『リメンバー』/ フランセス・リン Remember Frances Lynne

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan

『リメンバー』/
フランセス・リン
Remember/
Frances Lynne
特別価格
 (XQAM-1018)
原盤:ジョン・コッポラ
録音:1991年  日 本 初 登 場
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   デイヴ・ブルーベックのグループ、チャーリー・バーネット楽団やジーン・クルーパ楽団で活躍した、知る人ぞ知るビッグバンド時代の名花フランセス・リン唯一の稀少アルバム。 珠玉のバラードの数々が1940年代の雰囲気に乗せて目の前に甦ってくる。
 


1. Let's Face the Music and Dance/レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス  >>試聴
2. I Get Along Without You Very Well/アイ・ゲット・アロング・ウィズアウト・ユー・ヴェリー・ウェル  >>試聴
3. If I Had You/イフ・アイ・ハッド・ユ  >>試聴
4. Last Night When We Were Young/ラスト・ナイト・ホエン・ウィー・ワー・ヤング  >>試聴
5. The Touch of Your Hand/ザ・タッチ・オブ・ユア・ハンド  >>試聴
6. Spring Isn't Everything/スプリング・イズント・エヴリシング  >>試聴
7. All or Nothing at All/オール・オア・ナッシング・アット・オール  >>試聴
8. Guess I'll Hang My Tears Out to Dry/涙にぬれて  >>試聴
9. Stars Fell on Alabama/アラバマに星降りて  >>試聴
10. Can I Forget You?/キャン・アイ・フォーゲット・ユー?  >>試聴
11. Blue Prelude/ブルー・プレリュード  >>試聴
12. Remember/リメンバー  >>試聴

 

oneshot
 現在サンフランシスコで悠々自適の生活を送っているフランセス・リンは多彩な音楽歴を持ちながらメジャーな存在ではなかった。まずは彼女の経歴から始めよう。

 フランセス・リンをワン・フレーズで紹介なら、1949〜50年のシーズン解散直前のジーン・クルーパ楽団に短期間参加した女性シンガー、ということになろう。当時のフランセスはまだ若かったが、生まれ故郷のテキサス州都オースティンのラジオ局で6歳から歌っており、すでに十分なキャリアを積んでいた。これは幼少から歌がうまく容姿にも恵まれていたからで、音楽の先生らは彼女を第二のディアナ・デュービンに育てようとした。しかし、彼女はポピュラー音楽やジャズに興味を抱くようになり、第二次大戦中はテキサス州にあって有名な第156陸軍バンドに所属し、第二次大戦中の1941年に米政府によって設立された兵士に娯楽を提供するUSO(United Service Organizations)の企画でツアーも経験した。
 戦争が終わると1946年にサンフランシスコで “The Three D’s” というグループに参加するが、このグループのピアノはデイヴ・ブルーベックで、ほかのメンバーはドン・ラット(b)とダリル・カトラー(ds)だった。その後ノーマン・ベイツがドン・ラットに代わったがドーマンという名前に変えて“The Three D’s” はそのまま踏襲した。彼らは今や伝説となったサンフランシスコのギアリー・セラーをフランチャイズにベイ・エリアで多忙な日々を過ごした。
 フランセスは1948年のクリスマス前にチャーリー・バーネット楽団に参加し、ジェリー・ウォルド楽団を経てジーン・クルーパ楽団に入った。ちなみに、当時のジーン・クルーパ楽団の男性シンガーはビル・ブラックで、彼の唯一のアルバム『ダウン・イン・ザ・デプスス』は2005年にM&I音楽出版からリリースされている。
フランセスの夫となるウディ・ハーマン楽団のトランペッター=ジョン・コッポラとこのころ知り合い1952年に結婚する。そのあともフランセスはアルヴィノ・レイ楽団をはじめとする一流バンドをバックに断続的に歌っていたが、最終的には歌の世界から完全に身を引いた。

 歌いたい曲がまだまだあることを気にしていたフランセスが心を決めてレコーディングしたのが、マイク・アビーンの編曲指揮で吹き込まれたトーチ・ソング集『リメンバー』である。伴奏陣には、夫君のジョン・コッポラ(tp, flh)をはじめ、ジョニー・コールズ(tp, flh)、ハーブ・ステュワード(as, ss, cl)、ジョン・ハンディ(ts)ほか錚々たるジャズ・ミュージシャンが参加しており、成熟した味わい深いバラードを聴かせてくれるが、40年という歳月に風化されることなく保たれてきたフランセスの歌のスタイルは大変貴重である。それは、結婚を機会に半ば引退したためその後のけたたましい音楽の悪影響を受けなかったからだろう。佳き時代の優雅な香りが漂っている。
 かくしてレコーディングは1991年に完了したが、アルバムの完成と発売は1999年。ライナーノーツは旧友のデイヴ・ブルーベックが快く引き受けてくれた。ジャズ・パーティーなどで遠慮がちに販売されてきたためきわめて限られた人たちだけが聴いてきたこの作品が今、日本で復活を遂げることとなった。

パーソネルと録音データは次の通りである。
制作・編曲・指揮:マイク・アビーン
伴奏:ジョン・コッポラ・オーケストラ
ジョニー・コールズ(tp, flh)、ジョン・コッポラ(tp, flh)、ハーブ・ステュワード(as, ss, cl)、ジョン・ハンディ(ts)、ビル・クリンゲルホファー(flh)、エディ・マーシャル(ds)、ジョン・マーカム(ds)、ビル・ダグラス(bvn)、マイク・アビーン(p)+ストリングズ
録音:1991年 @〜E ファンタジー・レコーディング・スタジオ
(カリフォルニア州バークレー)
F〜K コースト・レコーダーズ
(カリフォルニア州サンフランシスコ)

【 曲目 】

@レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス アーヴィング・バーリンが作詞作曲して、1936年のミュージカル映画『艦隊を追って』のハイライト・シーンでジンジャー・ロジャースと踊るフレッド・アステアが歌った。トランペット・ソロはジョニー・コールズ

Aアイ・ゲット・アロング・ウィズアウト・ユー・ヴェリー・ウェル ホーギー・カーマイケルが人から渡された詞に1939年メロディーを書き、ディック・パウエルがラジオで紹介した、哀しくも格調高いバラード。作詞者が誰かずっとわからず、ジェーン・ブラウン・トンプソンという無名の女性の作品と判明した時、彼女はこの世になかった。よってこの曲はカーマイケルひとりがクレジットされている。

Bイフ・アイ・ハッド・ユー 1928年にテッド・シャピロ、ジミー・キャンベル、レグ・コネリーが共作したイギリスの歌。アメリカに紹介したのは、ルディ・ヴァレー。メロディーは素直だが、歌詞はきわめて情熱的、というか今となっては「ユー・ビロング・トゥ・ミー」同様、大時代的な感は否めない。

Cラスト・ナイト・ホエン・ウィー・ワー・ヤング 1935年の映画『メトロポリタン』のためにエドガー・イップ・ハーバーグが作詞、ハロルド・アーレンが作曲したが、使われたのは演奏ヴァージョンのみ。その後ジュディ・ガーランドが『イン・ザ・グッド・オールド・サマー』、フランク・シナトラが『テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボール・ゲーム』といったミュージカル映画で歌ったが、編集段階でカットの憂き目にあっている。確かに最初はとっつきにくい曲ではある。出版は1936年。

Dザ・タッチ・オブ・ユア・ハンド オットー・ハーバックが作詞、ジェローム・カーンが1933年に作曲したナンバーで、ミュージカル『ロバータ』で「煙が目にしみる」「イエスタデイズ」などとともに紹介された。サラ・ヴォーンやマーガレット・ホワイティングのレコードがあるが、無名に近い歌だ。

Eスプリング・イズント・エヴリシング ラルフ・ブレインが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミッキー・ルーニーとグロリア・デ・ヘイヴンが主演した1948年のミュージカル映画『サマー・ホリデイ』に使われたナンバーだが、これまた歌っている人は少ない。

Fオール・オア・ナッシング・アット・オール ジャック・ローレンスとアーサー・アルトマンの共作で、フランク・シナトラをフィーチャーしたハリー・ジェームス楽団の1939年録音盤(コロンビア盤)が1943年になって大ヒットしてから、スタンダード化した。出版は1940年。テナー・ソロはジョン・ハンディ。

G涙にぬれて サミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、1944年のブロードウェイ・ミュージカル『グラッド・トゥ・シー・ユー』で紹介された。この歌をスタンダード化させたのはフランク・シナトラの功績。

Hアラバマに星降りて アラバマの原野で流星群を見ているときに恋に落ちたという、大変絵画的なラヴソング。1934年の歌で、作詞はミッチェル・パリッシュ、作曲はフランク・パーキンス。トロンボーン奏者のジャック・ティーガーデンの持ち歌として名高い。

Iキャン・アイ・フォーゲット・ユー? オスカー・ハマースタイン2世が作詞、ジェローム・カーンが作曲して、1937年のミュージカル映画『たくましき男』でアイリーン・ダンが歌った。なかなかのバラードだと思うが、歌っている人は少ない。この映画からはやはりアイリーン・ダンが歌った「丘の上に住む人々」も生まれた。

Jブルー・プレリュード アイシャム・ジョーンズ楽団のホーン奏者ジョー・ビショップが書いたメロディーに、作曲家・編曲家としても名高いゴードン・ジェンキンスが1933年に歌詞をつけ、アイシャム・ジョーンズの後を継いだウディ・ハーマンのバンドのテーマ曲となった。ソロはフランセスの夫君ジョン・コッポラとハーブ・ステュワード。前奏でのふたりのソロがいい味を出している。

Kリメンバー 最後はアーヴィング・バーリンが1925年に書いたトーチ・ソング。バーリンのバラードにはこの曲をはじめ「歌は終わりぬ」「オールウェイズ」「ホワトル・アイ・ドゥー?」など、しっとりとした美しい小品が多い。





(2007年4月28日 三具 保夫)
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