『バック・トゥ・ザ・ボールルーム』 /    リッチー・カミューカ&バディ・テイト  Back to the Ballroom/ Richie Kamuca - Buddy Tate

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

topchronologydiscographyfilmographybest 10interviewsSSJ presentsfan clubshopblogmail

SSJ presents shop

misic bird

amazon

天然石 パワーストーン

 

sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『タッチ・オブ・クラス+1』 /ルー・レヴィー・トリオ

『タッチ・オブ・クラス+1』 /
ルー・レヴィー・トリオ

Touch Of Class + 1/
The Lou Levy Trio
\2,520 (XQAM-1613) 原盤:
Dobre → Interplay
録音:1978年2月18・19日/ハリウッド
>>購入する 世界初コンプリート盤

名手ルー・レヴィーが、アルバム・タイトルのごとく、エレガンスと芯の強さをアピールした隠れ名盤。未発表を1曲追加した完全盤での登場
 


  1. I've Never Been in Love Before/アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー>>試聴
  2. The Trolley Song/ザ・トロリー・ソング>>試聴
  3. If You Could See Me Now/イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ>>試聴
  4. My Old Flame/マイ・オールド・フレーム>>試聴
  5. Old Devil Moon/オールド・デヴィル・ムーン>>試聴
  6. Gentle Rain/ジェントル・レイン>>試聴
  7. A Gal in Calico/ア・ギャル・イン・キャリコ>>試聴
  8. Love Walked In/ラヴ・ウォークト・イン>>試聴
  9. Touch of Class/タッチ・オブ・クラス (ボーナス・トラック)>>試聴
 
                       Recording Data
1978年2月18日: 1-3, 5-7, 9
           ルー・レヴィー(p)、フレッド・アトウッド(b)、ジョン・デンツ(ds)
1978年2月19日: 4, 8
           ルー・レヴィー(p)

 

 


ルー・レヴィーの略歴

 ルー・レヴィーは1928年3月5日にシカゴで生まれている。本名は Louis Anthony Levyという。日本でのジャズ・ジャーナリズムは「レヴィー」という呼び方に決めてしまったが「リーヴィー」が正しい。
 ピアノは幼少の頃からルシール・ゴールドという人から個人レッスンを長い間受けていたという。ハイスクールを卒業すると地元のローズヴェルト大学に入学するが、在学中にチャーリー・パーカーの演奏をラジオで聴いてジャズに開眼した。47年にテナー・サックスのジョージ・オールドのバンドでプロ・デビューを果たすが、その頃はパーカー・クインテットにいたアル・ヘイグのピアノに影響されていた。というのもパーカーのレコードぐらいしか当時のビバップのスタイルを勉強できなかったからで、そのピアニストがヘイグだったからである。47年に初めてパーカーと会ったときに「ヘイグもいいけど、バド・パウエルというピアニストも聴いたほうがいいよ」というアドバイスを受けた。パウエルの演奏はほとんどラジオでは聴けずに翌年になってようやくレコードを買い求めることができ、それ以降パウエルのレコードを徹底的に聴いて研究した。オールドの後にチャビー・ジャクソンのグループに参加してスカンジナビアのほうにツアーをしている。アメリカに戻ってからはウディ・ハーマンやトミ―・ドーシーのビッグ・バンドでしばらく働いていたが、51年から54年の間はミネアポリス周辺の広告代理店に勤めしばらくジャズの世界から足を洗っていたこともある。
 54年にジャズ界に復帰。シカゴにあった旧「ブルーノート」のハウス・ピアニストを務めた。55年から数年間ペギー・リーの伴奏者として全米をまわり、59年にエラ・フィッツジェラルドの伴奏者に雇われた。ロサンゼルスに正式に引っ越してきたのは59年から60年にかけてのことである。したがってピート・ジョリー、ラス・フリーマン、クロード・ウィリアムソンなどのように50年代初めからLA周辺にいたわけではないので、厳密な意味でのウエスト・コースト・ジャズ・ピアニストと呼ぶのは難しいかもしれない。60年代には再びペギー・リー、そしてナンシー・ウィルソン、リナ・ホーンなどの伴奏者として多くのヴォーカリストから声がかかった。あまり知られていないが、フランク・シナトラのあの「マイ・ウェイ」のレコード(68年)のピアノはルーである。73年にはチャーリー・パーカーのアドリブ・ソロのメロディーを5本のサックスで演奏するというグループ「スーパーサックス」のレギュラー・ピアニストとして80年代後半まで活躍した。
 筆者は、63年にフィリップス・レーベルに吹き込んだ『The Hymn』以来となる、ルーの14年ぶりのリーダー・アルバムを77年にプロデュースした。80年代に入るとテナー・サックスのウォーン・マーシュのピアニストとしてヨーロッパ・ツアーにも参加し、ヨーロッパのヴァーヴにも数枚リーダー作を吹き込むなど、精力的な活動をしていた。私生活ではヴォーカリストのピンキー・ウィンターズと一緒になり亡くなるまでピンキーの良き伴奏者として活動した。ルーは2001年1月23日に亡くなっている。


サイドメンについて


 サイドメンについて簡単に紹介したい。ベースのフレッド・アトウッドは、長年スタジオ・ワークをしていたが、多くのジャズのセッションにも駆り出されている。大変真面目な性格の人でハリウッドのジャズメンたちの間で大変信頼されている。ベース奏者のバディ・クラークの後を継いで「スーパーサックス」のレギュラー・ベーシストとなった。 
 ドラムスのジョン・デンツは65年に、スタン・ゲッツのグループでチック・コリアとともに日本ツアーに参加したことがある。コリアを加えリード奏者のアーニー・ワッツ、そしてベースのアンディ・シンプキンスとカルテットを組んで80年代に活躍していた。しかし90年代に入り難聴に陥り治療に専念するためにドラムスの演奏を辞めてしまったのは残念であった。フィリー・ジョー・ジョーンズに影響を受けたデンツのドラミングはシャープで歯切れのいいルーのピアノにぴったりと合っているといえる。デンツもまたジェイク・ハナの後任として「スーパーサックス」に参加している。つまりこのトリオは当時の「スーパーサックス」におけるリズム・セクションである。


『タッチ・オブ・クラス』の背景


 さて本アルバムであるが、もともとはDobreというレーベルのためにレコーディングされたセッションである。同レーベルのオーナーと私は一時期レコードの配給ルートを共有していたこともあって面識もあり、このセッションのセッティングを頼まれたのだが、その1年前に筆者自身のレーベルであるインタープレイのために同じメンバーでルーのアルバム『Tempus Fugue-It』(邦題は『カウントダウン』)のレコーディングをおこなったことが大きな理由であった。今回はスーパーバイザーとしてこのセッションに立ち会うことになり、前作とは別のメンバーをと提案したのだが、前述したように「スーパーサックス」のリズム・セクションとしてすでに2年以上たっておりトリオとして大変まとまっていた時期だったので、このメンバーでスタジオに入ったのである。 
前作ではバド・パウエル、ビル・エヴァンス、エディ・ハリスたちなどのジャズメンによるジャズ・オリジナルを中心とした選曲であった。それでこちらは一般のスタンダード曲を中心にレコーディングが行なわれた ―― もっとも「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」は、ジャズ・ピアニストのタッド・ダメロンのオリジナルではあるが。
 このセッションでは、ルーのソロ・ピアノが2曲入っている。「マイ・オールド・フレーム」「ラヴ・ウォークト・イン」で、他はすべてトリオによる演奏である。選曲はすべてルー自身がおこなったもので、トリオで地元のクラブに出演した時にも大体このアルバムの曲をレパートリーとしていた。したがって、このレコーディングのためのリハーサルはしなかったと記憶している。 
 なお今回はオリジナルLPには収録されなかったルーのオリジナル曲「タッチ・オブ・クラス」が追加されている。このタイトルは、ジョージ・シーガルとグレンダ・ジャクソンが主演した1972年の同名の英国映画(A Touch of Class)から取られている。日本語では「品のあるふれあい」とでも訳そうか。この「タッチ」をピアノ・タッチにかけてルーはアルバム・タイトルにしたいと言ってきたのだ。つまり「品のあるピアノ演奏」という意味である。確かにルーのピアノ・タッチには大変洗練された独特の気品がある。そういう意味でなかなかのネーミングだったといえる。蛇足ながら、映画のほうはアメリカでは『Weekend Love』と改題されて1973年に公開され、日本でもこちらのタイトルが採用されていた。
 ところでこのルーのオリジナル曲であるが、実は前作でもレコーディングされている。 その時のタイトルは「アール・トゥー・スリー・トゥー」(R-232)というものであった。これは映画『スターウォーズ』にでてくるロボットの名前である。再度同じ曲を吹き込むのは筆者としてはちょっと抵抗があったが、本人のリクエストで許可したというエピソードが残っている。しかも改題までしているのである。この曲はボッサ調で、ルーの美しいピアノ・タッチを満喫できる。
(妙中 俊哉 )
上にもどる

 

 

Copyright (C) シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン:本サイトで掲載の全ての記事・写真の無断転載を禁じます。