『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ホワイル・ウィアー・ヤング+10/ローズマリー・クルーニー


『バット・ナット・フォー・ミー』/
キャロル・スローン
But Not for Me/
Carol Sloane
\2,500+税 (XQAM-1079/DQCP-3025 原盤: 日Sony
録音:1986年

23年ぶりの復活
初の紙ジャケット仕様

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キャロル・ファン、ヴォーカル・ファンがずっと探していた究極のジョージ・ガーシュイン集、 23年ぶりの復刻。バックはトミー・フラナガン・トリオ+フランク・ウェスという 、これ以上は望めない理想の伴奏陣。

 


1. Nice Work If You Can Get It/ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット
2. How Long Has This Been Going On?/ハウ・ロング・ハズ・ジス・ビーン・ゴーイング・オン?
3. Oh Lady, Be Good/オー・レイディ、ビー・グッド
4. But Not for Me/バット・ナット・フォー・ミー
5. Isn't It a Pity?/イズント・イット・ア・ピティ?
6. Love Walked In/ラヴ・ウォークト・イン
7. I've Got a Crush on You/アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー
8. They All Laughed/みんな笑った
9. Embraceable You/エンブレイサブル・ユー
10. I Loves You Porgy 〜 Summertime/アイ・ラヴズ・ユー・ポーギー 〜 サマータイム

 


 1994年を最後に来日していないキャロル・スローンだが、5年前の2009年にはアメリカで新録音を発表して健在ぶりを示した。現在は引退して地元ボストンで後進の指導にあたっている。

キャロル・スローンとの思い出

 はじめにキャロルと私の関係を記しておきたい。新宿にあったジャズ・クラブのカーニヴァルに初めて聴きに行き会話を交わしたのが最初で、以来交流は30年以上になる。当時ノース・カロライナ州ダーラムにあった彼女の自宅には二度ほど遊びに行き、アメリカでのツアーに何度か同行し、彼女の運転する車でワシントンDCから自宅のあるダーラムまで長時間の珍道中もあった。生涯忘れられない貴重な体験をし、歌手以外の彼女も間近で見てきた。特にNYCやワシントンDCでは多くのミュージシャンや雑誌編集者たちを紹介され、その人たちとの付き合いは現在も続いている。キャロルは離れた姉貴といったところだろうか、長い付き合いが出来ているのは彼女の人間としての魅力ゆえだと思っている。
 キャロルは初めて会った時から忘れがたい人だった。明るく優しいし、太っ腹で、相手の立場に立って物事を考える。適当にいい加減なところもあり、何しろ一緒にいて飽きさせない人である。
 1983年当時の彼女は独身で、ダーラムという、たばこ産業が盛んで外を歩いていても何処にいてもたばこの葉の良い匂いがする独特の雰囲気のある町に住んでいた。スティーヴンスというクラブをベースに地元や近郊で出演していたが、求められて共和党の大統領選挙のキャンペーンで歌ったこともある。私が初めて会いに行った年の夏は気温が35度以上もあり日照りが非常にきつく、とても外出出来る状態ではなかった。彼女の部屋は真夏なので当然エアコンはオンだったが、暑がりなのか設定温度を極端に低くしていたので部屋の中は真冬状態。彼女は冬物の厚手のセーターを着て部屋の中で過ごしていたが、私も彼女のセーターを借り凌ぐハメになった。そんな寒い部屋に子犬ほどの大きな猫が同居しており名前はムーンビーム。キャロル・ファンには聞き覚えのある名前だと思う。そう、この猫ちゃんの名前が彼女の来日に一役買ったレコード『サブウェイ・トークンズ』のレーベル名“ムーンビーム”である。このアルバムは地元やニューヨーク州のファンによる熱烈なサポートがあって自主制作・自費出版されたスティーヴンスでのライヴ録音で、私が初めて彼女の歌を知ったのはこのレコードだった。
 『サブウェイ・トークンズ』が輸入され77年に初来日を果たした結果キャロル・フィーヴァーが起こり、それに続く新録音の発売ラッシュには目を見張るものがあった。初来日したこの年に『ソフィスティケイテッド・レイディ』と『スプリング・イズ・ヒア』という2枚のLPが録音され、その後もアメリカで2枚、82年から84年にかけての3年間に5枚のレコードが日本で制作・発売された。キャロル人気の急上昇ぶりの証左である。ワシントンDCの名門ジャズ・クラブ、チャーリーズに1週間出演した時は彼女の前後にメル・トーメやサラ・ヴォーンらが出演しており、キャロルのステータスが上がってきたことがわかる。この頃からアメリカでの仕事が急増し、私もマネージャーとして同行した。
 急に話は飛ぶが、キャロルが来日することになった経緯が面白い。キャロルによれば、1977年のことだが、ジャズ・プロモーターの老舗オールアート・プロモーションの石塚貴夫社長が歌手のディー・ディー・ブリッジウォーターを日本に招聘すべくNYCへ行き、彼女の出演が予定されていたグリニッジ・ヴィレッジのジャズ・レストランのホッパーを訪問したが現れない。それも2度。この時の伴奏者(*)はニューヨーク・ジャズ・カルテットだったが、困った店側はリーダーのローランド・ハナに代役を求め、ハナから連絡を受けたキャロルが1週間急遽ステージに立ったのだ。この時のキャロルをいたく気に入った石塚社長はその場で彼女にオファーして、同年10月にニューヨーク・ジャズ・カルテットやジョニー・ハートマンと来日を果たしたのだ。

(*)一説ではハンク・ジョーンズのトリオとなっているが、キャロルはローランド・ハナのカルテットだったと明言している。

『バット・ナット・フォー・ミー』の経緯

 さて今回再発される『バット・ナット・フォー・ミー』だが、噛みしめるようにそっと語りかけてくる温かで心安らぐフレージング、トミー・フラナガンやジョージ・ムラーツら名手たちによる伴奏、10曲どれをとってみても「お見事!」としかいいようのない出来栄えだが、実は80年代に日本で企画されたアルバムの中では意外と知られていない。キャロルの来日に合わせた日本でのキャロル・ブームと録音ラッシュが一息着いた時期だったからかも知れない。結果、最後の日本制作盤となった。
 1986年にCBSソニーは10人の女性ヴォーカル特集を組みソングブック形式で録音・発売した。キャロルによれば、ソニー側からは当初10枚のボックスセットで発売されると聞いていたそうだ。好きな作曲家を選んでいい、伴奏者はリーダーの彼女が決めていいといわれたが、ソニーからはコール・ポーターかロジャース&ハートを勧められた。ポーターは滅多に歌わないからと辞退したところソニー側は多少不満を示したが、結局ポーターやロジャース&ハートは他のシンガーたちによって歌われた。
 キャロルがジョージ・ガーシュインを選んだのは、彼の音楽が“muscular texture”だからだという。つまり曲の構成や構造ががっちりとしているという意味だ。ポーターと比較すれば容易に納得できるし、キャロルの大好きな作曲家がデューク・エリントンであることに相通じる。そして何よりもアイラ・ガーシュインの詞が最高にマッチしているし、バスタブのジャケットも気に入っているという。
 特筆したいのは伴奏者たちのサポートの素晴らしさだ。ありきたりの褒め言葉に聞こえるが、例えばトミフラの前面に出ない深く静かな珠玉の演奏。発売当時27歳少々だった私には正直このアルバムは物足りなかったが、30年という歳月が経つと昔とは違う感覚で聴くことが出来る。温かさに心が癒されるのだ。
 最近キャロルから聞いた裏話がある。この時の録音でトミー・フラナガンは特に慎重で、ジョージの曲とアイラの詞をキャロルが正確に解釈し歌えるか多少心配していたようで、通常より多くの時間をかけて入念にリハーサルをしたという。トミフラ曰く「ガーシュインの歌伴は非常に神経を使うんだよ」。今回の伴奏者たちとキャロルとはNYCやワシントンDCでたびたび共演しているので気心は知れており、特にジョージ・ムラーツとキャロルの付き合いはプライベートにも及んでいる。彼女がダーラムのスティーヴンスに出演をした時のハウス・ピアニストがポール・モンゴメリーで、彼の娘が現在のムラーツ夫人である。彼女を紹介したのはキャロルで、いわば仲人というわけだ。キャロルの録音にはアメリカでも日本でもその多くにムラーツが参加している。キャロル曰く「ジョージは世界一のベーシストよ」。

 キャロルは1937年3月5日生まれなので、現在77歳になる。4歳年上のご主人とボストン郊外で平穏に暮らしている。毎週土曜日に3時間ほどジャズ・ヴォーカルの発声法を教えているが、今年の秋からは個人レッスンも行う予定で、生徒たちも決まり準備で今から結構忙しくしている様子だ。

曲目について

@ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット 
1937年のミュージカル映画『踊る騎士』からの曲。ラスト・シーンでフレッド・アステアがドラムスを叩きワイルドにタップを踏むシーンは圧巻だ。トミフラのしなやかな序奏を受けて、キャロルは自在にフェイクしながら小気味よくスウィングしていく。
Aハウ・ロング・ハズ・ジス・ビーン・ゴーイング・オン?
1927年のミュージカル『ファニー・フェイス』のために書かれたがブロードウェイ上演以前にカットされ、『ロザリー』(1928)でブロードウェイ上演された。1957年の映画化(邦題『パリの恋人』)では、オードリー・ヘプバーンが自分の声で歌っている。コーラス部でのキャロルの語り口が実に素晴らしい。どんどん歌に引き込まれていく。
Bオー・レイディ、ビー・グッド

1924年のブロードウェイ・ミュージカル『レイディ、ビー・グッド!』で紹介され、1941年の映画化でも歌われた。エラ・フィッツジェラルドが得意だった。コーラスに入ってからのキャロルの自在でリラックスした歌いぶりはこの歌を完全に自分のものにしている証拠。
Cバット・ナット・フォー・ミー
1930年のブロードウェイ・ミュージカル『ガール・クレイジー』でジンジャー・ロジャースが歌い、1943年の映画化(日本劇場未公開)ではジュディ・ガーランドが歌った。歌手の実力はヴァースに現れるが、キャロルは完璧。多くのシンガーによって手垢のついた歌だが、キャロルは自らの個性で歌い通す。トミフラのソロともどもほれぼれする出来栄えだ。 
Dイズント・イット・ア・ピティ?

1932年に発表され、翌年のブロードウェイ・ミュージカル『パードン・マイ・イングリッシュ』で紹介された。どちらかといえば無名曲だが、キャロルの深い思いを込めた繊細な歌はメル・トーメと並ぶ名唱。
Eラヴ・ウォークト・イン

1938年のミュージカル映画『ザ・ゴールドウィン・フォーリーズ』(日本劇場未公開)の歌。この映画はジョージにとって最後の作品。キャロルはスキャットによるテナーとのデュエットから入って全員が一体となって快調にスウィングしていく。間奏後のメロディーの解体・再構築ぶりも実に見事だ。
Fアイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー

1928年のブロードウェイ・ミュージカル『トレジャー・ガール』で歌われた。リー・ワイリー以後多くの歌手が取り上げているが、キャロルもベストの一枚に挙げたい。
Gみんな笑った

1937年のミュージカル映画『踊らん哉』でジンジャー・ロジャースが歌った。力みが入りがちな曲だが、キャロルは自然体で歌いながらも充分にスウィングしている。ソフィスティケーションあふれる歌に脱帽。
Hエンブレイサブル・ユー

これも『ガール・クレイジー』より。キャロルは珍しくヴァースから入って、感慨を込めて丁寧に歌っていく。バラードの手本だ。フランク・ウェスのテナーも実にチャーミング。
Iアイ・ラヴズ・ユー・ポーギー
サマータイム
1935年のフォーク・オペラ『ポーギー・アンド・ベス』からの2曲をメドレーで歌う。前者は南部の黒人訛りを意識して主語が「アイ」なのに動詞は三人称になっているが、キャロルは正しい英語で歌っている。オペラの中ならともかく独立した歌として歌う場合はこれが正解だ。作詞はアイラ・ガーシュインとこのオペラの原作小説の著者デュ・ボース・ヘイワード。後者の作詞はヘイワードで、アイラは関わっていない。
                                                (2014年6月18日 山田一雅)

パーソネル
     キャロル・スローン(vo)
     トミー・フラナガン(p)
     ジョージ・ムラーツ(b)
     アル・フォスター(ds)
     フランク・ウェス(ts on 3, 6, 9 / fl on 2, 5, 7)

録音  1986年10月・ニューヨーク


 



 

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