『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『スウィート・アンド・ジェントル』/ベティ・マディガン

『スウィート・アンド・ジェントル』/
ベティ・マディガン

Sweet & Gentle/
Betty Madigan
\2100 (XQAM-1065) 原盤: Pacific Delights
録音:circa1955・1958年 日本初登場13曲
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エリザベス・テイラー似の美貌とクリスタルな歌声で、1950年代を中心に人気のあったベティ・マディガンによるラジオ放送音源で構成された貴重な一枚。
 


1. Walkin' My Baby Back Home/ウォーキン・マイ・ベイビー・バック・ホーム>>試聴
2. Sweet and Gentle/スウィート・アンド・ジェントル>>試聴
3. It's All in the Game/イッツ・オール・イン・ザ・ゲーム>>試聴
4. I'll Never Smile Again/アイル・ネヴァー・スマイル・アゲイン>>試聴
5. Exactly Like You/イグザクトリー・ライク・ユー>>試聴
6. Almost Like Being in Love/オールモースト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ>>試聴
7. It's a Good Day/イッツ・ア・グッド・デイ>>試聴
8. 'Deed I Do/ディード・アイ・ドゥー>>試聴
9. Joey/ジョーイ>>試聴
10. Be a Little Darling/ビー・ア・リトル・ダーリン>>試聴
11. Over the Rainbow/虹の彼方へ>>試聴
12. Misirlou/ミザルー>>試聴
13. I Had the Funniest Feeling/アイ・ハッド・ザ・ファニエスト・フィーリング>>試聴
14. You Made Me Love You/ユー・メイド・ミー・ラヴ・ユー>>試聴
15. If I Wanna Be Happy/イフ・ユー・ウァナ・ビー・ハッピー>>試聴

 

                         日米の人気格差

 アーティストの知名度がアメリカと日本で大きく違うケースがよくある。ヴォーカルに関していえば、1970年代までの日本であちらの音楽事情を知りえる主な手段はラジオとレコードだった。ジャズの場合はジャズ喫茶という格好の場所があったが、ジャズ喫茶はほとんどヴォーカルをかけなかった。日本でレコードがでなければラジオ局はかけられない。結果、日本では多くのしかも素晴らしいシンガーたちが数多く未知のままだった。
 その後幻の名盤ブームの到来、好景気によるレコード購買層の拡大やレコード価格の低下などによって、キャロル・スローンやビヴァリー・ケニー、ジャッキー・パリスら1950〜1960年代のシンガーが日本で“新”発見されるようになった。それでも埋もれたままの歌手はまだまだいた。例えば、ジェニー・スミス、ドリス・ドリュー、そしてベティ・マディガン。三人の共通点はTVによく出演したことである。ジェニーは『スティーヴ・アレン・ショウ』、ドリスは『テネシー・アーニー・フォード・ショウ』、そしてベティは後述するようにあらゆる一流のTVショウにゲスト出演した。TV出演が強力なプロモーションになることは今も昔も変わりない。しかし、日本でTVが普及する過程でアメリカの西部劇やホーム・ドラマは入ってきたが、音楽番組はきわめて少なかった。彼我で人気に差の出た原因はこのあたりにある。

ベティ・マディガンのレコード

 メジャーからリリースされたベティ・マディガンのアルバムは、1994年に日本でもLP化され今年の6月にCD化された1956年録音の『アム・アイ・ブルー?』(MGM E-3448)、1957年の『ザ・ジェローム・カーン・ソングブック』(コーラル CRL-57192)、そしてニューヨークの高級ホテルでライヴ録音された『アン・イヴニング・アット・ザ・コティリオン・ルーム・オブ・ザ・ピエール』(コーラル CRL-57418)の3枚である。しかしシングルは数十枚あり、その中から「ジョーイ」(1954・12位)、「オールウェイズ・ユー」(1954・21位)、「ゼア・シュッド・ビー・ルールズ」(1955・54位、以上MGM)、「トゥルー・ラヴ・ゴーン」(1957・78位)、ユダヤ民謡「ハヴァナギラ」の歌詞を変えた「ダンス、エヴリワン、ダンス」(1958・31位、以上コーラル)がビルボード・チャートにランクインしている。

 本作『スウィート&ジェントル』は、ベティのふたつのラジオ・ショウが音源だ。 @〜Fは米空軍が兵士のリクルートを目的として提供していた『Out of the Blue』という番組で、放送は 1958年ごろと思われる。ピアノはディック・ハイマンで、編曲指揮はウェイド・デニング。G〜Nは、ソーター=フィネガン・オーケストラと出演したナショナル・ガード(米州兵機関)がやはりリクルー ト目的で提供していた『レッツ・ゴー・トゥ・タウン』からベティの歌を全曲ピックアップしたもので、放送は 1955年ごろと思われる。
 なお、ベティの放送録音は日本で過去に一度、ノーマ・レーベルから10インチLPで出ている。2007年に出た『ベティ』(ノーマ NLP-1029)がそれで、本アルバムのDとEも収録されていたが、今や入手はきわめて難しいようだ。

ベティ・マディガンのプロフィール

 ベティの経歴についてはあまりよくわかっていない。一番詳しいのが『アム・アイ・ブルー?』のジャケット裏だが、アルバムがリリースされた1957年時点だししかもわずかだ。
 それを要約すれば、「ベティはワシントンDCに生まれこの地で育った。1950年に地元の名門カソリック・オブ・アメリカ大学在学中に学内で行われたミュージカル『タッチ・アンド・ゴー』で主役をつとめて注目され、地元のクラブやラウンジで歌うようになった。DCや近郊ボルティモアのラジオやTVにも出演して露出度を高め、全国的に活躍するようになり、1952年から53年にかけてフロリダ州キーウェウトのカサ・マリーナ・ホテルで5か月連続出演を果たした」。
 ということで1930年ぐらいに生まれたと推測されてきたが、1933年生まれのようだ。また、わりと最近の新聞に近況を伝える写真が大きく載っており、その齢とは思えない美貌と品格に驚いた。細かいことだが、『アム・アイ・ブルー?』のイラストのもとになったこのCDのジャケットの写真ではかくれて見えないが、左ほほにあったチャーム・ポイント(?)のホクロはなくなっていた。
 1954年には『ビルボード』誌がディスクジョッキーを対象に行った投票で“有名になる可能性がもっとも高い女性歌手”に選出されている。
 出演したTVショウは『レッド・スケルトン・ショウ』、『デイヴ・ギャロウェイ・ショウ』、『コルゲート・コメディ・アワー』、『エド・サリヴァン・ショウ』、『ディック・クラーク・ショウ』等々、一流どころ総なめといった感じだ。
 ベティ・マディガン・ブラントは現在フロリダ州のバル・ハーバーに住み、慈善事業に熱心で当地ではセレブリティのようだ。

曲目解説

@ウォーキン・マイ・ベイビー・バック・ホーム
ロイ・タークとフレッド・E・アーラート、1930年の作品。1952年にジョニー・レイのコロンビア盤がリバイバル・ヒットし、同名のミュージカル映画(1953・日本未公開)でドナルド・オコーナーが歌った。ナット・キング・コールのキャピトル盤で知られる。
Aスウィート・アンド・ジェントル
1953年にキューバのオティリオ・ポルタルが書いた曲に1955年ジョージ・ソーンが英詞をつけた。ジョージア・ギブスのマーキュリー盤がビルボード・チャートの12位まで昇った。
Bイッツ・オール・イン・ザ・ゲーム
クーリッジ大統領時代の副大統領でノーベル平和賞を受賞しているチャールズ・ドーズが1912年に書いた「イ短調のメロディー」に、1951年ドーズの死の直後にカール・シグマンが歌詞をつけた。トミー・エドワーズのMGM盤が1951年と58年(このときはビルボード・チャートのトップでミリオンセラー)、クリフ・リチャードのエピック盤が1963年から64年にかけてヒットしたが、ナット・キング・コールのキャピトル盤が素晴らしい。
Cアイル・ネヴァー・スマイル・アゲイン
カナダのルース・ロウが亡き夫を偲んで1939年に作詞作曲して、カナダ時代のパーシー・フェイスが紹介した。翌年アメリカでフランク・シナトラをフィーチャーしたトミー・ドーシー楽団のヴィクター盤がヒットチャートのトップに立った。シナトラがラジオやTVのエンディングに使っていた「プット・ユア・ドリームズ・アウェイ(夢をふりすて)」もロウの作品。
Dイグザクトリー・ライク・ユー
「明るい表通り」のコンビ、ドロシー・フィールズ(詞)とジミー・マクヒュー(曲)が1930年につくり、『ルー・レスリーズ・インターナショナル・レヴュー』でガートルード・ローレンスとハリー・リッチマンが紹介した。
Eオールモースト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ
アラン・ジェイ・ラーナーが作詞、フレデリック・ロウが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ブリガドゥーン』(1947)でデイヴィッド・ブルックスとマリオン・ベルが歌った。1954年の映画化ではジーン・ケリーが歌っている。
Fイッツ・ア・グッド・デイ
1946年にペギー・リーと夫君でギタリストのデイヴ・バーバーが共作して、ペギーのキャピトル盤がビルボード・チャートの16位につけた。
Gディード・アイ・ドゥー
1926年にウォルター・ハーシュとフレッド・ローズが書いた曲。1930年にルース・エッティングのコロンビア盤がヒットチャートの11位にランクイン。ペリー・コモのRCA盤が軽くスウィングしていて快い。
Hジョーイ
1954年にハーブ・ウィーナー、ジェームス・J・クレイクスマン、サルマース‐バーンスタインが共作したナンバーで、この年ベティ・マディガンのMGM盤がビルボード・チャートの12位まで上昇し、彼女の代表曲となった。コーラルのライヴ盤でも歌っている。
Iビー・ア・リトル・ダーリン
ハル・デイヴィッドが作詞、リオン・カーが作曲したナンバーで、ベティ(MGM)以外にレコードはないようだ。B面はL。
J虹の彼方へ
エドガー・イップ・ハーバーグが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、ミュージカル映画『オズの魔法使』(1939)でジュディ・ガーランドが歌ってアカデミー主題歌賞を受賞した。ベティはコーラルのライヴ盤でも歌っている。
Kミザルー
「エジプトの娘」といった意味。19世紀のトルコで生まれたフォーク・ソングといわれ、1930年代にギリシャ移民がアメリカに持ち込み、1941年にギリシャ系アメリカ人のニック・ルーバニスが強引に自分の作品としてアメリカで登録してしまった。英詞はフレッド・ワイズとミルトン・リーズ、S.K.ラッセル。アーサー・ライマンやマーティン・デニーといったエキゾティック・サウンドのオーケストラからビーチ・ボーイズやベンチャーズまでレコーディングしている。
Lアイ・ハッド・ザ・ファニーエスト・フィーリング
1954年にジャック・シーガルとマデリン・ラッセルが共作した。ベティのシングル盤(MGM)がある。A面はI。
Mユー・メイド・ミー・ラヴ・ユー
1913年にジョセフ・マッカーシーが作詞、ジェイムス・V・モナコが作曲した。この年アル・ジョルスンのコロンビア盤がチャートのトップに立ち、1941年にはハリー・ジェイムス楽団のコロンビア盤が5位にランクイン。ジュディ・ガーランドはロジャー・イーデンが加えた歌詞を入れて『踊る不夜城』(1937)で歌った。
Nイフ・ユー・ウァナ・ビー・ハッピー
このラジオ番組は1955年ごろの放送だが、出版されたのは1962年。カーメラ・ギダとフランク・J・ギダ、ジョセフ・ロイスターが作詞、フランク・J・ギダとジョセフ・ロイスターが作曲した。1963年にジミー・ソウルのS.P.Q.R.盤がヒットした。アメリカの友人に聞いたところ、ここでのベティの発音はプエルトリコ風とか。
                                                    (2013.7.3. 三具 保夫)

パーソネル 
  ベティ・マディガン(vo)
  ディック・ハイマン(p on 1 – 7)
    ウェイド・デニング(arr & cond on 1 – 7)
  ソーター=フィネガン・オーケストラ(8 – 15)

放送年/番組名 
  @〜F:1958年頃/『アウト・オブ・ザ・ブルー』(米空軍提供)
  G〜N:1955年頃/『レッツ・ゴー・トゥ・タウン』(米ナショナル・ガード提供)



 

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