『ジェーン・ハーヴェイ・シングズ・ソンドハイム』/ジェーン・ハーヴェイ』/
ジェーン・ハーヴェイ Jane Harvey Sings Sondheim/Jane Harvey

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

topchronologydiscographyfilmographybest 10interviewsSSJ presentsfan clubshopblogmail

SSJ presents shop

misic bird

amazon

天然石 パワーストーン

 

sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ジェーン・ハーヴェイ・シングズ・ソンドハイム』/ジェーン・ハーヴェイ

『ジェーン・ハーヴェイ・シングズ・
ソンドハイム』/
ジェーン・ハーヴェイ
Jane Harvey Sings Sondheim/
Jane Harvey
\2800 (XQAM-1039) 原盤:JH Production
録音:1987年/2009年(8のみ) 世界初登場
>>購入する  

  ベニー・グッドマンも認めた 実力派美人シンガー、 ジェーン・ハーヴェイが ブロードウェイの巨匠 スティーヴン・ソンドハイムの 作品群に挑んだ意欲作。 
 


1. Old Friends/オールド・フレンズ  >>試聴
2. Everybody Says Don't/エヴリバディ・セズ・ドント  >>試聴
3. Broadway Baby/I'm Still Here/Broadway Baby/I'm Still Here  >>試聴
4. Could I Leave You?/クッド・アイ・リーヴ・ユー?  >>試聴
5. Who's That Woman/The Ladies Who Lunch/
  フーズ・ザット・ウーマン/ザ・レイディズ・フー・ランチ >>試聴
6. In Buddy's Eyes/With So Little to Be Sure of/
  イン・バディズ・アイズ/ウィズ・ソー・リトル・トゥ・ビー・シュア・オブ  >>試聴
7. The Story of Lucy and Jessie/ルーシー・アンド・ジェシー  >>試聴
8. Send in the Clowns/悲しみのクラウン  >>試聴
9. The Little Things You Do Together/ザ・リトル・シングズ・ユー・ドゥー・トゥゲザー  >>試聴
10. Pretty Women/Not While I'm Around/
   プリティ・ウェメン/ナット・ホワイル・アイム・アラウンド   >>試聴
11. There Won't Be Trumpets/ゼア・ウォント・ビー・トランペッツ  >>試聴
12. Sorry-Grateful/Too Many Mornings/Losing My Mind/
   ソーリー・グレイトフル/トゥー・メニー・モーニングズ/ルージング・マイ・マインド  >>試聴
13. Another Hundred People/What More Do I Need?/
   アナザー・ハンドレッド・ピープル/ホワット・モア・ドゥ・アイ・ニード?  >>試聴
14. Not a Day Goes By/ナット・ア・デイ・ゴーズ・バイ  >>試聴
15. Buddy's Blues/バディズ・ブルース  >>試聴
16. It Wasn't Meant to Happen/Good Thing Going/
   イット・ワズント・メント・トゥ・ハプン/グッド・シング・ゴーイング  >>試聴
17. Everything's Coming Up Roses - Together Wherever We Go -You'll Never Get Away From Me/
   エヴリシングズ・カミング・アップ・ローゼズ/トゥゲザー・ホエアエヴァー・ウィー・ゴー/
   ユール・ネヴァー・ゲット・アウェイ・フロム・ミー  >>試聴

 

 ジェーン・ハーヴェイは、ベニー・グッドマン楽団の専属歌手だったベテラン・シンガーだ。彼女の初アルバム『リーヴ・イット・トゥ・ジェーン!』が昨年(2008年)世界でも初めて日本でCD化された。その監修をした折に、彼女と親しくメールを交換することが出来、いろいろな情報をいただいた。彼女は、彼女の娘かと間違われるような若々しさで、今も時々現役で活躍する息の長い歌手だ。多くの歌手が必要な時に必要な人と出会えなかったと嘆くが、彼女の場合は幸運な出会いが多く、そのまま続けていればもっと大スターになれたかもしれないが、自ら招いた「引退」と「カムバック」を繰り返してきたという。ベニー・グッドマン楽団を辞めたのも、単にツアーに出たくないという我儘な理由だった。結婚は4回して、2度目のボブ・シールとは息子をもうけるが、この時は家にはいることを強要されて神経衰弱になったりしている。その後、離婚して「カムバック」して成功するが、再び結婚で「引退」ということになる。「成功するのが怖かった」のかもしれないと振り返っていた。

ソンドハイム作品集誕生の経緯

 スティーヴン・ソンドハイムを歌った『ジ・アザー・サイド・オブ・ソンドハイム』が発表された1988年にもニューヨーク・タイムズ紙は絶賛して「不死鳥が灰の中から蘇った」と書いていたが、これも何度目かの「カムバック」だった。ソンドハイムの作品は、クレオ・レイン、ジャッキー・アンド・ロイ、リチャード・ロドニー・ベネットなど限られたアーティスト達がアルバムを作っているが、ジャズ関係ではあまり取り上げられていない。彼女は、ソンドハイムの歌が大好きで、それらをジャズにして歌おうという企画を持ちライヴで試してきた。最終的に1986年、ニューヨークのジャズ・クラブ「フレディーズ」でマイク・レンジー(p)ジェイ・レオンハート(b)グラディ・テイト(ds)のトリオと連続コンサートを行い、これが大評判となった。ソンドハイム自身も聴きに来て、楽屋に彼女を訪ねていろいろと助言を与えてくれた。「フレディーズ」での『ソンドハイムを歌う』のステージの成功で、これをアトランティック・レコードでレコード化しようということになりトリオと録音する。アトランティックの社長アーメット・アーティガンは、当時の音楽環境を考えてトリオの伴奏よりオーケストラの方が売れるだろうと考え、この録音にレイ・エリスのアレンジでストリングスをふくむオーケストラの音を被せて発売させたものが、前記の『ジ・アザー・サイド・オブ・ソンドハイム』だった。

    ジェーン・ハーヴェイは、トリオ伴奏だけの原盤をそのままの形で何とか世の中に出したいと長いこと思っていたが、今回、SSJによって初めて彼女の願いが実現することになった。技術的な問題で、「プリティ・ウェメン」と「ノット・ホワイル・アイム・アラウンド」のメドレーは、アトランティックと同じ加工されたヴァージョンが使われている。「悲しみのクラウン」は、元々クラブでの『ソンドハイムを歌う』ショウには含まれていなかったが、アーティガンの強い要望でビル・チャーラップのピアノ伴奏で追加された。しかし、この録音は、音に問題があったので、今回、新たに録音されたフル・コーラスを歌うロング・ヴァージョンに差し替えられた。余程注意して聞かないと20年の歳月が感じられないほど彼女は若い。今回のCDは4トラック9曲多く、収録時間はアトランティック盤が43分36秒だったのにたいし、63分20秒と大幅に増えている。

収録曲について

 このアルバムでは、ソンドハイムの数多いミュージカルの中から彼女が選びマイク・レンジーが編曲した。腐敗したずる賢い女町長のいる財政破綻した町を救おうと活躍する看護婦、医者、町の人々を描いたミュージカル『エニワン・キャン・ウィッスル』(1964)から「エヴリバディ・セズ・ドント」、「ウィズ・ソー・リトル・トゥ・ビー・シュア・オブ」、「ゼア・ウォント・ビー・トランペッツ」が歌われ、結婚しない男と彼の仲間たち五組の夫婦と三人のガール・フレンドによる誕生パーティーでのごちゃごちゃを描いたミュージカル『カンパニー』(1970)から、奥様然として空虚な毎日を送る主婦へ乾杯という「ザ・レイディズ・フー・ランチ」、良好な夫婦関係の秘訣「ザ・リトル・シングズ・ユー・ドゥー・トゥゲザー」、人が多く雑然とした中にも素晴らしさのあるニューヨークの街を歌う「アナザー・ハンドレッド・ピープル」、結婚の感想ともいえる「ソーリー・グレイトフル」が取り上げられている。
 『フォーリーズ』(1971)は、取り壊しの決まった古い劇場を舞台に過去に出演した芸人たちが同窓会みたいに集い、二つの夫婦を軸に展開されるもので、この中から「ブロードウェイ・ベイビー」と「アイム・スティル・ヒア」「クッド・アイ・リーヴ・ユー?」「フーズ・ザット・ウーマン」「イン・バディズ・アイズ」「トゥー・メニー・モーニングズ」「ルージング・マイ・マインド」「ルーシー・アンド・ジェシー」「バディズ・ブルース」が歌われる。このミュージカルは、ジョージ・ガーシュインやコール・ポーターのスタイルで書かれた歌もあり、いくつかの曲がスタンダード・ナンバーとなっている。
 『ア・リトル・ナイト・ミュージック』(1973)からは有名な「悲しみのクラウン」が、そして殺人床屋と人肉パイというホラー・ストーリー『スウィーニー・トッド』(1979)からは、「プリティ・ウェメン」、「ナット・ホワイル・アイム・アラウンド」、自惚れの強い思いあがった脚本家が、自分の今にいたるまでを年代を逆に遡って過去を振り返るといった1937年のミュージカルのリメーク版『メリリー・ウィー・ロール・アロング』(1981)からは「オールド・フレンズ」「グッド・シング・ゴーイング」「ナット・ア・デイ・ゴーズ・バイ」が選ばれている。
ミュージカル『マリー・ミー・ア・リトル』(1981)は、過去のミュージカルでボツになったり途中でカットされたナンバーを歌ったショウで、その中から「ホワット・モア・ドゥ・アイ・ニード?」(『エニワン・キャン・ウィッスル』)、「イット・ワズント・メント・トゥ・ハプン」(『フォーリーズ』)が、そして最後は『ジプシー』(1959)から「エヴリシングズ・カミング・アップ・ローゼズ」、「トゥゲザー・ホエアエヴァー・ウィー・ゴー」と「ユール・ネヴァー・ゲット・アウェイ・フロム・ミー」がメドレーで歌われる。

スティーヴン・ソンドハイムについて

 スティーヴン・ジョシュア・ソンドハイムは1930年3月22日生まれ。ロジャース・アンド・ハマースタインのチーム以降に現れたミュージカルの作詞作曲家の中で最も重要な人物だろう。幼少の頃からピアノを習い、離婚した母親と移ったペンシルバニアの田舎でオスカー・ハマースタインと知り合う。15歳で学校の子供ミュージカル『バイ・ジョージ』を書き、ハマースタインから3時間にわたる一字一句の添削を受ける。この午後の3時間がソンドハイムの将来を決めたという。その後も彼からミュージカルの一から十まで親しく教えを受けた。1953年にミュージカル『サタデイ・ナイト』を書く。そしてハリウッドへ行きNBCのTVシリーズ『トッパー』の脚本を書いている。彼のブロードウェイ・デビューは『ガールズ・オブ・サマー』(1956)だった。脚本家アーサー・ローレンツの紹介でレナード・バーンスタインと知り合い、『サタデイ・ナイト』の詞を気に入ったバーンスタインは、彼を『ウェスト・サイド・ストーリー』(1957)の作詞家に抜擢する。「トゥナイト」「マリア」「アイ・フィール・プリティ」等の不朽のスタンダードを書き、27歳のソンドハイムは一躍有名になった。アーサー・ローレンツは、ストリッパー、ジプシー・ローズ・リーの生涯を描くミュージカル『ジプシー』の作詞作曲にソンドハイムを起用しようとしたが、主演のエセル・マーマンの「若すぎる」という反対で、作曲はベテランのジュール・スタインが担当、作詞のみとなった。ソンドハイムのミュージカルには、『ドゥ・アイ・ヒア・ア・ワルツ?』(1965)、日本を主題にした『パシフィック・オーバチュア』(1976)、『サンデイ・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』(1984)や2008年の『ロード・ショウ』などがあり、今も健在だ。

ジェーン・ハーヴェイについて

 ジェーン・ハーヴェイは、本名をフィリス・タフといい、ニュージャージー州ジャージー・シティ生まれ。子供の頃から歌うのが大好きで、高校時代から人前で歌う。有名な「カフェ・ソサエティ」のバーニー・ジョセフソンのオーディションに合格、同クラブで仕事を得る。彼の好きだった「ハーヴェイ」のスコッチに因んでジェーン・ハーヴェイという芸名をつけた。ジョン・ハモンドが同店に現れ、彼女をベニー・グッドマンに紹介し、気にいられて1944年に同楽団の専属歌手となる。翌日すぐリハーサルでOnly Another Girl and Boyを録音、その後一年間にShe's Funny That Way, Close as Pages in a Book, You Brought a New Kind of Love to Me, Every Time (Every Time I Fall in Love), Two Little Fishes and Five Loaves of Bread, Gotta Be This or That を録音する。しかし、ツアーを嫌い一年あまりで退団。コロンビア・レコードのマニー・サックスに可愛がられ彼の紹介で街に来るいろいろなバンドで歌う。
 1945年からニューヨークの「ザ・ブルー・エンジェル」でエリス・ラーキンス(p)の伴奏で歌っていたが、1946年デジー・アーネスから彼のバンドとハリウッドへ行かないかというオファーを受ける。当代最高のベニー・グッドマン楽団で歌っていたという意識が強かった彼女は、「デジーのラテン・バンドで歌うなんて」と侮辱されたように思い一度は断る。しかし、アーネスがミュージカル・ディレクターをしていたボブ・ホープのラジオ番組にも出演させるという話もあって、結局、ハリウッドへ行き、有名な「シロス」に出演し、一夜にして有名人となるほどの大成功をおさめた。美貌を買われて20世紀フォックスと契約し、歌のほうではRCAと契約してデジー・アーネス楽団とThrough a Thousand Dreams, Mi Vida, Another Night Like This, A Rainy Night in Rio を録音。ペイジ・キャヴァノウのトリオとはMy Number One Dream Came True, Foggy River, A Sunday Kind of Love, I Had Too Much to Dream Last Night の4曲を録音した。また、夫のボブ・シールが持っていたシグネチュア・レーベルに A Hundred Dreams From Now, I'm Gonna Go Fishin', The Ship Sailed, The Love I Have for You の4曲を、MGMレーベルに So in Love, Always True to You in My Fashion, Where Are You?, Weep No More, Cheap Cigars, Just for Fun, Enjoy Yourself, Diamonds Are a Girl's Best Friend, All I Do Is Dream of You, You're a Sweetheart などを残している。
 1958年7月にドット・レーベルから前記のデビュー・アルバム『リーヴ・イット・トゥ・ジェーン!』を発表し、1964年、オーディオ・フィデリティ・レーベルに『アイヴ・ビーン・ゼア』をレイ・エリス編曲指揮のオーケストラと英国で録音した。この素晴らしいバラード・アルバムの版権はジェーン自身が持っており、1984年に『イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド』とタイトルを変えてディスカヴァリー・レーベルから発売されたが今は廃盤になっており、SSJレーベルが今年の12月にオーディオ・フィデリティ盤仕様で発売すべく準備中だ。
1973年には、英国RCAからジョン・バンチ(p)、バッキー・ピザレリ(g)等と『ジェーン・ハーヴェイ』を録音、この時の未収録音が同じRCA の『スウィング・トゥデイ』第一集・二集に収録されている。ジャズ・シンガー、ジェーン・ハーヴェイらしい作品だ。
 翌74年には、ズート・シムス(ts)を含むジャズ・コンボで『ファッツ・ウォーラー・リヴィジテッド』をクラシック・ジャズ・レーベルに録音し、1988年の『ジ・アザー・サイド・オブ・ソンドハイム』がもっとも最近の作品ということになるが、その後ミシェル・ルグランとアルバムを作る企画もあった。
 インパルス・レーベルの創始者、ボブ・シールとの間に生まれたボブ・シール・ジュニア、そして、孫のルイ・シールは音楽界で活躍しているが、彼らに囲まれてアンティークの販売の仕事をしながら今も時々歌うという。今回のSSJ からのCD発売を機に「不死鳥再び蘇る」場面を想像しているというジェーン・ハーヴェイだ。

 最後に、ラジオ・TV関係での活躍も忘れられないので、付け加えておく。『ミス・テレビジョン・オブ・1947』を皮切りに1949年の『レッツ・ゼア・ビー・スターズ』、1950年のジェリー・レスターによるトーク・バラエティ・ショウ『ブロードウェイ・オープン・ハウス』等々に出演、後者は、後の人気番組『ザ・トゥナイト・ショウ』の前身になるものだった。その他、スティーヴ・アレン、エド・サリヴァン等多くのTVショウにゲスト出演している。1951年にはパール・ベイリー主演のブロードウェイ・ミュージカル『ブレス・ユー・オール』に出演。1977年にはNBC-TVで子供向けのジャズ番組を持ったこともある。



2009.9.14. 高田敬三
上にもどる
 

Copyright (C) シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン:本サイトで掲載の全ての記事・写真の無断転載を禁じます。