『シャイニング・アワー』 /    ディック・スペンサー  Shining Hour/ Dick Spencer

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『シャイニング・アワー』 /ディック・スペンサー

『シャイニング・アワー』 /
ディック・スペンサー
Shining Hour/
Dick Spencer
特別価格
 (XQAM-1610)
原盤:ディスコメイト
録音:1978年5月17・18日 ハリウッド  
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   1973年に秋吉敏子が夫君ルー・タバキンと結成したトシコ=タバキン・ビッグバンドの要として 活躍したサックスの名手ディック・スペンサーの初めてにして唯一のリーダー・アルバム。 その実力は、彼をよく知るルー・タバキンがプロデュースを買って出ただけに、傾聴に値する。
 


1. Minor March/ マイナー・マーチ>>試聴
2. Lament for Sonny/ ラメント・フォー・ソニー>>試聴
3. Invitation/ インヴィテーション>>試聴
4. Barbados/ バルバドス>>試聴
5. A Child Is Born/ ア・チャイルド・イズ・ボーン>>試聴
6. My Shining Hour/ マイ・シャイニング・アワー>>試聴
 
 


日本のレーベルが海外で積極的にレコーディングを開始した1970年代


 近年、再評価の機運が出ている「70年代ジャズ」をこよなく愛するファンにとって朗報が舞い込んできた。70年代末から80年代初頭にかけてリリースされたディスコメイト・レコードのシリーズ「ベスト・オブ・ザ・ウエスト」の初CD化である。同シリーズはテナー奏者ルー・タバキンがプロデューサーを務め、リアルタイムのウエスト・コースト・ジャズを紹介する国内制作だった。当時、日本のレコード会社の間で起こった新しい動きが、海外のアーティストを起用した現地でのレコーディング。これは欧米産のジャズを輸入する従来の姿勢から一歩進んで、日本のファンとマーケットのニーズに合う原盤制作をしていく流れであり、振り返れば当時の斯界の成長と成熟を示したものだとも考えられる。
 ザ・グレイト・ジャズ・トリオが大ヒットしたイースト・ウィンドによる数多くのNY録音作がすぐに浮かぶ一方で、米西海岸ではRVCが秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド盤を毎年のように制作。79年に「ダウンビート」国際批評家投票の第1位を獲得する道筋を後押ししたことを合わせて、素晴らしい仕事を残している。西海岸つながりで言えば、80年代前半にアート・ペッパー、リー・コニッツ等の秀作を連発したアトラス(ユピテル・レコード)も忘れられない。


トシコ=タバキンが信頼を寄せたディック・スペンサー

 今回リリースされる本アルバムは、前述のタバキン・プロデュース・シリーズの第4弾。『ステイブル・メイツ/ブルー・ミッチェル』、『ジミー・ネッパー・イン・L.A.』(今回『マイ・オールド・フレーム』として同時発売)、ビル・ライケンバックらの『コラボレイション』の3タイトルは、名の通ったミュージシャンと新人の両者にスポットを当てた人選だが、本アルバムのリーダーであるディック・スペンサーに関しては趣が異なっている。当時トシコ=タバキン楽団のメンバーではあったものの、一枚看板としてのスペンサーは日本では無名に近い存在。プロデューサーのタバキンはおそらくそんなスペンサーの魅力を広く伝えるために、本作を企画したのではないだろうか。
 タバキンが本作に寄せた「彼のリーダーとしてのレコーディング・デビューはずいぶん遅れた」とのコメントは、2つの意味を持つ。本作が吹き込まれた78年は、35年生まれのスペンサーが43歳を迎えた年。これはジャズ界での常識に照らし合わせると、確かに遅かりし初リーダー作ということになる。もう1つはこれほどの才能を持つミュージシャンに、個人名義録音の機会が何故これまで与えられなかったのか、との思いだ。タバキンがスペンサーと知り合ったのは65年頃までにさかのぼるとのことで、同時期にNYに出てきたという共通点があったため、タバキンは秋吉とのビッグ・バンドを結成するかなり以前から、スペンサーの存在を意識していたわけだ。リーダーとメンバーの関係を続ける中で、タバキンはスペンサーの実力を認識し、プロデューサーを買って出たというのが真相だろう。


ディック・スペンサー、そして伴奏陣

 ディック・スペンサーはジョージ・コールマン、ポール・チェンバース、マリオン・ブラウン、ボビー・ティモンズと同じ1935年生まれ。ミュージシャンの父と歌手だった母のもと、フロリダで成長。12歳からサックスを始め、58年に渡欧。ドイツで兵役生活を送った。当時のドイツはハンス・コラー、アルバート・マンゲルスドルフ、ヨキ・フロイントといった後年に名声を高めるミュージシャンや、渡米してブルーノートにリーダー作を吹き込むユタ・ヒップが活躍した頃。60年代前半にはアメリカで新しい主流となったモードやフリーの影響も反映した作品が世に出ていた。スペンサーは63年に除隊すると、現地でマックス・グレガーのビッグ・バンドに参加。同バンドがしかしスイング・スタイルを踏襲したものだったのは、当時のドイツの状況を物語っている。スペンサーは63年と65年に参加作を録音。他にもハンス・コラーやドン・メンザのアルバムにも参加しており、近年のCD化によって注目を集めた。欧州時代の62年にはテテ・モントリュー・クインテットに加わり、バルセロナで『Tete Montoliu Y Su Quinteto』(Zafiro)を録音。66年に帰米すると、翌年メイナード・ファーガソン楽団に加入。ハリー・ジェームス、マーヴィン・スタム、ドン・セベスキーのビッグ・バンド作に参加。71年にLAへ移り、ドク・セヴェリンセンやルイ・ベルソン楽団で活動した。
 そしてスペンサーにとってキャリアの転機となる出来事が73年にあった。トシコ=タバキンのリハーサル・バンドへの加入である。前年にNYから西海岸に引っ越した同夫妻が、16人編成のビッグ・バンドでリハーサルを始めたのは73年春。それから1年あまりを経て、74年4月にデビュー作『孤軍』をレコーディング。オープニングを飾る「エレジー」ではスペンサーのアルト・ソロがフィーチャーされている。以来、『ロング・イエロー・ロード』、『花魁譚』、『ロード・タイム』(76年の初来日ライヴ)、『マーチ・オブ・ザ・タッドポールズ』、『塩銀杏』、『すみ絵』と、79年までの諸作に参加。前述のようにトシコ=タバキンが世界最高峰のビッグ・バンドへの階段を上るサクセス・ストーリーと、スペンサーの在籍期が重なっていたわけで、当時の経験がスペンサーにとって何物にも替え難い財産になったことは間違いあるまい。中でも76年の『インサイツ』は水俣をテーマにして能楽を取り込んだ大胆な着想により、内外で大きな反響を巻き起こす名作と評された。スペンサーは同楽団と並行して、人気TV番組「ジョニー・カーソン・ショウ」のレギュラー・メンバーや、ドナ・サマーのバックでも活躍した。80年代以降はバロン・ブラザーズ、トニー・テニール等のアルバムにクレジットされているが、以前ほどの目立った活動は確認できない。近年ではマイク・バローン(tb, syn, vo)が実質的なリーダーのバンド=ターコイズ名義作『You Name It !』(Rhubarb)が2006年に登場している。
 話をディスコメイト時代に戻すと、スペンサーは77年に前出のブルー・ミッチェル盤に参加しており、トシコ=タバキン楽団の同僚だったスティーヴン・ハフステッターを含むセプテットの同年録音のノー・リーダー作『ステッピング・アウト』も録音。したがってこの初リーダー作を吹き込む前に、同夫妻の人脈によるコンボ作品で試運転をしていたことになる。
 本作のためにスペンサーと比較的世代が近い、4人のミュージシャンが集った。コンテ・カンドリはウディ・ハーマンやスタン・ケントンでの楽団歴を持ち、50年代のウエスト・コースト・ジャズ隆盛に貢献したトランペッター。兄ピートとのダブル・トランペットによるカンドリ・ブラザーズとしても活躍した。シダー・ウォルトンは60年代にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズで注目され、70年代以降は自己のトリオによるレコーディングも多数。作曲家としても優れ、今やジャズ・ピアノ界の重鎮的存在だ。レジー・ジョンソンは60年代にフリー派との交流を深めたベーシスト。本作の録音時はケニー・バレル・トリオのレギュラー・メンバーだった。近年ではボビー・シュー&ジョルジュ・ロベールの作品に参加している。ビリー・ヒギンズはオーネット・コールマン、セロニアス・モンク、ハービー・ハンコック、パット・メセニー等々、あらゆるタイプのミュージシャンと共演したヴァーサタイルなドラマー。本作録音時はシダー・ウォルトン・トリオのメンバーであり、その関係でいっしょにレコーディングに参加したのかもしれない。本作のようなレギュラー・バンドではないレコーディング・セッションの場合、リズム・セクションが気心の知れた間柄だとスムーズに運ぶケースが多いという。本作にも成功へのセオリーが当てはまると言っていいだろう。


演奏曲目について

 ジャッキー・マクリーンが書いた「マイナー・マーチ」はオープニングに相応しいバピッシュなナンバー。作曲者を想起させるスペンサーの力強いソロが聴きものだ。ルー・タバキン提供曲「ラメント・フォー・ソニー」ではエモーショナルなアルト・ソロを披露。タバキンとのバンド活動を通じて、スペンサーが吸収した何かを感じさせる演奏だ。「インヴィテーション」でのテーマの歌い方や続くアドリブは、スペンサーがフィル・ウッズや後期バド・シャンクと同じ流れの実力者であることを明らかにする。「バルバドス」は作曲者のチャーリー・パーカーに敬意を表しながら、多彩な表情をつけて自由奔放なソロを繰り広げるスペンサーの魅力が爆発。「ア・チャイルド・イズ・ボーン」は本作中、唯一のソプラノ・サックス演奏曲。アルトとはかなり趣が変わり、スペンサーの知的でスマートな一面が反映されている。カンドリのフリューゲルホーンも適材ぶりを示す。スタンダード曲「マイ・シャイニング・アワー」は、再びバピッシュなアップ・テンポのアレンジ。全員が一体となったアンサンブルと、メンバー各人のエネルギッシュなソロ・リレーが堪能できる。
 今年は奇しくも本作の録音からちょうど30年となる節目の年。この間、スペンサーは2枚目のリーダー作を吹き込む機会がなかった。それだけになおさら、本作の価値は輝きを増すのである。

(2008.4.10. 杉田 宏樹)
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