夫人のカティナ・ラニエリが歌い、アメリカでは1965年にフランク・シナトラやコニー・フランシスの歌でヒットした。

Eアネマ・エ・コーレ(Anema e Core)
「魂と心」という意味の熱烈なラヴソング。1950年にティト・マンリオが作詞、サルヴァトーレ・デスポーズィトが作曲し、同名映画の中で名テノール歌手フェルッチオ・タリアヴィーニが歌った。ローマを舞台にしたアメリカ映画『愛の泉』(1954)に使われたことから、マニー・カーティスとハリー・アクストが英詞を書き、「ウィズ・オール・マイ・ハート・アンド・ソウル」として1954年にエディ・フィッシャーのRCA盤がビルボード・チャートの14位にランクされるヒットとなったが、それ以前にダイナ・ショアが「アンティル」としてレコーディングしている(RCA)。

Fあの日のような(Un Giorono Dopo L’altro)
大学生を中心としたジェノヴァ派の代表的シンガー・ソングライター=ルイジ・テンコ1966年の作品。英詞はアール・シューマン。テンコは映画『ブーベの恋人』(1963)でジョージ・チャキリスが演じたブーベ役の候補にも挙がったほどの二枚目。歌の世界ではウィルマ・ゴイクのヒット「夜の想い」などを作り、1967年1月のサン・レモ音楽祭では恋仲だったダリダと「チャオ・アモーレ・チャオ」を歌ったが落選し、28歳でピストル自殺を遂げた。

Gサンタ・ルチア(Santa Lucia)
世界的に有名な曲のわりに生い立ちは不確か。諸説あるが、元旋律は18世紀初頭のオペラ・アリアらしい。ナポリ歌謡の多くはナポリ人の怠慢からか19世紀に入って散逸しそうになったが、フランスから政治亡命してきた貴族のグリエルモ・コットラウが編纂して今日に至っている。息子のテオドーロも父の偉業を引継ぎ「サンタ・ルチア」を採譜し、エンリコ・コッソヴィッチがイタリア標準語で歌詞を書きそのヴァージョンが世界中に広まった。サンタ・ルチアはナポリの守護神だが、イタリア語の歌詞はナポリのサンタ・ルチア地区を賛美する漁師の歌。コモはコーラスを指揮するレイ・チャールズの書いた英詞を交えて歌っている。

Hエ・レイ(E Lei) 
1921年生まれのシンガーで作曲にも秀でたウーゴ・カリーゼが書いたスイートなラヴソング。カリーゼは第二次大戦後アメリカに住み、カウント・ベイシーとも交流があった。帰国後は歌手、ギタリストとして活躍した。

Iトセルリのセレナーデ
フィレンツェに生まれたピアニスト・作曲家のエンリコ・トセルリ(トセッリのほうがイタリア語に近い)が1900年に16歳で作曲したピアノとヴァイオリンのためのセレナーデで、翌1901年に出版された。「嘆きのセレナーデ」として知られる彼の代表作。コモはカール・シグマンが書いた英詞で歌っている。

J舟人の歌(’O Marenariello)
日本でも広く親しまれてきたナポリ歌謡。1893年にジェンナーロ・オッタヴィアーノが作詞、サルヴァトーレ・ガンバルデッラが作曲した。原曲はかなり長い歌だが、コモは「海の上で恋を語ろう、心と心を結び合おう、私は舟人、網を楽しく引く、楽しさで死んでもいいくらいだ」の部分を繰り返し歌う。

Kアリヴェデルチ・ローマ(Arrivederci Roma)
1954年にピエトロ・ガリネイとサンドロ・ジョヴァンニーニが作詞、レナート・ラシェル(本名ラヌッチ)が作曲して、歌手・俳優のラシェル自身が歌ってヒットさせた。アメリカではスリー・サンズの器楽ヴァージョン(RCA)がヒットし、1955年にカール・シグマンの英詞で歌ったジョージア・ギブスのマーキュリー盤がベストセラーになった。また、1960年のローマ・オリンピックの閉会式で使われて世界的に有名になった。

(曲目の解説についてはカンツォーネ・シンガーの松本淳子さんから、イタリア語の歌詞については松本淳子さんと       さん(カナダ  在住)から数多くのご教示をいただきました。)


(2007年5月8日 三具 保夫))
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【予告】
SSJレーベルでは、ペリー・コモ旅情3部作の第1部『ザ・シーン・チェンジズ』と
第2部『オルフェの唄』の世界初コンプリート盤を2007年10月にリリースする予定です。
ご期待ください。

 

 

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