『リンダ・メリル・シングズ/リンダ・メリル』/
リンダ・メリル Linda Merrill Sings/Linda Merrill

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『リンダ・メリル・シングズ』/リンダ・メリル

『リンダ・メリル・シングズ』/
リンダ・メリル
Linda Merrill Sings/
Linda Merrill
特別価格
 (XQAM-1033)
原盤:AMR
録音: 1961年/シカゴ キャロル・クレヴェリングに続く
幻のシンガーによる幻の名盤、
ついにCD化
>>購入する  

  2007年キャロル・クレヴェリング唯一のアルバムのCD化(XQAM-1021)が大きな話題になったが、 今回の“リンダ・メリル”も廃盤店でめったに見かけない超レア・アイテムだ。 キャリアは不詳だが、湧き立つような気品とロマンティシズムはヴォーカル黄金時代のシンガーのみが持つ魅力。
 


1. Won't You Come Home Bill Bailey/ウォント・ユー・カム・ホーム・ビル・ベイリー  >>試聴
2. I'm Thru with Love/アイム・スルー・ウィズ・ラヴ  >>試聴
3. Bye Bye Blackbird/バイ・バイ・ブラックバード  >>試聴
4. My Romance/マイ・ロマンス  >>試聴
5. Little Girl Blue/リトル・ガール・ブルー >>試聴
6. By Myself/バイ・マイセルフ  >>試聴
7. Don't Worry 'Bout Me/ドント・ウァリー・バウト・ミー  >>試聴
8. Fine and Dandy/ファイン・アンド・ダンディ  >>試聴
9. The Things We Did Last Summer/過ぎし夏の想い出  >>試聴
10. In the Wee Small Hours of the Morning/イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング  >>試聴

 

もうひとりの謎のシンガー=リンダ・メリル

 アルバム『ヒア・カムズ・キャロル・クレヴェリング』(SSJ XQAM-1021)の主人公である幻のシンガー=キャロル・クレヴェリング捜しには大変な時間を費やした。とはいえ、本作のヒロイン=リンダ・メリルに比べれば朝飯前の仕事だったといえる。調査は難航したけれど、最終的にはキャロルを見つけ出せたし、本人からのクリスマス・カードというご褒美まで手に入れた。だがリンダに関してご報告するなら、彼女の真実に迫る手がかりは今に至るまで掴むことが出来ないでいる。
 1961年に発表された『リンダ・メリル・シングズ』はリンダ唯一のアルバムであり、したがって彼女もOne Shot Wonderのひとりであろうと想像していた。One Shot Wonderとは、デビュー・アルバムが2枚目に繋がらなかった、主として1955年すなわちLPレコードの勃興期からの10年間に活躍したジャズの影響を受けたシンガーたちを指しており、これらアルバムの殆どは次代のシナトラやエラを夢見ていたシンガーたちによる実に立派な作品であった。しかしリンダ・メリルもキャロル・クレヴェリングも、そしてヘレン・デリース、ヘレン・キャロル、ベティ・ブレイク、ニッキ・プライス、ドリ・ハワード、キャロル・カー、シャーリーン・バートレイ、フロ・ハンディ、ジャネット・ブレイス、アン・ハサウェイ、パット・ヒーリー、ベティ・ローズ、ドナ・ブルックス、キャシー・ヘイズ、マーリーン・コード、リン・テイラー、スー・エヴァンス、マリリン・ムーア、セルマ・グレイスン、クレア・ブラッドフォード、ポーラ・グリーア、マージョリー・リー、イージー・ウィリアムズら、私が知る限り250名ほどにのぼるOne Shot Wonderたちは1960年代の音楽シーンを席巻したロックンロールという名の津波に飲み込まれてしまった。

One Shot Wonder ではなかったリンダ・メリル

 さて、本件リンダ・メリルのケースだが、彼女はOSW+1のシンガーであることが判明した。その暫く前からラスヴェガスに居を移していたであろうリンダは自主プロデュースによる『イン・アクション』というアルバムを1975年に吹き込んでいたのだ。内容的にはニール・ダイアモンドの作品集だが、1961年の本作同様、その足跡は砂漠の中に消えてしまった。  
  オリジナルLP『リンダ・メリル・シングズ』(AMR am-2)のライナー・ノーツには「ショウ・ビジネス界のトップ・アーティストのひとり」と書かれているが、私にとって彼女は未知のシンガーだった。ゆえにこの宣伝文句は、“探偵ビル・リード”という名誉ある異名を頂戴した私の好奇心を掻き立てるに十分だった。私は、当時すなわち1950年代から60年代にかけて同じくシカゴで活躍していた1ダースほどの知り合いのエンターテイナーたちにコンタクトしたが、彼らにとってもリンダはやはり謎の存在であった。ヒアリングの相手にはフランク・ドロンやオードリー・モリス、ディック・ノエル(SSJよりアルバム『ア・タイム・フォー・ラヴ+1』を発売中)といった皆さんにとって既知であろうシンガー、そしてピアニストのラリー・ノヴァックらも含まれている。そこから得た結論は、犯罪とは言えないまでも、“ショウビズ界のトップ・クラス”という表現は控えめに見ても、この世界によくある超のつく誇張表現に過ぎないということだった。
 次にインターネットで調べてみた。一件だけひっかかった情報によると、リンダは1969年にオクラホマ州で開かれたロデオ大会で歌ったという。オクラホマは距離的にはシカゴからそう遠いところではないが、同じ体を動かすにしても馬に乗るロデオ大会はダンスの踊れるナイトクラブからはよほど遠い場所というよりほかはない。ここでの彼女に関する紹介文も信用し難いものだった。曰く“ボブ・ホープやディーン・マーティン、エド・サリヴァンといったTVショウにゲスト出演した才気溢れるエンターテイナー”と強い調子で書かれているが、いくら探ってもそうした事実を突き止めることは出来なかった。

シンガーとしての資質

 しかしその一方で、彼女がショウビズ界における最高のシンガーに値することに疑う余地はない。リンダを始めとしてわれわれのレイダーから消えてしまった先に述べた数多くのシンガーたちは、正しい音程で情感を込めて歌い、スイングし、独自の歌唱スタイルや好ましい品性を備えた歌手がそれ程古くない時代に数多くいたということを証明している。簡単に言ってしまえば、当時のシンガーたちは“歌い方”を知っていたのだ。つい最近“love”という言葉を素直に“love”とは発音せずに、“luh-uh-uhve”と単語を出来るだけ多くのシラブルに切り刻んでリズムに乗せて歌っているレコードにお目にかかったが、かようにも凡庸なアプローチで満足しきっている今日の歌手たちとは豪い違いである。過去の素晴らしきシンガーたちは、美しいメロディーを持った何世紀か前のバロックやロココ時代にも通ずるテクニックを備えていた。歌手ひとりひとりの声質は千差万別で似通ったところはなかったが、リンダの歌の持つ簡潔さや純度の高さはそれでもジュリー・ロンドンを思い起こさせるものがあるし、ふたりとも、“曲”そのものを歌ったのであって、馬鹿げた歌い方はしなかった。ジュリーもリンダも原曲に装飾音やシラブルを加えずスキャットもせず、曲の持つ本来の力に全幅の信頼を寄せていたのだ。
 サイドメンの話になるが、正直、アルバムを通してリンダの歌と並行して進んでいくサックスのオブリガートには人を魅了する欠片もないし、時にリンダをスポットライトから押しのけてしまうほど気が利かない。でもケチをつけるのはそれぐらいにしておく。リンダはソングライターたちの意図を損なうことなく歌うという命題に応えるにはうってつけのシンガーである。最近の人気TVシリーズ『アメリカン・アイドル』に象徴されるように、傲慢にもソングライターの意図を過度に改変してしまうような暴挙には決して出ないのである。
 リンダは多くのシンガーによっていやというほど採り上げられてきた曲を避けているが、例外が2曲ある。ひとつは「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ...」(I)だが、このアルバムが吹き込まれた当時はレコーディングしたシンガーはまだそれほど多いわけではなかったし、究極のシナトラ・ナンバーと見做されるのはのちのことである。また膨大な数のレコードがすでに吹き込まれていた「...ビル・ベイリー」(@)では通常ありえないほどのラルゴのテンポで歌うことで、聞き飽きていたこの曲にしっかりとした個性を与えることに成功している。

サイドメンについて、最後に

 サイドメンについて原ライナーノーツでは“レコーディングに参加したミュージシャンたちは、昼間は本職に就き夜は演奏活動を行っている”としか記されていないので、名前を明らかにさせておく必要があろう。テナーはレーベル・オーナーでアルバムのプロデューサーでもあるディーン・シェイファー(Dean Schaeffer)、ドラムスはアーノルド・サカーマン(Arnold Sucherman)、ベースはローウェル・アイヴズ(Lowell Ives)。トランペットはウィル・ブラッドレイ楽団にも所属したディック・ハース(Dick Haas)で、「マイ・ロマンス」でのハーモニックなカウンター・ラインは殊のほか見事である。そしてピアノはサラ・ヴォーンの『スウィート・ン・サッシー』(ブルーノート)にも参加したシカゴの人気ピアニスト=ケン・ハリティ(Ken Harrity)で、素晴らしいバッキングに終始しているが、「リトル・ガール・ブルー」が出色の出来である。ロジャース&ハートのこれら2作品を聴くことによって、リンダがグレート・アメリカン・ソングブックを真摯に学んだことをわれわれはしっかりと認識するに至ると同時に、もっとスタジオ・ワークのチャンスがあったならと、残念な気持ちでいっぱいになる。

 
(2009.3.6. ビル・リード)



【 曲目 】

@ウォント・ユー・カム・ホーム・ビル・ベイリー
1902年にヒューイー・キャノンが作詞・作曲したナンバーだが、発表当時は「ビル・ベイリー、ウォント・ユー・プリーズ・カム・ホーム?」というタイトルだった。ビル・ベイリーは実在の人物だったと言われる。

Aアイム・スルー・ウィズ・ラヴ
1931年にガス・カーンが作詞、マット・マルネックとファド・リヴィングストンが作曲して、ミルドレッド・ベイリーが紹介した。映画『お熱いのがお好き』(1959)で歌ったマリリン・モンローの歌が素晴らしい。なお、オリジナル・ジャケット裏の曲名表記 “Through” は間違い。”Thru”は“Through”の省略形である。

Bバイ・バイ・ブラックバード
1926年にモート・ディクソンが作詞、レイ・ヘンダーソンが作曲して、エディ・キャンターやダンカン・シスターズの歌でポピュラーになった。ジャズの世界ではマイルス・デイヴィスの演奏が名高い。

Cマイ・ロマンス
3年間ハリウッドに行って留守をしていたロレンツ・ハート(作詞)とリチャード・ロジャーズ(作曲)のブロードウェイ復帰作『ビリー・ローズのジャンボ』(1935)で紹介されたが、映画化(1962)で歌ったドリス・デイの曲というイメージが強い。

Dリトル・ガール・ブルー
これもロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャーズが作曲して、『ビリー・ローズのジャンボ』で初演され、映画ではドリス・デイが歌った。

Eバイ・マイセルフ
1937年にハワード・ディーツが作詞、アーサー・シュワルツが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ビトゥウィン・ザ・デヴル』でジャック・ブキャナンが紹介したが、そのブキャナンと共演した映画『バンド・ワゴン』(1953)の冒頭のシーンではフレッド・アステアが歌った。

Fドント・ウァリー・バウト・ミー
1939年にテッド・コーラーが作詞、ルービー・ブルームが作曲して、レビュー『コットン・クラブ・パレード』でキャブ・キャロウェイが紹介した。オリジナル・ジャケット裏の曲目表記 “About” は間違い。

Gファイン・アンド・ダンディ
1930年にポール・ジェイムスが作詞、ケイ・スウィフトが作曲し、同名のブロードウェイ・ミュージカルで紹介された。なお、ポール・ジェイムスの本名はジェイムス・ウォーバーグで、銀行家にしてスウィフトの夫君である。「キャント・ウィー・ビー・フレンズ?」はふたりの作品。

H過ぎし夏の思い出
1946年にサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、フランク・シナトラが紹介した。シナトラのコロンビア盤がヒットチャートの8位にランクされた。

Iイン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング
これまたシナトラの代表的なナンバーのひとつ。1955年にボブ・ヒリアードとジャック・エリオットが作詞、デイヴ・マンが作曲した至高のブルー・バラード。




(2009.3.22. 三具保夫)
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