『ア ウーマン・イン・ラヴ』+2/ バーバラ・リー Perry Como In Italy/Perry Como

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ア ウーマン・イン・ラヴ』+2/バーバラ・リー

『ア ウーマン・イン・ラヴ』+2/
バーバラ・リー
A Woman In Love +2/
Barbara Lea
特別価格
 (XQAM-1016)
原盤:
1−8 リバーサイド ⇒ バーバラ・リー/
9−10 キャデラック ⇒ バーバラ・リー
録音:1955年(1−8)、
ルディ・ヴァン・ゲルダー/
1954年(9−10)
日 本 初 登 場 +
レ ア ・ ト ラ ッ ク 2 曲 追 加
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   ペギー・リーやリー・ワイリーに通じる、ほのぼのとした温かみのあるバラードで人気のベテラン歌手が、 プレステッジへの2枚の人気盤に先駆けて発表した1955年のデビュー・アルバムがついに復刻! さらに、前年マイナー・レーベルに吹き込み、本盤録音のきっかけとなった超レアな2曲を特別収録。
 


1. Come Rain or Come Shine/降っても晴れても  >>試聴
2. As Long As I Live/アズ・ロング・アズ・アイ・リヴ  >>試聴
3. Love Is Here to Stay/ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ  >>試聴
4. Thinking of You/シンキング・オブ・ユー  >>試聴
5. I Didn't Know About You/アイ・ディドゥント・ノウ・アバウト・ユー  >>試聴
6. Love Me/ラヴ・ミー  >>試聴
7. The Best Thing for You/ザ・ベスト・シング・フォー・ユー  >>試聴
8. A Woman Alone with the Blues/ア・ウーマン・アローン・ウィズ・ザ・ブルース  >>試聴
9. Any Place I Hang My Hat Is Home/エニイ・プレイス・アイ・ハング・マイ・ハット・イズ・ホーム  >>試聴
10. I'll Bet You a Kiss/アイル・ベット・ユー・ア・キス  >>試聴

 

 
 バーバラは1976年久しぶりにレコーディングされ翌77年にリリースされたアルバム『ザ・デヴル・イズ・アフレイド・オブ・ミュージック』(オーディオファイル AP-119)以降、同レーベルを中心に10数枚のアルバムを発表しいずれもファンや識者から好意的に受け入れられているが、初期のアルバムを珍重するファンも多く存在する。すなわち1956年と57年の2枚のプレステッジ盤『バーバラ・リー』(LP-7065)と『リー・イン・ラヴ』(LP-7100)、その前1955年にリヴァーサイドに吹き込まれた10インチのデビュー・アルバム『ア・ウーマン・イン・ラヴ』(RLP-2518)である。だが、このリヴァーサイド盤は多くのファンが求めているにもかかわらず、日本では一度もリリースされてこなかった。このアルバムの原盤権はバーバラ自身が買い取り、アメリカでは1978年に録音された「アイム・オールド・ファッションド」「トゥー・レイト・ナウ」「アイ・シー・ユア・フェイス・ビフォー・ミー」「ホワット・イズ・ゼア・トゥ・セイ」の4曲を加えた30センチLP(オーディオファイル AP-86)として1981年にリリースされ、その後CD(同 ACD-86)にもなった。ジャケットには彼女の新しい写真があしらわれデザインはオリジナルに似せていた。バーバラ本人とライセンス契約を結び今回SSJレーベルから発売される『ア・ウーマン・イン・ラヴ』は、オリジナル10インチの8曲で構成され、オリジナル・ジャケットを尊重した世界初のCDリリースだが、さらにレア・アイテムを2曲追加した。

 バーバラ・リーは1929年4月10日にミシガン州デトロイトで生まれたフランス系のアメリカ人で、本名はバーバラ・リーコック(Barbara LeCocq)。父親の職業は弁護士だがブロードウェイでクラリネットを吹いていたこともあり、母親はピアニスト、兄はトランペットとハーモニカを吹くという音楽一家に生まれた。4歳からピアノとタップダンスを習い、キャブ・キャロウェイやルイ・アームストロング、ファッツ・ウォーラーらのレコードを聴いていたという。シンガーではリー・ワイリーやダイナ・ショア、リナ・ホーン、ビリー・ホリデイらのレコードに夢中になったというが、バーバラの歌にはリー・ワイリーやビリー・ホリデイの影響が認められるし、感覚的に声質的に、ペギー・リーのバラードにも通じるものがある。バーバラの歌は、スタンダード・ヴォーカルが最も輝いていた時代のふくよかで落ち着いた雰囲気を湛えている。

 高校時代は地元デトロイトのバンドで歌い、マサチューセッツ州にあるウェルズリー女子大学に進んでからは音楽理論を専攻し、友人の紹介でハーバード大学のディキシー・バンドであるクリムゾン・ストンパーズの歌手となり、マリアン・マクパートランド、ボビー・ハケット、ヴィック・ディケンスン、ジョニー・ウィンドハーストらと共演する機会にも恵まれた。卒業後1年間はボストンに留まってプロのシンガーして活躍し1952年にニューヨークへと進出したが、ボストンやデトロイトと全く違う環境の中でシャイな性格が災いしてか精神的に疲れ果て3度ボストンに戻るが、4度目のチャレンジでチャンスが訪れた。
 バーバラは1953年ごろミッジ・バーバーの名前でコネチカット州のトリントンにあったマイナー・レーベルでデモ・レコード「オレンジ・サスペンダーズ」を吹き込んでいるが、正式の初レコーディングは1954年6月18日ニューヨークのキャデラック・レーベルへの「エニイ・プレイス・アイ・ハング・マイ・ハット・イズ・ホーム」「アイル・ベット・ユー・ア・キス」「ジャズ・ミー・ブルース」の3曲で、うち最初の2曲をカップリングしたSP/シングルのBサイド「エニイ・プレイス・アイ・ハング・マイ・ハット・イズ・ホーム」が『ダウンビート』誌や評論家に注目され、リヴァーサイドでのレコーディングへとつながった。その『ア・ウーマン・イン・ラヴ』はさらに反響を呼び、『ニューヨーク・タイムズ』紙はビング・クロスビーやサミー・デイヴィスと並んで最も注目すべき1955年のヴォーカル・アルバム9枚の1枚に挙げたし、1956年度の『ダウンビート』誌の国際批評家投票では最優秀新人歌手部門でトップに選出され、ヴィレッジ・ヴァンガードへの9週間連続出演も果たした。そして、その後に続くのがプレステッジの2枚のアルバムだ。1950年代後半といえば、ロックンロールが急速に音楽シーンを席巻していった時期である。バーバラがせめてあと5年早く世に出ていれば、もっともっとメジャーな存在になっていたであろう。

 1960年代のバーバラは引っ込み思案な性格を克服し、ステージ・マナーを向上させようと演技の勉強を始めたが、演技にはまったこととジャズやスタンダードに厳しい時代に入ったため、舞台が主な活躍の場となった。1966年2度目の結婚で西海岸に移住し、サンフェルナンド・ヴァリー州立大学(現在のカリフォルニア州立大学ノースリッジ校)でドラマを専攻して文学修士号を取得し、1970年さらに再婚してニューヨークに戻りブロードウェイで女優としてのキャリアを再構築するまでホフストラ大学で演技や現代演劇の講座を持ったりした。

 バーバラは自分の好きな音楽を無視し続けている音楽シーンに失望して2度と歌わないと決心していたが、ある舞台劇のオーディションのピアニストが旧知の仲だったことから、彼が週1回レギュラーで弾いているレストランで歌うようになった。そのうちふたりで移った別のレストランにある晩マリアン・マクパートランドが伝説のソングライター=アレック・ワイルダーと連れ立って入ってきた。ワイルダーに誘われて『アメリカン・ポピュラー・ソング・ウィズ・アレック・ワイルダー・アンド・フレンズ』というラジオ番組に出演して高い評価を得たことが、歌手として本格的にカンバックするきっかけとなった。この番組で注目されたことで、マイケルズ・パブやレインボー・ルームといった高級サパークラブ、さらにカーネギー・ホールやタウン・ホールのステージにも立ち、ニューポート・ジャズ・フェスティバル(イン・NYC)にも出演したが、演技を学んだことがコール・ポーターやロジャース&ハート、ジェローム・カーン、ジョニー・マーサーをはじめとするグレート・アメリカン・ポピュラー・ソングの歌詞とメロディーの解釈と表現に深みを与えたことは確実である。バーバラはニューヨークの音楽シーンにおけるヒーローのひとりとして今日に至っている。

【録音データ】
『ア・ウーマン・イン・ラヴ』(リヴァーサイド RLP-2518)
録音日:1955年3月15日 BEA
1955年3月16日 CG@DF
パーソネル:バーバラ・リー(vo)、ジョニー・ウィンドハースト(tp)、ビリー・テイラー(p)、ジミー・シャーリー(g)、アール・メイ(b)、パーシー・ブライス(ds)
エンジニア:ルディ・ヴァン・ゲルダー
録音スタジオ:ヴァン・ゲルダー・スタジオ(ニュージャージー州ハッケンサック)
SP(キャデラック #149) HI 
録音日:1954年6月18日
パーソネル:バーバラ・リー(vo)、エディ・ベアフィールド(cl)、ピー・ウィー・アーウィン(tp)、カティ・カトシャル(tb)、ビル・ペムバートン(b)、ビル・オースティン(p)、ジョージ・ウェトリング(ds)、テリー&ザ・マックス(bkv Iのみ)
録音スタジオ:ニューヨーク






【 曲目 】
@降っても晴れても 
1946年にジョニー・マーサーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『セントルイス・ウーマン』でルビー・ヒルとハロルド・ニコラスが紹介した。

Aアズ・ロング・アズ・アイ・リヴ
これもハロルド・アーレンの作曲だが、作詞はテッド・コーラー。1934年の歌で、レビュー『コットン・クラブ・パレード』の24回目のエディションでリナ・ホーンとエイヴォン・ロングが紹介した。

Bラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ
アイラ・ガーシュイン作詞、ジョージ・ガーシュイン作曲とクレジットされた彼らの最後の作品だが、未完だった作品をヴァーノン・デュークが補作して完成された。1938年のミュージカル映画『ザ・ゴールドウィン・フォリーズ』(本邦劇場未公開)でケニー・ベイカーが歌った。

Cシンキング・オブ・ユー
1927年にバート・カーマーが作詞、ハリー・ルビーが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・5オクロック・ガール』で紹介され、彼らの伝記ミュージカル映画『土曜を貴方に』ではヴェラ=エレンが歌った。

Dアイ・ディドゥント・ノウ・アバウト・ユー
デューク・エリントンが「センチメンタル・レイディ」として1942年にレコーディングした曲に、1944年ボブ・ラッセルが歌詞をつけたもので、ジョヤ・シェリルの歌をフィーチャーしたデューク・エリントン楽団のヴィクター盤で紹介された。

Eラヴ・ミー
「ステラ・バイ・スターライト」や「マイ・フーリッシュ・ハート」のコンビ、ネッド・ワシントン(作詞)とヴィクター・ヤング(作曲)が1934年に書いたナンバーで、ふたりと縁の深いリー・ワイリーが紹介した。

Fザ・ベスト・シング・フォー・ユー
1950年のブロードウェイ・ミュージカル『コール・ミー・マダム』のためにアーヴィング・バーリンが作詞作曲した軽やかなナンバーで、エセル・マーマンとポール・ルーカスが紹介した。

Gア・ウーマン・アローン・ウィズ・ザ・ブルース
ウィラード・ロビソン1955年の作品だから、レコーディング当時は出来立てのほやほやだった。ペギー・リーのために書かれた作品で、ペギーの歌はアルバム『ブラック・コーヒー』(デッカ)に入っている。またリー・ワイリーの歌も『ザ・レジェンダリー・リー・ワイリー:コレクターズ・アイテム 1931-1955』(ボールドウィン・ストリート・ミュージック)等に入っている。

Hエニイ・プレイス・アイ・ハング・マイ・ハット・イズ・ホーム
「降っても晴れても」と同じく、1946年のミューカル『セントルイス・ウーマン』からの曲。作詞はジョニー・マーサー、作曲はハロルド・アーレン。レイジーな曲想がバーバラの資質に合っている。Iもふくめ、バックはエディ・コンドンのグループのメンバー。

Iアイル・ベット・ユー・ア・キス
ステージ・ピアニストでTVコマーシャルも書いたベン・ジャフィーと野球のセミプロでもあったルー・シェリーの作品。レーベル・オーナーのグラハム・プリンスがヒットを狙って選んだコマーシャルなレコードだが、話題になったのはHだった。






(2007年5月2日 三具 保夫)
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