『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『マドモアゼル・ド・パリ』/アンディ・ウィリアムズ・アンド・クインシー・ジョーンズ

『マドモアゼル・ド・パリ』/
アンディ・ウィリアムズ &
クインシー・ジョーンズ
Mademoiselle de Paris/
Andy Williams & Quincy Jones
\2100 (XQAM-1066) 原盤: Pacific Delights
録音:1960 or 1961年 世界初登場
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アンディ・ウィリアムズとクインシー・ジョーンズを結びつけた音楽の都パリ。1960年アンディはパリに飛び、折からヨーロッパ・ツアー中のクインシーを起用してアルバムを制作。本CDは、帰国後の二人が再会・共演したラジオ放送の音源である。
 


1. Boum!/ブン!>>試聴
2. The Midnight Sun Will Never Set/真夜中の太陽は沈まず>>試聴
3. Domino/ドミノ>>試聴
4. Air Mail Special/エア・メール・スペシャル>>試聴
5. Love Is Here to Stay/ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ>>試聴
6. April in Paris/パリの四月>>試聴
7. More Than You Know/モア・ザン・ユー・ノウ>>試聴
8. Pleasingly Plump/プリージングリー・プランプ>>試聴
9. G'wan Train/グワン・トレイン>>試聴
10. Danny Boy/ダニー・ボーイ>>試聴
11. I'll Remember April/四月の思い出>>試聴
12. Lester Leaps In (fade out)/レスター・リープス・イン (フェイドアウト)>>試聴
13. Mademoiselle de Paris/マドモアゼル・ド・パリ (パリのお嬢さん)>>試聴
14. Moanin'/モーニン>>試聴
15. Clap Yo' Hands - I Won't Dance/クラップ・ヨウ・ハンズ 〜 アイ・ウォウント・ダンス>>試聴
16. Cherokee (fade out)/チェロキー (フェイドアウト)>>試聴
17. The National Guard Theme/『ナショナル・ガード』のテーマ>>試聴

 

パーソネル
  アンディ・ウィリアムズ: vo on 1, 3, 6, 7, 10, 11, 13, 15, 17
  クインシー・ジョーンズ楽団: 1-6, 8, 9, 11-16
  デイヴ・グルーシン: p on 7, 10, 17

音源・収録日:  
  ラジオ『レッツ・ゴー・トゥ・タウン』
  1960年 or 1961年

クインシーとアンディの出会い

 ポピュラー・ヴォーカル界のスーパースター、アンディ・ウィリアムズは1927年にアイオア州で生まれ、三人の兄とコーラス・カルテットを組んでローカルに歌っていたが、1943年にロスへ移り本格的な活動を始めた。1953年に独立してソロ・シンガーとなり、ケイデンス・レコードから「カナダの夕陽」(1956)、さらに「バタフライ」(1957)、「アー・ユー・シンシア?」(1958)ほかのヒットに加えて、『ロジャース&ハマースタイン集』(1959)や『ハワイアン・ソング集』(1960)等々のLPを発表してアルバム・シンガーへの道を進んだ。1961年にメジャーのコロンビアへ移り、1962年にNBCテレビで始まった『アンディ・ウィリアムズ・ショウ』の成功により「1960年代の声」と形容され、アカデミー主題歌賞を受賞した「ムーン・リヴァー」や「酒とバラの日々」ほか映画のテーマ曲を積極的に取り上げそれらのスタンダード化に貢献した。

 1933年シカゴで生まれたクインシー・ジョーンズはジャズ・トラッペッターとしてプロの世界に入り、1953年にライオネル・ハンプトン楽団の一員として欧州ツアーを経験した。その後フリーランスのアレンジャーとなり、ディジー・ガレスピーやカウント・ベイシー楽団に編曲を提供して注目される存在となった。ダイナ・ワシントン、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ペギー・リー、フランク・シナトラら一流ヴォーカリストにもアレンジを提供し、1960年代以降はジャズの枠を超えて活動する。『質屋』(1964)、『冷血』(1967)、『カラーパープル』(1985)など映画の作曲を手懸け、『アイアンサイド』(1967〜1968シリーズ)、『ルーツ』(1977)などTVドラマにも作品を提供した。それ以前、1956年にマーキュリー・レコードのニューヨーク支社のプロデューサーとなり、1964年にはシカゴ本社の副社長に昇進した。1960年代レスリー・ゴーアをスターダムに押し上げ、1980年代にはマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』や『バッド』をプロデュースするなどポピュラー音楽の世界でも存在感を示し、米音楽界の重鎮として今日に至っている。

クインシーの渡仏

 クインシーは1957年仏バークレー・レコードの求めに応じてパリに赴き、バークレーのアーティストのためにアレンジを書き指揮をするとともに、著名な現代音楽家であるナディア・ブーランジェ女史のクラスで作曲法や編曲法を勉強した。1959年秋一度ニューヨークに戻り、最終的にブロードウェイでの上演を目指すミュージカル『フリー・アンド・イージー』のヨーロッパ試演の音楽監督兼指揮者を引き受け11月に再度渡欧した。
このショウは12月にアムステルダムで幕を開けブリュッセルと続いたが、そのあと6週間のパリ公演は2週間を残して打ち切りとなった。大赤字を出していたからである。他のクルーが帰国する中、クインシーをふくむ全員18名のミュージシャン(に若干の家族)はヨーロッパにとどまって必死に仕事をみつけながら演奏ツアーを続けたが。プロモーターに裏切られブッキング・マネージャーも雇えず、悪戦苦闘しながら半年以上もヨーロッパ各地を彷徨するハメになった。
 クインシーは一行とユーゴスラヴィアへ列車で移動しようとしていたとき、マドリッドでバークレー・レコード経由アンディからのオファーを受け取った。アンディはシャンソンを中心とするアルバムを企画しケイデンスのアーチー・ブライヤー社長の了承のもと音楽監督のデイヴ・グルーシンとパリに来ていた。アレンジャー兼トロンボーン奏者のビリー・バイヤーズとパリに飛んだクインシーはアンディのためにアレンジを書き指揮棒を振った。1960年6月に吹き込まれ翌年発表されたケイデンスへのラスト・アルバム『パリの空の下』はクインシーの洒落っ気あふれるジャジーなアレンジを得て颯爽と歌う、アンディの代表作の一枚となった。

ニューヨークでの再会セッション

 クインシーとアンディは帰国後再会セッションを持った。ナショナル・ガード(米州兵)機関がスポンサーとなって毎週オンエアされていたヴォーカル、ビッグバンド、ジャズを放送する15分のラジオ番組『レッツ・ゴー・トゥ・タウン』の収録である。収録日や放送日は定かではないが、クインシーが帰国したのが1960年9月で、翌年春には再びヨーロッパ・ツアーに出ているので1960年後半から1961年前半までのいつかということになる。録音場所は当時ふたりが拠点としていたニューヨークだったろう。収録は一日で完了したと思われるが、録音されたナンバーは4本の番組に振り分けられ、16インチ(40センチ)のラジオ放送用のLP、通称トランスクリプションに片面2本ずつ両面に計4本刻まれ、放送順に#213〜216という番号が当てられた。
 以上4回分の番組で構成された本CDでは以下のトラックを割愛している。まず途中でフェイドアウトする#213と214の「モーニン」。#216でフルに演奏しているからだ。#214でアンディが歌うナショナル・ガードのテーマ曲も、#215のヴァージョンをボーナス・トラックとしてラストに入れたので、カットした。

曲目解説(収録は放送順)

@ブン!(#213)
「ラ・メール」「詩人の魂」「残されし恋には」ほか多くの美しいシャンソンを書き自ら歌ったシャルル・トレネ1938年の作品。「ブン」は「ど〜ん」とか「ご〜ん」といった意味。英語はエドワード・レイ・ゲッツ。アンディはケイデンス盤で歌っていたヴァースをここでは省略している。仏語の「Boum」は英詞では「Boom」。
A真夜中の太陽は沈まず(#213)
クインシーとアンリ・サルヴァドールの共同作品。1953年にスウェーデンの白夜にインスパイアされて書いたという。クインシーのスタジオ録音は『アイ・ディック・ダンサーズ!』、『ザ・バース・オブ・ア・バンド!』(CDのみ)、『ザ・バース・オブ・ア・バンド! Vol. 2』、『ゴールデン・ボーイ』にある。
Bドミノ(#213)
これもシャンソン、ドミノはドミニーク。1950年にジャック・プラントが作詞、ルイ・フェラリが作曲、英詞はドン・レイ。アメリカでは1951年にトニー・マーティンの歌でヒットした。アンディは@ELとともに『パリの空の下』で歌っている。
Cエア・メール・スペシャル(#213)
ベニー・グッドマン、ジミー・マンデイ、チャーリー・クリスチャン1941年の共同作品となっているが、実際に書いたのはクリスチャン。クインシーのスタジオ録音は『ザ・グレート・ワイド・ワールド』、ライヴ録音が『ザ・グレート・ワイド・ワールド・ライヴ!』と『アット・ニューポート'61』。
Dラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ(#214)
アイラ・ガーシュインの作詞、ジョージ・ガーシュインの作曲。だがジョージが完成前に亡くなったため、ヴァーノン・デュークが遺稿や友人オスカー・レヴァントの記憶をもとにまとめあげた。出版は1938年。クインシーのスタジオ録音は『アイ・ディック・ダンサーズ!』。
Eパリの四月(#214)
1932年にエドガー・イップ・ハーバーグが作詞、ヴァーノン・デュークが作曲して、レヴュー『ウォーク・ア・リトル・ファスター』で紹介された。アメリカ人のパリへの憧れを綴っている。
Fモア・ザン・ユー・ノウ(#214)
1929年にビリー・ローズとエドワード・エリスクが作詞、ヴィンセント・ユーマンスが作曲した。ジェーン・フローマンの持ち歌として知られる。デイヴ・グルーシンがリードするピアノ・トリオをバックに、アンディはバラード・シンガーとしての真価をみせる。
Gプリージングリー・プランプ(#214)
クインシーの作品で、彼のスタジオ録音は『アイ・ディック・ダンサーズ!』、『ザ・バース・オブ・ア・バンド! Vol. 2』。カウント・ベイシー楽団向きの曲で、事実クインシーの曲ばかりを集めた『リル・オル・グルーヴメイカー』で演奏している。編曲指揮はもちろんクインシー。
Hグワン・トレイン(#215)
当時のクインシー・バンドのメンバーで、ヨーロッパにも同行した女性ピアニストのパティ・ボウンの作品。クインシーのレコーディングは、『アイ・ディッグ・ダンサーズ!』、『ザ・バース・オブ・ア・バンド! Vol. 2』、『アット・ニューポート'61』にある。
Iダニー・ボーイ(#215)
アイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」には複数の歌詞があるが、1913年にイギリスのフレデリック・ウェザリーが書いたここでの詞が一番知られている。ピアノはグルーシンで、1959年に彼がアンディのオーディションを受けたとき弾いたのがこの曲だった。アンディがコロンビアから発表した最初のアルバムのタイトル曲でもある。
J四月の思い出(#215)
ドン・レイとジーン・デ・ポール、パット・ジョンストン1941年の共作で、映画『カウボーイの巻』で紹介された。バックが間奏で倍テンポになり、アンディもそれに合わせてジャジーにスウィイングし、珍しいことにスキャトを披露する。
Kレスター・リープス・イン(#215)
ホストのジム・コリンズ軍曹が「クインシーのオリジナル」と紹介する中を演奏がスタートするが、レスター・ヤング(ts)の作品。軍曹のナレーションはあとから入れたのだろう。クインシーがその場にいれば指摘したはずだ。クインシーのスタジオ録音は『ザ・グレート・ワイド・ワールド』、ライヴは『アット・ニューポート'61』。
Lパリのお嬢さん(#216)
アンリ・コンテが作詞、ポール・デュランが作曲し、ジャクリーヌ・フランソワの歌でヒットし、彼女のテーマ曲にもなった。英詞はミッチェル・パリッシュ。1948年の出版。アンディにフランス語の特訓をしたのは、ジョン・ルイス(p)との共演盤でも知られる仏のジャズ・ギタリスト/歌手/作曲家のサッシャ・ディステル。
Mモーニン(#216)
ボビー・ティモンズ(p)が作曲したハードバップの聖典。ティモンズをふくむアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのレコードで有名になった。こういったファンキーな曲はクインシーの大得意。スタジオ録音は『ザ・バース・オブ・ア・バンド!』の第一集・第二集、ライヴは『ザ・グレート・ワイド・ワールド・ライヴ!』。
Nクラップ・ヨウ・ハンズ アイ・ウォウント・ダンス(#216)
前者はジョージとアイラのガーシュイン兄弟1926年の作品で、ブロードウェイ・ミュージカル『オー、ケイ!』で紹介された。後者はオットー・ハーバックとオスカー・ハマースタイン2世の作詞、ジェローム・カーンの作曲。ミュージカル映画『ロバータ』(1935)でフレッド・アステアが歌って有名になった。
Oチェロキー(#216)
イギリスのバンドリーダー/作曲家のレイ・ノーブル1938年の作品。クインシーのスタジオ録音は『ザ・グレート・ワイド・ワールド』。
Pナショナル・ガードのテーマ(#215)
アンディが歌う番組スポンサーのコマソン。

                                                   (2013.6.14. 三具 保夫)



 

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