『ナイトリー・ユアーズ+1』/ジェニー・スミス+2』/
ジェニー・スミス+2 Nightly Yours on the Steve Allen Show + 1/Jennie Smith

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ナイトリー・ユアーズ+1』/ジェニー・スミス

『ナイトリー・ユアーズ+1』/
ジェニー・スミス
Nightly Yours on the Steve Allen Show + 1/
Jennie Smith
\2800 (XQAM-1038) 原盤:Canadian American
録音:1963年/1962年(13) 世界初CD化
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  人気美人シンガー、ジェニー・スミスのジャジーな快作が、 ボーナス・トラックを追録して、ついに日本初登場
 


1. This Could Be the Start of Something/ジス・クッド・ビー・ザ・スタート・オブ・サムシング  >>試聴
2. Fly Me to the Moon/フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン  >>試聴
3. I'll Get By/アイル・ゲット・バイ  >>試聴
4. Speak Low/スピーク・ロウ  >>試聴
5. As Long As He Needs Me/アズ・ロング・アズ・ヒー・ニーズ・ミー >>試聴
6. My Man/マイ・マン  >>試聴
7. Let's Face the Music and Dance/レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス  >>試聴
8. They've Got a Lot to Learn/ゼイヴ・ガット・ア・ロット・トゥ・ラーン  >>試聴
9. Mean to Me/ミーン・トゥ・ミー  >>試聴
10. Gravy Waltz/グレイヴィー・ワルツ  >>試聴
11. Someone to Watch Over Me/サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー  >>試聴
12. Nice 'n' Easy/
   ナイス・ン・イージー  >>試聴
13. As I Love You/アズ・アイ・ラヴ・ユー  >>試聴

 

  ジェニー・スミスの素直で明るい歌声は、アメリカが自信にあふれていた1950年代〜60年代前半を象徴するかのようだ。快活で屈託がなく、美しいラヴ・バラードはやさしく優雅で、ブルー・バラードにはしなやかなペイソスがある。現在こういったシンガーを見つけるのはなかなか難しくなった。

 ジェニー・スミスは1938年11月13日にウェスト・ヴァージニア州の炭鉱の町バーンウェルで生まれた。母親に連れられて見に行ったミュージカル映画のナンバーを家に帰って歌うなど、幼少のころから音楽は人生の大切な部分だった。
 両親が離婚したあと母親は同州のモンゴメリーで仕事を見つけ、ジェニーは母親がジョン・クリストフと再婚するまで祖父母に育てられた。クリストフはモンゴメリーのWMON局のニュース・キャスターだったが、のちに州都であるチャールストンに移り、この地のWCHS局でニュースや天気予報を担当した。ジェニーは高校を卒業後17歳でニューヨークに出るが、WCHSで夜の番組を担当していたヒュー・マクファーソンがアレンジャーのレイ・エリスに紹介状を書いてくれた。それがRCAのオーディションにつながり、レコーディング契約へとつながった。デビュー・アルバムは1957年の『ジェニー』で、このアルバムを聞いたスティーヴ・アレンがNBCテレビで日曜日に放映されている自分のショウにジェニーを出演させた。まだ21歳に達していなかったので付き添いの女性が必要だったが、全米各地のナイトクラブへの出演も始まった。デビューはシカゴのブラック・オーキッドで、コメディアンのジョナサン・ウィンターズと一緒だった。後年ジェニーがブラック・オーキッドに出演したときはビル・コスビーとの共演だったが、それがコスビーのデビュー・ステージだった。さらにアーサー・ゴッドフリーのCBSラジオのショウにもレギュラー出演したが、スティーヴ・アレンの番組の拠点がNYCからロスに移り同時に週5回へと拡大した。アレンから再三の出演要請を受けていたジェニーは、最終的にロスへの移住を決意して、番組のレギュラー出演者となり、多くのゲスト・スターや優れたミュージシャンと仕事をした。この時代が「音楽的にもっとも充実した時代だった」とジェニーは語っている。本アルバムのタイトルには以上のような背景がある。
 アレンのTVショウに2年ばかり出演したあと、ジェニーはナイト・クラブへの出演を増やし、ラスヴェガスのサンズではレッド・スケルトン、同じくヴェガスのフラミンゴではスマザース・ブラザース、タホーのハラーズではジョーイ・ビショップらのコメディアンと共演し、フラミンゴではミッキー・ルーニーとステージを共にしたこともあった。その後はボビー・ハケット(c)とツアーに出たが、パット・ブーンの日本公演にも同行している。また、ダイナ・ショアが降りた後のフォード・モーターズのシェビーのコマーシャルにフランキー・ランドールと出演して一緒にコマーシャル・ソングを歌った。
 しかし、ツアーが次第に苦痛となり、一箇所に落ち着いて友人や犬との暮らしに憧れるようになって1年近く活動を停止し、最終的には引退に至った。その後のジェニーは、保険会社のジェネラル・リインシュアランスに31年間つとめ、1978年に現在の夫であるアーサー・ブラウンと職場結婚している。
 しかし、音楽に対する関心は衰えず、数年前ジャック・シーガルとルース・フィーリーの協力を得て「ザ・ベスト・オブ・ラヴ」のメロディーを書き、フランキー・レインによってレコーディングされた。
ジェニーは現在、南カリフォルニアで健在である。

 歌唱力、美貌、人気と3拍子そろったジェニーだったが、歌手としての活動期間が短かったこと、ほかのシンガーと張り合ってでも上を目指そうという野心がなかったことから、レコードの数は少ない。LPは、RCAへのデビュー盤『Jennie』(1957)のあと、CBSへの『Love Among the Young』(1958)、カナディアン・アメリカンへの本作(1963)、ドットへの『Jennie』(196X)と4作品を数えるに過ぎない。また、シングルのみのリリースには次のようなレコードがある。

   Walkin 'Neath the Moonlight / My First Mistake Columbia 4-41171 (1958)
   Huggin' My Pillow (sweet side) / Huggin' My Pillow (beat side) Columbia 4-41370 (1958)
   It's a Cryin' Shame / Go Slow Little Heart Columbia 4-41495 (1958)
   Your First Broken Heart / It’s Murder For Roberta Canadian American 135 (1962)
   If You Should See Him / As I Love You Canadian American 139 (1962)
   Go Away Little Boy / Let It Be Me Canadian American 150 (1963)
   As Time Goes By / Never Trust a Stranger  GNP Crescendo 379 (1966)
   I Wanna Be Free / More Than You Know  GNP Crescendo 392 (1967)
   Feelin' Groovy / Our Song GNP Crescendo 401 (1968)
   Why Don’t You Believe Me / Suspicion  Top Rank RA 2077

 本作はモート・ガーソンの編曲指揮で吹きこまれた、ジェニーのアルバム中もっともジャズな作品だが、マイナー・レーベルからのリリースだったこととカヴァー・デザインがチープだったために、内容に比する注目を浴びることはなかった。

  今回日本で発売するにあたり、ジェニー本人から当時のポートレート写真を提供してもらうことができた。さらに音楽的には、彼女の声を適正なピッチに修正している。これは別にジェニーだけのケースではないが、アメリカではポップスのシンガーを実年齢よりも若く印象づけるために、ピッチを多少上げるような加工がしばしば行われていたことを付言しておく。



【 曲目 】

@ ジス・クッド・ビー・ザ・スタート・オブ・サムシング
ジェニーの恩人スティーヴ・アレンが1956年に作詞作曲した。彼の作品の中では取り上げられる機会が一番多いが、恩人に捧げる意味と曲の軽快さからオープナーにピッタリの選曲だ。ちなみに、ジェニーが歌詞を書きアレンが作曲した「アフター・ユー」と「アフター・アホワイル」が前述のドット盤に入っている。

A フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
1954年にバート・ハワードが作詞作曲して「イン・アザー・ワーズ」のタイトルで出版され、まずまずの注目を浴びたが、大ヒットしたのは1962年にピアニストのジョー・ハーネルが現在のタイトルに変えボサノヴァのリズムで演奏したとき。ジェニーはヴァースから入り、オリジナルのメロディーを活かして4ビートでしっとりと素直に歌っている。

B アイル・ゲット・バイ
ロイ・タークが作詞、フレッド・E・アーラートが作曲したしみじみとした、1928年のブルー・バラード。ルース・エティングの歌で有名になったように、女性向きの歌といえる。ジェニーの丁寧で情感豊かな歌が強い印象を残す。

C スピーク・ロウ
1943年にオグデン・ナッシュが作詞、クルト・ワイルが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス』でメリー・マーティンが紹介し、1948年の映画化『ヴィナスの接吻』ではアイリーン・ウィルソン(エヴァ・ガードナーの吹き替え)とディック・ヘイムズが歌った。ワイルの作品の中では「マック・ザ・ナイフ」や「セプテンバー・ソング」と並ぶ人気曲。

D アズ・ロング・アズ・ヒー・ニーズ・ミー
1960年にライオネル・バートが作詞作曲して、チャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』を基にしたミュージカル映画『オリヴァー!』に使われた。イギリスでシャーリー・バッシーのコロンビア盤がヒットした。

E マイ・マン
1920年にアルベール・ウィルメッツとジャック・シャルルが作詞、モーリス・イヴァンが作曲したシャンソンで、チャニング・ポロックが1921年に英詞を書いた。アメリカで紹介したのはファニー・ブライス(レビュー『ジーグフェルド・ガールズ・オブ・1920』)だが、彼女の伝記ミュージカル映画『ファニー・ガール』(1968)でのバーブラ・ストライザンドの歌も見事だった。

F レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス
1936年にアーヴィング・バーリンが作詞作曲して、ミュージカル映画『艦隊を追って』でフレッド・アステアが紹介した。ジェニーの明るく軽快でシンプルなスイング感が快い。

G ゼイヴ・ガット・ア・ロット・トゥ・ラーン
これもスティーヴ・アレンの作詞作曲で、1963年のブロードウェイ・ミュージカル『ソフィー』で紹介された。つまり出来たてのほやほやの曲だが、歌った人は多くない。

H ミーン・トゥ・ミー
Bと同じく、ロイ・タークが作詞、フレッド・E・アーラートが作曲したメランコリックなバラード。1929年に発表され、ルース・エティングやヘレン・モーガンの歌でポピュラーになった。ここでもB同様、ジェニーに絡むミュート・トランペットがブルーな気分を演出している。

I グレイヴィー・ワルツ
1962年にスティーヴ・アレンとレイ・ブラウンが共作したナンバーで、アレン自身のドット盤がヒットした。1962年度のグラミー賞で最優秀ジャズ作曲賞を受賞している。

J サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー
1926年にアイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『オー、ケイ!』でガートルード・ローレンスが歌った。ジェニーの声質やストレートでスケールの大きい歌は、スティーヴ・アレンが強力にプロモートしたもうひとりの女性歌手イーディ・ゴーメを彷彿とさせる。

K ナイス・ン・イージー(ボーナス・トラック)
1960年にアラン・バーグマンとマリリン・キース(現バーグマン夫人)が作詞、ルー・スペンスが作曲した、フランク・シナトラのためのオリジナル。ジェニーはシナトラとは違う乗りで軽快にスイングする。一途な歌いぶりが快い。

L アズ・アイ・ラヴ・ユー(ボーナス・トラック)
「モナリザ」(1950)「ケ・セラ・セラ」(1956)といったアカデミー主題歌受賞曲を書いたレイ・エヴァンスとジェイ・リヴィングストンのコンビによる1955年の作品。1959年にシャーリー・バッシーの英フィリップス盤がヒットした。1952年のシングル・カット用の録音なので、バックのサウンドがヒット狙いのところがある。

2009.9.18.三具 保夫
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