『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan

『ソー・スムーズ+8』/
ペリー・コモ
So Smooth + 8/
Perry Como
\2,500+税 (XQAM-1078/DQCP-3024) 原盤: 米RCA
録音:1955年 ボーナル・トラック8曲/
うち未発表6曲
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20世紀を代表するクルーナー、ペリー・コモの代表作で 1955年に発表された初の30センチ・アルバムが25年ぶりに復活。 さらに同じセッションから6曲、その時期のシングル・セッションから2曲の計8曲を加えたが、うち6曲は世界初登場。

 

 
1. It's a Good Day/イッツ・ア・グッド・デイ
2. As Time Goes By/アズ・タイム・ゴーズ・バイ
3. I've Got the World on a String/アイヴ・ガット・ザ・ワールド・オン・ア・ストリング
4. My Funny Valentine/マイ・ファニー・ヴァレンタイン
5. For Me and My Gal/フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル
6. I Gotta Right to Sing the Blues/アイ・ガッタ・ライト・トゥ・シング・ザ・ブルース
7. Breezin' Along With the Breeze/ブリージン・アロング・ウィズ・ザ・ブリーズ
8. It's the Talk of the Town/イッツ・ザ・トーク・オブ・ザ・タウン
9. You Do Something to Me/ユー・ドゥー・サムシング・トゥ・ミー
10. It Happened in Monterey/モンタレイの出来事
11. One for My Baby/ワン・フォー・マイ・ベイビー
12. In the Still of the Night/イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト
13. Ain't Misbehavin'/エイント・ミスビヘイヴィン (未発表)
14. Nobody/ノーバディ
15. Trees/トゥリーズ (未発表)
16. When You're Away/ホエン・ユア・アウェイ (未発表)
17. Door of Dreams/ドア・オブ・ドリームズ
18. It's the Talk of the Town/イッツ・ザ・トーク・オブ・ザ・タウン (未発表・別テイク)
19. As Time Goes By/アズ・タイム・ゴーズ・バイ (未発表/別テイク)
20. Madeira/マデイラ (未発表・インストルメンタル・オンリー)  
   ボーナス・トラック: 13〜20

 
 


                 ペリー・コモ vs フランク・シナトラ

 ビング・クロスビーの次代にくる偉大なクルーナーといえばペリー・コモとフランク・シナトラである。クルーナーとは声をマイクに乗せて増幅させスムーズにリラックスして歌うシンガーのことで、オペラのような声量やメリハリが効き過ぎるほどの発音は必要とせず、むしろ会話に近い歌い方といえる。初期のコモはクロスビーから「オレの真似をしている」と不興を買ったといわれるが、次第に自分のスタイルやサウンドを身に着け、最終的にはクロスビーに認められるまでになった。  コモはシナトラの3歳半ほど年上でともにイタリア系なのでよく比較されるが、気性も歌への感情移入も正反対といっていいほどで、クロスビーの引力圏から脱して自己のスタイルを確立した1950年代以降はさらにその感が強い。強烈なセックス・アピールとリアルな表現に磨きをかけたシナトラと、時にはノンシャランとしたユーモアを見せるハート・ウォーミングでカジュアルなコモとの歌唱スタイルの違いは歴然である。

                 ヒット・メーカーからアルバム・シンガーへ

 ペリー・コモは1912年5月18日にペンシルヴァニア州のキャノンズバーグでイタリア系移民の大家族の七番目、初めてのアメリカ生まれの子供だった。10歳のときから学校の前後に理髪店で働き町一番の理髪師になるのが夢だった。同時に音楽に対する情熱も捨てがたく、最終的には歌の道に進んだ。
 1933年にフレディ・カーローン楽団のオーディションに合格して1935年12月まで在籍し、テッド・ウィームズ楽団に移ってから注目を集めるようになったが、1942年にウィームズが楽団を解散。ツアーに疲れていたコモは故郷に帰って理髪店を開くことも考えたが、ニューヨークだけという条件でCBSラジオのオファーを受け入れた。着実に仕事をこなして1943年にRCAヴィクター・レコードと専属契約を結び、1987年のラスト・レコーディングまで一貫して同レーベルで吹き込んだ。44年間にわたってひとつのレコード会社にいた歌手はほかに見当たらないのでは?両者の関係がそれだけ良好だったこと、そしてコモのレコードがいつの時代にも受け入れられてきたということだ。
 ペリー・コモの最初のヒットは「グッドバイ、スー」(1943年6月20日録音)で、1943年8月にチャートインしている。その後多くのヒット曲が続くが、ナンバーワン・ソングだけとってみても「時の終わりまで」、「恋のとりこ」、「魅惑の宵」、「星をみつめないで」、「ノー・アザー・ラヴ」、「ラウンド・アンド・ラウンド」、「キャッチ・ア・フォーリング・スター」等々、14曲に及ぶ。  LP時代になると10インチ(25センチ)盤で『TVフェイヴァリッツ』、『メリー・クリスマス・ミュージック』、『ア・センティメンタル・デイト』、『ヒッツ・フロム・ブロードウェイ・ショウズ』、『アラウンド・ザ・クリスマス・ツリー』、『アイ・ビリーヴ』などを発表した。そして初の12インチ(30センチ)盤が1955年の本作『ソー・スムーズ』(LPM-1085)で、ビルボードのアルバム・チャートでは最高7位まで昇った。
 同じ1955年にシナトラは抑制された表現の中にも恋の悩みを厳しく歌った『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』(キャピトル)を発表している。一方のコモだが『ソー・スムーズ』は恋の歓びを歌った曲もあるが、失恋の歌さえソフトに包み込むような温かさで歌っている。ふたりの違いを知るには、『ソー・スムーズ』に入っている曲と以下同時期のシナトラのレコードを聴き比べるのがいいだろう。「アイヴ・ガット・ザ・ワールド・オン・ア・ストリング」(1953)、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」(1953)、「モンタレイの出来事」(1956)、「ワン・フォー・マイ・ベイビー」(1958)である。
 1989年以来25年ぶりの再発となる今回のリリースは、オリジナルLPの12曲(@〜K)に加えて、このアルバムの4回のセッションで録音されながらアルバムから洩れた曲(L〜O)や別テーク(QR)、そのすぐあとのセッション(2月22日)の2曲(PS)を加えた世界初の企画である。

                            曲目について

@イッツ・ア・グッド・デイ
1946年にギタリストのデイヴ・バーバーと当時の夫人ペギー・リーが作った歌で、ペギーのキャピトル盤がビルボード・チャートの16位に。コモらしい軽やかさでスウィングする好唱だ。この楽観的な明るさはクロスビーにも通じるものがある。
Aアズ・タイム・ゴーズ・バイ
映画『カサブランカ』(1942)の挿入歌として誰もが知るスタンダード。1931年にハーマン・ハップフェルドがレヴューの『エヴリバディズ・ウェルカム』のために書いた。この歌のカラオケはここでのアレンジがベース。
Bアイヴ・ガット・ザ・ワールド・オン・ア・ストリング
1932年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、ナイトクラブでのレヴュー『コットン・クラブ・パレード』で歌われた。切れ味鋭いシナトラに対しコモは穏健な歌い回しだが、十分にスウィングしている。ギターはトニー・モットーラ。
Cマイ・ファニー・ヴァレンタイン
1937年にロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ベイブズ・イン・アームズ』で歌われた。シナトラの名唱で知られるが、温もりに満ちたコモの表現も実に美しい。
Dフォー・ミー・アンド・マイ・ギャル
1917年にエドガー・レスリーとE・レイ・ゲッツが作詞、ジョージ・W・マイヤーが作曲した。同名のミュージカル映画(1942・日本劇場未公開)ではこの映画でスクリーン・デビューしたジーン・ケリーが歌った。 Eアイ・ガッタ・ライト・トゥ・シング・ザ・ブルース
1932年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、レヴューの『アール・キャロル・ヴァニティーズ』で歌われた。コモはレイジーなムードを出しながら深刻にならず余韻のある歌を聴かせる。
Fブリージン・アロング・ウィズ・ザ・ブリーズ
1926年にヘイヴン・ギレスピー、シーモア・サイモンズ、リチャード・A・ホワイティングが共作して、アル・ジョルスンの歌でポピュラーになった。コモはピアノ・トリオ+ギターをバックにタイトにスウィングして快調。全面にわたってジョージ・バーンズのギターがアクセントをつけ中間でボブ・ハガートのベースがソロをとる。
Gイッツ・ザ・トーク・オブ・ザ・タウン
1933年にマーティ・サイムズとアル・J・ニーバーグが作詞、ジェリー・リヴィングストンが作曲して、カサロマ・オーケストラの演奏でポピュラーになった。女性向けの曲といえるが、コモのこのレコードが一番の名唱。
H/ユー・ドゥー・サムシング・トゥ・ミー
1929年にコール・ポーターが作詞作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『フィフティー・ミリオン・フレンチメン』で歌われた。ポーターの伝記映画『夜も昼も』(1946)では、のちに大統領になるロナルド・レーガンの当時の夫人ジェーン・ワイマンが歌った。ジャジーな語り口で歌うコモは出色の出来。
Iモンタレイの出来事
1930年にビリー・ローズが作詞、メイブル・ウェインが作曲して、レヴュー映画『キング・オブ・ジャズ』(1930)で歌われた。アップビートでスウィングするシナトラのキャピトル盤で知られるが、コモのリラックスした歌はセンティメンタルなムードいっぱいの秀作。
Jワン・フォー・マイ・ベイビー
ジョニー・マーサーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲して、ミュージカル映画『青空に踊る』(1943)でフレッド・アステアが歌い踊った。これもシナトラのキャピトル盤が名高いが、コモは自分の個性と解釈、表現で歌いきる。
Kイン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト
1937年にコール・ポーターが作詞作曲して、ミュージカル映画『ロザリー』(1937・日本劇場未公開)でネルソン・エディが歌った。アレンジやレイ・チャールズ・シンガーズのコーラスがドリーミーでファンタジックなムードを演出する。
Lエイント・ミスビヘイヴィン(未発表/ボーナス・トラック)
1929年にアンディ・ラザフが作詞、ピアニスト・シンガーのファッツ・ウォーラーがハリー・ブルックスと作曲して、レヴュー『コニーズ・ホット・チョコレーツ』で紹介され、ミュージカル映画『ストーミー・ウェザー』(1943・日本劇場未公開)ではウォーラー自身が歌った。コモはスモール・コンボをバックに小粋なフレージングで聴かせる。この力みのなさが彼の真骨頂。
Mノーバディ(ボーナス・トラック)
1905年にアレックス・ロジャースが作詞、バート・A・ウィリアムスが作曲した。コモのこのレコードは録音当時イギリスでSPとシングルで出た。コモが録音したのはこの年に映画『エディ・フォイ物語』でボブ・ホープが歌ったからか?
Nトゥリーズ(未発表/ボーナス・トラック)
才能を称えられながら第一次大戦のため31歳の若さで亡くなったアメリカの詩人ジョイス・キルマーが1913年に雑誌に発表した詩『樹』に1922年オスカー・ラスバックがメロディーをつけて有名になり、ミュージカル映画『ラヂオは笑ふ』(1932)にも使われた。
Oホエン・ユア・アウェイ(未発表/ボーナス・トラック)
1914年にヘンリー・ブロッサムが作詞、ヴィクター・ハーバートが作曲して、オペレッタの『ジ・オンリー・ガール』で紹介されたが、もともとはアイルランドの恋歌。ディアナ・ダービンなどはクラシック風に歌っていたが、コモはソフトでドリーミー、彼らしい解釈だ。
Pドア・オブ・ドリームズ(ボーナス・トラック)
アル・スティルマン作詞、ロバート・アレン作曲。MとのカップリングでSP/シングル化されたほか、アルバム『ウェンズデイ・ナイト・ミュージック・ホール』(米キャムデン CAL-551)でLP化された。『ソー・スムーズ』セッションではないためか、きわめてメリハリの効いた曲、歌唱だ。
Qイッツ・ザ・トーク・オブ・ザ・タウン(未発表別テーク/ボーナス・トラック)
Gの別テークで、それ以前1月20日の録音のようだ。歌も伴奏も基本的には変わらないが、サビの各フレーズの最後にギターが入る。オリジナル・テークではホーンだった。
Rアズ・タイム・ゴーズ・バイ(未発表別テーク/ボーナス・トラック)
Aと同じ1月20日の別テークと思われる。歌も伴奏も既発売のテーク8とほとんど変わらないが、フレーズの頭で若干遅くて入る箇所がいくつかあるので歌い直したのかも。コーラスの最後の ♪… as time goes by♪ を盛り上げる箇所のフレージングがやや違う。
Sマデイラ(未発表/インストルメンタル・オンリー/ボーナス・トラック)
資料によっては「Maderia」となっている。曲の詳細はわからないが、このアルバムで指揮を執っているミッチ・エヤーズの作曲のようだ。ディスコグラフィーを頼りにアーカイヴを探したがコモのヴォーカル・ヴァージョンは見つからず、演奏のトラックが出てきた。カラオケではなくメロディー・ラインもしっかり入っており、コモにこの歌を覚えてもらうための録音だったのかも。
                                                     (2014.6.3. 三具 保夫)

パーソネル
    ペリー・コモ(vo except on 20)
       ミッチェル・エヤーズ・オーケストラ
       レイ・チャールズ・シンガーズ(1, 5, 6, 10, 12, 15, 16)
 
編曲 ジョー・リップマン(1, 4, 5, 8, 12, 18)
       ジョー・ライスマン(2, 3, 6, 10, 19)
       ジャック・アンドリュース(11)
       不明(7, 9, 13, 14, 15, 16, 17, 20)
 
指揮 ミッチェル・エヤーズ
 
録音 1955年1月20日(2, 3, 4, 9, 13, 17, 18, 19)
    1955年1月25日(6, 7, 10)
    1955年2月8日(1, 5, 14, 16)
    1955年2月17日(8, 11, 12, 15)
    1955年2月22日(17, 20)
       ニューヨーク/ウェブスター・ホール
       モノラル

 



 

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