『ベヴ・ケリー・ライヴ!』/ ベヴ・ケリー Bev Kelly Live At The Jazz Safari/
Bev Kelly

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ベヴ・ケリー・ライヴ!』/ ベヴ・ケリー

『ベヴ・ケリー・ライヴ!』/
ベヴ・ケリー
Bev Kelly Live At The Jazz Safari/
Bev Kelly
特別価格
 (XQAM-1017)
原盤:ベヴ・ケリー
録音:1979年4月13・14日/
ジャズ・サファリ(加州ロングビーチ)
でライヴ収録
世 界 初 登 場
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   1960年代可憐な歌声と巧みなアドリブで人気を集めたベヴ・ケリーが、 再び歌うようになった1970年代の未発表ライヴ。女盛りの熱唱は、まさに聴きものだ。
 

1. Lonesome Road/ロンサム・ロード  >>試聴
2. Welcome to My Heart/ウェルカム・トゥ・マイ・ハート  >>試聴
3. One Day/ワン・デイ  >>試聴
4. New York State of Mind/ニューヨーク・ステート・オブ・マインド  >>試聴
5. Relfections/リフレクションズ  >>試聴
6. Nonchalantly/ノンシャラントリー  >>試聴
7. Drinking Again/ドリンキング・アゲイン  >>試聴
8. Do Nothin' Til You Hear from Me/ドゥー・ナッシン・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー  >>試聴
9. Our Time to Love/アワー・タイム・トゥ・ラヴ  >>試聴
10. Lament/ラメント  >>試聴
11. Alice in Wonderland/不思議な国のアリス  >>試聴
12. Bein' Green/ビーイン・グリーン  >>試聴
13. Soul Eyes/ソウル・アイズ  >>試聴

 

 
 べヴ・ケリーは、先ごろSSJレーベルから未発表だった『2人でお茶を』(SSJ XQAM-1003)が発売になり話題になったベヴァリー・ケニーと良く間違えられる。事実ベヴァリー・ケニーは50年代後半、ベヴ・ケリーは50年代後半から60年代に活躍したので現役時代にも間違えられたようだ。ケリーは昔「バードランド」に出演中にケニーを時々見かけたようだが、特に友人関係はなかった。何よりケニーの不幸な自殺の噂がケリーの事と混同されて伝わったのが吃驚だったという。

 ベヴ・ケリーは、ベヴァリー・ケニーと同じように録音したアルバムの数はあまり多くない。世界初登場となる本アルバムは、1979年4月13、14日に南カリフォルニア、ロングビーチにあったドラマーのアル・ウィリアムズのジャズ・クラブ「ザ・ジャズ・サファリ」でライヴ録音されたものだ。このクラブは、彼女自身も投資していて、1978年から80年までは共同経営者だった。自分の家みたいなクラブで気心の知れたドワイト・ディッカーソン(p)、リロイ・ヴィネガー(b)、アル・ウィリアムズ(ds)、リチャード・マダリアーガ(g)ルディ・ジョンソン(ts)と一緒に録音したものだが、永い間、お蔵入りしていた。50年代の彼女のレコードと比べると、よりソウルフルにフリーに歌っていてかなりの変貌をとげていることが分かる。この時代は、器楽ジャズや初期のブルースを良く聞いていたという彼女はより成熟した自信に満ちた歌を聞かせ大変に貴重な録音といえる。

 ベヴ・ケリーは、1934年6月6日オハイオ州デイトン郊外のトロイに生まれた。5歳の時から高校時代までクラシック・ピアノを習い、14歳で声楽も始め、シンシナチ音楽学校へ進み声楽を勉強する。音楽学校時代にテディ・レイモアのトリオでプロ・デビューする。このグループは、ジャズだけでなく、コメディー、ショウ・チューン、ポップと何でもやったので大変勉強になったという。その後、ピアノのパット・モーランとデュオを組みスティーヴ・アレンの『トゥナイト・ショウ』にも出演する。シカゴへ出てジョニー・ホイッテッド(b)、ジョン・ドゥーリング(ds)を加えカルテットとなる。このグループは、 ベヴの歌をフィーチャーするだけではなくメンバー全員によるコーラスも聞かせた。ベスレヘム・レーベルのA&Rマンの目にとまり同レーベルと契約、1956年メル・トーメとフランシス・フェイによる『ポーギー・アンド・べス』のカリフォル二アでの録音に参加、同時に初LP『ザ・パット・モーラン・カルテット』を録音する。すぐ翌年ニューヨークの「バードランド」に出演の合間に2作目の『ホワイル・アット・バードランド』を録音した。1957年12月には、べヴ・ケリーの初リーダー・アルバム『ベヴァリー・ケリー・シングス』をオーディオ・フィデリティにベースがスコット・ラファロに変わったパット・モーラン・トリオの伴奏で録音した(彼女は、常に自身をベヴといっていたが何故かこのアルバムだけベヴァリー表記された)。そして1959年『ラヴ・ロックト・アウト』をリヴァーサイドに録音し、この結果彼女は、1958年と1960年のダウンビート誌の人気投票にランクインしている。1960年西海岸へのツアーの最中に自動車事故に遭い、サンフランシスコに滞在することになり、その時、クラブ「ジャズ・ギャラリー」でリヴァーサイドの2作目の『イン・パーソン』をポニー・ポインデクスターのカルテットと録音している。アニタ・オデイを感じさせる彼女の歌だったが、本人は、アニタは、殆ど聞いていなくて器楽ジャズを一生懸命聴いていたという。その後、子育ての為、家庭に入り引退する。1963年にカリフォルニアのロングビーチ近くへ越して、詩や曲を書いたり陶芸をしたり、ヴォーカル・コーチをしたり、コマーシャルの仕事をしたり、シェパード犬を育てたりする中、心理学の博士号もとっていて、今は、精神療法医の仕事もしている。同時に、プロの写真家でもあるという大変に多才な人だ。60年代に一時クラブで歌ったが、本格復帰したのは1976年だった。尚、パット・モーランは、最近、ゴスペル畑で活躍している。

 1959年にセントルイスの教会で録音された『ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド』というVGMのアルバムが有るが、これは盗み録りされたもので正規なものではない。より最近では1998年に、彼女自身の自伝的オリジナル曲をジミー・フェルバ―のアレンジで歌う『ポートレイト・オブ・ナイン・ドリームズ』を自分のレーベルから出している。又、ロバート・アルトマン製作の映画『ザ・レイト・ショウ』(1977)のオープニングとクロージングのテーマ曲も歌った。

 「ザ・ジャズ・サファリ」でのコンサートは、リロイ・ヴィネガーのウォーキング・ベースだけをバックに歌い始める「ロンサム・ロード」でスタートする。20年代の「マイ・ブルー・へヴン」で大ヒットした歌手、作曲家のジーン・オースティンが作曲、ナサニエル・シルクレット作詞の1928年の作品だ。べヴ・ケリーは、長い道のりを重い荷物を持ってたった一人で歩くのは、疲れたというこの歌に、歌詞に新たな言葉を加えたり、言葉を反復したり、フレーズを伸ばしたりしながら次第にエキサイトしていく感じでソウルフルにのびのびと歌う。「つい最近私が書いた曲です」と云って歌う「ウェルカム・トゥ・マイ・ハート」は、彼女の夢の中に現れた世界を歌う何か宗教的、哲学的なものを感じさせる歌。べヴ・ケリーは、軽やかに明るく歌っている。続いて「大変才能豊かなフランク・ハウレンが書いた曲です。この歌を歌わせてもらうのは大変ラッキーです」と云ってヴォーカル・グループ、ザ・ハイ・ローズでも短期間、歌ったことのあるシンガー、フランク・ハウレンの「いつかあなたを置いて行かなければ成らない時が来る」というバラード「ワン・デイ」をベースが前面に出た伴奏で情感豊かに歌う。

 お馴染みのビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステート・オブ・マインド」は、彼女流にメロディーを崩して投げつけるが如く自由自在に感情を込めて歌う。ギターのソロが入り、最後の「バイバイ、LAまた会いましょう、ハロー・ニューヨーク、やって来ましたよ」というのが、いかにもライヴらしく楽しい。次の「私が、特別な人に特別な時に書いた歌です」と云って歌う「リフレクションズ」は、彼女が一時現在の夫、チャックと離婚していた時に出会った人を書いた歌だ。「あなたが私の手を取ったときから私たちの愛は特別なものになった。時のたつのは早いもの、すべての時間は何処へ行ってしまったのだろう」といった愛の思い出をベヴ・ケリーは、ガラリと雰囲気を変えて優しく歌う。ドワイト・ディッカーソンのピアノ・ソロも挿入される。「ノンシャラントリー」は、テナー奏者のテディ・エドワーズが作詞作曲したナンバー。「気取った感じで街を闊歩する男、女の子は、皆あこがれのまなこで彼を見る。そのうち彼は、誰か娘を選ぶだろう。それは、私」といった「イパネマの娘」風のナンバーをウォーキングのテンポで楽しげに軽快に歌う。ルディ・ジョンソンがテナー・サックスのソロを取る。「ドリンキング・アゲイン」はドリス・トーバ−作曲、ジョニー・マーサー作詞。酒場で恋人が現れないかと期待しながら、知らない人からの酒を飲み、タバコを貰い、ジョークを飛ばす。といった傷心の状況を痛切に歌うこの歌は、彼女が好きなナンバーの一つ。べヴは、気分の入ったドラマチックな素晴らしい歌を聞かせる。ドワイト・ディッカーソンの綺麗なピアノのソロも聞ける。「忘れてはならないデューク・エリントンのナンバーを」といって歌う「ドゥー・ナッシン・ティル・ユ―・ヒア・フロム・ミー」は、「コンチェルト・フォー・クーティー」を元にボブ・ラッセルが作詞したもの。べヴ・ケリーは、早口で喋るようにガッツのある歌を聞かせる。ブローするジョンソンのテナーも効果的だ。最後は、ベースだけの伴奏でフェード・アウトして行く。

 「アワー・タイム・トゥ・ラヴ」は、エディ・ハリスの「ゼア・ウォズ・ア・タイム」という曲にベヴ自身が歌詞をつけたものだ。「さよならなんて云ってはいけない、また愛し合う時は、いつか来るのだから、永遠に愛し合うのよ」といったファンキーなメロディーを持つ歌を説得力のある表現で歌う。ルディ・ジョンソンのサックスが活躍している。 マイルス・デイヴィスの『マイルス・アヘッド』のアルバムで初めて聞いたという「ラメント」は、J・J・ジョンソンの曲にジョン・ヘンドリックスが歌詞をつけたもの。ドワイト・ディッカーソンのピアノだけの伴奏でこの「哀悼歌」を言葉を引っ張る様な独特の歌でしっとりと聞かせる。「不思議な国へ行ってしまったお嬢さんの歌」と云って歌う、サミー・フェイン作曲、ボブ・ヒリアード作詞の同名ディズニーの映画の主題歌、「不思議な国のアリス」は、べヴ・ケリーらしい独特の節回しでクイック・テンポのよりフリーな歌を聞かせる。

 次に、TVの人気番組『セサミ・ストリート』に登場する蛙のカーミットについて説明をして「ビーイン・グリーン」を歌う。「どうして私は、グリーンなんのだろう」と疎外感をもった蛙の歌だが、ベヴは気持の入った見事な歌を聞かせる。ドワイト・ディッカーソンのエレピのソロも入る。「ソウル・アイズ」は、マル・ウォルドロンが書いた曲にベヴ自身が作詞したもの。「ソウル・アイズ、あなたの眼差しは私の心を温かくする。いつか愛し合ったことがあるのかしら、あなたを良く知っているような気がする」といった歌。彼女の歌詞でマーリーン・ヴァー・プランクやヴァネッサ・ルービンも歌っている大変印象的な歌だ。この後、「マイルストーンズ」を演奏するバンド・メンバーを次々と紹介してこのセットは終わる。べヴ・ケリーが、大変にリラックスした感じでのびのびと歌う楽しいコンサートだ。  

(2007年5月6日 高田 敬三)
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