ザ・マジック・オブ・イット・オール +3/
バディ・グレコ The Magic Of It All +3/ Buddy Greco

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>ザ・マジック・オブ・イット・オール+3/バディ・グレコ

ザ・マジック・オブ・イット・オール +3/
バディ・グレコ
The Magic Of It All +3/
Buddy Greco
特別価格
 (XQAM-1020)
原盤:B&L
1992年 (1-11) / 2002年 (13 & 14)   日 本 初 登 場
コ ン プ リ ー ト 盤 世 界 初 登 場
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   今も元気に活躍するバディ・グレコが、歌にピアノに縦横無尽の活躍をする、数ある彼のアルバム中、もっともジャジーな1枚。バディ・デフランコ、テリー・ギブス、ジャック・シェルドン、 グローヴァ・ワシントン・ジュニアほか、豪華な共演陣にも注目を!
 

1. I've Got You Under My Skin/アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン  >>試聴
2. Two of a Kind/トゥー・オブ・ア・カインド  >>試聴
3. Ev'rytime We Say Goodbye/エヴリタイム・ウィー・セイ・グッドバイ  >>試聴
4. The Magic of It All/ザ・マジック・オブ・イット・オール  >>試聴
5. Body and Soul/バディ・アンド・ソウル  >>試聴
6. Maddie's Blues/マディーズ・ブルース  >>試聴
7. Nobody Knows You When You're Down and Out/ノーバディ・ノウズ・ユー  >>試聴
8. Good Buddies/グッド・バディーズ  >>試聴
9. 'Round Midnight/ラウンド・ミッドナイト  >>試聴
10. Loving Her/ラヴィング・ハー >>試聴
11. Passing Pastels/パッシング・パステルズ  >>試聴
12. Bewitched/ビウィッチト  >>試聴
13. I've Got You Under My Skin (alternate version)/アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン(別ヴァージョン)  >>試聴

 
 
  ペリー・コモ(1912〜2001)やフランク・シナトラ(1915~1998)といった1910年代生まれの大シンガーたちが去った現在、1920年代生まれのトニー・ベネット(1926〜 )がスタンダード・ヴォーカル界の頂点に君臨しているが、ベネットより11日遅く生まれたバディ・グレコもまた、バリバリの現役として精力的に活躍している。昨年ラスヴェガスからパームスプリングスに居を移したバディは、朝は早くから大好きなゴルフ三昧、そして夜は自らオーナーとなっている「バディ・グレコズ・ディナー・クラブ」(68805 E. Palm Canyon Drive, Cathedral City, CA, 92234)のステージに愛妻のレズリー・アンダースと立ち、今もファンを喜ばせている。蛇足ながら、コモ、シナトラ、ベネット、グレコと80歳前後まで活躍した、あるいは現在進行形の以上のシンガーたちはいずれもイタリア系である。

 バディ・グレコ(本名アーマンド・グレコ)は、1926年8月14日にフィラデルフィアで生まれた。父はオペラの評論家かつフリーランスのシンガー、そして地元で有力なレコード店を経営していた。4歳でピアノとヴォーカルを始めたバディは、5歳で父のラジオ番組に出演した。15歳の時シンガー=ピアニストとしてプロの世界に入り、1947年にミュージクラフト・レコードと契約を結び、1948年「オー・ルッカ・ゼア、エイント・シー・プリティ?」が大ヒットして、注目を集めた。
 1948年にはピアニスト&ヴォーカリスト&アレンジャーとしてベニー・グッドマン楽団に入り、1951年まで在籍した。その後はふたたびトリオのフォーマットで自己のグループを率いた。コーラル、キャップ、エピックとレコード会社は変わるが、1950年代のアルバムで最も知られた作品は、シカゴでライヴ録音されたコーラル盤『バディ・グレコ・アット・ミスター・ケリーズ』だろう。
 1959年に始まるエピック時代に残した12枚のオリジナル・アルバムはいずれも高水準の作品ばかりたが、そのうちロンドンでフル・オーケストラをバックにレコーディングされバディ自身最も気に入っているという『フロム・ザ・リスツ・ダウン』はピアノと指揮に徹したアルバムなので、ヴォーカル盤は11枚ということになる。同レーベルでのデビュー・アルバム『マイ・バディ』からシングル・カットされた「ザ・レイディ・イズ・ア・トランプ」はイギリスでミリオンセラーとなり、1962年にはボビー・ヴィントンに先駆けて、「ミスター・ロンリー」をビルボード・チャートに送り込むなど、アメリカでもヨーロッパでも人気歌手の地位を不動のものにしたが、当時エピック盤はリアルタイムに日本で紹介されず、バディが日本で認知・評価されるのは1960年代後半に入ってからである。

    1966年にはフランク・シナトラの主宰するリプリーズ・レーベルへ移籍して、3枚の力作を発表し、1960年代を通じてTVでの露出も多かった。1970年代の一時期ヨーロッパに活動の拠点を移した時期もあったが、その後もエキサイティングなステージを繰り広げ傾聴に値するアルバムを発表し続けてきた。

【 曲目 】

@アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン
コール・ポーターおなじみの作品。ミュージカル映画『踊るアメリカ艦隊』(1936)でヴァージニア・ブルースが歌い、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。バディの歌は、フレージングや歌詞の崩し方変え方に、この曲最高の解釈者フランク・シナトラの影響が色濃く感じられる。 Aトゥー・オブ・ア・カインド
ジョニー・マーサー作詞、ボビー・ダーリン作曲の同名異曲があるが、本作はバディとアルバムの編曲と指揮を担当しているアルフ・クローゼンによる共同作品。

Bエヴリタイム・ウィー・セイ・グッドバイ
これもコール・ポーターの曲。1944年のレヴュー『セヴン・ライヴリー・アーツ』で紹介された。バディは大きな構えでじっくりと歌っている。こういった曲をしみじみと歌った時のバディは本当にうまい。

Cザ・マジック・オブ・イット・オール
アルフ・クローゼンが作った器楽曲。バディは1989年のアルバム『ムーヴィン・オン』(USA)でも、クローゼンが作った「レガシー」(作詞はトミー・ウルフ)を歌っている。

Dバディ・アンド・ソウル
エドワード・ヘイマン、ロバート・サワー、フランク・イートンが作詞、ジョニー・グリーンが作曲した1930年の歌で、レヴュー『スリーズ・ア・クラウド』で紹介された。このアルバムに収められている1992年の録音@〜J中、CD『ラウンド・ミッドナイト』に収録されなかったナンバー。

Eマディーズ・ブルース
これもアルフ・クローゼンの作品。このトラックには出てこないが、グローバー・ワシントン・ジュニアの録音がアルバム『ストロベリー・ムーン』(Columbia)に入っている。

Fノーバディ・ノウズ・ユー
かなり現代的な感覚で歌っているが、ヴォードヴィルのジミー・コックスが1923年に発表したブルースで、1929年にベッシー・スミスのコロンビア盤が大ヒットした。バディは1964年のアルバム『バディ・グレコ・オン・ステージ!』(Epic)で歌っていたが、かなり雰囲気は違う。

Gグッド・バディーズ
これも、TVや映画音楽のコンポーザー/バンドリーダーとして活躍しているアルフ・クローゼンの作品。

Hラウンド・ミッドナイト
1944年にクーティー・ウィリアムズとセロニアス・モンクが書いたメロディー「ラウンド・アバウウト・ミッドナイト」に、バーニー・ハニゲンが歌詞をつけ「ラウンド・ミッドナイト」となった。難曲のひとつだが、真正面から歌うバディの歌唱力を証明する1曲だ。

Iラヴィング・ハー
これまたアルフ・クローゼンのインスト曲。ジャック・シェルドンを始め、いい味のソロが続く。

Jパッシング・パステルズこちらは、バディがロニー・グラハムと書いた曲。バディは1963年のアルバム『ソフト・アンド・ジェントル』(Epic)や『マッカーサー・パーク』(Celebrity)でも歌っていた。お気に入りのナンバーなのだろう。

Kビウィッチト
1941年にロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『パル・ジョーイ』で紹介され、1957年の映画化『夜の豹』では、フランク・シナトラとリタ・ヘイワース(ジョー・アン・グリアが吹き替え)が歌った。バディは『ソフト・アンド・ジェントル』でも歌っていた。

Lアイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン(別ヴァージョン)
最後はふたたび、冒頭と同じコール・ポーター・ナンバーだが、アップテンポでもアレンジは違う。2つのヴァージョンは10年の隔たりがあるが、歌の強さには全く衰えがない。冒頭で、ディジー・ガレスピーが書いた「マンテカ」が引用される。

 

 






(2007年7月16日 三具 保夫)
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