『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ザ・デヴィル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー/ヘレン・フォレスト』

『ザ・デヴィル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー/ヘレン・フォレスト』 Between hte Devil and the Deep Blue Sea/
Helen Forrest
\2520 (XQAM-1052) 原盤: Reader's Digest
録音:1969〜72年 日本初リリース・ステレオ録音
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ビッグバンド時代の人気ナンバーワン女性歌手ヘレン・フォレストによる、ステレオのレア音源を発掘。8曲でハリー・ジェイムス楽団と共演。
 


1.Between the Devil and the Deep Blue Sea/ビトゥウィーン・ザ・デヴィル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー    >>試聴
2. As Long As He Needs Me/アズ・ロング・アズ・ヒー・ニーズ・ミー  >>試聴
3. I've Heard That Song Before/いつか聴いた歌  >>試聴
4. I Had the Craziest Dream/アイ・ハッド・ザ・クレイジエスト・ドリーム  >>試聴

5. I'm Beginning to See the Light/アイム・ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト  >>試聴

6. I Don't Want to Walk Without You/アイ・ドント・ウォント・トゥ・ウォーク・ウィズアウト・ユー  >>試聴
7. It Must Be Him/イット・マスト・ビー・ヒム  >>試聴
8. Call Me Irresponsible/コール・ミー・イレスポンシブル  >>試聴

9. More/モア  >>試聴

10. My Foolish Heart/マイ・フーリッシュ・ハート  >>試聴
11. My Funny Valentine/マイ・ファニー・ヴァレンタイン  >>試聴
12. I Concentrate on You/あなたに夢中  >>試聴
13. Speak Low/スピーク・ロウ  >>試聴
14. I'll Never Smile Again/アイル・ネヴァー・スマイル・アゲイ  >>試聴

 

 ビッグバンドから巣立って大成したシンガーならドリス・デイやペギー・リーの名が挙がるだろうが、ビッグバンド時代に限って百花繚乱の名花の中からトップ・シンガーをひとりだけ挙げよとなれば、3人の“ヘレン”のうちのひとり、ヘレン・フォレストということになろう。
 ヘレン・フォレストはアーティ・ショウ楽団に始まり、ベニー・グッドマン楽団、ハリー・ジェイムス楽団といった超人気・名門バンドで歌い、ミリオンセラーの「いつか聴いた歌」「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ウォーク・ウィズアウト・ユー」ほか多くのヒット曲を放ち、1942年度の『ダウンビート』誌、1942年度と43年度の『メトロノーム』誌の人気投票で女性バンド・シンガー部門の第1位に輝いた。特に1942年度の『ダウンビート』では2位に2.5倍の得票差をつける圧倒的な勝利だった。

ヘレン・フォレストの略歴

 1982年に発刊された自伝 “I Had the Craziest Dream” (Coward, McCann & Geoghegan, Inc.・絶版)を下敷きにヘレン・フォレストの略歴を紹介しよう。

 ヘレン・フォレストことヘレン・フォーゲル(Helen Fogel)は1917年4月12日にニュージャージー州アトランティック・シティに男子3人のあと末娘として生まれた。家庭的にも経済的にも厳しい少女時代を送ったが、ブルックリンに移ってから近所でピアノを習いはじめ、そのピアノ教師がヘレンの歌の才能を発見した。14歳のころ次兄のエドのバンドで歌ったことがきっかけとなり、高校を中退してマンハッタンで歌の仕事を求めるようになった。16歳のときあるミュージシャンから苗字がユダヤ的すぎると「フォレスト(Forrest)」という名前をつけてもらった。
 17歳のころから注目を集めるようになり、1936年兄のエドに誘われてワシントンDCで彼が参加しているバンドで歌う。1938年21歳のとき、楽団のジギー・エルマン(tp)の誘いで聞きに来たアーティ・ショウ(cl)に認められ、ビリー・ホリデイと入れ替わるように彼のバンドに入った。しかし、1939年11月にショウは突然バンドの解散を宣言したため、居場所を失ってしまう。   
 幸いにもこの年の12月にベニー・グッドマン楽団に入団できたが、多くの人が語っているように、BGバンドは音楽的には最高でも、BGの人間性にはついていけないところが多々あったようだ。我慢しきれず1941年8月に退団を告げると、残っていた1カ月の契約を果たすまで残るように云われ、後任のペギー・リーが歌う中、ずっとステージの椅子に座ったままだったという。
 BGから解放されると一番歌いたかったハリー・ジェイムス楽団のオーディションに合格して、その晩から歌い始めた。伝記では1941年11月となっているが、巻末のディスコグラフィーではジェームス楽団との初レコーディングは10月29日となっている。ジェームス・バンドに在籍中に女性バンド・シンガーの頂点へと昇りつめていくわけだが、同時に、ハリー・ジェイムスと熱い仲になっていく。ともに既婚だったことが結婚への障害となっていたが、1942年映画『ロッキーの春風』の撮影中にH・ジェイムスと主演のベティ・グレイブルとの間にロマンスが生まれ、ふたりが結婚したのを機に、1943年12月バンドを去った。
 その後はソロ・シンガーとして全米の一流クラブで歌い、ジェイムス楽団時代の相棒ディック・ヘイムズ(vo)とラジオやレコード(デッカ)で共演して高い人気を保持し、デッカのあとMGM、ベルなどに吹き込み、1956年には初のオリジナルLP『ヴォイス・オブ・ザ・ネイム・バンズ』(Capitol)を発表し、前年にはH・ジェイムス楽団の再演盤『ハリー・ジェイムス・イン・ハイ‐ファイ』(Capitol)に4曲ゲスト出演したが、その後レコーディングの機会は減少する。年齢的に難しい時期にさしかかったこと、ロックが音楽界を席巻したこと、昔からのファンを大切にしたいと自分のスタイルに合っていても新曲を積極的に歌ったり吹き込まなかったことなどが原因だった。
 それでも有能で献身的なマネージャーにふたり続いて恵まれたこともあって、ヘレンはずっとステージ活動を続け、H・ジェイムスとも1980年代に至るまでTVやステージで何度か共演した。自伝では、いきなり巻頭でH・ジェイムスとの私事にページを割き、「ハリー・ジェイムスは音楽的にも個人的にも魅力のある人で、私の心はとろけてしまった。私は3回結婚したけれど、ハリーとは結婚できなかった。でも、今も彼を想う気持ちに変わりはない」と告白している。人生でもっとも重要な出来事だったということだろう。
 1983年にハンク・ジョーンズ(p)やフランク・ウェス(ts, fl)らをバックにラスト・アルバム『ナウ・アンド・フォーエヴァー』(Stash)を発表し、1990年代初めに病気で引退するまで、多くのファンに囲まれていた。1999年7月11日、心臓疾患のためカリフォルニア州ウッドランド・ヒルズで亡くなり、2001年にビッグバンド&ジャズの殿堂入りした。享年82。

ヘレン・フォレスト中期の充実した録音

 本作は世界的な雑誌出版社だったリーダーズ・ダイジェスト社の通信販売用のレコードのために、1969年から1972年にかけてハリウッドとロンドンで行われたスタジオ録音で構成されているが、その存在を知っているファンはあまりいないだろう。ヘレンは当時50歳代前半で、歌手にとっては円熟期にあたる。声もよく伸び音域はかつてより広くなり、エモーションの面でもきわめて充実している。
 収録された14曲中、注目はまずハリー・ジェイムス楽団とのリユニオン8曲。うち4曲(B〜E)は楽団在籍時代のレパートリーだが、当時Dのレコードは残していない。また、ジェイムス楽団との他の4曲(A、F〜H)を始め、新旧とりまぜてヘレンにとって初録音の曲が多いことも聴きどころのひとつだ。

                          曲目解説

@ビトゥウィーン・ザ・デヴィル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー
1931年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、レビュー『リズメイニア』で紹介された。ハリー・ジェイムス楽団をバックに歌ったVディスクや空軍向けのラジオ・ショウの音源が私家盤でLP化された。

Aアズ・ロング・アズ・ヒー・ニーズ・ミー
ここからの8曲はジェイムス楽団の伴奏。1960年にライオネル・バートが作詞作曲して、ロンドンのステージ・ミュージカル『オリヴァー!』で紹介された。ヘレンとしては新しい曲だが、情緒綿々と歌う彼女のスタイルに実にマッチしている。

Bいつか聴いた歌
1942年にサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲してミュージカル映画『ユース・オン・パレード』(日本劇場未公開)で紹介され、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。ヘレンをフィーチャーしたジェイムス楽団のコロンビア盤がビルボード・チャートのトップに13週間立ちミリオンセラーに。『ハリー・ジェイムス・イン・ハイ‐ファイ』で再録音。

Cアイ・ハッド・ザ・クレイジエスト・ドリーム
これもジェイムス楽団時代のヒット曲(1942)。マック・ゴードンが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミュージカル映画『ロッキーの春風』でジェイムス楽団が演奏しヘレンはヴァースから歌った。このコンビによるコロンビア盤がビルボード・チャートのトップに立ち、ミリオンセラーとなっている。ビリー・メイの編曲で『ヴォイス・オブ・ネイム・バンズ』に再録音。

Dアイム・ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト
1944年ハリー・ジェイムス、デューク・エリントン、ジョニー・ホッジス、ドン・ジョージの共作となっているが、実質上の作者はよくわからない。ヘレンはH・ジェイムスの前述のキャピトル盤に吹き込んでいるし、ヘレンの曲と認識しているファンは多いが、ヒットさせたのはヘレンの後任キティ・カレン。H・ジェームスの粘っこいペットも聴きものだ。

Eアイ・ドント・ウォント・トゥ・ウォーク・ウィズアウト・ユー
ジェイムス楽団時代の大ヒット(1941)で、コロンビア盤がビルボード・チャートのトップに立った。1941年にフランク・レッサーが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、翌年のミュージカル映画『スウェター・ガール』(日本劇場未公開)で紹介された。『ヴォイス・オブ・ネイム・バンズ』で歌ったが、1958年ワーナーでも吹き込んだ。

Fイット・マスト・ビー・ヒム
モーリス・ヴィダランが作詞、ジルベール・ベコーが作曲したシャンソンで、マック・デイヴィッドが1966年に作詞して、翌年ヴィッキー・カーのリバティ盤がビルボード・チャートの3位につけた。

Gコール・ミー・イレスポンシブル
1962年にサミー・カーンが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲して、映画『パパは王様』に使われ、1963年度のアカデミー主題歌賞を受賞した。

Hモア 
ショッキングなドキュメンタリー映画として話題になった『世界残酷物語』(伊・1962)の主題歌としてリズ・オルトラーニとニーノ・オリヴィエロが作曲し、マルチェロ・チョルチョリーニがイタリア語の歌詞を書き、ノーマン・ニューウェルが書いた英詞版が米国での公開時に使用され、1963年度のアカデミー主題歌賞にノミネートされた。

Iマイ・フーリッシュ・ハート
スーザン・ヘイワード主演の同名の映画の主題歌で、1949年度のアカデミー主題歌賞にノミネートされた。作詞はネッド・ワシントン、作曲はヴィクター・ヤング。

Jマイ・ファニー・ヴァレンタイン
1937年のブロードウェイ・ミュージカル『ベイブズ・イン・アームズ』のために、ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲した。

Kあなたに夢中
1939年にコール・ポーターが作詞作曲して、フレッド・アステア、エリナー・パウエルが主演したミュージカル映画『踊るニュウ・ヨーク』(1940)で紹介された。

Lスピーク・ロウ
1943年にオグデン・ナッシュが作詞、クルト・ワイルが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス』で紹介され、映画化『ヴィナスの接吻』(1948)ではエヴァ・ガードナー(アイリーン・ウィルソンが吹き替え)とヘレンの親友ディック・ヘイムズが歌った。

Mアイル・ネヴァー・スマイル・アゲイン
1939年にルース・ロウが作詞作曲して、大ヒットしたトミー・ドーシー楽団のRCA盤では、フランク・シナトラがリード・ヴォーカル、バック・コーラスがジョー・スタッフォードを中心とするパイド・パイパーズだったが、ここではヘレンがシナトラのパートを歌っている。ヘレンは1960年代サム・ドナヒュー率いるドーシー楽団で歌ったことがあるが、そのときの男性ヴォーカルはフランク・シナトラ・ジュニアだった。

(2011.9.5. 三具 保夫)

パーソネル:ヘレン・フォレスト(vo)
        ハリー・ジェイムス楽団(2-9)

録音:    1969・1970年/ハリウッド
        1971・1972年/ロンドン

 



 

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