『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ホワイル・ウィアー・ヤング+10/ローズマリー・クルーニー

『ホワイル・ウィアー・ヤング+10』/
ローズマリー・クルーニー
While We're Young + 10/
Rosemary Clooney
\2,625 (XQAM-1070/DQCP-1945)) 原盤: 米Columbia
録音:1953〜1956年 日本初登場・世界初CD化/
ボーナス・トラック10曲
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1954年にリリースされた「青春(ヤング)」をテーマにした10インチのオリジナル・アルバム(#1〜#8)を初CD化。
さらに充実の1954年を中心に選りすぐりの快唱10曲をくわえた、ファン待望の一枚。

 


1. While We're Young/ホワイル・ウェアー・ヤング
2. Too Young/トゥー・ヤング
3. Hello, Young Lovers/ハロー、ヤング・ラヴァーズ
4. Young at Heart/ヤング・アット・ハート
5. Younger Than Springtime/春よりも若く
6. Blame It on My Youth/ブレイム・イット・オン・マイ・ユース
7. Young Man, Young Man/ヤング・マン、ヤング・マン
8. You Make Me Feel So Young/ユー・メイク・ミー・フィール・ソーヤング
9. Love Among the Young/ラヴ・アマング・ザ・ヤング
10. Come Rain or Come Shine/カム・レイン・オア・カム・シャイン
11. For You/フォー・ユー
12. Always Together/オールウェイズ・トゥゲザー
13. (Don't That Take the) Rag Off'n the Bush/ラグ・オフン・ザ・ブッシュ
14. That's How It Is/ザッツ・ハウ・イット・イズ
15. It's a Nuisance Having You Around/イッツ・ア・ニュースンス・ハヴィング・ユー・アラウンド
16. Love Is a Feeling/ラヴ・イズ・ア・フェイリング
17. Mangos/マンゴズ
18. Independent (on My Own)/インディペンデント  

 


ローズマリー・クルーニー(1928-2002)はヴォーカル界のスターの中でとりわけ息の長いシンガーだった。
ジョー・スタッフォード(1917-2008)やドリス・デイ(1922-)は1970年までに第一線を退いていた。ダイナ・ショア(1916-1994)は後年TVのパーソナリティーやゴルフ・トーナメントの方で有名だったし、最後のアルバムがTV『セサミ・ストリート』から歌った『アイヴ・ガット・ア・ソング』(Sesame Street・1979)というのはいかにも寂しい。パティ・ペイジ(1927-2013)はかなり長い間ステージに立っていたが、オリジナル・アルバムは1970 年の『ハニー・カム・バック』(コロンビア)のあと殆どなかった。
それに対し、ロージーは2001年に『センティメンタル・ジャーニー』を録音・リリースし、その年の11月にホノルルで収録したライヴ『ザ・ラスト・コンサート』が翌年の亡くなった年に出ている。1977年の『エヴリシングズ・カミング・アップ・ロージー』から計26枚、年に1枚のペースでコンコードからアルバムを発表したことになる。ロージーのレコーディング・デビューは1946年だが、これだけ長い間コンスタントに歌い録音したシンガーはいないだろう。その点ではエラ・フィッツジェラルドも敵わない。
 
                   コロンビアでのレコーディング

ロージーのその長いキャリアだが、断絶の期間があった。5人の子育てに疲れアレンジャーのネルソン・リドルとの不倫の恋に悩んでいた1960年代のかなりの時期だが、親友ビング・クロスビーの理解と励まし、コンコード・レコードのカール・ジェファーソン社長との出会いで見事に復活して、その後は大歌手の道を歩み豊かな歌手人生を全うした。
断絶の前が第一期黄金時代で、その時期の大半はコロンビアにレコーディングしていた。ロージーとコロンビアの関係は、妹のベティとコーラス・グループを組んでトニー・パスター楽団に入り、楽団の専属シンガーとしてレコーディングしたときに始まる。1949年ロージーがコロンビアからソロのレコーディング契約を持ちかけられたのを機に、ツアーに疲れていたベティは故郷に帰り、クルーニー・シスターズは解散した。
1951年の「家においでよ(カモナ・マウ・ハウス)」が大ヒットして人気シンガーの仲間入りを果たし、1948年にそれまでのSPに代わるLPレコード(当初は25センチ盤)が発明・発売されるとオリジナル・アルバムの制作も始まった。
LPの第一弾がハリー・ジェイムス楽団と共演したアカデミー主題歌受賞曲集『ハリウッズ・ベスト』(CL-6224)で、出演映画からの曲を歌った『レッド・ガーターズ』(CL-6282)、そして本作の中心になっている『ホワイル・ウィアー・ヤング』(CL-6297)と続き、ビング・クロスビーとの映画出演をきっかけに作られた『ホワイト・クリスマス』(CL-6338)が次にくる。おなじコロンビア時代でも30センチLPになってからのアルバムはそのほとんどが日本でもLPやCD化されたが、25センチ盤は手つかずのままだ。

コンセプト・アルバム『ホワイル・ウィアー・ヤング』

25センチのLPアルバム『ホワイル・ウィアー・ヤング』は1953年のGと1954年の@〜Fの計8曲で構成され、1954年に発表された。「青春」をテーマにしたコンセプト・アルバムで、8曲すべてのタイトルに「ヤング」が入っている。このアルバムは1960年に10曲の30センチ・アルバムに拡大され、コロンビアの傍系のハーモニーから『ヤング・アット・ハート』(HL-7236)として発売され、その際に「ラヴ・アマング・ザ・ヤング」が追録されたのはよかったが、「トゥー・ヤング」と「ヤング・マン、ヤング・マン」がカットされた。ミステリーだ。
今回『ホワイル・ウィアー・ヤング』を世界で初めてCD化するにあたっては、オリジナル・アルバム収録の8曲をすべて生かし「ラヴ・アマング・ザ・ヤング」も加えた上で、ロージーがネルソン・リドルの編曲で歌った(+ネルソン・リドルの編曲であろうと思われる)曲を中心に1956年の9曲を加えることにした。
ロージーの溌剌とした歌声はどれも絶好調、その殆どが日本初登場である。

曲目解説

@ホワイル・ウィアー・ヤング
1943年にビル・エングヴィックが作詞、アレック・ワイルダーとモーティ・パリッツが作曲した。憧憬を湛えた甘美なメロディーだけに、ロージーのように歌詞を丁寧に歌うシンガーにうってつけだ。
Aトゥー・ヤング
1951年にシルヴィア・デイが作詞、シド・リップマンが作曲して、ジョニー・デズモンドが歌ったが、今日スタンダードになっているのはナット・キング・コールのキャピトル盤ゆえ。
Bハロー、ヤング・ラヴァーズ
オスカー・ハマースタイン2世が作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイで大ヒットしたミュージカル『The King and I』(1951)でガートルード・ローレンスが歌った。映画化『王様と私』(1956)ではマーニ・ニクソンがデボラ・カーを吹き替えた。
Cヤング・アット・ハート
スタン・ケントン楽団のアレンジャーだったジョニー・リチャーズが1939年に書いた「ムーンビーム」というインスト曲にキャロリン・リーが歌詞をつけて1954年に出版された。最初ナット・キング・コールのところに持ち込まれたが拒否され、フランク・シナトラが吹き込んでミリオンヒットとなった。シナトラとドリス・デイが共演した『四人の姉妹』(1938)のリメイク映画(1954・日本劇場未公開)のタイトルとなり、このナンバーも歌われた。
D春よりも若く
オスカー・ハマースタイン2世が作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『South Pacific』(1949)で紹介された。映画化『南太平洋』(1958)ではジョン・カーをビル・リーが吹き替えた。
Eブレイム・イット・オン・マイ・ユース
1934年にエドワード・ヘイマンが作詞、ジャズとクラシックのピアニストで俳優でもあったオスカー・レヴァントが作曲した。「ヤング」をテーマにした収録曲のうち唯一メランコリックなムードを持っている。
Fヤング・マン、ヤング・マン
作者としてロージーの夫でアカデミー受賞俳優のホセ・ファーラーとロージーの弟ニック・クルーニー(俳優ジョージ・クルーニーの父親)が作者としてクレジットされている。ロージーのために書かれたのだろう。
Gユー・メイク・ミー・フィール・ソー・ヤング
マック・ゴードンが作詞、ジョセフ・マイロウが作曲して、ミュージカル映画『Three Little Girls in Blue』(1946・日本劇場未公開)で歌われた。映画公開当時はあまり注目されず、1956年のシナトラのキャピトル盤がスタンダード化へのきっかけとなったが、ロージーはそれより早い1953年の録音であることに注目を。
Hラヴ・アマング・ザ・ヤング
1955年にノーマン・ギンベルが作詞、アレック・ワイルダーが作曲して、ローズマリー・クルーニーのこのレコードで紹介された。アレック・ワイルダーは地味だが深い味わいの作品が多い。
I降っても晴れても
1946年にジョニー・マーサーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『St. Louis Woman』に使われた。ロージーは快調にスウィングするが、それを支えているのが名手ネルソン・リドルの編曲だ。
Jフォー・ユー
1930年にアル・デュービンが作詞、ジョー・バークが作曲した軽快なナンバー。MGMに貸し出され、アルバム『ローズマリー・クルーニー・スウィングズ・ソフトリー』に収録された。ネルソン・リドルのアレンジ。
Kオールウェイズ・トゥギャザー
カール・シグマンの作詞、ドイツのハイノ・ガーゼの作曲。これもJ同様MGM盤に収録された。ロージーは一転して慎ましやかな雰囲気で歌っている。リドルはバラードの編曲にも冴えをみせる。
Lラグ・オフン・ザ・ブッシュ
ジョニー・マーサーが作詞、ジーン・デ・ポールが作曲して、アル・キャップの人気漫画を素材にしたブロードウェイ・ミュージカル『Li’l Abner』(1956)で紹介されたヒルビリー調の歌。映画化(1959・日本劇場未公開)でも全員が歌って踊るシーンに使われた。「off’n」は「off of」の略。歌詞にでてくるドッグパッチ(Dogpatch)は南部アーカンソー州の架空の町で、登場人物はここに住むあまり教育程度の高くない人たち。
Mザッツ・ハウ・イット・イズ
「モナリザ」「ケ・セラ・セラ」ほか多くの映画主題歌を書いたジェイ・リヴィングストンとレイ・エヴァンス1956年の作品。資料ではジョー・シーモアの編曲となっているが、ネルソン・リドル。リドルがキャピトルと専属契約を結んでいたからか?指揮はフランク・カムストック。
Nイッツ・ア・ニュースンス・ハヴィング・ユー・アラウンド
これも『Li’l Abner』のためにジョニー・マーサーとジーン・デ・ポールの作品だが最終的にカットされた。普段あまり使われない「nuisance(厄介な)」や「obliterate(消す)」、「reiterate(繰り返す)」、造語の「twitterate(震える)」などとりすます一方で、一人称なのに動詞に三人称の「s」を多用している。まじめに歌うほど可笑しい。
Oラヴ・イズ・ア・フィーリング
1957年にノーマン・ギンベルが作詞、ジャズ・ピアニストのビル・チャーラップの父親ムース・チャーラップが作曲したスウィンギーなナンバー。ロージーのフレージングは硬いほうだが、このようなアップテンポ曲でもディクションはクリアだしリズムへの乗りも実に見事で、疾走感や高揚感がある。
Pマンゴズ
シド・ウェインが作詞、デイ・リビーが作曲した1957年のカリプソ・ナンバー。レヴュー『Ziegfeld Follies』でミッキー・マーロが紹介し、ロージーのこのレコードがヒットしてビルボード・チャートで最高10位。マンゴやパパイヤ、栗の実で男を誘うところは、キャンディーやリンゴ、ケーキで迫るロージー最大のヒット「家へおいでよ(カモナ・マイ・ハウス)」とよく似たプロットだ。
Qインディペンデント
1956年のブロードウェイ・ミュージカル『Bells Are Ringing』のためにベティ・カムデンとアドルフ・グリーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲した。出版は1957年。映画化(1960・日本劇場未公開)では使われていない。                                         

(2013.7.22. 三具 保夫)

編曲/録音:@BD  ウォリー・ストット/1954年5月3日・ハリウッド
               (バックのオーケストラは1954年2月10日・ロンドン)
         AC   ポール・ウェストン/1954年5月21日・ハリウッド
         EF   ポール・ウェストン/1954年6月23日・ハリウッド
         G    ノーマン・ライデン/1953年12月10日・ニューヨーク          
         H    不明/1955年1月13日・ハリウッド
         IJ   ネルソン・リドル/1956年6月29日・ハリウッド
         KLMN ネルソン・リドル/1956年9月24日・ハリウッド
         OPQ  フランク・カムストック/1956年11月24日・ハリウッド



 

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