『バック・トゥ・ザ・ボールルーム』 /    リッチー・カミューカ&バディ・テイト  Back to the Ballroom/ Richie Kamuca - Buddy Tate

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presents新録音シリーズ)>『シナトラを歌う!』 /ゲイリー・ウィリアムズ

『シナトラを歌う!』 /
ゲイリー・ウィリアムズ

Gary Williams Meets Frank Sinatra/
Gary Williams
\2,650 (XQAM-1520) 原盤:
BOS Entertainment
録音:2010年 ロンドン
>>購入する 日本デビュー盤

   シナトラのシャープさと英国人らしい気品をそなえたヴォーカル界の逸材が世に問うシナトラ・トリビュート

 


1. All or Nothing at All/オール・オア・ナッシング・アット・オール>>試聴
2. I Get a Kick Out of You/君にこそ心ときめく>>試聴
3. Moonlight Serenade/ムーンライト・セレナーデ>>試聴
4. You Brought a New Kind of Love to Me/ユー・ブロート・ア・ニュー・カインド・ラヴ・トゥ・ミー>>試聴
5. Dancing in the Dark/ダンシング・イン・ザ・ダーク>>試聴
6. Where or When/いつかどこかで>>試聴
7. Brazil/ブラジル>>試聴
8. The Girl From Ipanema/イパネマの娘>>試聴
9. Please Be Kind/プリーズ・ビー・カインド>>試聴
10. Day by Day/デイ・バイ・デイ>>試聴
11. How About You?/ハウ・アバウト・ユー>>試聴
12.

Nancy/ナンシー>>試聴

13. I've Got You Under My Skin/アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン>>試聴
14.

The Way You Look Tonight/今宵の君は>>試聴

15. They All Laughed/みんな笑った>>試聴
16.

Luck Be a Lady/ラック・ビー・ア・レイディ>>試聴

17. Let's Face the Music and Dance/レッツ・フェイス・ザ・ミュ−ジック・アンド・ダンス>>試聴
 
 


「フランク・シナトラ・フェスティバル」

2010年10月21日から24日の4日間、ロサンゼルス国際空港に近いマリオット・ホテルで、フランク・シナトラをテーマにしたフェスティバルCome Swing With Me!が開かれるという。主催者はロサンゼルスのジャズ界で重きをなすLA Jazz Instituteで、シナトラゆかりのシンガーやオーケストラ、ミュージシャンによるライヴの競演のほか、映像の上映や講演会、パネル・ディスカッション、はたまたロスやハリウッドに点在するシナトラゆかりのスポットを巡るバス・ツアーと盛りだくさんだ。参加費は4日間シナトラ三昧で500ドル、円高の恩恵もあって、即座に参加を決めた。
一番の期待はやはりライヴの歌と演奏だ。シンガーではネルソン・リドルのスコアでデビュー・アルバム『ホエン・ユア・ラヴァー・ハズ・ゴーン』から歌ったスー・レイニーにもっとも感銘を受けたが、最大の発見は英国代表のゲイリー・ウィリアムズであった。
 ゲイリー・ウィリアムズの名前は、イギリスにあるシナトラ・ミュージック・ソサエティの会報で前から知っていた。会報で何度も紹介され、ソサエティのパーティーにも招かれて歌を披露していたからだが、シナトラ派のひとりという程度の認識だった。
 しかし、23日の夜にスー・レイニーとステージを共にしたゲイリーの歌はきわめて衝撃的だった。バックボーンはシナトラのスタイルだが、シナトラ・イミテイターではない。シナトラを下敷きに、自分のスタイルを持ち、スパイスの効いたセクシーな声、イギリス人らしい品格のある歌とステージ・マナー、確かな歌唱力等々、イギリスのシナトラ・ファンが彼に夢中になるわけだと、納得した。英国の男性スタンダード・シンガーでは、1985年に亡くなったマット・モンローを継ぐ存在といえる。
 ステージが終わって彼と会話する機会があった。「日本でアルバムを出してくれるレコード会社はないだろうか」との問いに「私が主宰しているSSJレーベルでよかったら」と即答。話はトントン拍子でまとまり、2012年にはゲイリーを招聘しようと今話を進めている。


ゲイリー・ウィリアムズの経歴

ゲイリー・ウィリアムズは、1970年12月15日イングランドの港町グリムスビー生まれ。幼少からジャズに興味を持ち、記憶に残っている一番古いレコードは4歳のときに聞いたフランク・シナトラのアルバム『ナイス・ン・イージー』である。アイドルはほかにエラ・フィッツジェラルド、ナット・キング・コール、ヴィック・ダモン、ジャック・ジョーンズ、マット・モンロー、サラ・ヴォーンらで、最も敬愛するのはフレッド・アステアとのこと。ジョージ・シアリングやビル・エヴァンスの熱狂的なファンでもある。 
独学で歌を学び、シンガーとしてのスタートは19歳と早いほうではなかったが、ロック全盛の時代にあって、卓越した音楽センスと魅力的な歌声で頭角を現した。
1995年、グリムスビーでBBC放送ビッグバンドと共演してBBC幹部に注目され直ちに全国ネットのラジオやTV出演を果たし、さらにシナトラをテーマにした1年にわたる全英ツアーを敢行して気鋭のスタンダード・シンガーとしての地位を築いた。
ヨーロッパ各地でも歌い、2005年にはバッキンガム宮殿でチャールズ皇太子への御前コンサートを実現し、2010年秋には冒頭で紹介した「フランク・シナトラ・フェスティバル」で本場アメリカに進出し、ネルソン・リドル楽団をバックにシナトラ・ナンバーを歌って一気に評価を高め、第三の“ブリティッシュ・インヴェイジョン”を果たした。
その「シナトラ・フェスティバル」の会場でも瞬く間に売れてしまったのが本作『シナトラを歌う!』である。ゲイリーは機が熟したらシナトラ作品集を作ろうと思っていたが、2010年にクリス・ディーン・オーケストラとレコーディングできる機会が訪れた。シナトラの代表的なナンバーから自分の好きな歌を選び、英国の著名なバンド・リーダーのシド・ローレンス(1923 - 1998)がシナトラのレコードから採譜し、楽団を引き継いだトロンボーン奏者のクリス・ディーンが所有するスコアに自分の感性や解釈に合わせて手を加えたが、シド・ローレンスやクリス・ディーンと縁のあるコリン・スキナーやジョン・コールマンが採譜したスコアも若干含まれている。
なお、ゲイリーのデビュー・アルバムは1990年の『ショウ・ストッパーズ』で、『シナトラを歌う!』は10作目にあたる。


演奏と曲目について

@オール・オア・ナッシング・アット・オール
ジャック・ローレンスとアーサー・アルトマンが作詞作曲し、ハリー・ジェイムス楽団がシナトラをフィーチャーして1939年にレコーディングした。出版は1940年。シナトラは生涯に4回この曲を録音しているが、ゲイリーは3度目ネルソン・リドルの編曲(1966)で歌う。

A君にこそ心ときめく
1934年にコール・ポーターが作詞作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『エニシング・ゴーズ』でウィリアム・ギャクストンとエセル・マーマンが紹介した。ゲイリーは、シナトラ1953年のヴァージョン(ネルソン・リドル編曲)のようにヴァースから入り、コーラス部でニール・ヘフティの編曲(1962)を採用している。

Bムーンライト・セレナーデ おなじみグレン・ミラー楽団のテーマ曲。グレン・ミラーのメロディーに、1939年ミッチェル・パリッシュが歌詞をつけたロマンティックなバラード。ゲイリーは凛とした佇まいで格調高く歌い上げる。

Cユー・ブロート・ア・ニュー・カインド・オブ・ラヴ・トゥ・ミー
1930年にアーヴィング・カールとサミー・フェイン、ピエール・ノーマン・コナーが共作して、ミュージカル映画『チュインガム行進曲』でモーリス・シュヴァリエが歌った。映画『ア・ニュー・カインド・オブ・ラヴ』(邦題『パリが恋するとき』・1963)ではシナトラのリプリーズ盤が流れた。

Dダンシング・イン・ザ・ダーク
1931年にハワード・ディーツが作詞、アーサー・シュワルツが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・バンド・ワゴン』で紹介された。ミュージカル映画『バンドワゴン』(1953)ではフレッド・アステアとシド・チャリースがセントラル・パークのシーンで優雅に踊ったが、ゲイリーはビリー・メイの闊達なアレンジを得て、躍動感ゆたかにスウィングする。

Eいつかどこかで
ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、ブロードウェイ・ミュージカル『ベイブズ・イン・アームズ』(1937)で紹介された。シナトラによるレコードといえばビリー・バイヤース編曲のスウィング・ヴァージョンが有名だが、ゲイリーはネルソン・リドルが編曲したバラード・ヴァージョン(1958)を用いている。ピアノだけでしっとりと入り、ドリーミーに歌い綴ったあと最後にクライマックスをつくる。

Fブラジル
ブラジルの国民的大作曲家アリ・バホーゾが1939年に作ったナンバーで、S.K.ラッセルが書いた英詞ヴァージョンは1942年に出版された。ジャンプするビリー・メイの編曲が情熱的に歌を盛り立てていく。

Gイパネマの娘
もっとも有名なボサノヴァ・ナンバー。1962年にヴィニシウス・ヂ・モラエスが作詞、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した。英詞は1963年、ノーマン・ギンベル。ゲイリーは、シナトラの編曲をベースに歌うが、ほぼ全編ポルトガル語で通している。

Hプリーズ・ビー・カインド
1938年にサミー・カーンとソール・チャップリンが作詞作曲したバラードで、ミルドレッド・ベイリーが紹介した。ゲイリーは、パワフルで闊達なニール・ヘフティのアレンジに負けることなく、切れ味鋭くスウィングする。

Iデイ・イン・デイ・アウト
ジョニー・マーサーが作詞、ルービィ・ブルームが作曲した1939年の歌。ゲイリーは、ビリー・メイの特徴であるジャンプする分厚いアンサンブルに乗って、快調に飛ばしていく。

Jハウ・アバウト・ユー?
ラルフ・フリードが作詞、バートン・レインが作曲して、1941年のミュージカル映画『ブロードウェイ』でジュディ・ガーランドが歌って、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。いろいろなシンガーが自分の好きな人の顔を織り込んで歌っており、シナトラは往年のコメディアン「ジミー・デュランテ」だったが、ゲイリーは原詞の「ローズヴェルト大統領」で通している。

Kナンシー
シナトラの長女ナンシー・サンドラ・シナトラ(後年『にくい貴方』がミリオンセラー)のために、1944年にコメディアンのフィル・シルヴァースが作詞、のちにシナトラの専属ライターとなるジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲した。

Lアイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン
1936年にコール・ポーターが作詞作曲して、ミュージカル映画『踊るアメリカ艦隊』に使われ、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。シナトラの代表的なナンバーのひとつで、ネルソン・リドルの斬新なアレンジも話題になった。ゲイリーは、シナトラの向こうをはって、ハードな歌を展開する。

M今宵の君は
ミュージカル映画『有頂天時代』のためにドロシー・フィールズが作詞、ジェローム・カーンが作曲して、フレッド・アステアが歌い、1936年度のアカデミー主題歌賞に輝いた。ゲイリーは、ネルソン・リドルのヒップなアレンジに乗って、スタイリッシュに決める。

Nみんな笑った
1937年のブロードウェイ・ミュージカル『踊らん哉』のためにアイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、ジンジャー・ロジャースが歌った。ゲイリーの巧みなフレージングに加えて、ビリー・メイらしいユーモアあふれるアレンジも聞きものだ。

Oラック・ビー・ア・レイディ
ブロードウェイ・ミュージカル『ガイズ・アンド・ドールズ』(1950)のためにフランク・レッサーが作詞作曲し、シナトラも出演した映画化『野郎どもと女たち』(1955)ではなんとマーロン・ブランドが吹き替えなしで歌ったが、場違いだった。この曲は恋のナンバーではない。ツキを淑女に擬えた賭博の歌。

Pレッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス
アーヴィング・バーリンがミュージカル映画『艦隊を追って』(1936)のために作詞作曲し、フレッド・アステアが歌った。編曲はジョニー・マンデル。


(2011.2.28.  三具 保夫)
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