『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

topchronologydiscographyfilmographybest 10interviewsSSJ presentsfan clubshopblogmail

SSJ presents shop

misic bird

amazon

天然石 パワーストーン

 

sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『オリジナル・デュエッツ』/フランク・シナトラ

『デイ・バイ・デイ+6』/
ドリス・デイ

Day by Day + 6/
Doris Day
\2,500+税 (XQAM-1076/DQCP-1981) 原盤: 米Columbia
録音:1956年 ボーナストラック6曲
>>購入する  

  洗練されたスタイルと可憐な歌声で綴る、1956年録音の愛のスタンダード集。ドリス・デイ初の30センチ・オリジンナル・アルバムが26年ぶりに復活。さらに、同じ年の日本未発表シングルを6曲追録。  


1. The Song Is You/歌ことは君
2. Hello, My Lover, Goodbye/ハロー、マイ・ラヴァー、グッドバイ
3. But Not for Me/バット・ナット・フォー・ミー
4. I Remember You/アイ・リメンバー・ユー
5. I Hadn't Anyone Till You/アイ・ハドント・エニワン・ティル・ユー
6. But Beautiful/バット・ビューティフル
7. Autumn Leaves/枯葉
8. Don't Take Your Love From Me/ドント・テイク・ユア・ラヴ・フロム・ミー
9. There Will Never Be Another You/ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー
10. Gone With the Wind/風と共に去りぬ
11. The Gypsy in My Soul/ザ・ジプシー・イン・マイ・ソウル
12. Day by Day/デイ・バイ・デイ
13. Julie/ジュリー (ボーナス・トラック)
14. Love in a Home/ラヴ・イン・ア・ホーム (ボーナス・トラック)
15. Today Will Be Yesterday Tomorrow/トゥデイ・ウィル・ビー・イエスタデイ・トゥモロウ 
                          (ボーナス・トラック)
16. The Party's Over/ザ・パーティーズ・オーバー (ボーナス・トラック)
17. Nothing in the World/ナッシング・イン・ザ・ワールド (ボーナス・トラック) 
18. Whad'ja Put in That Kiss/ホワッジャ・プット・イン・ザット・キス (ボーナス・トラック)

 



   

 芸名(ステージ・ネーム)はアメリカでも広く使われている。イメージ作りやインパクト、人種的偏見から逃れる(例えばユダヤ系や東欧系)など理由はいろいろだが、本名が長すぎる、発音しにくいという場合もある。
 かつてはアングロサクソン系の名前にするケースが多かった。フランシス・アルバート・シナトラは楽団に迎えてくれたハリー・ジェイムスから「フランク・サテンはどうか?」といわれたが、シナトラで通した。同じくイタリア系のアンソニー・ドミニック・ベネデットははじめジョー・バリと名乗っていたが、ボブ・ホープの勧めで本名の英語読みトニー・ベネットに変えた。女性シンガーで見るなら、ノーマ・デローリス・エグストロムはペギー・リーと名乗り、フランセス・エセル・ガムはジュディ・ガーランドとなった。名前を変えることで、イメージもかなり変わるものだ。
 そしてドリス・デイ。本名はドリス・メアリー・アン・カペルホフだが、バーニー・ラップ楽団で歌っていた1939年、リーダーのラップが「カペルホフ」姓では長すぎると、ドリスの得意曲「デイ・アフター・デイ」(「デイ・バイ・デイ」ではない)からとってドリス・デイとした。ドリスの伝記『ハー・オウン・ストーリー』(1975)によれば彼女自身はこの名前を好きになったことはないとか。

ドリス・デイの経歴

 1924年4月3日オハイオ州シンシナティの郊外エヴァンストン生まれ。両親はともにドイツ系二世で、父親のウィリアムは音楽教師だった。ドリスが幼いときに両親が離婚したため、母親のアルマに育てられた。シンシナティでダンス・デュオを組んで活動を始めハリウッドへ進出しようとして矢先の1937年、乗っていた車が列車に衝突して大怪我を負い断念したが、入院・療養中にラジオで多くの音楽を聴き、中でもエラ・フィッツジェラルドの歌に魅せられてシンガーの道に進むことにした。地元のグレース・レインに週3回歌を習ったが、ドリスの才能を見抜いたレインは週に1回分のレッスン料しかとらなかった。レッスンに励む傍らレインの紹介でシンシナティのラジオ局WLWで歌うようになり、ラジオで聴いたバンド・リーダーのバーニー・ラップからオーディションの誘いを受け専属歌手の座を射止めた。
ボブ・クロスビー楽団を経て、1939年レス・ブラウン楽団の専属歌手となるが1941年結婚のために退団。2年もたたないうちに離婚したあとしばらくして同楽団に復帰し、1945年に「センチメンタル・ジャーニー」が大ヒットした。
 1947年に独立してコロンビアと契約し以後は一貫してコロンビアでレコーディングした。ヒット曲は「ラヴ・サムバディ」(1948/1位)、「イッツ・マジック」(1948/2位)、「アゲイン」(1949/2位)、「ア・ガイ・イズ・ア・ガイ」(1952/1位)、「シークレット・ラヴ」(1954/1位)、「ケ・セラ・セラ」(1956/2位)ほか多数。『デイ・バイ・デイ』(1956)、『デイ・バイ・ナイト』(1957)、『カッティン・ケイパーズ』(1958)、『デュエット』(1961)、『ラテン・フォー・ラヴァーズ』(1964)など傑作アルバムも多い。
 作詞家のサミー・カーンと作曲家のジューリィ・スタインの推薦で1948年に『Romance on the High Seas』(日本劇場未公開)でスクリーン・デビューを果たし、これが好評で『情熱の狂想曲』(1950)、『二人でお茶を』(1950)などワーナーで多くのミュージカル映画に出演した。ミュージカル映画の代表作は『カラミティ・ジェーン』(1953)と『情欲の悪魔』(1955)。ロック・ハドソンと組んだ都会派コメディー映画もヒットし『夜を楽しく』(1959)ではアカデミー主演女優賞にノミネートされた。シリアスな演技の代表作はヒッチコック映画『知りすぎていた男』(1956)。『カラミティ・ジェーン』の「シークレット・ラヴ」と『知りすぎていた男』の「ケ・セラ・セラ」はアカデミー主題歌賞を受賞している。
 引退後は動物愛護の活動に専念し現在に至っているが、2004年に米民間人最高の栄誉である自由勲章を授与され、2011年には過去の未発表作品を集めたCDアルバム『マイ・ハート』(Sony)をリリースして話題となった。

『デイ・バイ・デイ』+6

 『デイ・バイ・デイ』(コロンビア CL-942)は、アルバム・チャートのトップに28週間君臨したサウンドトラックの『情欲の悪魔(Love Me or Leave Me)』(1955・コロンビア CL-710)を除けば、ドリス・デイにとって初の30センチ・オリジナル・アルバムである。バラードとスウィング曲のハイブリッド構成で、スタンダードの数々を、心を込めて端正に歌っている。この種のアルバムはよくあるが、スウィング曲では抑えられたビートをストリングスがソフトに優しく包み込み、ドリスもリズムを強調せずバラードのようなしなやかさで歌っている。結果、スウィング曲もバラードの趣があり、アルバム全体が見事に統一されている。ビルボードのアルバム・チャートでは最高11位にランクされた。 
 ボーナス・トラックの6曲は『デイ・バイ・デイ』のセッションの前後1956年8月10日と10月30日に吹き込まれたシングル用の録音で、日本では初めてのリリースとなる。

曲目解説

@歌こそは君
アメリカン・スタンダードの古典的名作。1932年にオスカー・ハマースタイン2世が作詞、ジェローム・カーンが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ミュージック・イン・ジ・エアー』で紹介された。「歌(ソング)」は「恋」の隠喩。 
?ハロー、マイ・ラヴァー、グッドバイ
著名なスタンダード揃いのこのアルバムの中では無名に近い。1931年にエドワード・ヘイマンが作詞、ジョン・グリーンが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ヒア・ゴーズ・ザ・ブライド』でフランセス・ラングフォードが紹介した。
Bバット・ナット・フォー・ミー
1930年にアイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ガール・クレイジー』でジンジャー・ロジャースとウィリー・ハワードが歌った。映画化(1943)ではジュディ・ガーランドが歌っている。
Cアイ・リメンバー・ユー
1942年にジョニー・マーサーが作詞、映画監督で作曲家のヴィクター・シャーツィンガーが作曲して、ミュージカル映画『ザ・フリーツ・イン』(日本劇場未公開)でドロシー・ラムーアが歌った。監督はもちろんシャーツィンガー。この映画からはマーサー&シャーツィンガーによる「タンジェリン」も生まれた。
Dアイ・ハドント・エニワン・ティル・ユー
イギリスのバンド・リーダー、レイ・ノーブル1938年の作品。ノーブルの代表作「君を想いて(ザ・ヴェリー・ソート・オブ・ユー)」にも通じる、英国人らしい格調ある愛の歌で、ドリスは控え目ながらスウィンギーなアプローチをみせる。
Eバット・ビューティフル
1947年の映画『南米珍道中』でビング・クロスビーが歌った、しっとりとしたラヴ・バラード。作詞はジョニー・バーク、作曲はジミー・ヴァン・ヒューゼン。ドリスの繊細さと抑制された情感表現がよくわかる。
F枯葉
1947年にジャック・プレヴェールが作詞、ジョセフ・コスマが作曲したシャンソンで、ジョニー・マーサーが1950年に英詞を書いた。多くのシンガーや演奏家によって競うようにとりあげられてきた、アメリカでもっとも成功したシャンソン。ドリスはヴォーカルによるベスト・レコードの一枚。
Gドント・テイク・ユア・ラヴ・フロム・ミー
1941年にヘンリー・ニーモが作詞作曲。最初に歌ったのはミルドレッド・ベイリーだった。ドリスのようにバラードで歌ってもシナトラのようにスウィングすることも出来る佳曲だが、日本人はあまり歌わない。
Hゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー
1942年にマック・ゴードンが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミュージカル映画『アイスランド』(日本劇場未公開)でサミー・ケイ楽団をバックにジョウン・メリルとジョン・ペインが歌った。映画は忘れられてしまったが、曲のほうは今も人気がある。
I風と共に去りぬ
1936年に出版されたマーガレット・ミッチェルの同名の大河小説に触発されて、ハーブ・マジツンが作詞、アリー・ルーベルが作曲した失恋のバラード。出版は1937年。深刻過多にならず、ドリスらしい細やかな表現が見事だ。
Jザ・ジプシー・イン・マイ・ソウル
1937年にモー・ジャフィが作詞、クレイ・ボーランドが作曲して、レヴュー『フィフティー・フィフティー』で紹介された。スタッカート風に歌って『デイ・バイ・デイ』中随一のスウィング感がでている。
Kデイ・バイ・デイ
サミー・カーン、アクセル・ストーダル、そしてこのアルバムの編曲指揮者ポール・ウェストンが1945年に共作した。最初に歌ったのはポール・ウェストン夫人のジョー・スタッフォード。1946年1月16日にもレス・ブラウン楽団とコロンビアに吹き込んでいるが、そちらはまだエラ・フィッツジェラルドの気配が感じられる。
Lジュリー(ボーナス・トラック)
トム・アデアが作曲、リース・スティーヴィンスが作曲して、サスペンス映画『影なき恐怖』(1956)のタイトル・バックで主演のドリスが歌い、アカデミー主題歌にノミネートされた。Mとのカップリングでシングル・リリースされ、ビルボード・チャートの64位まで上昇。
Mラヴ・イン・ア・ホーム(ボーナス・トラック)
ジョニー・マーサーが作詞、ジーン・デ・ポールが作曲して、1956年のブロードウェイ・ミュージカル『リル・アブナー』で紹介された。ビルボード・チャートの79位まで上昇。
Nトゥデイ・ウィル・ビー・イエスタデイ・トゥモロウ(ボーナス・トラック)
「ロンドン・バイ・ナイト」で知られる英国出身のキャロル・コーツの作品。今回同時発売の『デイ・バイ・ナイト+7』に収録されている「トゥウェルヴ・オクロック・トゥナイト」とのカップリングでシングル・リリース。
Oザ・パーティーズ・オーバー(ボーナス・トラック)
1956年にベティ・カムデンとアドルフ・グリーンが作詞し、ジューリィ・スタインが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ベルズ・アー・リンギング』でジュディ・ホリデイが歌った。多くの歌手が吹き込んだが、最高位63位ながらチャートインしたのはドリスだけ。
Pナッシング・イン・ザ・ワールド(ボーナス・トラック)
ウォルトン・ファーラーが作詞、ウォルター・ケントが作曲した。『デイ・バイ・ナイト+7』に収録されている「スルー・ジ・アイズ・オブ・ラヴ」とのカップリングでシングル・リリース。
Qホワッジャ・プット・イン・ザット・キス(ボーナス・トラック)
ドリスには珍しくロックンロール調。アル・カヴェリーンとジャン・マタスの作品。Oとのカップリングでシングル・リリースされた。1955年11月11日に録音し1995年に発表されたヴァージョンもあるが、今回のほうが完成度は高い。
                                                 (2013.12.20. 三具 保夫)  

パーソネル:
  ドリス・デイ(vo)

編曲: ポール・ウェストン 1 – 14
    フランク・デヴォル 15 - 18

録音:1956年9月17日 10, 1, 8, 11
    1956年9月21日 7, 4, 2, 12
    1956年9月26日 6, 9, 3, 5
    1956年8月10日 13, 14
    1956年10月30日 15 – 18
       ハリウッド

モノラル録音

  
  

 

Copyright (C) SSJ, Inc.:本サイトで掲載の全ての記事・写真の無断転載を禁じます。