『エンジェル・アイズ+2』/ディック・アンド・キズ・ハープ Dick And Kiz Harp At The 90th Floor/ Dick & Kiz Harp

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presents新録音シリーズ>『ウィンターズ・イン・サマー+1』 /ピンキー・ウィンターズ

『ウィンターズ・イン・サマー+1:ピンキー・ウィンターズ・シングズ・ボサノバ』/
ピンキー・ウィンターズ
Winters in Summer + 1: Pinky Winters Sings Bossa Nova/
Pinky Winters
\2,800
 (XQAM-1518)
SSJ原盤
2010年6月録音 世界先行発売/ボーナス・トラック1曲
>>購入する  

  ピンキーが長年夢見ていたボサノバ・アルバムがついに実現。瑞々しい感性とウエスト・コーストの実力者たちによる的確かつ趣味のよいサポートを得て、”大人のボサノバ・アルバム”が誕生した。
 


1. Another Rio/アナザー・リオ>>試聴
2. I Concentrate on You/あなたに夢中>>試聴
3. Double Rainbow/ダブル・レインボウ(薔薇に降る雨) >>試聴
4. So Many Stars/ソーメニー・スターズ>>試聴
5. So Danco Samba/ソ・ダンソ・サンバ>>試聴
6. Little Boat (O Barquinho)/小舟>>試聴
7. Love Dance/ラヴ・ダンス>>試聴
8. One Note Samba/ワン・ノート・サンバ>>試聴
9. Dreamer/ドリーマー>>試聴
10. Don'n Ever Go Away/永遠の旅>>試聴
11. A Felicicade/ア・フェリシダーヂ>>試聴
12. Song of the Jet/ジェット機のサンバ >>試聴
13. Zamzibar/ザンジバル (ボーナス・トラック)>>試聴
 


ピンキー・ウィンターズとボサノバ

 1960年代はじめアメリカにボサノバ・ブームが起こったとき、ピンキー・ウィンターズも新しいサウンドとリズムに魅せられたひとりだった。しかし、当時のピンキーは子育てに追われ歌手としてのキャリアを中断していた時期にあたり、ボサノバだけでなく音楽全体に対して比較的距離を置いて接していた。
ピンキーがボサノバに心底魅せられたきっかけは1967年、大好きなフランク・シナトラがアントニオ・カルロス・ジョビンと共演したアルバム『フランシス・アルバート・シナトラ&アントニオ・カルロス・ジョビン』で、何度も繰り返し聴いたという。1970年代後半に子育てを終えてカンバックしたピンキーは、共演者のボブ・フローレンス(p, arr)からいろいろなボサノバ・ナンバーを紹介してもらい自分用の「ボサノバ楽曲集」を充実させていった。その中から「サムワン・トゥ・ライト・アップ・マイ・ライフ(いのちの灯)」、「ジズ・ハッピー・マドネス(白い道)」や本作でも歌っている「ドリーマー」などをレコーディングし、ライヴではさらに多くの曲を歌って自分のスタイルによるボサノバ・ワールドを築いていった。
2008年2度目のツアーの中、東京の街を歩いているとき、ピンキーは突然「ボサノバ・アルバムを作ろう」と思い立った。それまでハッキリ意識したことはなかったが、あとから考えると「無意識のうちに心の中でボサノバ・アルバムを作りたいという意思が育まれてきていたのだろう」という。
帰国すると「ボサノバ楽曲集」を紐解くと同時に、未知のボサノバ・ナンバーをリサーチして、練習を重ねていった。そしてしばしば共演しその音楽性や審美眼を高く評価していたジム・コックス(p)に声をかけ、選定や各曲のモチーフについて討議を重ね、ジムがアレンジを書き上げた。ジムはリズム・セクションにトム・ウォリントン(b)とラルフ・ペンランド(ds)を推薦し、ピンキーは何曲かでフィーチャーすべく、ジョージ・シアリングやシナトラのメンバーだったロン・アンソニー(g)と、アルバム『ハッピー・マドネス』(1994)で共演したピート・クリストリーブ(ts)に声をかけた。


ピンキーにとってボサノバとは?

以下は、ピンキーとのQ&Aである。

Q:あなたにとって、ボサノバとはどんな音楽ですか?
A:世界中でもっともロマンティックな音楽のひとつです。目を閉じてボサノバを聴いていると、愛とロマンスでいっぱいの 土地へと誘ってくれます。
Q:ボサノバのフェイヴァリット・ソングは?
A:ジョビンの作った「ワン・ノート・サンバ」、「ソ・ダンソ・サンバ」、「ア・フェリシダーヂ」、「ドリーマー」、「ジズ・ハッピー・マドネス」やルイス・ボンファの「ジェントル・レイン」。ジョアン・ジルベルトも好きですし、イヴァン・リンスの「ラヴ・ダンス」、セルジオ・メンデスの「ソー・メニー・スターズ」とか。これらの曲の多くは今度のアルバムに入れました。アメリカン・スタンダードですが、コール・ポーターの「あなたに夢中」やアーヴィング・バーリンの「チェインジ・パートナーズ」に対するシナトラとジョビンのアプローチもクールですね。
Q:ボサノバがアメリカのスタンダード・ナンバーに与えた影響は?
A:スタン・ゲッやチャーリー・バード、シナトラ、ジョビンがボサノバをアメリカに紹介したとき、スタンダード曲にそれまでとはまったく違う新しいフィーリングをもたらしてくれました。そのロマンティックな香りにアメリカじゅうが酔ったのです。
Q:好きなボサノバ・アルバムは何ですか?
A:まずシナトラとジョビンの共同作品(前述)です。サラ・ヴォーンの『コパカバーナ』と『ブラジリアン・ロマンス』も好きです。中の曲でいうと「ジンジ」とか「ダブル・レインボウ」、「ドリーマー」、「ジェントル・レイン」、「ソー・メニー・スターズ」。最近のシンガーではカーリン・アリソンの作品がとても気に入っています。アルバム『フロム・パリス・トゥ・リオ』で歌っている「がちょうのサンバ」とか「小舟」。『イマジーナ』に入っている「ア・フェリシダーヂ」や「悲しみのモーホ」も素敵。それからやっぱり何といってもジョビンね。たとえばファミリーで作った作品やミウシャとやったアルバムです。
Q:次のアルバムを考えていますか?
A:いくつかアイディアを持っています。まず、ラヴ・ソング集。たとえばシナトラが歌ったラヴ・ソングを集めたアルバム。あるいは、特定のソングライターの作品集。それもあまり歌われていないけれど優れた作品ばかりを集めたアルバムです。ソングブックといえば、「パリの四月」や「ニューヨークの秋」を書いたヴァーノン・デュークとか「ウィッチクラフト」や「ザ・ベスト・イズ・イェット・トゥ・カム」を書いたサイ・コールマンなんてどうかしら?ふたりの作品はどれも特別思い入れのある曲ばかりです。


ピンキーの経歴

ピンキー・ウィンターズ、本名フィリス・ウォズニアックは1931年にインディアナ州ミシガン・シティで生まれたポーランド系のアメリカ人で、4歳でピアノを始め、フランク・シナトラの歌に夢中になったが、15歳のころサラ・ヴォーンの歌を聴いてシンガーになろうと決心した。高校を卒業すると会社勤めをはじめるが、歌う機会を求めてコロラド州のデンヴァーへ脱出した。ピンキー・ウィンターズという芸名に変えたのはこの時代である。ベースのジム・ウルフと結婚してロサンゼルスに進出したのが1953年で、ジム・ウルフとの離婚後は長女を育て、サックス奏者のボブ・ハーダウェイと結婚し次女を出産するなどの理由で、歌から遠ざかった。1978年にステージへ復帰するがハーダウェイとは離婚し、1982年からルー・リーヴィー(p)と居をともにしてふたりの生活は1990年にルーが亡くなるまで続いた。 
2006年にアルバム『レイン・サムタイムズ』(2001)が日本でもリリースされたことでわが国においてピンキーの存在が大きくクロースアップされ、さらに1983年のステージを捉えた『いそしぎ』と『スピーク・ロウ』の発掘、2006年の来日などによって、ピンキーはわれわれ日本人にとって一挙に身近な存在となった。


演奏と曲目について


@アナザー・リオ
シナトラ派の人気シンガーで今も一線で活躍しているジャック・ジョーンズが作詞、ピンキーの友人で2008年に亡くなったボブ・フローレンスが作曲した。ピンキーはボブへの敬意を表してオープナーとしてとりあげた。ジャック・ジョーンズは1987年に吹き込んでいる。

Aあなたに夢中
1939年にコール・ポーターが作詞作曲して、ミュージカル映画『踊るニュウ・ヨーク』(1940)で紹介された。ピンキーが大好きなシナトラ=ジョビンのボサノバ・アルバムに収録されているヴァージョンへのオマージュ。ヴォーカル・サポートは本アルバムのプロデューサーのビル・リード。

Bダブル・レインボウ(薔薇に降る雨)
アントニオ・カルロス・ジョビンが1971年に作詞作曲したナンバーで、英詞は1974年カナダ出身のジーン・リーズ。難曲だが、ピンキーはピッチもリズムもフレージングも微動だしない。

Cソー・メニー・スターズ
作詞はアラン&マリリン・バーグマン夫妻、作曲は「ブラジル’66」時代のセルジオ・メンデス。1967年に作られメンデスのアルバム『ルッド・アラウンド』で紹介された。ピンキーはジム・コックスのピアノ伴奏だけで、ボサノバ的なリズムを排して、アメリカン・スタンダード的なアプローチをみせる。

Dソ・ダンソ・サンバ(ジャズ・サンバ)
1962年にヴィニシウス・ヂ・モラエスが作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した。ピンキーはポルトガル語で歌っているが、非常にこなれている。耳のよさとしなやかな感性の証明だ。

E小舟
この歌の決め手はスムースなフレージングだが、ピンキーはソフトなビートできわめてイマジナティヴな歌を展開する。1961年にロナルド・ボスコーリが作詞、ロベルト・メネスカルが作曲し、英詞は1962年バディ・ケイが書いた。ピンキーの家でリハーサルをしていたとき、ジムがオルガンでの伴奏を思いついた。

Fラヴ・ダンス
1980年にイヴァン・リンスとジルソン・ペランゼッタの書いたメロディーにポール・ウィリアムズが英詞をつけた。ダイアン・シューアがスタン・ゲッツ(ts)の伴奏で歌ったレコードが大好きだったことが、ピート・クリストリーブの起用につながった。

Gワン・ノート・サンバ
1959年にネウトン・メンドンサが作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した、ボサノバ初期の傑作。1961年にヴォーカリーズの第一人者ジョン・ヘンドリックスが英詞を書いた。

Hドリーマー
アントニオ・カルロス・ジョビンが1963年に作詞・作曲し、英詞は1966年にジーン・リーズが書いた。故スザンナ・マコークルの書いた英詞もあり、スザンナやカーリン・アリソンがレコーディングしている。

I永遠の旅
アントニオ・カルロス・ジョビンが書いた1957年のメロディーに、歌手のドローレス・ドュランが作詞した。英詞はレイ・ギルバートで、1965年の出版。よく知られたボサノバ曲というわけではないが、しみじみとした名歌だ。ピンキーはしみじみとした味わい深い歌を聴かせる。

Jア・フェリシダーヂ
これも、ヴィニシウス・ヂ・モラエスとアントニオ・カルロス・ジョビンの黄金コンビによる1959年の作品。映画『黒いオルフェ』に使われた。英詞はスザンナ・マコークルが1990年にボサノバ・アルバムを吹き込むとき自らペンをとった。ふりは大きくないが、ピンキーの神経の行き届いたスウィング感が見事だ。控え目ながらピンキーをしっかりと支えるジムのピアノも快い。

Kジェット機の歌
アントニオ・カルロス・ジョビンが1962年に作詞作曲し、1963年にジーン・リーズが英詞を書いて、アメリカではトニー・ベネットのコロンビア盤でヒットした。リオの空港に着陸するときの高揚感を歌ったナンバー。歌詞に出てくる「ガレオン空港」は現在「アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港」と名前を変えている。

Lザンジバル(日本盤ボーナス・トラック)
ヒップな歌とピアノの才人、デイヴ・フリシュバーグが1985年に作詞作曲したエキゾチックなナンバー。ザンジバルはアフリカ東部インド洋に浮かぶ諸島を指すが、ブラジル同様、アメリカ人にとってはトロピカルなエキゾティシズムをかきたてるのだろう。ピンキーは曲の雰囲気がボサノバ的だということでとりあげた。

(2011.1.27. 三具 保夫
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