『ライヴ・アンド・アザーワイズ』/キャロル・シンプソン “Live” (and Otherwise)/Carole Simpson Live In Tokyo + 1Carole Simpson

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ライヴ・アンド・アザーワイズ』/ キャロル・シンプソン

ライヴ・アンド・アザーワイズ』/
キャロル・シンプソン
“Live” (and Otherwise)/
Carole Simpson
特別価格
(XQAM-1032)
原盤:Cellar Door
1990年代/ハリウッド & ロサンゼルス  伝説の弾き語り、魅惑のキャロル・シンプソンの未発表音源を発掘!
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   ハリウッド女優と見紛う美貌とエレガントなステージでハリウッドを中心に人気を博しながら、 アルバムの少なかったピアノの弾き語りキャロル・シンプソンのレアな未発表ライヴ&スタジオ録音。 キャロル・ファンはもちろんのこと、女性ヴォーカル・ファンには気になる1枚に違いない。
 


1. ''Deed I Do/ディード・アイ・ドゥー >>試聴
2. Exactly Like You/イグザクトリー・ライク・ユー>>試聴
3. But Not for Me/バット・ナット・フォー・ミー>>試聴
4. Gentleman Friend/ジェントルマン・フレンド>>試聴
5. Spring in Maine/スプリング・イン・メイン>>試聴
6. Sometimes I'm Happy/サムタイムズ・アイム・ハッピー>>試聴
7. You Forgot Your Gloves/ユー・フォーガット・ユア・グラヴズ>>試聴
8. Fly Me to the Moon/フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン>>試聴
9. Don'cha Go 'Way Mad/ドンチャ・ゴー・ウェイ・マッド>>試聴
10. How About Me?/ハウ・アバウト・ミー?>>試聴
11. Down in the Depths on the 90th Floor/ダウン・イン・ザ・デプスス>>試聴
12. Our Song (Line for Lyons)/アワー・ソング(ライン・フォー・ライオンズ)>>試聴
13. Have I Stayed Too Long at the Fair/トゥー・ロング・アット・ザ・フェア>>試聴
 

 

 1957年の秀作デビュー・アルバム『オール・アバウト・キャロル』(Capitol T-878)によってソロ・アーティストとして俄然注目を集めるようになったキャロル・シンプソンは、卓越したピアノ技術と抜群の歌唱力そして本アルバムのジャケットに見られるごとく最高にグラマラスな容姿という強力な武器を備えていた。

アルバム・デビュー以前

 イリノイ州アナ(Anna)に生まれたキャロルは幼少からクラシック音楽に親しみ、5歳でピアノ12歳で声楽のレッスンをはじめた。高校時代には名門シンシナティ音楽院でピアノを、シンシナティ市立音楽大学では声楽を専攻したが、ピアノ課の黒人学生が大学の演習室で弾くジャズに魅せられ、在学中からジャズバンドで歌ったり別の楽団ではピアノを弾いたりして経験と研鑽を積んだ。ピアニストではエロール・ガーナー、歌手ではサラ・ヴォーンが当時のアイドルだった。20歳までには中西部各地のジャズ・クラブに頻繁に出演していたし、1950年代前半にはニューヨークも活動範囲におさめていた。 1953年のある日イリノイ州のセーレムにいたキャロルはエージェントからの電話で、すぐにもビリー・メイ楽団に参加するように言われ、交通違反のキップを切られながらも時速100マイルで車を飛ばしてミシガン州のデトロイトで楽団に合流した。このバンドにはクラーク・バローズ、ボブ・モーズ、ジャック・エリオット、アリシア・アダムスという男性3人女性ひとりからなるThe Encore というコーラス・グループがあったが、そのうちバローズとモーズはのちの男性4人のコーラス・グループ=ハイローズのメンバーである。1年後ロサンゼルスで楽団との契約を終えたキャロルはそのままロスに落ち着き、自らトリオを率いてレイク・タホーのハラーズ、ラスヴェガスのサンダーバード、デザート・イン、デューンズ、トロピカーナといった一流ホテル=カジノのラウンジやロスのクラブに出演した。

キャピトルとトップスにレコーディング

 キャロルをキャピトル・レコードへ紹介したのはソングライター/バンドリーダーのトゥッティ・カマラータである。アレンジャーにはエディ・カノとレニー・ニーハウスが起用されたが、これはレーベル側の期待の現われであった。しかし、キャロルはアルバムを制作していた時期に写真家のウィリアム・スタッフォードと結婚して女の子を出産したため、キャピトルが望むアルバムのキャンペーンやツアーには応えられず、友好的ではあったがレーベルとの関係は終了するしかなかった。
  『オール・アバウト・キャロル』を聴いて感心したひとりがTVやラジオのパーソナリティー、俳優、ソングライター、ピアニスト等々いろいろな顔を持ち、日本では映画『ベニイ・グッドマン物語』の主人公役で知られるスティーヴ・アレンである。人気TV番組『ザ・スティーヴ・アレン・ショウ』への出演を要請されたキャロルはニューヨークに飛んで1回出演し、そのあとロスで5回連続出演した。続いて、キャピトルとの契約がないことを知ったアレンは1958年にキャロルにとって2枚目のアルバムとなるアレンの自作集『シンギン・アンド・スインギン・キャロル・シンプソン』(Tops 9732)をプロデュースしたが、内容が地味だったこともありコマーシャル的な成功には至らなかった。スティーヴ・アレンのショウを見てキャロルの美貌に魅せられた著名なコラムニストのシドニー・スコルスキーをはじめ多くの関係者やファンはキャロルに映画出演を強く勧めたが、彼女は興味を示さなかった。

その後そして現在

 キャロルは1972年に家族と夫の故郷であるニューヨークへ移り、まる10年間プロとしての音楽活動を完全に停止したが、1982年にロスに戻ると南カリフォルニア限定とはいえショウ・ビジネスの世界に復帰した。キャロルが出演したのは、サンタモニカのボブ・バーンズ・レストラン、メルローズ・アヴェニューのリンダズ、ノース・ハリウッドのチャドニーズ、バスケットのスター、ノーム・ニクソンが経営するトレンディーなジョージア・レストラン等々一流店ばかりだったが、すべて今や存在しない。  
 その後のキャロルはシンガー/ピアニストとしてライヴ活動を行う一方で、ロスにあるふたつの教会の合唱団を指導したり、ヴォイス・トレーニングを授けたりしてきた。
 3枚目のアルバムは1999年に録音された自費出版の『リメンバリング』(Raven No #)で、全15曲中ヴォーカル入りが5曲であとの10曲はデイヴィッド・キューン(b)とブライアン・マシュー(ds)をしたがえてのピアノ・トリオによる演奏となっている。キャロルらしいエレガントなアルバムだが、ライヴに来てくれたファンに直接販売していただけなので、手にした人はロス地区の限られたファンだけだった。
 キャロルはここ何年かふたたび家族との時間を優先したため人前で歌うことはなかったが、昨年(2008年)冬 Hollywood Studio Bar and Grill に出演して成功をおさめ、ふたたびライヴ活動に意欲を燃やしている昨今である。  さて、世界初登場となる本アルバムは複数のライヴとスタジオでの録音で構成されている。@〜Fは1990年5月22日にハリウッドの有名な Vine Street Bar & Grill で行われたライヴのプライベート録音で、それ以降の6曲はスタジオ録音である。GとLは1999年のソロ録音で、3枚目のアルバム『リメンバリング』に収められていたが、このアルバムを聴いた人はほとんどいないはずだから、未発表音源といってもいいだろう。Hはベースのデイヴィッド・キューンとのデュオ録音、そしてI〜Kは1993年スタジオでのソロ・レコーディングである。

1. ディード・アイ・ドゥー
 1926年にウォルター・ハーシュが作詞、フレッド・ローズが作曲した軽快なナンバーで、ベン・バーニー楽団が広めた。「ディード」は「インディード」の省略形。

2. イグザクトリー・ライク・ユー
 「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」や「アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニシング・バット・ラヴ」のコンビ、ドロシー・フィールズ(作詞)とジミー・マクヒュー(作曲)が1930年に発表した作品。『ルー・レスリーズ・インターナショナル・レビュー』で紹介された。

3. バット・ナット・フォー・ミー
 アイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、1930年のブロードウェイ・ミュージカル『ガール・クレイジー』でジンジャー・ロジャースが紹介し、1943年の映画化(日本劇場未公開)ではジュディ・ガーランドが歌った。

4. ジェントルマン・フレンド
 日本ではあまりなじみのない曲だが、1947年にアーノルド・B・ホーウィットが作詞、リチャード・ルーウィンが作曲したナンバーで、翌年のレビュー『メイク・マイン・マンハッタン』で紹介された。キャロルはデビュー・アルバムでも歌っていた。

5. スプリング・イン・メイン
 この晩のライヴに来ていたスティーヴ・アレンが1956年に作曲したナンバーで、作詞はキャロリン・リー。キャロルは「キャピトルからアルバムを出したあとスティーヴから電話があり、ニューヨークへ入って彼のショウに出演し、そのあと彼の作品集の録音をオファーされた」と紹介する。その『シンギン・アンド・スインギン・キャロル・シンプソン』から。

6. サムタイムズ・アイム・ハッピー
 ヴィンセント・ユーマンスが書いたメロディーにアーヴィング・シーザーが歌詞をつけ、1925年のミュージカル『ナイト・アウト』に入れられたが、このミュージカルはブロードウェイにたどり着かず、1927年のミュージカル『ヒット・ザ・デック』でようやくブロードウェイで紹介されヒットした。1923年のミュージカル『メリー・ジェーン・マケイン』ではオスカー・ハマースタイン2世が歌詞を書き「カム・オン・アンド・ペット・ミー」として紹介されていた。

7. ユー・フォーガット・ユア・グラヴズ
 1931年にエドワード・エリスクが作詞、ネッド・ルーハックが作曲して、レビュー『ザ・サード・リトル・ショウ』で紹介されたナンバー。なかなかしゃれたメロディーをもっており、キャロル向きだ。この曲も『オール・アバウト・キャロル』の再演。

8. フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
 バード・ハワードが作詞作曲して1954年に「イン・アザー・ワーズ」として発表されたがそれほど話題にはならなかったが、1962年にジョー・ハーネル(p)がボサノヴァのリズムに乗せてこのタイトルで録音したことで、注目を集めるようになった。キャロル3枚目のアルバム『リメンバリング』からの収録。

9. ドンチャ・ゴー・ウェイ・マッド
 ジミー・マンデイ(comp, arr, ts)とイリノイ・ジャケー(ts)が作曲したインスト・ナンバー「ブラック・ヴェルヴェット」にアル・スティルマンが歌詞をつけた。発表は1950年で、エラ・フィッツジェラルドのデッカ盤がヒットした。

10. ハウ・アバウト・ミー?
 アーヴィング・バーリンが1928年に作詞作曲した。レビューやミュージカル用ではなく、単独作品として作られた。メロディーも歌詞も大変わかりやすくシンプルながら、ウェットな味わいがあるところがいかにもバーリンらしい。

11. ダウン・イン・ザ・デプスス
 1936年のブロードウェイ・ミュージカル『レッド・ホット・アンド・ブルー!』のためにコール・ポーターが作詞作曲し、エセル・マーマンが紹介した。

12. アワー・ソング
 ジェリー・マリガンが書いた1953年の「ライン・フォー・ライオンズ」にビル・ラフボローが歌詞をつけたナンバー。ライオンズは、1958年に始まったモンタレー・ジャズ・フェスティバルなどで有名なジャズ・プロデューサーのジミー・ライオンズのこと。

13. トゥー・ロング・アット・ザ・フェア
 1957年にビリー・バーンズが作詞作曲して、『ザ・ビリー・バーンズ・レビュー』で紹介されたが、広く知られるようになったのは1963年のバーブラ・ストライザンドのコロンビア盤から。これも『リメンバリング』から。



2009年2月19日
ビル・リード/三具 保夫
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