『ヒア・カムズ・キャロル・クレヴェリング+2 』/ キャロル・クレヴェリング Here Comes Carole Creveling +2 /
Carole Creveling

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ヒア・カムズ・キャロル・クレヴェリング+2 』/キャロル・クレヴェリング

『ヒア・カムズ・キャロル・
クレヴェリング+2 』/
キャロル・クレヴェリング
Here Comes Carole Creveling +2 /
Carole Creveling
特別価格
 (XQAM-1021)
原盤:ユーターピアン
録音:1955年(1-12)/1956年(13 & 14)   日 本 初 登 場
世 界 初 C D 化
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   ヴォーカルのレア盤の中でも超ド級の稀少盤がついに復刻! さらに入手困難なシングル盤2曲を追加。 マイナー・レーベルらしい素朴さが堪えられない、マニア垂涎の1枚である。
 

 
1. My Old Flame/マイ・オールド・フレーム  >>試聴
2. My Ship/マイ・シップ  >>試聴
3. You Have Cast Your Shadow on the Sea/ユー・ハヴ・キャスト・ユア・シャドウ・オン・ザ・シー  >>試聴
4. Better Luck Next Time/ベター・ラック・ネクスト・タイム  >>試聴
5. Long Ago/ロング・アゴー  >>試聴
6. Star Eyes/スター・アイズ  >>試聴
7. This Heart of Mine/ジス・ハート・オブ・マイン  >>試聴
8. One Morning in May/ワン・モーニング・イン・メイ  >>試聴
9. Now We Know/ナウ・ウィー・ノウ  >>試聴
10. Nobody Else but Me/ノーバディ・エルス・バット・ミー  >>試聴
11. Anything Can Happen with You/エニシング・キャン・ハプン・ウィズ・ユー  >>試聴
12. There's No You/ゼアズ・ノー・ユー  >>試聴
13. Willow Weep for Me/ウィロー・ウィープ・フォー・ミー  >>試聴
14. Between the Devil and the Deep Blue Sea/ビトゥウィーン・ザ・デヴル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー  >>試聴

 
 
 キャロル・クレヴェリングの名を知っている人は相当のヴォーカル・ファンだし、彼女のデビュー・アルバムにして唯一のLPを所有している人はおそるべきコレクターといえる。では「キャロル・クレヴァリングって、どんな人?」と問われても、彼女のプロフィールはまったくといっていいほどわかっていない。まさに「幻の歌手」の称号に相応しいが、苦し紛れに(?)、彼女はキャロル・スローンではないかと実しやかに語られていた時期もあった。
 このスーパー・レア級の幻のアルバム『ヒア・カムズ・キャロル・クレヴェリング』(米 Euterpean ET 1001)がついにCD化されることとなったが、どうせ出すならと、翌56年のシングル盤(ETP45-5001)の2曲も追録される。アルバム・タイトルには「Vol. 1」となっているが、以上の14曲がキャロルのすべてのようだ。
以下は、アメリカのジャズ評論家/プロデューサー/ライターのビル・リード氏による、キャロル・クレヴェリング追跡の旅である。

最近1950年代のジャズ歌手キャロル・クレヴェリングに夢中になっている。映画『市民ケーン』でオーソン・ウェルズが死の間際につぶやいた意味不明の言葉「ローズバッド」ではないが、彼女はまさに謎に包まれた存在である。

 2006年12月、私は東京の「ボーカルを楽しむ会」に出席して、「1枚のアルバムで消えてしまった素晴らしいシンガーたち」というテーマで、発表会を行った。彼ら彼女らが1枚で消えてしまった一番の原因は、ご承知にように、1950年代半ばに巻き起こったロックという“津波”にある。その犠牲者は265人に及ぶが(現在さらに捜索中)、”One Shot Wonder”と題して、その中から1枚で終わってしまったが大変に素晴らしいシンガーたちを14名紹介した。いずれも次代のシナトラやエラを夢みながら、その後は各地のホテルなどを転々として歌うだけで、2度と再びレコーディングの機会に恵まれなかったシンガーたちである。
 キャロル・クレヴェリングは、“One Shot Wonder”リストの中で最重要のひとりである。それは、才能的にトップクラスとはいえなくとも(実際にはかなり上手いシンガーだったが)、彼女のアルバム“Here Comes Carole Creveling”がコレクター市場に出ると相当の値段になるからである。タイトルには“Volume One”とついているが、続編は作られなかったはずだ。もし存在するなら、音楽的な興味に加えて、将来の養老年金のためにも是非1枚入手したいところだ。

 このアルバムの裏を見ると、「キャロル・クレヴェリングとはどんなシンガーか?」との問いがあるのに、彼女の紹介はない。著名なジャズ評論家のナット・ヘントフは『ダウンビート』誌1956年1月25日号のアルバム・レビューで「前途洋々たるシンガーなのに、ライナーは彼女のことに一切触れていない」と不平をもらしている。このオリジナル・アルバムが現在非常な高額なのは、アルバム自体の稀少性に加えて、キャロル・クレヴェリングが謎の存在であるからだ、ともいえる。
ナット・ヘントフは先のレビューで書いている。「キャロルはちゃんと歌えるシンガーだ。ギミックを弄する必要はない。品格もあるし、全体を通してフレージングも合格だし、声はハスキーで軽く快い」。そして、シナトラとも共演したギタリストのジミー・ワイブルにも言及し賞賛している。私の知る限り、このレコードと彼女について言及した当時の記事はこれ以外にはなく、キャロルのことを知る手がかりはまったくない。冒頭で述べた「ボーカルを楽しむ会」で彼女のことを紹介しなかったのは、語るべき材料がなかったからである。そして帰国後、この幻のシンガーのことを調べようと決心した。

 まず、アルバムのサイドマンだったジミー・ワイブル(g)に電話を入れた。ワイブルはいくらか解明の糸口とはなったが、半世紀以上も前のセッションゆえほとんど記憶はなく、覚えていたのは「メガネをしていた」「母親が付き添ってきた」「確かルイジアナの出身だった」程度であった。1955年に起こった別段記憶に鮮明に残る出来事ではなかったのだろう、仕方のないことだ。
 それでもワイブルの記憶は、当時同じようにスタジオ・ワークで多忙だったふたりのミュージシャン、すなわちマックス・ベネット(b)やチャック・フローレス(ds)よりはましだったといえる。ふたりは、このアルバムの翌年に、ルー・リーヴィー(p)と、キャロルのシングル吹き込みに参加したが、何も覚えていなかった。

 「Creveling」(由来はオランダ語のGrevelink)という姓は珍しいので電話帳から辿ることにした。アメリカすべての電話帳を見ても317しかなかった。この中から「キャロル」を頼りに絞っていくと、カリフォルニアの電話帳に「キャロル・クレヴェリング」を発見したので、さっそく手紙を出した。が返事はなかった。いろいろなクレヴェリングにEメールや電話でコンタクトをとったが「謎の彼女」にまで行き着くことは出来なかった。家系図に詳しいクレヴェリング姓の女性にコンタクトがとれたところ、返事をくれなかったキャロル・クレヴェリングは彼女の姉妹だという。だが「私のキャロルはシンガーじゃないわ。学校の先生でした」。

 ジャズ関係の研究機関を訪れ、アルバムに関係したミュージシャンやソングライターにもコンタクトをとったが、収穫はなかった。インターネットも然り。次はアルバムをリリースしたレコード会社からアプローチすることにした。アルバム番号(ETP-101)から見て、キャロルのアルバムは、ギリシャの音楽のミューズからとったEuterpeanという名のレーベルのアルバム第一号であろう。ジャケットの裏には、このレーベルの所在地がロスの南25マイルのラグナ・ビーチとある。ラグナ・ビーチを拠点としたレコード会社はほかにはなかったと思うが、2007年5月の始め、私は海岸沿いにあるこのアーティスト・コロニーを目指した。
 現地の公立図書館へ行き、1955年ごろの電話帳にCarole Crevelingを見つけた。そして同じ住所にGeorge W. and Florien Creveling。キャロルの両親だろうか? しかしその住所にCreveling姓の家は存在しなかった。アルバム・カバーのように、キャロルが海から現れることを半分期待していたが、願いは見事に打ち砕かれてしまった。ラグナ・ビーチへの調査旅行の収穫は、Carol CrevelingとEuterpean Recordsがかつてあった場所を写真に収めたことだ。


453 Shadow Lane, Laguna Beach, CA Carole's in 1956


Euterpean Records at 506 S[1]. Ocean BL, Laguna Beach, CA

 キャロル・クレヴェリングは、ショウ・ビジネスという海に足の指先をちょっと浸したが、水が合わなかったのだろうか。そのうち結婚して中西部あたりに移住して、どこかの高校で音楽を教えたのだろうか?私は、今も彼女のキャリアについて知りたいと思っている。彼女のキャリアを知ることは、1950年代後半から1960年代前半のジャズの世界に光を投げかけることになるはずだ。
 キャロル・クレヴェリングは健在なら70歳代半ばだろう。いつか彼女を見つけ出したい。そして、今後何か進展があれば、下記のブログに書き込んでいくつもりだ。
The Case of the Phantom Singer: http://carole-creveling.blogspot.com/

(ビル・リード)

 

 以上にように、キャロル・クレヴェリングは依然ミステリアスな存在だが、本CDのパーソネルと曲目について簡単に記しておく。

【パーソネル】
@〜K:1955年録音
キャロル・クレヴェリング(vo)、ビル・ベイカー(p)、ジミー・ワイブル(g)、ジャック・コフラン(b)、ボブ・ノリス(ds)、ミルト・ラスキン(per)
LM: 1956年
キャロル・クレヴェリング(vo)、ルー・リーヴィー(p, Mのみ)、マックス・ベネット(b)、チャック・フローレス(ds)

【 曲目 】

@マイ・オールド・フレーム アーサー・ジョンストンとサム・コズロー1934年の作品で、女性向きのトーチソング。映画『罪じゃないわよ(ベル・オブ・ザ・ナインティーズ)』で、デューク・エリントン楽団をバックにメイ・ウェストが歌った。

Aマイ・シップ アイラ・ガーシュインが作詞、クルト・ワイルが作曲して、1941年のミュージカル『レイディ・イン・ザ・ダーク』でガートルード・ローレンスが紹介した。

Bユー・ハヴ・キャスト・ユア・シャドウ・オン・ザ・シー 1938年にロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ミュージカル『ザ・ボーイズ・フロム・シラキュース』で紹介されたが、知る人ぞ知るの類のナンバー。

Cベター・ラック・ネクスト・タイム 1947年にアーヴィング・バーリンが作詞作曲して、1948年のミュージカル映画『イースター・パレード』でジュディ・ガーランドが歌った。

Dロング・アゴー このアルバムでピアノを弾いているビル・ベイカーとパーカッションのミルト・ラスキンの作品。

Eスター・アイズ ジーン・デ・ポールとドン・レイ1943年の作品で、映画『アイ・ドゥード・イット』でボブ・エバリーとヘレン・オコンネルがジミー・ドーシー楽団をバックに歌った。

Fジズ・ハート・オブ・マイン 1943年にアーサー・フリードが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミュージカル映画『ジーグフェルド・フォーリーズ』(1946)でフレッド・アステアが紹介した。

Gワン・モーニング・イン・メイ 1933年にミッチェル・パリッシュが作詞、ホーギー・カーマイケルが作曲した。有名なわりにレコードの少ない曲だ。

Hナウ・ウィー・ノウ 1943年にレイ・メイヤーが作詞、ウィラード・ロビソンが作曲したナンバー。歌っている人はほとんどいない無名曲。

Iノーバディ・エルス・バット・ミー オスカー・ハマースタイン2世が作詞、ジェローム・カーンが作曲して、ミュージカル『ショウボート』のリバイバル版(1946年)で使用された。

Jエニシング・キャン・ハプン・ウィズ・ユー ふたたび、ビル・ベイカーとミルト・ラスキンの作品である。

Kゼアズ・ノー・ユー 1944年にトム・アデアが作詞、ハル・ホッパーが作曲して、1945年にジョー・スタッフォードのキャピトル盤で紹介された。

Lウィロー・ウィープ・フォー・ミー ジョージ・ガーシュインと親しかった女流ソングタイターのアン・ロネル、1932年の作品。冒頭と 最後に鳴るおどろおどろしい(?)ゴングはチャック・フローレス。

Mビトゥウィーン・ザ・デヴル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー 1931年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、NYCコットン・クラブのレヴューでアイダ・ウォードが紹介した。






(2007年7月5日  三具 保夫)
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