『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『イマジネーション』/ルーシー・アン・ポーク

『イマジネーション』/
ルーシー・アン・ポーク
Imagination/
Lucy Ann Polk
\2100 (XQAM-1064) 原盤: Pacific Delights
録音:1949-1957年 世界初登場6曲・日本初登場2曲
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コアなヴォーカル・ファンの間で絶大な人気のルーシー・アン・ポークだが、リーダー・アルバムは2枚しか残さなかった。ゆえに、このラジオ音源集はファンには絶対に見逃せない。
 


1. Rock Me To Sleep/ロック・ミー・トゥ・スリープ>>試聴
2. Where Are You?/ホエア・アー・ユー?>>試聴
3. Them There Eyes/ゼム・ゼア・アイズ>>試聴
4. Black Coffee/ブラック・コーヒー>>試聴
5. Pretty Baby/プリティ・ベイビー>>試聴
6. Back in Your Own Backyard/バック・イン・ユア・バックヤード>>試聴
7. Nice Work If You Can Get It/ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット>>試聴
8. Moon Song/ムーン・ソング>>試聴
9. Just When We're Falling in Love/ジャスト・ホエン・ウィアー・フォーリング・イン・ラヴ (ロビンズ・ネスト)  >>試聴
10. Imagination/イマジネーション>>試聴
11. When the Sun Comes Out/ホエン・ザ・サン・カムズ・アウト>>試聴
12. Easy Living/イージー・リヴィング>>試聴
13. Memphis in June/メンフィス・イン・ジューン>>試聴
14. Wrap Your Troubles in Dreams/苦しみを夢にかくして>>試聴

 
遅れてきたビッグバンドの名花、ルーシー・アン・ポーク

 ルーシー・アン・ポークは過小評価されてきたシンガーのひとりである。ルーシー・アンがボブ・シャーウッドに見出されて本格的なシンガー活動を始めたのが1942年。そしてキャリアのピークはレス・ブラウン楽団にいた1949年から53年だが、この時期ビッグバンドはすでに全盛期を過ぎていた。ビッグバンドの添え物的に始まったシンガーとバンドの力関係はすでに逆転しており、歌手がビッグバンドをしたがえて歌う時代になっていたのだ。ゆえに、ルーシー・アンが1951年から4年連続で『ダウンビート』誌主宰の人気投票で女性ビッグバンド部門のトップに立っても、『メトロノーム』誌主宰の全女性歌手を対象にした人気投票では、例えば1951年は8位でしかなかった。

 
 1942年ビッグバンド・シンガーの頂点にいたフランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団を辞めて独立し、彼のこの行動がシンガー時代を拓いた。ルーシー・アンも1953年に独立してソロで歌うようになったが、それはシナトラのように強烈な音楽的自我というより、ツアーを止めて定住したかったからだ。結果、多くの女性シンガーがそうであったようにしばらくすると家庭に入ってしまった。

ルーシー・アン・ポークの経歴

 ルーシー・アン・ポークは1927年5月16日にアイダホ州サンドポイントの農家に生まれ、出生後間もなく一家はワシントン州スポーケンに移った。兄のゴードン(1923年生まれ)、ヴァーノン(1926年生まれ)、姉のエルヴァ(1925年生まれ)とコーラス・カルテットのフォー・ポークスを結成して、地元のラジオ局で歌い始めた。ヴォーカルのほかにヴァーノンはギター、ゴードンはベース、ルーシー・アンはヴァイブを演奏した。
 1930年代後半に彼らはロサンゼルスに進出し1942年ボブ・シャーウッド楽団と共演したが、グループとしての初レコーディングを行ったという説と正式なスタジオ録音でははくラジオ放送という説がある。そのころまでにボベッツ(Bobbettes)とコーラス名を変えていたが、さらにタウン・クライアーズ(Town Criers)と改めた。グループは1942−1944年レス・ブラウン楽団、1944年ライオネル・ハンプトン楽団、1944−1946年ケイ・カイサー楽団で歌い、1945年ルーシー・アンはケイ・カイサー楽団で初のソロ・レコーディングをおこなった。
 1947年トミー・ドーシーは楽団を再結成するとタウン・クライアーズに声をかけ、ルーシー・アンとゴードンのヴォーカルをフィーチャーしたことで、グループのモダンなハーモニーは注目を集めるようになった。
 1948年姉のエルヴァがレス・ブラウン楽団のディック・シャナハン(ds)と結婚することになりグループは解散。ゴードンはトミー・ドーシー楽団にとどまり、後にハリー・ジェイムス楽団に移ってヴォーカリストとして活躍した。ヴァーノンはコーラス・グループのモダネアーズに参加し、その後ギタリストとして評価を高めた。
 ルーシー・アンはトミー・ドーシー楽団で歌い続け、のトロンボーン奏者ディック・ノエルと結婚。1949年レス・ブラウン楽団に迎えられた。
ルーシー・アンはベティ・テイラーをはさんで、レス・ブラウン楽団最大のスター・シンガー、ドリス・デイの後輩である。バラードを歌うときのルーシー・アンの可憐さや丁寧なフレージングはDDに通じるが、向日葵のように明るいDDに対し微かに陰りがありDDよりリラックスしたアプローチをみせる。スウィンギーな曲の場合、1957年のモード盤ではフレーズの角がとれ丸みを帯びるが、トレンド盤までは器楽的な要素が強く、ジューン・クリスティを思わせる。 DDの特徴のひとつはビブラートのニュアンスづけへの執拗なまでのこだわりだが、クリスティのビブラートはきわめて抑制的だしルーシー・アンはノン・ビブラートだ。感情の出しかたもクリスティに似て素っ気ないと思えるほどクール、つまりDDよりモダンだった。 


ルーシー・アン・ポークのレコード

ルーシー・アン・ポークのバンド・シンガー時代のレコードは以下の通りだ。
ケイ・カイサー楽団時代:コロンビア(1945−1946)
トミー・ドーシー楽団時代:ヴィクター(1947−1949)
レス・ブラウン楽団時代:コロンビア(1949−1950)/コーラル(1951−1952)
With ジェリー・フィールディング楽団:ブルーバード(1949)
With スキップ・マーティン楽団:ブルーバード(1950)

 一方、独立後のリーダー・アルバムは2枚しかない。
 『ルーシー・アン・ポーク・ウィズ・ザ・デイヴ・ペル・オクテット』(1953・トレンド)はジミー・ヴァン・ヒューゼン(曲)とジョニー・バーク(詞)の作品ばかり8曲歌った10インチ盤で、1954年にリリースされた。8曲とはいえ1950年代の早い時期にジミー・ヴァン・ヒューゼンの作品集を発表したのは画期的だ。レス・ブラウン時代の朋友デイヴ・ペル(ts)がリーダーをつとめ同楽団の旧知のミュージシャンが何人か参加している。1956年にこのアルバムからの4曲にデイヴ・ペルのグループによる演奏8曲を組み合わせた12インチLP『ルーシー・アン・ポーク・ウィズ・デイヴ・ペル・オクテット』がキャップから再発された。
 2枚目が12インチの『ラッキー・ルーシー・アン』(1957・モード)で、マーティ・ペイチ(p)をリーダーとするセクステットの伴奏。トレンド盤から4年、ルーシー・アンの歌唱力は格段の進歩をみせており、これがラスト・アルバムとは残念至極。1959年にインタールード・レーベルから『イージー・リヴィング』のタイトルで再発された。
 シングル盤は、1958年に夫君のディック・ノエルのオーケストラと吹き込んだ2曲(スターライト)と、ジェリー・フィールディング・オーケストラとの1曲(デッカ)がある。

その後はシーンから遠ざかり、たまに何かの機会に歌うこともあったが、2011年10月10日ロス郊外のグレンデイルで亡くなった。



曲目解説

@ロック・ミー・トゥ・スリープ
アルト奏者のベニー・カーターが書いたメロディーにポール・ヴァンダーフォート二世が歌詞をつけた。1950年の出版。ジューン・クリスティとの共通性を強く感じさせる。クリスティのレコードは『ジューンズ・ガット・リズム』(1958・キャピトル)にある。ルーシー・アンはレス・ブラウン楽団とコロンビアに吹き込んでいる(1950)。

Aホエア・アー・ユー?
1936年にハロルド・アダムソンが作詞、ジミー・マクヒューが作曲して、ミュージカル映画『トップ・オブ・ザ・タウン』(1937・日本未公開)でガートルード・ニーセンが紹介した。編曲はフランク・カムストック。

Bゼム・ゼア・アイズ
黒人のメイシーオ・ピンカードが作った曲に、白人のウィリアム・トレイシーとドリス・トーバーが加わって歌詞を完成させ、1930年に出版された。スタッカート風にスウィングする曲で、ジャズ歌手といわれる人はみな歌っている。編曲はスキップ・マーティン。

C
ブラック・コーヒー
1948年にポール・フランシス・ウェブスターとソニー・バークが共作した失恋のバラード。1949年にサラ・ヴォーンのコロンビア盤がチャートインしたが、ペギー・リーのデッカ盤が有名だ。

D
プリティ・ベイビー
1916年にガス・カーンが作詞、トニー・ジャクソンとエグバート・ヴァン・アルスタインが作曲した。ディーン・マーティンの名唱(キャピトル)があるように男性向けの歌詞だが、女性でも成立するのでドリス・デイのレコードもある(1947・コロンビア)。

E
バック・イン・ユア・オウン・バックヤード
アル・ジョルスン、ビリー・ローズ、デイヴ・ドライヤーよる1928年の歌。ジョルスンの伝記映画『ジョルスン再び歌う』(1949)で歌われ、ジョルスン役のラリー・パークスをジョルスン自身が吹き替え。ルーシー・アンはレス・ブラウン楽団とコーラルに吹き込んでいる(1952)。

F
ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット
アイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、ミュージカル映画『踊る騎士』(1937)のラスト・シーンでフレッド・アステアが歌った。                                                                                              
Gムーン・ソング
1932年にサム・コスロウが作詞、アーサー・ジョンストンが作曲して、ミュージカル映画『ハロー、エヴリバディ!』(1933・日本未公開)で主役のケイト・スミスが歌った。

H
ジャスト・ホエン・ウィアー・フォリング・イン・ラヴ
ディスク・ジョッキーのフレッド・ロビンズに捧げた器楽曲「ロビンズ・ネスト」に、1951年ボブ・ラッセルが歌詞を書いた。「ロビンズ・ネスト」はジャズ・ピアニストのサー・チャールス・トンプソンとテナーのイリノイ・ジャケーの作と登録されているが、書いたのはサー・チャールス。当時のボスのジャケーが割り込んできたようだ。ルーシー・アンはレス・ブラウン楽団とコーラルに吹き込んでいる(1952)。

I
イマジネーション
1940年にジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲して、フレッド・ウェアリング&ヒズ・ペンシルヴェイニアンズが紹介した。レイ・エバールをフィーチャーしたグレン・ミラー楽団のブルーバード盤やエラ・フィッツジェラルドのデッカ盤がヒットした。

J
ホエン・ザ・サン・カムズ・アウト
1941年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、ジミー・ドーシー楽団のデッカ盤がヒットした。

K
イージー・リヴィング
1937年にレオ・ロビンが作詞、ラルフ・レインジャーが作曲して、同名の映画(邦題『街は春風』・1937)に使われた。ビリー・ホリデイの歌がフィーチャーされるテディ・ウィルソン(p)のブランズウィック盤(1937)が素晴らしい。

L
メンフィス・イン・ジューン
1945年にポール・フランシス・ウェブスターが作詞、ホーギー・カーマイケルが作曲して、カーマイケル自身が映画『クインシー号の謎』(1945・日本ではビデオのみのリリース)で紹介した。メンフィスのあるテネシー州は、カーマイケルのもうひとつの傑作「我が心のジョージア」のジョージア州の北隣。

M
苦しみを夢にかくして
1931年にテッド・コーラーとビリー・モールが作詞、ハリー・バリス作曲した。最初に歌ったのはビング・クロスビー。


(2013.7.1. 三具 保夫)

パーソネル/放送時期・収録場所/番組:
@〜M ルーシー・アン・ポーク(vo)
@〜E レス・ブラウン楽団
1949−1953年/ラジオ番組
F〜H ボブ・クロスビー・アンド・ヒズ・オールスターズ:チャーリー・ティーガーデン、レイ・リン、ズィーキー・ザーキー(以上tp)、モー・シュナイダー、ジャック・ティーガーデン、テッド・ヴィーシリー(以上tb)、マティ・マトロック(cl)、ウィルバー・シュワルツ(as)、ベイブ・ラッシン(ts)、チャック・ジェントリー(bs)、スタン・ライツマン(p)、アル・ヘンドリクソン(g)、マーティ・コーブ(b)、ニック・ファトゥール(ds)
1952年7月/ハリウッド/ラジオ『The U.S. Marine Show』
I〜K デイヴ・ペル・セプテット:デイヴ・ペル(ts)、ドン・ファガーキスト(tp)、ロニー・ラング(sax)トニー・リツィ(g)、ジェフ・クラークソン(p)、ロリー・バンドック(b)、ジャック・スパーリング(ds)
1953年 or 1954年/ラジオ『The Navy Swings』
L〜M マーティ・ペイチ・カルテット:マーティ・ペイチ(p)、ハワード・ロバーツ(g)、バディ・クラーク(b)、フランク・デュヴィート(ds)

1957年4月7日/ロサンゼルス/TV『Stars of Jazz』


 

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