『ビヴァリー・ケリー・シングズ』/ベヴ・ケリー』/
ベヴ・ケリー Beverly Kelly Sings/Bev Kelly

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ビヴァリー・ケリー・シングズ』/ベヴ・ケリー

『ビヴァリー・ケリー・シングズ』/
ベヴ・ケリー
Beverly Kelly Sings/
Bev Kelly
\2800 (XQAM-1041) 原盤:オーディオ・フィデリティー → Interplay/Singing Wolf Productions
録音:1957年/ニューヨーク スコット・ラファロ(b)の参加が
アルバムの価値をいっそう高めた、
ベヴ・ケリーの初リーダー作を
13年ぶりに復刻!
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スコット・ラファロ(b)の参加でも人気の高い、ベヴ・ケリーの初リーダー作にして 代表作の一枚を、13年ぶりに復刻。旧友パット・モラン(p)とのコンビネーションも最高潮。  
 


1. Lover, Come Back to Me/ラヴァー、カム・バック・トゥ・ミー  >>試聴
2. The Man I Love/ザ・マン・アイ・ラヴ  >>試聴
3. I Get a Kick Out of You/君にこそ心ときめく  >>試聴
4. I Wish I Knew/アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー  >>試聴
5. You Don't Know What Love Is/ ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ >>試聴
6. I'm Glad There Is You/ アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー  >>試聴
7. Sometimes I'm Happy/サムタイムズ・アイム・ハッピー  >>試聴
8. You and the Night and the Music/あなたと夜と音楽と  >>試聴
9. But Not for Me/バット・ナット・フォー・ミー  >>試聴
10. This Love of Mine/ ジズ・ラヴ・オブ・マイン   >>試聴
11.Embraceable You/エンブレイサブル・ユー  >>試聴
12. Spring Is Here/ スプリング・イズ・ヒア  >>試聴

 


ベヴ・ケリーのナウ・アンド・ゼン


 私がベヴ・ケリーを知ったのはジャズを聴き始めたごく初期のころだが、直接会ったのは2007年になってからである。SSJレーベルが『ベヴ・ケリー・ライヴ!(Bev Kelly Live at the Jazz Safari)』(XQAM-1017)をリリースするにあたり、その仲介の労をとったときで、しばらくは電話でのやりとりだけだったが、ともに南カリフォルニアのそれほど離れていない場所に住んでいたので、ならば一度会おうということになった。正直にいえば、そのプロジェクトはまだほとんど動いていなかったが、友情の始まりとなり、そして今回のリリースへと繋がっていった。
 現在のベヴは第二の職業ともいうべき精神療法医として多忙な生活を送っている。歌うドクター、ベヴ・ケリー博士の楽しみはロングビーチの海岸をアカペラで歌いながら散策することだという。現在までのところ彼女の最新アルバムは “Portrait of Nine Dreams” という2002年の作品だが、これは現在彼女が診ている患者たちには効いても、昔からのベヴ・ファンには向かないかも知れない。
 ベヴのレコード・デビューは1956年と57年に吹き込まれたパット・モラン・カルテットによる2枚のベツレヘム盤で、初リーダー作が本作 “Beverly Kelly Sings” である。この作品は世界で初めてステレオ・レコードを出したオーディオ・フィデリティー最初期のアルバムで、「当時の私とパットはシカゴが拠点で、町の北部にあったメリーランド・ホテルのクロイスター・インにレギュラー出演していました。レコード・プロデューサーたちの溜まり場のようなところです。オーディオ・フィデリティーのあるニューヨークへもよく行きましたが、何がきっかけで彼らがアプローチしてきたかはよくわかりません。私たちに仕事をたくさんとってくれていたアソーシエイト・ブッキング社のフレディ・ウィリアムソン副社長が関係していたのかも知れません」。このアルバムでは“ビヴァリー・ケリー”と表記されている。もうひとりのビヴァリー(英語の発音はベヴァリーのほうが近い:訳者)ことビヴァリー・ケニーと紛らわしいが、本人によると、「レコード会社が印刷前にジャケットを見せてくれなかったのが原因」だ。ベヴ自身はデビュー以来ずっと“ベヴ・ケリー”と名乗っている。


スコット・ラファロの参加

 オリジナルのLPアルバムにクレジットはないが、伴奏のパット・モラン・トリオにはスコット・ラファロが参加している。このアルバムはラファロの最初期の録音で、本作以前には1956年20歳のときにバディ・モロウのビッグバンドのメンバーとして若干のスタジオ・セッションに参加した程度である。
 スコット・ラファロは1960年8月の『ジャズ・レビュー』誌で「過去は振り返りたくない。今の瞬間をプレイするのがジャズだからね。だから過去のレコードに関心はないが、パット・モランとやったオーディオ・フィデリティーのアルバムは例外だ」と語っている。オーディオ・フィデリティーにはラファロが参加した “This Is Pat Moran” というパット・モラン・トリオの作品があるが、本作のことも念頭に入れて発言したものと思われる。
ではドラムスは誰なのだろう? 1996年に日本でCD化された時はオリジナル・メンバーのジョン・ドーリングとなっていたが、ベヴもパット(現在の姓はパット・マッコイ)もジーン・ギャミッジ(Gene Gammage)だと証言している。
 スコット・ラファロについてパット・モランは語る。「スコットを知ったのは1956年、私たちのカルテットがセントルイスのジャズ・クラブに出ていた最終日です。彼はチェット・ベイカーのメンバーでした。次の晩が彼らの初日で、前の日に入ってきたのです」。「2、3か月経って、ニューヨークのバードランドに出ていたときに再会し、ヴィレッジで随分とジャム・セッションをやり、1957年にシカゴのクロイスター・インからジーンと共に私のメンバーとなったのです」。
 「彼は天才でした。ジョン・コルトレーン(ts)のように弾きたいからと、時間があればメトロノームを相手にクラリネットの練習をしていましたね」。「あるとき “ブルーノートにすごい新人ピアニストが出ているから聴きに行こう”と誘われました。それがビル・エヴァンスでした。モーツァルトを聴いているような素晴らしさ。ビルが演奏を終えると、スコットは“さあ、オレたちもやろう!”というのです。私は感動にひたっていましたから断ったのですが、結局プレイしました。スコットはビルに自分の演奏を聴いてもらいたかったのだと後で知りました」。


ベヴ・ケリーの略歴

 ベヴ・ケリーは1934年6月6日にオハイオ州デイトン郊外のトロイで生まれた。5歳から高校までクラシック・ピアノを習い14歳で声楽を始め、シンシナティ音楽院では声楽コースを履修した。音楽院でパット・モランと知り合いコンビを組んでシカゴに進出し、ジョニー・ホワイテッド(b)とジョン・ドーリング(ds)を加えて結成したカルテットは全員でコーラスするユニークなユニットだった。
 ベツレヘム、オーディオ・フィデリティーを経て、1959年にリヴァーサイドから『ラヴ・ロックト・アウト』を発表し、1960年にサンフランシスコで交通事故に遭うが、滞在中に『イン・パーソン』(リヴァーサイド)をライヴ録音した。
 その後結婚、出産、子育てのために引退し1963年に心理学の博士号を取得して現在は精神療法医として活躍している。1976年本格的に歌に復帰、SSJの『ベヴ・ケリー・ライヴ!』は1979年4月にロングビーチで収録されたライヴ盤である。


2009.11.3. ビル・リード/三具保夫

@ ラヴァー、カム・バック・トゥ・ミー
オスカー・ハマースタイン2世が作詞、シグムンド・ロンバーグが作曲して、1928年のオペレッタ『ザ・ニュー・ムーン』で紹介された。この舞台は1930年と1940年に映画化されている。「朝日のごとくさわやかに(Softly, As in the Morning Sunrise)」もこのオペレッタから生まれた。

A ザ・マン・アイ・ラヴ
1924年にアイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲した“超”のつくスタンダード。ミュージカル『レイディ、ビー・グッド!』(1924)のトライアウトでアデール・アステア(フレッド・アステアの姉)が歌ったが、ブロードウェイでは使われず、その後も紆余曲折があった後ロンドンで評判になり、1928年にヘレン・モーガンがレコーディングした。

B 君にこそ心ときめく
1934年にコール・ポーターが作詞作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『エニシング・ゴーズ』でエセル・マーマンとウィリアム・ギャクストンが歌った。マーマンは1936年の映画化(邦題は『海は桃色』)でも歌っている。

C アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー
1945年にマック・ゴードンが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミュージカル映画『Billy Rose’s Diamond Horseshoe』(日本劇場未公開)でディック・ヘイムズが歌った。ヘイムズのデッカ盤(1945)も素晴らしかったが、チェット・ベイカーのパシフィック・ジャズ盤(1955)が一番耳になじんでいるのではないだろうか?オリジナル・ジャケットの作者「ハリスとヤング」は誤り。

D ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
1941年にドン・レイとジーン・デゥ・ポールが作詞作曲して、凸凹コンビことアボット&コステロのミュージカル映画『空中の巻(Keep ‘Em Flying)』に使われた。ジャズメンやバラード・シンガーがよく取り上げる佳曲。

E アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー
1941年にポール・マデイラとバンドリーダーのジミー・ドーシーが共作したナンバーで、ジミー・ドーシー楽団のデッカ盤で紹介された。大きなスケールでフェイクする第二コーラスが聴きもの。

F サムタイムズ・アイム・ハッピー
この歌の生い立ちは複雑だ。1923年のブロードウェイ・ミュージカル『メアリー・ジェイン・マケイン』のためにオスカー・ハマースタイン2世が作詞、ヴィンセント・ユーマンスが作曲した「カモン・アンド・ペット・ミー」が最初。アーヴィング・シーザーが「サムタイムズ・アイム・ハッピー」のタイトルで歌詞を変えて1925年のミュージカル『ア・ナイト・アウト』(1925)に使われたがブロードウェイには届かず、『ヒット・ザ・デック』(1927)でようやくブロードウェイにかかった。本作のオリジナルLPのように、『ヒット・ザ・デック』の脚本を書いたレオ・ロビンとクリフォード・グレイが作詞者として誤記されるケースがある。

G あなたと夜と音楽と
1934年にハワード・ディーツが作詞、アーサー・シュワルツが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『リヴェンジ・ウィズ・ミュージック』に使われた。ディーツとシュワルツのコンビらしい端正で気品のある作品だ。

H バット・ナット・フォー・ミー
アイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、1930年のブロードウェイ・ミュージカル『ガール・クレイジー』でジンジャー・ロジャースが歌った。1943年の映画化ではミッキー・ルーニーと共演したジュディ・ガーランドが歌っているが、この映画にはトミー・ドーシー楽団も出演した。

I ジズ・ラヴ・オブ・マイン
1941年にフランク・シナトラが作詞、シナトラのマネージャーだったハンク・サニコラがソル・パーカーと作曲して、シナトラをフィーチャーしたトミー・ドーシー楽団のヴィクター盤がビルボード・チャート3位のヒットとなった。ベヴはかなり力が入っている様子だ。もっとリラックスしたほうがよかった。伴奏はピアノのみ。

J エンブレイサブル・ユー
これもアイラとジョージのガーシュイン兄弟の作品で、1928年のミュージカル『イースト・イズ・ウェスト』のために書かれたがこのショウは実現せず、Hと同じく『ガール・クレイジー』で紹介された。1943年の映画ではジュディ・ガーランドの歌が聴ける。ベヴはおなじバラードでもIよりうまく歌いこなしている。

K スプリング・イズ・ヒア
ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、1938年のブロードウェイ・ミュージカル『アイ・マリード・アン・エンジェル』で紹介された。地味ながらもあじわい深い失恋のバラード。これもパット・モランのピアノとのデュオ。

 



2009.11.4. 三具保夫
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