『ハッシャバイ/キャロル・スローン』/
キャロル・スローン Hush-A-Bye/Carol Sloane

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan

『ハッシャバイ』/
キャロル・スローン
Hush-A-Bye/
Carol Sloane
2,800円
(XQAM-1031)
原盤:ラリー・エルガート
録音: 1959年/ニューヨーク  キャロル・スローン・ファンが長年探し求めていたレア・アイテムを21年ぶりに復刻!
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  キャロル・スローンがコロンビアに吹き込んだデビュー・アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルー』に 先立つこと2年、ラリー・エルガート楽団時代に吹き込まれたリーダー・アルバム。 1987年に短期間だけ日本でのみ発売されたレア・アイテム、待望の復刻である!
 


1.Hush-A-Bye/ハッシャバイ  >>試聴
2. Wait Till You See Him/ウェイト・ティル・ユー・シー・ヒム  >>試聴
3.Guess Who I Saw Today/ゲス・フー・アイ・ソー・トゥデイ  >>試聴
4. I Never Had a Chance/アイ・ネヴァー・ハッド・ア・チャンス  >>試聴
5. In the Wee Small Hours of the Morning/イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング >>試聴
6. Angel Eyes /エンジェル・アイズ  >>試聴
7. It Could Happen to You/イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー  >>試聴
8. I Loves You Porgy/アイ・ラヴズ・ユー・ポーギー  >>試聴
9. Body and Soul/Body and Soul  >>試聴
10. April Ardor Cools/エイプリル・アーダー・クールズ  >>試聴
11. Summertime/サマータイム  >>試聴

 

日本で愛されるキャロル・スローン

 キャロル・スローンは1937年3月5日ロードアイランド州プロヴィデンスで生まれたフランス系アメリカ人。今年で71歳になるが、2007年春には敬愛するデューク・エリントンへのトリビュート作品『ディアレスト・デューク』(米 Arbors)を発表して健在ぶりを示した。
本国アメリカにも熱心なキャロル・ファンは多いが、彼女を最も愛しまた評価しているのは日本のファンである。1975年に発表された自主制作ライヴ盤『サブウェイ・トークンズ』(米 Moonbeam/現在は日オールアートが所有)が輸入され評判になったのがきっかけで、1977年の初来日から頻繁に日本公演を行い、滞在中に多くのレコードを吹き込み、さらにファンを増やしていった。
日本でのキャロル人気が定着した1987年にCBSソニーから『ボディ・アンド・ソウル/Early Hours』(32DP-794)がリリースされた。この未知の作品は、キャロルが『アウト・オブ・ザ・ブルー』(CBS)でアルバム・デビューする前、ラリー・エルガート楽団時代に吹き込まれたものだった。

キャロル・メット・ラリー

 アルトやソプラノ・サックスを吹くバンド・リーダーのラリー・エルガートは1922年の生まれで、現在はフロリダ州で元気に暮らしている。チャーリー・スピヴァック、ハリー・ジェームス、トミー・ドーシーほか有名バンドを渡り歩いたあと1945年にトランペッターでもある兄のレス(1918〜1995)とビッグバンドを興した。翌年バンドは解散し1953年に再結成されたが、1958年にレスが一時的ながら引退したのでラリーがバンドを継承した。キャロルが参加したのはこの時代だった。
キャロルは1958年にレス&ラリー・エルガート楽団のロード・マネージャーの薦めでラリーのオーディションを受けて即座に採用された。入団後にフル・バンドと吹き込んだ「ウォーキン」など4曲がラリー名義のアルバム『サラトガ』と『ニュー・サウンズ・アット・ザ・ローズヴェルト』(ともにRCA)に収録されているが、いずれも歌詞なしの楽器的な参加で、ちゃんとした歌は現在までのところ『イージー・ゴーイン・スイング』(RCAの傍系Camden)の「ザ・レイディ・イズ・ア・トランプ」のみである。

ラリーが秘蔵していたテープ

 キャロルの才能を高く買ったラリーは彼女を単なるバンド・シンガーではなくスター・シンガーに育てようと、アイディアを練り丹精を込めてキャロルをフィーチャーした録音を残した。しかし発表のタイミングを逸してしまいラリーはこれをずっと秘蔵していたが、1987年に冒頭のCBSソニー盤として世に出ることとなった。しかし、日本以外では発売されず、日本盤も短期間で市場から消えてしまったため、廃盤となったこのCBSソニー盤は廃盤市場においてかなりの高額で取引されてきた。本作はその21年ぶりの復刻である。
レコーディングは1959年、当時ラリーがNYCマンハッタンの中心マディソン街に持っていたオフィスも備えた自分のスタジオで行われた。バックはチャック・ウェインやバッキー・ピザレリのギター・ソロを中心に、トラックによってはバッキーやラルフ・パットのリズム・ギターが加わり、さらにケニー・オブライエンあるいはヴィニー・バークのベース、時折ビル・フィネガンのチェレスタが入るといった、いたってシンプルな編成ながら木目の細かい心の行き届いた作品となっている。ちなみに、本名のキャロル・モーヴァン(Morvan)からスローン姓に変えたのはラリーである。ラリーはモーヴァンという名前が気に入らず、毎回ステージでキャロルを違った姓で紹介していたが、あるステージでラリーが告げた Sloan が気に入り、後ろに eをつけて Sloane にした、とキャロル本人から聞いたことがある。

青天の霹靂(アウト・オブ・ザ・ブルー)

 ツアー巡業に疲れたキャロルは1960年にラリーの楽団を退団して故郷に戻り、秘書の仕事をしながら歌っていた。 1961年のはじめにジョン・ヘンドリックスの要請でピッツバーグ・ジャズ・フェスティバルにおいて、ランバート・ヘンドリックス&ロスのアニー・ロスのピンチ・ヒッターとして見事に大役を果たしたことから、新たな局面が開けた。
同年7月にやはりジョンの尽力でニューポート・ジャズ・フェスティバルの「ニュー・スターズ」というプログラムに出演して、アカペラで歌った「リトル・ガール・ブルー」がセンセーションとなり、すぐにメジャーのコロンビアから声がかかった。そして、同年11月後半から12月にかけて録音されたのがデビュー・アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルー』である。このCBS盤では旧知のビル・フィネガンと一部ボブ・ブルックマイヤーがアレンジを提供し、ボブ・ブルックマイヤー(vtb)、クラーク・テリー(tp, flh)、バリー・ガルブレイス(g)、ジム・ホール(g)、アート・デイヴィス(b)、ジョージ・デュヴィヴィエ(b)ほか、錚々たるジャズ・ミュージシャンたちがガッチリと脇を固めている。このアルバムを聴いたかつてのボス、ラリー・エルガートは、自身がプロデュースしたレコーディングつまり本作とはまったく方向の違うアルバム作りにいたく失望したという。
確かにラリー・エルガートが全面的に監修したこのアルバムのサウンド・コンセプトは違っている。伴奏陣が醸し出すアフター・アワーズ的な寛ぎが、キャロル独特のややダークなハスキー・ヴォイスとデリケートで初々しい歌をくっきりと浮かび上がらせている。本作は間違いなくキャロル初期の傑作である。

 



【 曲目 】

@ハッシャバイ
南北戦争かそれ以前に作られた子守唄で、民族音楽の研究家アラン・ローマックスが紹介したことで広く知られるようになった。サミー・フェインやピーター・ポール&マリーをはじめ多くのヴァージョンが存在するが、キャロルはラリー・ウィルコックスのヴァージョンを採用している。素朴さの中にもしなやかさと包容力溢れる見事な歌だ。ジャズ・ファンの間ではジョニー・グリフィン(ts)のリヴァーサイド盤が有名。

Aウェイト・ティル・ユー・シー・ヒム
ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャーズが作曲して、1942年のブロードウェイ・ミュージカル『バイ・ジュピター』でロナルド・グラハムが紹介した。日本ではなじみが薄いが、優しさと気品溢れる素晴らしい作品だ。バラードを得意とするキャロルの繊細さがよく出ている。

Bゲス・フー・アイ・ソー・トゥデイ
エリシー・ボイドとマレイ・グランドが1952年に発表した歌で、買い物の帰りに立ち寄ったカフェで夫の決定的瞬間を見てしまった妻が帰宅した夫に詰め寄る歌。この歌を得意とするナンシー・ウィルソンのドラマ性、キャロルがアイドルとするカーメン・マクレイの貫禄に対し、若妻の如きキャロルの一途な歌も傾聴に値する。

Cアイ・ネヴァー・ハッド・ア・チャンス
1934年にアーヴィング・バーリンが発表した小品だが、レコーディングしている人は少ない。ツボを押さえたキャロルの歌はなかなかに巧みだし、表情豊かなチャック・ウェインの好サポートも見逃せない。しみじみとした余韻が心にしみわたる。

Dイン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング
1955年にボブ・ヒリアードが作詞、デイヴ・マンが作曲して、フランク・シナトラが創唱したキャピトル盤が不朽の名作になっている。シナトラの大ファンであるキャロルは端正なフレージングで歌い綴っていくが、1996年のシナトラ・トリビュート・アルバム(コンコード)でも取り上げていた。

Eエンジェル・アイズ
これもシナトラのオハコだが、1953年に映画『ジェニファー』(日本劇場未公開)で作曲者のマット・デニスが紹介した。作詞はアール・ブレント。シナトラ以外では、カーメン・マクレイのデッカ盤も素晴らしい。キャロルはハスキーな歌声と巧みなフレージングで若さに似合わぬしっかりとした歌を聴かせ、飽きさせることはない。アカペラで歌う出だしの安定感も抜群。

Fイット・クッド・ハプン・トゥ・ユー
ジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲して、1944年の映画『アンド・ジ・エンジェルズ・シング』(日本劇場未公開)でドロシー・ラムーアとフレッド・マクマレイが歌った。日本で一番有名なのはジューン・クリスティのキャピトル盤だろう。ジューンはスインギーなアプローチで歌ったが、ロマンティックな雰囲気を漂わせたキャロルに軍配を上げたい。

Gアイ・ラヴズ・ユー・ポーギー
1935年のフォーク・オペラ『ポーギーとベス』からの1曲。このオペラの元になった小説『ポーギー』の作者デュボース・ヘイワードとアイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲した。タイトルの「ラヴ」が文法的に誤りの「ラヴズ」になっているのは黒人訛りを意識したため。独立した曲として歌う場合、差別的なニュアンスのある「ラヴズ」と歌う人は今いない。キャロルの清楚で瑞々しい歌はいかにも新鮮だ。

Hバディ・アンド・ソウル
1930年にロバート・サワー、エドワード・ヘイマン、フランク・イートンが作詞、ジョニー・グリーンが作曲した。多くのシンガーが取り上げているので個性を出すのは難しいが、キャロルは情感豊かに切々と歌い込んでいく。22歳とは思えない深い歌だ。

Iエイプリル・アーダー・クールズ
ラリー・エルガート楽団にも在籍したアル・コーン(ts)の作品で、1959年にコーンをふくむエルガート楽団のレコードが残されている。出だしが、ウディ・ハーマン楽団のためにラルフ・バーンズが書いた組曲「サマー・シークエンス」から抜粋された「アーリー・オータム」に似ている。歌うには難しいが、器楽曲も得意なキャロルだけに安心して聞ける。

Jサマータイム
『ポーギーとベス』のハイライト曲としてあまりにも有名。1935年にデュボース・ヘイワードが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲した。キャロルのゆったりと落ち着いた佇まいが印象に残る。子守唄で始まったアルバムは子守唄で幕を閉じる






(2008.10.5. ビル・リード/三具保夫)
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