『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『レイン・サムタイムズ(完全盤)』/ピンキー・ウィンターズ

『レイン・サムタイムズ(完全盤)』/
ピンキー・ウィンターズ
Rain Sometimes (complete)/
Pinky Winters
\2520 (XQAM-1062) 原盤: Cellar Door
録音:2001年 世界初の完全盤・未発表1曲
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ピンキー・ウィンターズが日本でブームとなるきっかけとなった2001年の名盤が、オリジナル・アルバムの14曲+3曲の完全盤で大復活。
 


1. Let's Take the Long Way Home/レッツ・テイク・ザ・ロング・ウェイ・ホーム>>試聴
2. My Melancholy Baby/マイ・メランコリー・ベイビー>>試聴
3. Where Have You Been?/ホエア・ハヴ・ユー・ビーン?>>試聴
4. He's My Guy/ヒーズ・マイ・ガイ>>試聴

5. Why Can't I?/ホワイ・キャント・アイ?>>試聴

6. I Only Want Some/アイ・オンリー・ウォント・サム>>試聴
7. Rain Sometimes/レイン・サムタイムズ>>試聴
8. Little Did I Dream/リトル・ディド・アイ・ドリーム>>試聴

9. There's No Such Thing as Love/ゼアズ・ノー・サッチ・シング・アズ・ラヴ>>試聴

10. Sweet William/スウィート・ウィリアム>>試聴
11. Early to Bed/アーリー・トゥ・ベッド>>試聴
12. No More/ノー・モア>>試聴
13. Here I Am in Love Again/ヒア・アイ・アム・イン・ラヴ・アゲイン>>試聴
14. Put Your Dreams Away/夢をふりすて>>試聴
15. The Lamp Is Low/ザ・ランプ・イズ・ロウ>>試聴
16. You Are for Loving/ユー・アー・フォー・ラヴィング>>試聴
17. It Must Be Fun to Be You/イット・マスト・ビー・ファン・トゥ・ビー・ユー>>試聴

 

                     ピンキー、3度の転機

 ピンキー・ウィンターズの長いキャリアには3つのエポックがあった。まずは1954年の初録音。インディアナ州ミシガン・シティーの高校を卒業後しばらくしてコロラド州のデンヴァーに行きプロとして歌い始め、1953年にロスに進出した。その翌年に行われたのが10インチLPの『ピンキー』(ヴァンテージ)である。無名ヴォーカリストによるマイナー・レーベルへの吹き込みではあまり売れなかっただろう。その稀少価値と初々しい歌いぶりに、いまでは新品同様のオリジナルLPに10万円近い値段がつくという。ときおりサラ・ヴォーンの影響が感じられるが、まだ20歳代前半にもかかわらず新人ばなれした落ち着いた歌いぶりは高く評価できる。2作目の『ロンリー・ワン』(1958年)は、『ピンキー』を聴いたベニー・グッドマンの弟がほれ込んでアーゴ・レーベルをたきつけたことで実現した。ここまでは順調に推移したが、デンヴァー時代に出会い結婚したベーシストのジム・ウルフとの間に長女が生まれ家事と育児のため引退した。アーゴの誘いを受けてアルバムの全米キャンペーンをしていたら、自分のキャリアはずいぶん違っていただろうと、後年ピンキーは語っている。
 第二の転機は1980年のステージ復帰である。ウルフと離婚したあと、サックス・プレイヤーのボブ・ハーダウェイ(ベツレヘムにリーダー・アルバムがある)と結婚して次女をもうけるが、サックスのラニー・モーガンの勧めでカンバック。そのときのピアニストがルー・レヴィーで、1980年にハーダウェイと離婚し、ふたりは1982年から1990年にレヴィーが亡くなるまで公私にわたるパートナーとして支えあった。ピンキーの復帰をレコードの上で記したのがレヴィーとの濃厚なコラボレーションによる1985年の『レッツ・ビー・バディーズ』(ジャクリーン)で、その後2枚のアルバムを発表したが、日本盤も出たのは仏ヴァーヴが制作した『ハッピー・マドネス』だけで、このアルバムも契約上の問題で短期間のうちに市場から消えてしまった。日本で多くのファンにしっかりと認識されるには日本盤が不可欠である。
 第三の転機は2005年。『レイン・サムタイムズ』(2001年録音・Cellar Door)が日本盤でリリースされ、わが国におけるピンキーのアルバム・ラッシュはここから始まる。米オリジナル・アルバムにNを加えて2005年12月にリリースされその完成度の高さで評判をよんだ。1983年にワシントンDCで歌ったテープが半年後の2006年2月に『いそしぎ』(Cellar Door)として、同じ日の第二部のステージが同年12月に『スピーク・ロウ』(同)としてリリースされた。『スピーク・ロウ』がリリースされたまさにその日(12月6日)にピンキーは初めて日本を訪れ、9日から日本公演がスタートした。 “幻のシンガー”ピンキー・ウィンターズは“幻”の形容詞を返上した。

リチャード・ロドニー・ベネットについて

 1936年3月29日英国ケント州に生まれ、1979年以降はニューヨークに住み、2012年12月24日クリスマス・イヴにニューヨークで亡くなった作曲家、ピアニスト。
 英王立音楽アカデミーのあとピーター・ブーレーズに師事して現代音楽を学び、生涯に200曲以上の演奏会用の作品やオペラ作品を書いた。映画音楽やジャズにも興味を示し、『遥か群集を離れて』(1967)、『ニコライとアレクサンドラ』(1971)、『オリエント急行殺人事件』(1974)でアカデミー作曲賞にノミネートされた。後者は英アカデミー作曲賞を受賞している。弾き語りをふくめジャズ・ピアニストとしても活躍し、ピンキーだけでなくクレオ・レーンやクレア・マーティンから伴奏者として高い信頼を得た。クラシックだが、「スタン・ゲッツのための協奏曲」という作品もある。
 1998年ナイトに叙せられ「サー」の称号を与えられた。

曲目解説

@レッツ・テイク・ザ・ロング・ウェイ・ホーム
ジョニー・マーサーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、映画『ヒア・カム・ザ・ウェイヴズ』(1944・日本劇場未公開)でビング・クロスビーとベティ・ハットンが歌った。音密度の濃いドロニー・ベネットのピアノを受けて、ピンキーは絶妙な乗りとニュアンスでスウィングしていく。このアルバムでのふたりの関係は、ピンキー・ウィズ・ロドニー・ベネットではなく、ピンキー・アンド・ロドニー・ベネットである。
Aマイ・メランコリー・ベイビー
1912年にジョージ・A・ノートンとメイベル・E・ワトソンが作詞、アーニー・バーネットが作曲した。ピンキーはヴァースから歌いだしコーラスのあとヴァースの後半に続ける。ほかのシンガーたちもみなゆったりしたテンポで歌うが、これだけ丁寧に歌えるシンガーは稀だ。
Bホエア・ハヴ・ユー・ビーン?
コール・ポーターの作品。1930年のブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ニューヨーカーズ』で紹介された。ロドニー・ベネットはコーラスに入ってイン・テンポでピンキーと対等の立場で奏でるが、応えるピンキーのうきうきするスウィング感がいい。
Cヒーズ・マイ・ガイ
ドン・レイとジーン・デ・ポール1942年の共作で、ハリー・ジェイムス楽団をバックに歌ったヘレン・フォレストの歌(コロンビア)で有名になった。思い入れたっぷりに歌うフォレストに対し、ピンキーは知的にコントロールされた表現をみせる。
Dホワイ・キャント・アイ?
ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、1929年のブロードウェイ・ミュージカル『スプリング・イズ・ヒア』で紹介された。ピンキーの抑え気味のなかにも深いエモーションを湛えた歌いぶりが心にしみる。
Eアイ・オンリー・ウォント・サム
初期のプレスリーのヒット曲を書いたことで知られるジェリー・リーバー(作詞)とマイク・ストーラー(作曲)による作品だが、「ハウンド・ドッグ」や「監獄ロック」とは違い、品格のある作品になっている。ピンキーはコミカルな感じや皮肉っぽい口調も交えながらスマートに歌っていく。
Fレイン・サムタイムズ
雨をモチーフにした失恋のバラードには叙情的な曲が多いが、この歌も同様。「クライ・ミー・ア・リヴァー」の作者アーサー・ハミルトンの作品で、この歌をタイトル曲にもってきただけあってピンキーは素晴らしい出来栄えをみせる。最初の録音は1966年のナンシー・ウィルソン(キャピトル)。ほかにマット・モンロー(キャピトル)やペギー・リー(DRG)などあるが、もっと歌われていい。
Gリトル・ディッド・アイ・ドリーム
ピンキーの親友のジョニー・マンデルが1950年に書いてスタン・ゲッツがルーストにレコーディングしたメロディー「ハーシー・バー」に、デイヴ・フリシュバーグが歌詞をつけて2002年に出版された。ピンキー以外に、フリシュバーグの自演盤(アーバーズ)やトニー・ベネットのソニー盤などがある。
Hゼアズ・ノー・サッチ・シング・アズ・ラヴ
アンソニー・ニューリーとイアン・フレイザーによる共同作品で、出版は1971年。カーメン・マクレイや、最近ではキャロル・ウェルスマンも歌っている。フレージング、ディクションに優れたシンガー向けの曲で、ピンキーの語り口のうまさがよくわかる。
Iスウィート・ウィリアム
“スウィート・ウィリアム”はアメリカなでしこ、あるいは美女なでしこ、“リリー・オブ・ザ・ヴァリー”はすずらんのこと。1952年にジョー・シャーマンとシド・ウェインが作った。クリス・コナーやアン・バートンも歌っている。
Jアーリー・トゥ・ベッド
フランクリン・ローズヴェルト・アンダーウッドが作詞、リチャード・ロドニー・ベネットが作曲した。ピンキーの自然に湧き出てくるスウィング感と歌うがごときロドニー・ベネットの絡み具合が見事だ。
Kノー・モア
1944年にボブ・ラッセルが作詞、サルヴァトーレ・トゥッティ・カマラータが作曲した。歌うというよりドラマのワン・シーンのような作品。ビリー・ホリデイやカーメン・マクレイ、ジューン・クリスティらのレコードもあるが、相当の実力がないと歌いこなせない。
Lヒア・アイ・アム・イン・ラヴ・アゲイン
チャールズ・F・スウィーニー・ジュニアが作詞、ジャズ・ピアニストのビル・チャーラップの父親ムース・チャーラップが作曲した。カークとマイケルのダグラス父子が出演した映画『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』(2003)の中で、バディ・グレコが歌っていた。この映画は劇場未公開だが『グルムバーグ家の人々』としてDVD化されている。
M夢をふりすて
1942年にルース・ロウが作詞、ステファン・ワイスとポール・マンが作曲したロマンティックなバラードで、フランク・シナトラが1940年代のラジオ・ショウや1960年代のTVショウのエンディングで歌った。シナトラ・フリークのピンキーもふくよかで暖かみにあふれる歌を展開する。
Nザ・ランプ・イズ・ロウ(ボーナス・トラック)
1899年にフランスのモーリス・ラヴェルが作ったピアノ曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」をもとに、ピーター・デ・ローズとバート・シェフターがメロディーを書き、ミッチェル・パリッシュが歌詞をつけて、1939年に出版された。
Oユー・アー・フォー・ラヴィング(ボーナス・トラック)
1944年のミュージカル映画『若草の頃』のブロードウェイ化『ミート・ミー・イン・セントルイス』(1960)のために、ラルフ・ブレインとヒュー・マーティンが共作し、『ベスト・フット・フォーワード』のオフ・ブロードウェイでのリヴァイヴァル上演(1963)にも使われた。
Pイット・マスト・ビー・ファン・トゥ・ビー・ユー (未発表)
コール・ポーターが1944年のブロードウェイ・ミュージカル『メキシカン・ヘイライド』のために書いたが、カットされた。ロドニー・ベネットの伴奏で歌ったジョイス・ブリーチのレコードがオーディオフィルにあるが、コラボレーションの緊密度でピンキー盤に軍配があがる。
                                                (2013年3月2日 三具 保夫)

パーソネル:
     ピンキー・ウィンターズ(vo)
     リチャード・ロドニー・ベネット(p)
     ボブ・メイズ(b on 1, 3, 6, 7)

録音: 2001年9月5・6・7日/ハリウッド

初出:
  @〜M 『レイン・サムタイムズ』(米Cellar Door・2001年)
  N    『レイン・サムタイムズ+1』(日SSJ YKCJ-305・2005年)
  O    『シンギン・スウィンギン・ジャジン・SSJ』(日SSJ XQAM-1901・2009年)
  P    『レイン・サムタイムズ 完全盤』(日SSJ XQAM-1062・2013年)



 

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