『ピンキー+12』/ピンキー・ウィンターズ』/
ピンキー・ウィンターズ Pinky + 12/Pinky Winters 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ピンキー+12』/ピンキー・ウィンターズ

『ピンキー+12』/
ピンキー・ウィンターズ
Pinky + 12/
Pinky Winters 
\2800 (XQAM-1044) 原盤:Vantage & Interplay
録音:1954年 世界初CD化
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オリジナルLPが10万円という高値を呼んでいる伝説の10インチ盤に12曲を加え、 ピンキー・ウィンターズ1954年のすべてを収録。5曲でズート・シムスが参加している。  
 


1. Little Girl Blue/リトル・ガール・ブルー  >>試聴
2. The World Is Your Balloon/ザ・ワールド・イズ・ユア・バルーン  >>試聴
3. Darn That Dream/ダーン・ザット・ドリーム  >>試聴
4. But Not for Me/バット・ナット・フォー・ミー  >>試聴
5. These Foolish Things/ ジーズ・フーリッシュ・シングズ >>試聴
6. This Can't Be Love/ ジス・キャント・ビー・ラヴ  >>試聴
7. Cool Sazerac/クール・サゼラック  >>試聴
8. How About You?/ハウ・アバウト・ユー?  >>試聴
9. The Lady Is a Tramp/ザ・レイディ・イズ・ア・トランプ  >>試聴
10. Pennies From Heaven/ 黄金の雨   >>試聴
11.These Foolish Things/ジーズ・フーリッシュ・シングズ  >>試聴
12. Gone With the Wind/ 風と共に去りぬ  >>試聴
13. The Nearness of You/ ザ・ニアネス・オブ・ユー  >>試聴
14. You Better Go Now/ ユー・ベター・ゴー・ナウ  >>試聴
15. The World Is Your Balloon/ ザ・ワールド・イズ・ユア・バルーン  >>試聴
16. Darn That Dream/ ダーン・ザット・ドリーム  >>試聴
17. But Not for Me/ バット・ナット・フォー・ミー  >>試聴
18. This Can't Be Love/ ジス・キャント・ビー・ラヴ  >>試聴
19. Cool Sazerac/ クール・サゼラック  >>試聴
20. How About You?/ ハウ・アバウト・ユー?  >>試聴

 



 ピンキー・ウィンターズはその長いキャリアと実力に比して、レコーディングは驚くほど少ない。彼女の録音を並べると次のようになるが、(*)のように半数以上が現在日本で手に入る。
 * Pinky (Vantage/1954) 本作
 * Rehearsal Session for the “Pinky” album(Interplay/1954) 本作に収録
 * Pinky Winters with Zoot Sims (Interplay/1954) 本作に収録
 * Lonely One (Argo/1958)
  The Shadow of Your Smile (Cellar Door/1983)
 * Speak Low (Cellar Door/1983)
  Let’s Be Buddies(Jacqueline/1985)
  Happy Madness (French Verve/1994)
  As Long As There Is Music (Koch/1994)
 * Rain Sometimes (Cellar Door/2001)
 * Singin' Swingin' Jazzin' SSJ (SSJ)   You Are for Loving (2001) 収録
 * World on a String (SSJ/2006)
 * With a Song in My Heart/Kurt Reichenback (Cellar Door)   Blame It on My Youth (2007) 収録

 ピンキー・ウィンターズ、本名フィリス・ウォズニアックは1931年にインディアナ州ミシガン・シティで生まれたポーランド系のアメリカ人で、4歳でピアノを始め、フランク・シナトラの歌に夢中になったが、15歳のころサラ・ヴォーンの歌を聴いてシンガーになろうと決心した。高校を卒業すると会社勤めをはじめるが、歌う機会を求めてコロラド州のデンヴァーへ脱出した。ピンキー・ウィンターズという芸名に変えたのはこの時代である。ベースのジム・ウルフと結婚してロサンゼルスに進出したのが1953年で、ジム・ウルフとの離婚後は長女を育て、サックス奏者のボブ・ハーダウェイと結婚し次女を出産するなどの理由で、歌から遠ざかった。1980年にステージへ復帰するがハーダウェイとは離婚し、1982年からルー・リーヴィー(p)と居をともにしてふたりの生活は1990年にルーが亡くなるまで続いた。 
 2006年に、2001年録音のアルバム『レイン・サムタイムズ』が日本でリリースされた(SSJ YKCJ-305)ことでわが国でもピンキー健在がアピールされ、さらに1983年のステージを捉えた『いそしぎ』(SSJ YKCJ-307 廃盤)と『スピーク・ロウ』(SSJ XQAM-1010)の発掘、2006年の来日などにより、ピンキーはわれわれ日本人にとって一挙に身近な存在となった。今もルーと住んでいたハリウッドの家にいて、体力・気力・知力とも大変充実した日々を送っており、現在ボサノヴァ・アルバムを準備中だ。


ヴァンテージ・レーベル

 今回のリリースは、ピンキーのデビュー作でコレクターズ・アイテムにもなっている『ピンキー』(Vantage VLP-3)の8曲に、このアルバムのリハーサル7曲(M〜S)、ズート・シムス(ts)を加えたプライベート・セッション5曲(H〜L)の計20曲構成で、ピンキーの1954年のすべてを聴くことができる。
本アルバムを制作したヴァンテージ・レコードはボブ・アンドリュースとジャック・アンドリュースによって、ウエストコースト・ジャズのメッカ、ライトハウスのあるハーモサ・ビーチの隣町レドンド・ビーチで1952年に設立された。ちなみにふたりは親戚ではない。資金の大半はジャックが出していたため、彼が1955年に亡くなると運転資金に支障をきたしその年のうちに倒産してしまう。1966年になってボブはフランク・ドノヴァンという人物とレーベルを再開して12インチ・アルバムを数枚出したが、1980年代に行き詰まり、ボブは1990年代半ばに亡くなった。ヴァンテージ第一期のアルバムは『ピンキー』に加えて、ハンプトン・ホーズ(p)、アンソニー・オルテガ(reed)、先ごろ亡くなったジミー・ワイブル(g)、『ピンキー』に参加しているバド・ラヴィン(p)がすべてで、いずれも10インチ盤である。


ピンキーの記憶力

 今回の再発にあたってピンキーにいろいろと聞いてみたが、ピンキーの記憶力は驚嘆的だった。面白いエピソードや情報を提供してもらえたので、その一部をご紹介しよう。
 『ピンキー』セッションについては、「ピアニストとの相性が必ずしもしっくりいかなかったので100%満足な出来とはいえなかった」。「このレコードを改めて聴いてみると、何十年の間に自分のスタイルがずいぶんと変化したことがよ〜くわかる。自分ではなく、誰か懐かしい人の歌を聴いているような気分だった」。
 この10インチのアルバムを聴いたひとりがベニー・グッドマンの弟のひとり(ハリーかアーヴィングか、この点に関してはピンキーの記憶は定かでない)で、彼の推薦で2作目となるアーゴへのレコーディングが実現した。わざわざシカゴからロスに飛んできたアーゴの担当者とのミーティングは終始和やかにおこなわれ、メンバーの人選はピンキーに一任された。アーゴ・サイドからはシカゴの名門ミスター・ケリーズやロードに出ないかという誘いを何度も受けたが、私生活を優先して断ってしまった。「オファーに応じていたら、シンガーとしてのキャリアはだいぶ違ったものになっていたでしょうね」と感慨深げだ。
 @〜Gがデビュー・アルバム『ピンキー』のセッションである。当時ピンキーはロスのサウス・ベイ地区のマンハッタン・ビーチ・シティーに住んでいた。ボブ・アンドリュースはこの地区でレコードヴィルというレコード店を経営しており、ピンキーもここでレコードを買っていたので自然と知己を得た。ピンキーはよくライトハウスに通ったが、ステージに促されることもたびたびで、そういった機会をボブ・アンドリュースが目撃していたことがレコーディングへとつながった。バックは夫君のジム・ウルフ(b)に加えて、ボブ・アンドリュースが選んだ当時アニタ・オデイの伴奏者バド・ラヴィン(p)とスタン・ケントン楽団にも在籍したスタン・リーヴィー(ds)だが、ピンキーはスタンを地元の食料品店で何度か見かけていたので、住まいは近いはずだと考えた。
 H〜Lは、ロス郊外のホーソンにあったズート・シムスの家で行われた。レコーディングとかクラブへの出演といった目的があってのことではなく、仲間うちのプライベートなジャム・セッションだった。テープに録るとは聞いてなかったので、実際にテープが回っていたことは1991年のLPで初めて知ったが、このノーマ盤(NLP-5008)のクレジットは不正確だという。正しくは別掲の通りだが、マーヴィン・トゥーティ・ヘイル(tp)はズートのいとこにあたり、ジョン・ドーマン(b-tp)はピンキーとジム・ウルフ(b)の結婚式で新郎の付添い人をつとめた。ティミー・イノセンシオ(p)は後年ロスの公立学校で音楽を教えるが、ピンキーの長女リサが中学時代に所属していたバンドの指導者がイノセンシオだった。かように、このセッションに参加したメンバーはピンキーとごくごく親しい仲間たちで、唯一ズートだけが初対面だった。ゲイリー・ヘイル(ds)はマーヴィン・ヘイルやズートの血縁ではない。ちなみに、前述のノーマ盤にはほかに4曲収録されているが、ピンキーは参加していない。
 M〜Sはアルバム『ピンキー』のためのリハーサル・セッションで、レドンド・ビーチにあったボブ・アンドリュースの自宅で行われた。バド・ラヴィンとジム・ウルフは同じだが、ドラムスは当日来られなかったスタン・リーヴィーに代わって、バド・ラヴァンのトリオのドラマーでもあったボブ・アンドリュース自身が叩いている。ノーマのLPやCD盤をふくめ、ジャケットの写真はロスに在って精力的にジャズ・ミュージシャンを追っていた著名なフォトグラファーでありレコード・コレクターのレイ・エイヴリーが撮影したものである。

 




@リトル・ガール・ブルー
ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、1935年のブロードウェイ・ミュージカル『ジャンボ』で紹介された。ピンキーは冒頭から瑞々しい歌を展開するが、コーダの扱い方は気負いすぎ(?)。この曲を始め、声質は違えどときどきフレージングにサラ・ヴォーンの影響が顔を出すところが興味深い。
A Nザ・ワールド・イズ・ユア・バルーン
40回で幕を下ろした1951年のブロードウェイ失敗作『フラフーレイ』からの曲。軽快にスイングする耳あたりのよい曲だが、ほかにはジャッキー・アンド・ロイのヴァーヴ盤がある程度。作詞はE・Y・ハーバーグ、作曲はサミー・フェイン。
B Oダーン・ザット・ドリーム
非常に渋いトーチ・ソングだ。1939年にエディ・デュラングが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『スインギン・ザ・ドリーム』でマキシン・サリヴァン、ルイ・アームストロングほかが歌った。力量のない歌手が歌うと平板に陥る難しい曲だが、若干23歳ながら、ピンキーは見事にこなしている。
C Pバット・ナット・フォー・ミー
アイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、1930年のブロードウェイ・ミュージカル『ガール・クレイジー』でジンジャー・ロジャースとウィリー・ハワードが紹介し、1943年の映画化ではジュディ・ガーランドが歌っている。
D Jジーズ・フーリッシュ・シングズ
1935年にイギリスで作られた曲。作詞はホルト・マーヴェル(アカデミー脚本賞にもノミネートされたことのあるシナリオ・ライターのエリック・マシュウィッツの変名)、作曲はジャック・ストレイチーとハリー・リンク。アメリカでもヒットしてスタンダードの仲間入りを果たした。ピンキーは最初からかなりメロディーを崩して歌い綴っていく。
E Qジズ・キャント・ビー・ラヴ
1938年にロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ボーイズ・フロム・シラキュース』で紹介された。ピンキーの軽妙な語り口がこの歌にピッタリだ。
F Rクール・サゼラック
ピンキーがロスに出て来る前、しばらくの間活動していたデンヴァーのドラマー、アンディ・アレラノの作品。なかなかにクールな歌だが、ピンキー以外のレコードはないようだ。サゼラックは1830年代にニューオリンズで発明されたカクテルで、ライ・ウィスキー、アブサン、ペイショーズ・ビターズ、シュガー、レモン皮といった構成だが、歴史も長くいろいろなバリエーションがある。
G Sハウ・アバウト・ユー?
ラルフ・フリードが作詞、バートン・レインが作曲した1941年の作品で、ミュージカル映画『ブロードウェイ』でジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーが歌って、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。ピンキーは第一コーラスでシナトラを引用するが、第二コーラスのファーリー・グランジャーはアメリカの二枚目俳優で、もっとも有名な作品はアルフレッド・ヒッチコックの監督作品『ロープ』(1948)。
Hザ・レイディ・イズ・ア・トランプ
これもロジャース&ハートの作品。1937年のブロードウェイ・ミュージカル『ベイブズ・イン・アームズ』でミッツィ・グリーンが紹介した。シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、リナ・ホーン、サミー・デイヴィス・ジュニアほか、この曲が得意なシンガーは多い。
I黄金の雨
1936年にジョニー・バークとアーサー・ジョンストンが共作して、ミュージカル映画『黄金の雨』でビング・クロスビーが歌って、アカデミー主題歌唱賞にノミネートされた。ピンキーの歌は自在にフェイクして小気味よい。
K風と共に去りぬ
1937年にハーブ・マジドソンが作詞、アリー・ルーベルが作曲したナンバーだが、マーガレット・ミッチェルの大河小説とは関係ない。ピンキーはミディアム・テンポで軽く歌っているが、ハスキー・ヴォイスで恋の儚さを強くアピールする。
Lザ・ニアネス・オブ・ユー
1940年にネッド・ワシントンが作詞、ホーギー・カーマイケルが作曲して、グレン・ミラー楽団のブルーバード盤がヒットした。多くのシンガーが取り上げているスタンダード中のスタンダード。ピアノはピンキー自身。
Mユー・ベター・ゴー・ナウ
1936年にビクリー・ライクナーが作詞、アーヴィン・グラハムが作曲して、レビュー『ニュー・フェイセズ・オブ・1936』で紹介されたトーチ・ソングで、ジェリ・サザンのデッカ盤が有名。アルバム『ピンキー』のためのリハーサル・セッションだが、ピンキーによれば「準備していた曲の中で一番弱い感じがしたので落とした」とか。

 



2010.4.15. 三具 保夫
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