『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『オリジナル・デュエッツ』/フランク・シナトラ

『オリジナル・デュエッツ』/
フランク・シナトラ

The Original Duets/
Frank Sinatra
\2,625 (XQAM-1072/DQCP-1947) 原盤: 米Columbia
録音:1946-1951年 世界初企画・ボーナストラック3曲
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1990年代のメガヒット・アルバム『デュエッツ』とその続編の原点がここにある。
シナトラが米コロンビア時代に吹き込んだ、ドリス・デイ、ダイナ・ショア、ローズマリー・クルーニーほか綺羅星のごときスターたちとの豪華なデュエットを満載したゴージャスな企画。
米コロンビア原盤を正式使用。
 


1. My Romance/マイ・ロマンス (w. ダイナ・ショア)
2. Tea for Two/二人でお茶を (w. ダイナ・ショア)
3. It's All Up to You/イッツ・オール・アップ・トゥ・ユー (w. ダイナ・ショア)
4. A Little Learnin' Is a Dangerous Thing (Part 1)/
  ア・リトル・ラーニン・イズ・ア・デインジャラス・シング (パート1) (w. パール・ベイリー)

5. A Little Learnin' Is a Dangerous Thing (Part 2)/
  ア・リトル・ラーニン・イズ・ア・デインジャラス・シング (パート2) (w. パール・ベイリー)

6. Let's Take an Old Fashioned Walk/レッツ・テイク・アン・オールド・ファッションド・ウォーク (w. ドリス・デイ)
7. Sunshine Cake/サンシャイン・ケーキ (w. ポーラ・ケリー)
8. Peachtree Street/ピーチ・トゥリー・ストリート (w. ローズマリー・クルーニー)

9. Love Means Love/ラヴ・ミーンズ・ラヴ (w. ローズマリー・クルーニー)

10. Cherry Pies Ought to Be You/チェリー・パイズ・オート・トーゥ・ビー・ユー
  (w. ローズマリー・クルーニー)
11. A Good Man Is Hard to Find/ア・グッド・マン・イズ・ハード・トゥ・ファインド (w. シェリー・ウィンターズ)
12. Kisses and Tears/キセズ・アンド・ティアーズ (w. ジェーン・ラッセル)
13. Mama Will Bark/ママ・ウィル・バーク (w. ダグマー)
14. Ain'tcha Ever Comin' Back/エインチャ・エヴァー・カミン・バック (w. ザ・パイド・パイパーズ)
15. Life Is So Peculiar/ライフ・イズ・ソー・ペキュリアー (w. ヘレン・キャロル&ザ・スワントーンズ)
16. Sweet Lorraine/スウィート・ロレイン (w. ザ・メトロノーム・オールスターズ)

 



   

                      シナトラとデュエット

 フランク・シナトラの晩年にあたる1993年に発表されたアルバム『デュエッツ』(キャピトル)のセールスは発売後2か月で200万枚を超え、はやばやとプラチナ・アルバムに認定され、翌年の『デュエッツU』(同)も100万枚に達してグラミー賞ではトラディショナル・ポップ・ヴォーカル賞を受賞した。これら2枚はトニー・ベネット、バーブラ・ストライザンドや先頃亡くなったイーディ・ゴーメらシナトラと同じ世界のシンガーだけでなく、アレサ・フランクリン、シャルル・アズナヴールからグロリア・エステファン、ボノなどジャンルを超えたビッグスターたちとの共演が好評をもって迎えられたからだ。大物同士のデュエットといえば、ナタリー・コールが亡き父のナット・キング・コールの残したレコードと向き合った、いわばヴァーチャル・デュエットの「アンフォゲタブル」が1991年に大ヒットしているが、現在に至るデュエットのレコーディング・ブームはシナトラの2枚のアルバムから始まった。
 以上の2枚はオリジナル・アルバムとして企画されたものだが、シナトラは長いキャリアの中でいろいろなデュエット録音を残しているので、以下にリストアップする。

キャピトル時代(1953 - 1962年)
  「ウェル・ディッド・ユー・エヴァ?」 w. ビング・クロスビー(1956)
  「フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネアー?」 w. セレスト・ホルム(1956)
  「ナッシング・イン・コモン」 w. キーリー・スミス(1958)
  「ハウ・アー・ヤ・フィックスト・フォー・ラヴ?」 w. キーリー・スミス(1958)
  「モンマルトル」 w. モーリス・シュヴァリエ(1959)
  「アイ・ラヴ・パリ」 w. モーリス・シュヴァリエ(1959)
  「レッツ・ドゥー・イット」 w. シャーリー・マクレイン(1959)
リプリーズ時代(1960 – 1988年)
  「ミー・アンド・マイ・シャドウ」 w. サミー・デイヴィス・ジュニア(1962)
  「ガイズ・アンド・ドールズ」 w. ディーン・マーティン(1963)
  「ソー・イン・ラヴ」 w. キーリー・スミス(1963)
  「トゥウィン・ソリロクイズ」 w. キーリー・スミス(1963)
  「魅惑の宵」 w. ローズマリー・クルーニー(1963)
  「レット・アス・ブレイク・ブレッド・トゥゲザー」 w. ビング・クロスビー(1964)
  「ユー・ネヴァー・ハッド・イット・ソー・グッド」 w. ビング・クロスビー(1964)
  「ゴー・テル・イット・オン・ザ・マウンテン」 w. ビング・クロスビー(1964)
  「ウィー・ウィッシュ・ユー・ザ・メリエスト」 w. ビング・クロスビー(1964)
  「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」 w. アントニオ・カルロス・ジョビン(1967)
  「イパネマの娘」 w. アントニオ・カルロス・ジョビン(1967)
  「恋のひとこと」 w. ナンシー・シナトラ(1967)
  「ディサフィナード」 w. アントニオ・カルロス・ジョビン(1969)
  「フィーリン・カインダ・サンデイ」 w. ナンシー・シナトラ(1970)
  「ライフス・ア・トリッピー・シング」 w. ナンシー・シナトラ(1970)
  「ザ・ゲーム・イズ・オーバー」 w. ナンシー・シナトラ(1970)

 そしてキャピトルの前、コロンビア時代(1943 - 1952年)に吹き込まれたデュエットを集めたのが本作『オリジナル・デュエッツ』で、相手はダイナ・ショアやドリス・デイ、ローズマリー・クルーニーなどコロンビアのスター・シンガー、歌手よりも女優としての活躍で知られるジェーン・ラッセルやシェリー・ウィンターズほか多士多彩だ。
 さらにデュエットではないが、コロンビア時代の前にシナトラが在籍していたトミー・ドーシー楽団の時代(1940 - 1942)に共演したコーラス・グループのザ・パイド・パイパーズとの録音や、コールマン・ホーキンス(ts)、ジョニー・ホッジス(as)をはじめとするトップ・ジャズ・ミュージシャンと共演したレコードなど3曲がボーナス・トラックとして加えられている。

デュエットのパートナーたち

ダイナ・ショア(1916 - 1994)
テネシー州生まれ。1930年代歌手はビッグバンドの専属になることが登竜門だったが、いくつかの名門バンドのオーディションに落ちたため、ラジオに活路を見出した。1940年ヴィクターの傍系ブルーバードと契約し「ブルース・イン・ザ・ナイト」(1942/ビルボード・チャート4位)、「スカイラーク」(1942/5位)などのヒットを放ち晴れてヴィクター・レーベルに昇格し、「アイ・ウォーク・アローン」(1944)はチャートのトップに立った。1946年にコロンビアへ移籍してからもヒットを連発してトップ10に15曲送り込み、1946年から1年ごとに「ザ・ジプシー」、「アニヴァーサリー・ソング」、「ボタンとリボン」と3曲がトップに立った。1950年にヴィクターに復帰し、1959年にキャピトルへ移り『ダイナ、イエス・インディード!』(1959)、『ダイナ・シングズ、プレヴィン・プレイズ』(1960)などの優れたアルバムを発表した。また、音楽の『ザ・ダイナ・ショア・ショウ』、ゲストを迎えてのトーク・ショウ『ダイナズ・プレイス』などTVでも人気者だった。ゴルフ好きで、ゴルフのためにパームスプリングスに居を移したほど。自らの名を冠した女子トーナメントでも知られた。

パール・ベイリー(1918 - 1990)
ヴァージニア州生まれのシンガー、俳優。1930年代フィラデルフィアの黒人用のナイト・クラブにはじまり、その後ニューヨークに進出してキャブ・キャロウェイやデューク・エリントンらと共演し、『St. Louis Woman』(1946)でブロードウェイ・デビューを果たし、『House of Flowers』(1959)では主役を演じ、オール・ブラック・キャストによる『Hello Dolly!』(1968)でエミー賞を受賞し、1975年の再演でも主役のドリー・ギャラガー・レヴィーを演じた。スクリーンでは『カーメン・ジョーンズ』(1954)や『ポーギー・アンド・ベス』(1959)などに出演している。レコードの分野では、1952年に「テイクス・トゥー・トゥ・タンゴ」(コーラル)がビルボード・チャートの7位にランクされたほか、アルバムはルーレットに多い。1988年に米民間人の最高の名誉である自由勲章を授与された。ジャズ・ドラマーのルイ・ベルソンと1952年に結婚している。

ドリス・デイ(1924 -)
オハイオ州シンシナティ生まれ。バレリーナを目指したが1937年交通事故に遭って断念するも、入院中にエラ・フィッツジェラルドの歌を聴いてシンガーの道を目指した。1939年レス・ブラウン楽団の専属歌手となるが1941年結婚のため退団。2年たたないうちに離婚したあとしばらくして同楽団に復帰し、1945年に「センチメンタル・ジャーニー」が大ヒットした。1947年に独立してコロンビアと契約し以後は一貫してコロンビアでレコーディングした。ヒット曲は「ラヴ・サムバディ」(1948/1位)、「イッツ・マジック」(1948/2位)、「アゲイン」(1949/2位)、「ア・ガイ・イズ・ア・ガイ」(1952/1位)、「シークレット・ラヴ」(1954/1位)、「ケ・セラ・セラ」(1956/2位)ほか多数。傑作アルバムも多く、代表作は『デイ・バイ・デイ』(1956)、『デイ・バイ・ナイト』(1957)、『カッティン・ケイパーズ』(1959)、『ラテン・フォー・ラヴァーズ』(1965)など。また、1948年の『Romance on the High Seas』(日本劇場未公開)でスクリーン・デビューを果たし、『二人でお茶を』(1950)、『情熱の狂想曲』(1950)など、ワーナーで数多くのミュージカル映画に出演した。ミュージカル映画の代表作は『カラミティ・ジェーン』(1953)。ロック・ハドソンと組んだ都会派コメディー映画もヒットし「夜を楽しく」(1959)ではアカデミー主演女優賞にノミネートされた。シリアスな演技の代表作はヒッチコック映画『知りすぎていた男』(1956)。『カラミティ・ジェーン』の「シークレット・ラヴ」と『知りすぎていた男』の「ケ・セラ・セラ」はアカデミー主題歌賞を受賞している。また1954年には『Young at Heart』(日本劇場未公開)でシナトラと共演した。引退後は動物愛護の活動に専念し現在に至っている。

ポーラ・ケリー(1919 - 1992)
ペンシルヴァニア州出身。ディック・スタビールやアーティ・ショウの楽団で歌った後、1941年にマリオン・ハットン、ドロシー・クレアの後を受けてソロ・シンガーとしてグレン・ミラー楽団に参加したが、すぐに男性四人のコーラス・グループ、ザ・モダネアーズに加わりリーダーとなった。1942年にグレン・ミラーが亡くなるとザ・モダネアーズは独自の活動を続け、ポーラは娘のポーラ・ジュニアにその地位を譲る1978年までグループを率いた。ミラー・バンド後のグループのヒット曲には「ゼア!アイヴ・セッド・イット・アゲイン」(1945/11位)、「トゥ・イーチ・ヒズ・オウン」(1946/同3位)、「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」(1947/同11位)などがある。

ローズマリー・クルーニー(1928 - 2002)
ケンタッキー州生まれ。妹ベティとのデュエットで1946年にトニー・パスター楽団に入り、楽団のメンバーとしてコロンビアでレコーディング・デビュー。1949年ソロとなり、姉妹デュオを解消した。1951年コロンビアに吹き込んだ「家へおいでよ(カモナ・マイ・ハウス)」がビルボード・チャートのトップに立ちミリオンセラーを記録して大ブレークし、「ハーフ・アズ・マッチ」(1952/1位)、「ボッチ・ア・ミー」(1952/2位)、「ヘイ・ゼア」(1954/1位)、「ジス・オール・ハウス」(1954/1位)ほかヒットを連発する一方で、1954年の映画『ホワイト・クリスマス』でビング・クロスビーと共演して人気を不動のものにした。LP時代に入ると、コロンビアから「ヤング(青春)」をテーマにした『ホワイル・ウィアー・ヤング』(1954・XQAM-1070として今年9月にSSJからリリース)やデューク・エリントン楽団との『ブルー・ローズ』(1956)、RCAからビング・クロスビーとの楽しい『ファンシー・ミーティング・ユア・ヒア』(1958)やネルソン・リドル編曲指揮の『ロージー・ソルヴズ・ザ・スウィンギン・リドル!』(1961)、リプリーズからトーチ・アルバム『ラヴ』(1963)などの名盤を発表した。しかし、1960年代の半ばからプライベートな問題で心身ともに疲れ引退状態にあったが、1970年代にコンコード・レーベルから秀作を連発して大復活を遂げ、最期まで第一線で活躍した。俳優のジョージ・クルーニーは甥。

シェリー・ウィンターズ(1920 - 2006)
ミズーリ州セントルイス出身。少女時代から女優を目指し、高校時代にファッション・モデルをはじめ、1941年ブロードウェイの舞台に立ち、1943年の『風を起こす女』でスクリーン・デビューした。ジェームス・スチュワート主演の『ウィンチェスター銃‘73』(1950)で注目され、モンゴメリー・クリフトと共演した『陽のあたる場所』(1951)ではもうひとりの主演女優エリザベス・テイラーをおいてアカデミー主演女優賞にノミネートされた。その後『アンネの日記』(1959)と『いつか見た青い空』(1965)でアカデミー助演女優賞を受賞し、『ポセンドン・アドベンチャー』(1972)でもノミネートされゴールデン・グローブ助演女優賞を受賞した。代表作はほかに『狩人の夜』(1955)、『ロリータ』(1962)、『アルフィー』(1966)。

ジェーン・ラッセル(1921 - 2011)
ミネソタ州出身。『ならず者』(完成1941・公開1943・日本では戦後の1952)で鮮烈なデビューを飾ったグラマー女優。胸元を大きく肌蹴て干草によこたわるポスターがスキャンダルとなり、検閲でもカット・シーンが出たりと、公開は大幅に遅れた。シンガーとしては、1940年代中頃にケイ・カイサー楽団で歌い、1960年代にはゴスペル・グループを率いたこともある。レコードの代表作はMGMのアルバム『ジェーン・ラッセル』(1957)で、最近わが国でCD復刻された。映画の代表作はボブ・ホープと共演した喜劇『腰抜け二挺拳銃』(1948)やマリリン・モンローと二枚看板で出演したミュージカル『紳士は金髪がお好き』(1953)。

ダグマー(1921 - 2001)
西ヴァージニア州出身の女優、モデル、TVパーソナリティー。背は5フィート8インチありグラマラスで大柄。はじめはジェニー・ルイスの名前でステージに立っていたが、1950年にダグマーに改名した。1950年代前半ボブ・ホープやミルトン・バールのTVショウに出演して人気を集め、シナトラのTVショウにもゲスト出演している。日本では無名だが、雑誌『ライフ』の表紙を飾るほどの人気タレントだった。

ザ・パイド・パイパーズ
1938年に女性ひとり男性8人で結成されたコーラス・グループ。その後男性が3人となり、1939年にトミー・ドーシー楽団に迎えられた。翌40年ドーシー楽団に参加したのがシナトラで、「アイル・ネヴァー・スマイル・アゲイン」(1940/1位)、「ゼア・アー・サッチ・シングズ」(1942/1位)をはじめシナトラとザ・パイド・パイパーズをフィーチャーしたトミー・ドーシー楽団のレコードが次々とヒットした。1944年オリジナル・メンバーのジョー・スタッフォードがソロになるため離脱し、後任にジューン・ハットンが迎えられた。ここに収録されている「エインチャ・エヴァー・カミン・バック」はジューン時代の録音だが、彼女の時代には「ドリーム」(1945)がビルボード・チャートの首位、「マイ・ハピネス」(1948)が3位に立っている。ジョー同様、ジューンも1950年に独立して『アフターグロウ』や今月SSJから復刻された『レッツ・フォール・イン・ラヴ』(XQAM-1075)といったアルバムを発表した。なお、本アルバムの半数以上を編曲指揮しているアクセル・ストーダルはジューンの夫君である。

ヘレン・キャロル&ザ・スワントーンズ
ヘレン・キャロルとザ・スワントーンズについてはよくわからないが、ヘレンはザ・チェスターフィールド・サティスファイアーズというコーラス・グループのリーダーだった。このグループはペリー・コモのラジオ・ショウに出演しており、番組のスポンサーがタバコのチェスターフィールドだったことから命名されたのだろう。1948年のラジオ番組『Songs of Our Times』にはザ・チェスターフィールド・スムージーズの一員として名を連ねている。いずれにせよ、センター・ステージで活躍した歌手ではないようだ。ギターの名手カール・クレスと結婚していた。

ザ・メトロノーム・オールスターズ
レギュラー・コンボではなく、ジャズ誌『メトロノーム』の人気投票による各部門のトップ・アーティストを集めて行われたレコーディングのための特別編成グループ。1946年度のメンバーはチャーリー・シェイヴァース(tp)、ローレンス・ブラウン(tb)、ジョニー・ホッジス(as)、コールマン・ホーキンス(ts)、ハリー・カーニー(bs)、ナット・キング・コール(p)、ボブ・アハーン(g)、エディ・サフランスキー(b)、バディ・リッチ(ds)。この日は女性歌手部門で首位のジューン・クリスティとナット・キング・コールのデュエットで「ナット・ミーツ・ジューン」も録音された。

曲目解説

@マイ・ロマンス (w. ダイナ・ショア)
1947年4月25日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。1935年にロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『Jambo』で紹介され、1962年の映画化『ジャンボ』ではドリス・デイが歌った。シナトラとダイナは1946年11月7日にもはやりストーダルの編曲指揮でこの曲をレコーディングしており、今回はそのリメイクにあたる。
A二人でお茶を (w. ダイナ・ショア)
1947年4月25日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。1925年にアーヴィング・シーザーが作詞、ヴィンセント・ユーマンスが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ノー、ノー、ナネット』で紹介された。デュエット向きの曲だ。
Bイッツ・オール・アップ・トゥ・ユー (w. ダイナ・ショア)
1946年11月7日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。South Carolina Good Health Association のためにサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲してシナトラとダイナが特別に録音し、非売品SP(HCO-2136)がつくられた。そのSPはシナトラのレコードの中でもきわめてレアな一枚。裏面はケイ・カイサー楽団の演奏。
CDア・リトル・ラーニン・イズ・ア・デインジャラス・シング
(w. パール・ベイリー)
1947年12月8日録音。編曲はサイ・オリヴァー、指揮はアクセル・ストーダル。1947年にディック・ジェイコブズが作詞、サイ・オリヴァーが作曲したブルージーなナンバー。シナトラがこういったダウン・トゥ・アースな曲やスモール・コンボで歌うのは珍しい。Cではベイリーからシナトラへ、Dではシナトラからベイリーへ歌われ、1枚のSPにカップリングされリリースされた。
Eレッツ・テイク・アン・オールド・ファッションド・ウォーク (w. ドリス・デイ)
1949年5月6日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。バック・コーラスはザ・ケン・レイン・シンガーズ。ビルボード・チャートで最高17位。1949年にアーヴィング・バーリンが作詞作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『Miss Liberty』で紹介された。シナトラとDDは、ラジオの人気番組『ユア・ヒット・パレード』で1947年に3カ月弱だったが共演したほか、映画『Young at Heart』で「ユー・マイ・ラヴ」をデュエットで歌っている。
Fサンシャイン・ケーキ (w. ポーラ・ケリー)
  1949年11月8日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。1949年にジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲して、ミュージカル映画『恋は青空の下』(1950)でビング・クロスビーらが歌った。この日シナトラはザ・モダネアーズと「ソーリー」もレコーディングしている。メンバーはポーラ・ケリー、ジョニー・ドレイク、フランシス・スコット、ハル・ディキンスン(ポーラの旦那)、アラン・コープランド(コーラス部のアレンジも担当)。
Gピーチトゥリー・ストリート (w. ローズマリー・クルーニー)
1950年4月8日録音。編曲指揮はジョージ・シラヴォ。ジミー・サーンダース、レニ・メイソン、フランク・シナトラが作者にクレジットされているが、シナトラは歌詞の一部に手を加えたということだろう。この曲をデュエットでレコーディングするよう提案があったとき、シナトラは「相手は誰でもいいさ。何なら一番最近契約したシンガーでも」と答えた。その結果、シナトラ・フリークのロージーになったという。ピーチトゥリー街はジョージア州アトランタの目抜き通り。シナトラは冒頭で英国風、フランス風、ニューヨーク風にしゃべり、♪And I can tell that you're from Georgia, Because you got that Georgia charm♪、♪Eh, Miss Rosemary, How come the sweetest peach in Georgia, Hails from Maysville, Kentucky♪あたりでは南部訛りを真似ている。メイズヴィルはロージーの生誕地。
Hラヴ・ミーンズ・ラヴ (w. ローズマリー・クルーニー)
1950年12月11日録音。編曲はジョージ・シラヴォ、指揮はアクセル・ストーダル。1946年にカール・シグマンが作詞、ボニー・レイクが作曲した。このデュエットのほかにはゴードン・マクレイのレコード(キャピトル)がある程度。
Iチェリー・パイズ・オート・トゥ・ビー・ユー (w. ローズマリー・クルーニー)
1950年12月11日録音。編曲はジョージ・シラヴォ、指揮はアクセル・ストーダル。ブロードウェイ・ミュージカル『Out of This World』(1950)のためにコール・ポーターが作詞作曲した。シナトラのリラックスした歌いぶりとシナトラと歌うロージーの歓びが伝わってくる。
Jア・グッド・マン・イズ・ハード・トゥ・ファインド (w. シェリー・ウィンターズ)
1951年10月16日録音。編曲指揮はジョセフ・ガーシェンソン。1918年にエディ・グリーンが作詞作曲した。シナトラにとってコロンビア時代最後の映画となった『Meet Danny Wilson』(1951・日本劇場未公開)でシナトラとシェリー・ウィンターズがパーティーの場面でユーモアたっぷりに歌った。サウンドトラック用の録音は1951年6月13日、編曲指揮はやはりガーシェンソン。
Kキセズ・アンド・ティアーズ (w. ジェーン・ラッセル)
1950年2月23日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。バック・コーラスはザ・モダネアーズ。1949年にサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲した。ジェーンの声はゴージャスなルックスや肢体からは想像できないほどハスキーだ。シナトラとジェーン、グルーチョ・マルクスが出演した映画『Double Dynamite』(1951・日本劇場未公開)でもふたりで歌っているが、もう少しスローでコーラスなし、バックがスモール・コンボなので、受ける印象はかなり違う。そのサウンドトラックは1948年12月2日の録音で、編曲はリー・ハーライン、指揮はコンスタンティン・バカレイニコフ。シナトラはソロで1949年1月4日にもマーシャル・ロイヤル(cl)をふくむフィル・モアのコンボとレコーディングしている。
Lママ・ウィル・バーク (w. ダグマー)
1951年5月10日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。1951年シナトラのTVショウを見ていたミッチ・ミラーがシナトラとダグマーのコメディー・タッチのやりとりに閃いてディック・マニングに書かせたノヴェルティー・ソング。この種の歌はシナトラの美意識からは一番遠いところにあるが、A&Rマンのミラーから「絶対にヒットするから」といわれ、当時人気が低迷していたので不承不承レコーディングした。ビルボード・チャートでは最高21位。これを成功というか失敗と思うか微妙だ。犬の吠える真似はドナルド・ベイン。
Mエインチャ・エヴァー・カミン・バック (w. ザ・パイド・パイパーズ)
1947年3月11日録音。編曲指揮はアクセル・ストーダル。1947年にアーヴィング・テイラーが作詞、アクセル・ストーダルとポール・ウェストンが作曲した。ザ・パイド・パイパーズのメンバーは、ストーダル夫人のジューン・ハットン、ハル・ホッパー、チャック・ラウリー、クラーク・ヨーカム。シナトラのトミー・ドーシー楽団時代を彷彿とさせるサウンドが懐かしい。シナトラのキャピトル盤「ドント・チェインジ・ユア・マインド・アバウト・ミー」(1954)ではバックにザ・パイド・パイパーズとすでに退団していたジューンが参加している。
Nライフ・イズ・ソー・ペキューリア (w. ヘレン・キャロル&ザ・スワントーンズ)
1950年8月2日録音。オーケストラの編曲はジョージ・シラヴォ、コーラスの編曲はケン・レイン、指揮はパーシー・フェイス。バック・コーラスのメンバーはヘレン・キャロル以外不詳。このレコーディングのための臨時編成だろう。1950年にジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲して、ミュージカル映画『Mr. Music』(1950・日本劇場未公開)で、ビング・クロスビーと本人役で出たペギー・リーが歌った。
Oスウィート・ロレイン (w. ザ・メトロノーム・オールスターズ)
1946年12月15日録音。編曲指揮はサイ・オリヴァー。1928年にミッチェル・パリッシュが作詞、クリフ・バーウェルが作曲した。『メトロノーム』誌の人気投票で第1位のアーティストたちをバックに、シナトラはジャジーにスウィングするが、共演者たちはシナトラのジャズ・シンギングを賞賛したという。2テーク録音され、ここではオリジナル・テイクを収録している。この曲はナット・コールの持ち歌なので、ピアノを弾く彼の心境や如何に?シナトラは1977年3月14日にネルソン・リドルのオーケストラで再録音している(リプリーズ)。

(2013年8月26日 三具 保夫)

パーソネル:
  フランク・シナトラ(vo on 1 - 16)
  ダイナ・ショア(vo on 1 - 3)
  パール・ベイリー(vo on 4 - 5)
  ドリス・デイ(vo on 6)
  ポーラ・ケリー(vo on 7)
  ローズマリー・クルーニー(vo on 8 - 10)
  シェリー・ウィンターズ(vo on 11)
  ジェーン・ラッセル(vo on 12)
  ダグマー(vo on 13)
  ザ・パイド・パイパーズ(vo on 14)  
  ヘレン・キャロル&ザ・スワントーンズ(vo on 15)
  ザ・メトロノーム・オールスターズ(16)

編曲:
  アクセル・ストーダル(1 – 3, 6, 7, 12 – 14)
  サイ・オリヴァー(4, 5, 16)
  ジョージ・シラヴォ(8 – 10, 15)
  ジョセフ・ガーシェンソン(11)

録音:
  1946/1947/1949/1950/1951年

 

  
  

 

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