『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『キーリー&ベイシー』/キーリー・スミス&カウント・ベイシー楽団』6

『キーリー&ベイシー:
ア・ビューティフル・フレンドシップ』/
キーリー・スミス&カウント・ベイシー楽団

Keely & Basie: A Beautiful Friendship/
Keely Smith and
Count Basie & His Orchestra

\2,625 (XQAM-1056) 原盤: Pacific Delights
録音:1963年 日本初CD化
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独特の個性で人気のあったキーリー・スミスがカウント・ベイシー楽団をバックに歌った貴重なラジオ録音。ベイシー楽団もおなじみのナンバーを8曲演奏している。
 


1 .Introduction/イントロダクション    >>試聴
2. Gonna Build a Mountain/ゴナ・ビルド・ア・マウンテイン  >>試聴
3. Cherry Point/チェリー・ポイント  >>試聴

4. Fly Me to the Moon/フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン  >>試聴

5. Jumpin' at the Woodside (closer)/ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド(クローザー)  >>試聴

6. Young at Heart/ヤング・アット・ハート  >>試聴
7. Corner Pocket/コーナー・ポケット  >>試聴
8. Crazy, He Calls Me/クレージー・ヒー・コールズ・ミー  >>試聴

9. Whirly-Bird (closer)/ワーリー・バード(クローザー)  >>試聴

10. I Could Write a Book 〜 A Beautiful Friendship/
  アイ・クッド・ライト・ア・ブック 〜 ア・ビューティフル・フレンドシップ  >>試聴
11. The Touch of Your Lips/ザ・タッチ・オブ・ユア・リップス  >>試聴
12. Make Someone Happy/メク・サムワン・ハッピー  >>試聴
13. Why Not? (closer)/ホワイ・ナット?(クローザー)  >>試聴
14. Basically Blue/ベイシカリー・ブルー  >>試聴
15. My Heart Cries for You/マイ・ハート・クライズ・フォー・ユー  >>試聴
16. Make the Man Love Me/メイク・ザ・マン・ラヴ・ミー  >>試聴
17. One O'clock Jump (closer)/ワン・オクロック・ジャンプ(クローザー)  >>試聴

 

 ヴォーカリストやミュージシャンがレコード会社と専属契約を結んでいる場合、レコード会社の違うアーティストがレコードで共演することはかなりの困難を伴う。だが、ステージあるいはラジオやTVへの出演はレコード会社の縛りがないので、予想外の組み合わせが実現するし、こういったパフォーマンスを記録した録音や映像は歴史の証言者であり貴重な文化遺産である。
 今回の主役キーリー・スミスとカウント・ベイシー楽団は1960年代の一時期、ともにリプリーズ・レーベルと関係していたのでその気になればアルバムを制作できたはずだが、残念ながらコマーシャル録音はない。

キーリーとベイシーの共演

 キーリー・スミスは2002年にコンコード・レーベルから『キーリー・スウィングズ・ベイシー・スタイル』というアルバムを発表したが、ライナーで自身次のように書いている。
「私が出合った人たちの中で最高のひとりがカウント・ベイシーでした。私は彼をビルと呼んでいましたが、ビルとは何回か一緒に仕事をしました。最初は1963年ニューヨークのベイスン・ストリート・イーストのショウで、そのあとロスのアンバサダー・ホテルのココナツ・グローヴにも出ました。それから軍の放送用の録音もしました」。

 キーリー・スミスとカウント・ベイシー楽団の共演について、クリス・シェリダンが編纂した大著『Count Basie: A Bio-Discography』(米Greenwood)で見てみよう。

 1963年12月にニューヨークに戻ったベイシー楽団は19日から翌年1月8日までベイスン・ストリート・イーストでクリスマス&ニュー・イヤー・ショウに出演し、初日のステージがニューヨークのジャズ専門ラジオ局WNEW-FMからオンエアされた。放送されたのはベイシー楽団の演奏が6曲、そのあとベイシー楽団の伴奏でキーリーの歌が10曲である。
 このステージが素晴らしかったので、WNEW局は別の日にキーリーとベイシー楽団をスタジオに招いてNational Guardのリクルート番組のための録音を行った。収録曲は4本の15分番組(#53〜#56)として16インチLPの両面に刻まれ、翌年2月に放送された。1本ごとにまずホストのマーティン・ブロックとキーリーとベイシーの短いやりとりがあり、ベイシー楽団をバックにキーリーの歌が2曲、ベイシー楽団の演奏が2曲の計4曲が続く。放送時間の関係で、最後の曲は途中で番組終了を告げるブロックの声が入り、演奏もしばらくしてフェイドアウトされて行く。本作『キーリー・アンド・ベイシー:ア・ビューティフル・フレンドシップ』はそのときの録音を音源としているが、毎回冒頭に出てくる3人のやりとりをすべて入れる意味はないという判断から#53の1トラックのみとした。
 クリス・シェリダンの著書には、このときのセッションでキーリーはさらに「レット・ミー・コール・ユー・スウィート・ハート」「ビル」「ウォント・ユー・カム・ホーム・ビル・ベイリー」の3曲を録音して1964年7月に放送されたとあるが、ディスクによる確認はできなかった。
 また、このバイオ・ディスコグラフィーにはキーリーが言っているココナツ・グローヴでのライヴについての記載はない。

キーリー・スミスの略歴

 ドロシー・ジャクリーン・キーリーは1932年3月9日にヴァージニア州ノーフォークでアイリッシュ系の白人とチェロキー・インディアンの混血として生まれた。
 14歳のときに地元の海軍基地のラジオ局で歌い始め、1948年にルイ・プリマ(vo, tp)の楽団に加わり、49年にプリマとデュオ・レコードを吹き込み、53年に結婚。ラスヴェガスのサハラ・ホテルに定期出演して大いに注目され、キャピトル・レコードと契約した。57年のデビュー・ソロ・アルバムのタイトル曲「残されし恋には(アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ)」はグラミー賞にノミネートされ、プリマとデュエットで歌った「ザット・オールド・ブラック・マジック」は受賞した。
 1959年プリマとドットへ移籍するが、61年に離婚。キーリーはそのあと親友のフランク・シナトラが主宰するリプリーズへ移籍し、そこでプロデューサーのジミー・ボウエンと知り合い65年に結婚し子育てのため引退したが、64年には駐留軍の慰問で来日している。
 1985年ファンタジーからアルバム『アイム・イン・ラヴ・アゲイン』をリリースしてカンバックし、2000年からはコンコードで作品を発表してきた。現在はパームスプリングスに住み、今も時々ステージに立っている。

カウント・ベイシーの略歴

 ウィリアム・ベイシーは1904年8月21日ニュージャージー州レッドバンクに生まれた。ミズーリ州カンサスシティでチャンスを掴み、29年ベニー・モーテン楽団に入り、35年モーテンが死ぬと楽団を引き継いだ。36年末シカゴ経由でニューヨークに入りこの地を活動の拠点に定めて、レスター・ヤング(ts)を始めバック・クレイトン(tp)、ハリー・スウィーツ・エディソン(tp)、フレディ・グリーン(g)、ジョー・ジョーンズ(ds)、ジミー・ラッシング(vo)ほか錚々たるメンバーを擁して人気バンドとしての地固めを行った。37年にデッカ・レコードで吹き込みを始め、「ワン・オクロック・ジャンプ」「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」などの代表曲を吹き込んでいる。
 第二次大戦後、音楽界の地殻変動によりバンドの解散を余儀なくされたが、1951年に楽団を再結成してフランク・フォスター(ts)、サド・ジョーンズ(tp)ら若い世代のミュージシャンやニール・ヘフティ、クインシー・ジョーンズ、ジョニー・マンデルといった気鋭のアレンジャーを起用し、ヴァーヴやルーレットから秀作を連発して“ニュー・ベイシー”時代を拓いた。また、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、トニー・ベネット、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンら一流シンガーからも引く手数多で、最後までビッグバンドのトップ・リーダーとして君臨した。
 1984年4月26日フロリダ州の自宅で亡くなったが、楽団はその後、サド・ジョーンズやフランク・フォスター、グローヴァー・ミッチェルほかOB達に引き継がれて今日に至っている。

曲目解説

@イントロダクション
この番組のホスト、マーティン・ブロックに紹介されてキーリー・スミスが番組のテーマを歌い、カウント・ベイシーも交えて短いトークとなる。

Aゴナ・ビルド・ア・マウンテン
1961年にレスリー・ブリッカスとアンソニー・ニューリーが共作してロンドンでヒットし、1962年にニューヨークで上演されたステージ・ミュージカル『ストップ・ザ・ワールド――アイ・ウォント・トゥ・ゲット・オフ』で紹介された。このミュージカルからは「愚かな私(ホワット・カインド・オブ・フール・アム・アイ?)」が有名だ。

Bチェリー・ポイント
作曲そして編曲は“ニュー・ベイシー”の貢献者ニール・ヘフティ。初レコーディングは1953年12月12日で、アルバム『ダンス・セッション』(クレフ)に収録。

Cフライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
1954年にバート・ハワードが作詞作曲した。当時は「イン・アザー・ワーズ」というタイトルだったが、その後現在のものに変更された。キーリーはC・ベイシー(p)、フレディ・グリーン(g)、バディ・カトレット(b)、ソニー・ペイン(ds)の伴奏でしっとりと歌う。

Dジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド
カウント・ベイシーが作曲したジャンプ・ナンバー。初レコーディングは1938年8月22日のデッカ盤。ソロはドン・レイダー(tp)とフランク・フォスター(ts)。

Eヤング・アット・ハート
スタン・ケントン楽団のアレンジャーだったジョニー・リチャーズが1939年に書いたメロディーに、1954年キャロリン・リーが歌詞をつけた。フランク・シナトラのキャピトル盤がビルボード・チャートの2位まで上昇するヒットとなり、シナトラとドリス・デイの主演で同名映画が制作された。

Fコーナー・ポケット
カウント・ベイシー楽団のリズムの要、フレディ・グリーン(g)が作曲した人気ナンバー。のちに歌詞がついて「アンティル・アイ・メット・ユー」となり、トニー・ベネットらが歌っている。ベイシー楽団の初演は1955年7月26日で、アルバム『パリの四月』(ヴァーヴ)に収録。ソロはD・レイダー(tp)とフランク・ウェス(ts)。

Gクレージー、ヒー・コールズ・ミー
 1949年にボブ・ラッセルが作詞、カール・シグマンが作曲した。ビリー・ホリデイのデッカ盤が名高いが、キーリーは彼女独特のセンスとフレージングで歌っている。

Hワーリー・バード
ニール・ヘフティが1956年に作り、ベイシー楽団の録音(1957年10月21日)が名盤『アトミック・ベイシー』(ルーレット)に収録された。ソロはC・ベイシー(p)、B・カトレット(b)、F・フォスター(ts)。

Iアイ・クッド・ライト・ア・ブック ア・ビューティフル・フレンドシップ
前者は1940年にロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『パル・ジョーイ』で紹介された。後者は1956年にスタンリー・H・スタインが作詞、著名な作詞家ガス・カーンの息子ドナルド・カーンが作曲した。

Jザ・タッチ・オブ・ユア・リップス
1936年にイギリスのバンド・リーダー、レイ・ノーブルが作詞作曲したスタンダード。ベイシー楽団は1962年7月25日に録音し、アルバム『バック・ウィズ・ベイシー』(ルーレット)に収録された。ソロはマーシャル・ロイヤル(as)。

Kメイク・サムワン・ハッピー
1960年にアドルフ・グリーンとベティ・カムデンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ド・レ・ミ』で紹介された。キーリーのバックはC・ベイシー(p)率いるカルテット。

Lホワイ・ナット?
これもニール・ヘフティの作品。初レコーディングは1952年1月17日で、アルバム『ザ・カウント』(クレフ)に収録。ソロはアル・アーロンズ(tp)とF・ウェス(fl)。

Mベイシカリー・ブルー
この曲は放送局専門にレコードを提供していたSesacやこのNational Guardぐらいしか録音はなく、コマーシャル録音は行われなかったようだ。作者はマクガイアとジョーンズとクレジットされているが、マクガイアのフルネームは不明。もうひとりはベイシー楽団のトランペッターだったサド・ジョーンズだろう。ソロはC・ベイシー(p)、M・ロイヤル(cl)、B・カトレット(b)。

Nマイ・ハート・クライズ・フォー・ユー
1950年にカール・シグマンとパーシー・フェイスが作詞作曲したバラードで、「マリー・アントワネットの歌」が元歌。ミッチ・ミラー楽団の伴奏で歌ったガイ・ミッチェルのコロンビア盤がビルボード・チャートの2位にランクされミリオンセラーになった。

Oメイク・ザ・マイ・ラヴ・ミー
1951年にドロシー・フィールズが作詞、アーサー・シュワルツが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ア・トゥリー・グロウズ・イン・ブルックリン』で紹介された。バックはピアノ、ベース、ドラムスのトリオ。

Pワン・オクロック・ジャンプ
これもベイシー楽団の当たり曲で、ベイシーの作曲。初演レコードは1937年7月7日のデッカ盤。ソロはC・ベイシー(p)、エリック・ディクソン(ts)、ビル・ヒューズ(tb)。
                                                  (2012.5.2. 三具 保夫)

Personnel:
Keely Smith (vo on 2, 4, 6, 8, 10, 12, 15, 16)
Count Basie & His Orchestra:
  Al Aarons, George ‘Sonny’ Cohn, Don Rader. Fortunatus ‘Fip’ Ricard (tp);
    Henry Coker, Bill Hughes, Grover Mitchell (tb); Marshal Royal (cl/as);
    Frank Wess (fl/as/ts); Eric Dixon (fl/ts); Frank Foster (ts); Charlie Fowlkes (bs);
    William ‘Count’ Basie (p); Freddie Green (g); George ‘Buddy’ Catlett (b);
    Percival ‘Sonny’ Payne (ds)
  (on 4, 12: Basie, Green, Catlett and Payne only)
    (on 16: Basie, Catlett and Payne only)

Recording Data:
    December 1963, WNEW Studio A in NYC



 

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