『オルフェの歌+4』/
ペリー・コモ Lightly Latin +4/Perry Como

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ペリー・コモ・イン・イタリー』/ペリー・コモ


特別価格
『オルフェの歌+4』/
ペリー・コモ
Lightly Latin +4/
Perry Como
特別価格
 (XQAM-1023)
RCAビクター ⇒ BMGミュージック
録音:1965年12月〜1966年3月
/ニューヨーク
世界初コンプリート盤
(未発表4曲)
オリジナル・ジャケット仕様
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   “旅情三部作”第二弾。ペリー・コモの諸作中最も人気の高いボサノヴァ/ラテン曲集に未発表4曲を発掘! 世界初のコンプリート盤が、日本初のオリジナル・ジャケットで登場!
 


1. How Insensitive/ハウ・インセンシティヴ  >>試聴
2. Stay with Me/ステイ・ウィズ・ミー  >>試聴
3. The Shadow of Your Smile/いそしぎ  >>試聴
4. Meditation/メディテーション  >>試聴
5. ...And Roses and Roses/アンド・ローゼズ・アンド・ローゼズ  >>試聴
6. Yesterday/イエスタデイ  >>試聴
7. Coo Coo Roo Coo Coo Paloma/ク・ク・ル・ク・ク・パローマ  >>試聴
8. Dindi/ジンジ  >>試聴
9. Baia/バイア  >>試聴
10. Once I Loved/ワンス・アイ・ラヴド  >>試聴
11. Manha de Carnaval/オルフェの歌  >>試聴
12. Quiet Nights of Quiet Stars (Corcovado)/コルコヴァード  >>試聴
13. Happiness Comes, Happiness Goes/ハピネス・カムズ・ハピネス・ゴーズ  >>試聴
14. Perhaps, Perhaps, Perhaps(Quizas, Quizas, Quizas)/キサス・キサス・キサス  >>試聴
15. Little Boat (O Barquinho)/小舟  >>試聴
16. Pardon My English/パードン・マイ・イングリッシュ  >>試聴

 

 ボサノヴァ誕生の日は1958年7月10日だ、ということになっている。この日突然変異的に音楽のこの “新しい波”が生まれたわけではないが、新しいブラジル音楽を創造しようと試行錯誤を繰り返していた若者たちによって、この日「シェガ・ジ・サウダーヂ(想いあふれて)」(アメリカにわたって「ノー・モア・ブルース」)のレコーディングが完了したからだ。
 リオのオデオン・レコードのスタジオで何日にもおよぶ苦闘と緊張の末に吹き込まれた「シェガ・ヂ・サウダーヂ」は、ヴィニシウス・ヂ・モラエスの作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンの作曲、ジョアン・ジルベルトの歌とギターだった。つまりボサノヴァの創造・発展・普及にもっとも寄与した3人によって作られた点でも歴史的な録音といえる。マイクを利用して囁くように歌うクルーニング唱法をさらに徹底させ、普通のクルーナーの1/3以下の声量とノン・ビブラートで歌うジルベルトの歌はレコード会社内部での評判は芳しくなく販売サイドからは「何だあの風邪引き野郎は!」とさえいわれたが、同じ日に録音されたジルベルトの自作「ビンボン」とのカップリングでリリースされたレコード(当時ブラジルはまだSPだった!)は、サンパウロで火がつき新しいサウンドを求めていた若者たちを中心に年末までに1万5千枚売ったという。
 ブラジルから主だったボサノヴァ・アーティストが渡米した1962年11月21日カーネギー・ホールでのコンサートの大成功、1963年3月に吹き込まれたスタン・ゲッツ(ts)のアルバム『ゲッツ=ジルベルト』(ヴァーヴ)とアルバムからシングル・カットされた「イパネマの娘」が翌年大ヒットしたことで、アメリカにおけるボサノヴァの成功は決定的なものとなり、その勢いはヨーロッパや日本にも及んだ。

 スタン・ゲッツやチャーリー・バード(g)を筆頭とするジャズ・ミュージシャンだけでなく、アメリカのスタンダード・シンガーたちも知的でクールなタッチと斬新なメロディーを持つボサノヴァに魅せられ、競ってレコーディングするようになった。当初は新作アルバムの中にボサノヴァ曲をすべりこませる方法がとられたが、ボサノヴァをテーマにしたアルバムも現れた。その代表作を3枚挙げるなら、1966年にリリースされたペリー・コモの本作『オルフェの歌』(RCA LPM/LSP-3552)とヴィック・ダモンの『ステイ・ウィズ・ミー』(RCA)、そして1967年にリリースされたフランク・シナトラの『フランシス・アルバート・シナトラ&アントニオ・カルロス・ジョビン』(Reprise)である。いずれも極上の作品だが、生粋のボサノヴァ・ナンバー以外もボサノヴァのリズムで歌っている点でも共通している。

 この『オルフェの歌』をペリー・コモの側から見てみよう。さきほど『オルフェの歌』はボサノヴァ・アルバムといった。アントニオ・カルロス・ジョビンの曲が6曲あり、そのほかにもルイス・ボンファやボスコーリ&メネスカルなどボサノヴァ・ナンバーが半数を占め、このアルバムのための「ステイ・ウィズ・ミー」もボサノヴァのリズムだ。しかし「イエスタデイ」がボレロ、「ク・ク・ル・ク・ク・パローマ」が3/4拍子といった具合に全曲がボサノヴァのリズムではないが、いずれもソフトなアレンジが施されており、アルバムのムードは統一されている。よって、“オールモスト・ボサノヴァ・アルバム”といっていいだろう。
 録音は1965年12月と翌66年の2月・3月にニューヨークのビクター・スタジオで行われた。編曲はコモと同じくイタリア系のニック・ペリートだが、コモとペリートの長年にわたるコラボレーションはこのアルバムから始まった。バック・コーラスはTV『ザ・ペリー・コモ・ショウ』や多くのレコーディングに関ってきたレイ・チャールズで、ミッチ・エアーズの編曲指揮、レイ・チャールズ・シンガーズのコーラスで1960年から63年にかけて制作された『シング・トゥ・ミー・ミスター・C』(LPM/LSP-2390)、『バイ・リクエスト』(LPM/LSP-2567)、『ザ・ソングズ・アイ・ラヴ』(LPM/LSP-2708)が彼のTVショウをテーマにしていることはアルバム・ジャケットからも容易に推測できる。
 『ザ・ソングズ・アイ・ラヴ』の次に来るのが1965年にカントリー・ソングを題材にアニタ・カーが編曲した『知りたくないの』(ボーナス・トラック7曲を加えて、今回同時発売)で、次が本作、そして1966年5月にローマで録音されたニック・ペリート編曲指揮の『イタリアの思い出』(SSJレーベルより発売中)と続く。これら3枚のアルバムは、コモのフランチャイズともいうべきスタンダード・ナンバー発祥の地ニューヨークやハリウッドとは違った環境から生まれた歌をテーマにしている。『知りたくないの』『オルフェの歌』『イタリアの思い出』が“旅情三部作”といわれる所以である。

 1966年にリリースされたオリジナル・アルバム『オルフェの歌』は、トリー・ジトーが編曲した「いそしぎ」と「バイア」を除いて、ニック・ペリートの編曲指揮で、1965年12月29・30日、1966年2月22・25・28日、3月1日の6日をかけてレコーディングされた16曲の中から12曲が選ばれているが、今回の再発にあたってはオクラ入りしていた4曲(L〜O)を追録することができた。その一方で、1991年に日本でリリースされたCDには「オルフェの歌」の別バージョンと「デサフィナード」が収録されていたが、この2曲はアルバム『ザ・ソングズ・アイ・ラヴ』のための録音だったので、今回は外した。本リリースは、世界初の『オルフェの歌』完全盤である。

 



【 曲目 】

@ハウ・インセンシティヴ
1963年にヴィニシウス・ヂ・モラエスが作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲したボサノヴァの名曲。英詞はノーマン・ギンベル。1965年12月29日録音。

Aステイ・ウィズ・ミー
このアルバムのために、CDFHJLMNでバック・コーラスを受け持っているレイ・チャールズが作詞、編曲のニック・ペリートが作曲したオリジナル。上記のヴィック・ダモンのアルバムのタイトル曲やフランク・シナトラが吹き込んだ映画『枢機卿』(1963)のテーマほか、同名異曲は多い。1966年2月22日録音(3月1日にリメイク)。

Bいそしぎ
リチャード・バートンとエリザベス・テイラーが主演した1965年の映画のために、ポール・フランシス・ウェブスターが作詞、ジョニー・マンデルが作曲して、アカデミー主題歌賞を受賞した。ドラマチックなトニー・ベネットの歌(コロンビア)が定番だが、ソフトなコモも忘れがたい。1966年2月22日録音。

Cメディテーション
1962年にネウトン・メンドンカが作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した。英詞は1963年にノーマン・ギンベルが書いた。1966年2月25日録音。

Dアンド・ローゼズ・アンド・ローゼズ
ブラジルのドリヴァル・カイーミ1964年の作品。英詞はレイ・ギルバート。アンディ・ウィリアムズが彼のTVショウでよく歌っていた。サンバ調で始まりテンポを緩めてワルツ調になる。1966年2月25日録音。

Eイエスタデイ
1965年ジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作とクレジットされているが、実際にはポールの単独作品。スタンダード・シンガーがもっとも多くカバーしているビートルズ・ナンバーだろう。ここでのリズムはボレロ。1966年2月28日録音。

Fク・ク・ル・ク・ク・パローマ
1954年にメキシコのパトリシア・P・バランドが作詞、ソーサ・トマス・メンデスが作曲した、いわゆるラテン・ナンバー。英詞はロニー・カーソン。原曲は6/8拍子だが、コモはスローなワルツ・テンポで歌っている。1965年12月29日録音。

Gジンジ
1965年に、ジンジことボサノヴァの代表的シンガーのシルヴィア・テリスの夫だったこともあるエレンコ・レコードの社長アロイージオ・ヂ・オリヴェイラが作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した。英詞はレイ・ギルバート。1966年2月28日録音。

Hバイア
ブラジルを代表する作曲家アリ・バローゾが1939年に書いたサンバ・カンソンで、ドナルドダックが登場するディズニーの漫画映画『3人の紳士』(1933)に使われてヒットした。英詞は1953年にレイ・ギルバートが書いた。バローゾは名曲「ブラジル」(1939)の作者として知られている。1965年12月30日録音(1966年2月25日にリメイク)。

Iワンス・アイ・ラヴド
1961年にヴィニシウス・ヂ・モラエスが作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した。英詞はレイ・ギルバート。1966年2月22日録音(3月1日にリメイク)。

Jオルフェの歌
フランス=ブラジル合作の映画『黒いオルファ』(1959)の挿入歌。ルイス・ボンファがあたためていたメロディーにアントニオ・マリアが歌詞をつけた。英詞はしばらく前までコモのアルバムをプロデュースしていたヒューゴー・ペレッティとルイジ・クリートア(ヒューゴー&ルイジ)だが、シナトラやジャック・ジョーンズはカール・シグマンの英詞(「ア・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・ア・フール」)で歌っていた。1966年2月28日録音。

Kコルコヴァード
1962年にアントニオ・カルロス・ジョビンが作詞作曲した曲で、英詞はジーン・リーズ。コルコヴァードはリオの郊外にある710メートルの小高い丘で、リオの海岸を一望できる観光名所として知られる。1965年12月30日録音。

Lハピネス・カムズ・ハピネス・ゴーズ
アル・スティルマンとディック・マニングの作品。1965年12月29日録音。1966年6月2日にやはりニック・ペリート編曲指揮、レイ・チャールズ合唱団で録音されたヴァージョンがアルバム『シアトル』(LSP-4183)にあるが、ビートを強調したエレキ・サウンド風なので、本トラックの方がコモらしい。ここからの4曲は今回が初出の未発表曲。

Mキサス・キサス・キサス
キューバのオスバルド・ファレスが1947年に書いたボレロ。英詞はジョー・デイヴィスで、「パーハプス・パーハプス・パーハプス」となった。1965年12月29日録音。

N小舟
ロナルド・ボスコーリが当時の恋人だったナラ・レオンとの恋を綴った歌詞にロベルト・メネスカルが作曲した、不思議なメロディーをもった1962年のボサノヴァ曲。英詞はバディ・ケイ。原題は“O Barquinho”。1965年12月30日録音。

Oパードン・マイ・イングリッシュ
これもアロイージオ・ヂ・オリヴェイラとアントニオ・カルロス・ジョビンの作品で、英詞はレイ・ギルバート。原題は“Samba Torto”。1965年12月30日録音。




(2007年9月8日 三具 保夫))
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