『ジェーン・ハーヴェイ・シングズ・ソンドハイム』/ジェーン・ハーヴェイ』/
ジェーン・ハーヴェイ Jane Harvey Sings Sondheim/Jane Harvey

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『ライヴ・アット・ザ・パイド・パイパー+2』/ジャック・ウィルソン・トリオ


『ライヴ・アット・ザ・パイド・パイパー
+2 』/
ジャック・ウィルソン・トリオ

Live at The Pied Piper + 2/
The Jack Wilson Trio
\2,520 (XQAM-1614) 原盤:RGB ⇒ Interplay

録音:1967年/1966年(8, 9のみ)

世界初登場を2曲追録

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cover photo:©Ray Avery/CTSIMAGES

 

アイク・アイザックの人気盤として知られる名盤だが、真のリーダーはジャック・ウィルソンだった。ということで、クレジットと意匠を新たに、新マスタリングで再登場。 
 


1. Soulin'/ソウリン  >>試聴
2. Impressions/インプレッションズ  >>試聴

3. Mercy, Mercy, Mercy/マーシー、マーシー、マーシー  >>試聴

4. I'll Drown in My Own Tears/アイル・ドラウン・イン・マイ・オウン・ティアーズ  >>試聴
5. Soulin'/ソウリン >>試聴
6. Walk On By/ウォーク・オン・バイ  >>試聴
7. Red "I"/レッド・”アイ”  >>試聴
8. Misty Night/ミスティ・ナイト(ボーナス・トラック)  >>試聴
9. Soulin'/ソウリン(ボーナス・トラック)  >>試聴

 

                           ジャック・ウィルソン

 ジャック・ウィルソンという名前をインターネットの検索エンジンで出してみると、メジャー・リーグの選手から弁護士まですごい数だが、今回のアルバムの主人公はもちろんジャズ・ピアニストだ。ウィルソンは1936年8月3日にシカゴで生まれた。7歳の時にインディアナ州のフォートウェインに家族と共に移住。家にピアノがあったので幼少の頃からピアノに触れていた。
ハイスクール時代はテナー・サックスもこなしバンドを組んでR&Bのような音楽を演奏して小遣いを稼いてい たが、すでにプロの腕前を持つピアニストになっていたので、17歳の時にテナー・サックスのジェームス・ムーディのバンドのレギュラー・ピアニストの代役として演奏したこともあった。ハイスクールを卒業するとインディアナ州立大学に進学し、ここでフレディ・ハバードやスライド・ハンプトンと知り合う。またロック・バンドでも演奏しておりそのツアーで立ち寄ったオハイオ州コロンバスで無名だった頃のヴォーカリスト、ナンシー・ウィルソンやマルチ・リード奏者のラサーン・ローランド・カークたちと共演もした。その後シカゴに戻り、テナー・サックス奏者のエディ・ハリス、ジーン・アモンズ、ソニー・スティットなどと共演し、1959年にベーシストのリチャード・エヴァンズのリーダー・アルバム『Almanic』(アーゴ)でレコーディング・デビューをしている。
 その後徴兵され軍のバンドでリーダーとしてテナー・サックスを吹きながら作編曲までこなしていたが、糖尿病を患い陸軍からは早期除隊をした。1961年から62年にかけてダイナ・ワシントンの伴奏者として全米ツアーに参加。マルチ・リード奏者のバディ・コレットに誘われロサンゼルスに定住したのが1962年である。それ以降ニューヨークに移住するまでの20余年、LAでジャッキー・マクリーン、ジェラルド・ウィルソン、ルー・ドナルドソンたちと共演したが、その傍らスタジオ・ワークもこなし、サミー・デイヴィス・ジュニア、サラ・ヴォーン、ルー・ロウルズなどのヴォーカリストのレコーディングなどでバックを務めた。
 ウィルソンはジャズ・メジャーのアトランティック・レーベルにリーダー作が2枚あり、他にVaultという西海岸のレーベルに3枚のアルバムを残している。1966年にはブルーノートにリーダー作『Something Personal』を吹き込んだ。その時の話をウィルソンから聞いたことがある。「ある日ニューヨークから電話がかかってきた。ブルーノート・レコードのアルフレッド・ライオンだというから、びっくりしたね。ジャッキー・マクリーンやルー・ドナルドソンが私を推薦してくれたようだ。ライオンが是非私のアルバムを作りたいっていうのさ。もちろんこちらも異存があるわけないしね。でもそれがライオンのブルーノートでの最後の仕事になってしまった。もっともその時点ではまさかブルーノートが売却されるとは思ってもみなかった」。すなわちジャック・ウィルソンはアルフレッド・ライオンが手掛けた最後のアーティストだったわけだ。そして1970年代半ばには、ディスカヴァリー・レーベルに2枚のリーダー・アルバムを吹き込んだが、日本でも人気の高いアルバムだったからいずれCD化されるであろう。最後のリーダー・アルバムは、日本のレーベルDIWに吹き込んだ『In New York』だが、あまり精彩が感じられなかった。
 ウィルソンは2007年10月5日にニューヨークで亡くなっている。余談であるが、英国にジャック・ウィルソンと同姓同名のジャズ・ピアニストがいたが、日本ではアメリカのウィルソンのほうが知られている。

アイク・アイザックス

  ベースのアイク・アイザックスのほうも同姓同名のジャズ・ミュージシャンがいるが、そちらはギタリストである。ベースのアイザックスは1923年3月28日にオハイオ州で生まれた。子供の頃はトランペットやチューバを吹いていたという。徴兵され陸軍に入隊して、軍楽隊に所属した。そこにベース奏者のウェンデル・マーシャルがいてベースを直接教わったそうだ。除隊後は1940年代後半にギターのタイニー・グライムス、1950年代にはアール・ボスティック、ポール・クイニシェット、ベニー・グリーン、カーメン・マクレイ(後に結婚した)たちのバックを務め、1962年には一時期カウント・ベイシーにも籍をおいていた。ベイシー・バンドのあとは1966年までヴォーカリストのグロリア・リンの伴奏者となり、1966年から70年はピアニストのエロール・ガーナーのトリオのレギュラー・ベーシストとして活躍し、このアルバムで共演しているドラムスのジミー・スミスともガーナー・トリオで一緒だった。
 1970年にLAに定住し、このアルバムが録音された「ザ・パイド・パイパー」のハウス・ベーシストとして活躍したが、1970年代に健康を害してジョージア州アトランタに引っ越し、1981年2月27日に亡くなった。

ジミー・スミス

 ドラムスのジミー・スミスは、オルガンのジミー・スミスと同姓同名である ―― もっともジミーのスペルが若干違うが。このアルバムのトリオ・メンバー全員が同姓同名のジャズメンたちが他にいるというのも不思議なつながりである。ドラムスのスミスは1938年1月27日にニュージャージー州のニューアークで生まれた。ドラムスは1951年から52年にかけてアル・ジャーマンスキー・スクール・オブ・ドラミングで学んだという。さらに1959年から60年にかけてニューヨークのジュリアード音楽院で楽理を学び、1960年代からはニューヨーク周辺で活動していた。ジミー・フォレスト、ラリー・ヤング、ジミー・マグリフなどのグループでドラムスを担当し、1975年にLAに移住してからはベニー・カーター、レイ・ブラウン、ケニー・バレル、そしてオルガン奏者のジミー・スミスのレギュラー・メンバーでもあった。

真のリーダーは?

 1967年の録音ながら今聴いてもきわめて新鮮な本アルバムだが、ベースのアイク・アイザックスのリーダー・アルバムとしてRGBレーベルから『ライヴ・アット・ザ・パイド・パイパー』としてリリースされた。当時「ザ・パイド・パイパー」クラブでは、ジャック・ウィルソン、ギルド・マホネス、ドワイト・ディッカーソンなどのピアニストが毎晩入れ替わりに演奏しており、それらをすべて録音した上でピアノ・トリオ・シリーズとして発売される予定だったのが、どういうわけかアイザックスがリーダーとしてジャック・ウィルソンが参加したアルバムのみが発売された。生前のウィルソンと話したところ、このアルバムは“ザ・ジャック・ウィルソン・トリオ”としてリリースされるべきだったと言われてしまった。そこで遅まきながら今回の再発にあたってはジャック・ウィルソンの指摘にしたがった。

演奏曲目

 テナー・サックス奏者のジョー・ヘンダーソンのオリジナル「ソウリン」がテーマ・メロディーだけ1分以下で演奏される。おそらくこの曲は当時のトリオによるテーマ・ソングだったのだろう。しかしオリジナルLPには、その曲が演奏されていることすらクレジットされていない。
 次にジョン・コルトレーンの「インプレッションズ」がアップテンポでスタートする。ウィルソンの運指のスムーズさがよく聞こえる。
 同じピアニストのジョー・ザビヌルのオリジナル「マーシー、マーシー、マーシー」は大変ファンキーに演奏されている。ザヴィヌルはキャノンボール・アダレーのバンドにいた時にこの曲を書いて大ヒットさせ、ジャズメンには珍しくお金持ちになったというエピソードがある。英国のロック・グループ、「バッキンガムス」も歌ってヒットさせたと記憶している。
 「アイド・ドラウン・イン・マイ・オウン・ティアーズ」は、ヘンリー・グローヴァー(1921〜91)のペンによる作品。グローヴァーはアメリカにあったキング・レコードという会社でプロデューサー、エンジニア、トランペット奏者、作曲家として活躍した。マイナー・レーベルのキング・レコードを大会社(?)にした功績は業界では有名である。グローヴァーの書いた曲はローズマリー・クルーニーからマリアンヌ・フェイスフル、そしてレイ・チャールズまで、ありとあらゆるジャンルの人たちがレコーディングしている。
 次に再び「ソウリン」が演奏される。こちらのほうはロング・ヴァージョンである。
 このレコーディング当時、つまり1960年代半ばはバート・バカラックの作曲、ハル・デイヴィッドの作詞、そしてディオンヌ・ウォーウィックのヴォーカルのコンビで多くのヒット曲が生まれていた。その一つがここで演奏されている「ウォーク・オン・バイ」である。
 アイザックスと同じベース奏者、レッド・カレンダーの共作としてクレジットされているのがファンキーな「レッド・アイである。レッド・カレンダーの「レッド」とアイク・アイザックスの「アイ」をくっつけたタイトルだが、もうひとつアメリカのスラングで飛行機の夜行便を指す。例えばロサンゼルスを夜遅くでるとニューヨークに翌朝に着くフライトなどを「レッド・アイ」と呼んでいる。いろいろなところへ飛びまわっているジャズメンらしいネーミングだ。

 ここまでの6曲(厳密には7曲)はロサンゼルスの「ザ・パイド・パイパー」で録音されたものである。 
そして次の2曲は海軍放送『Navy Swings』という番組が音源である。1950年代から60年代にかけてこの番組にはいろいろなジャズメンたちが出演していた。しかし1960年代も半ばになるとプログラムがすでにジャズから離れてロックやフォーク、そしてR&Bなどのアーティストが出演するようになり、番組名も1965年ごろに『Your Navy Presents』と変わってしまった。
 これら2曲はR&BシンガーのO.C・スミスのプログラムからで、スミスのバックをこのトリオが担当していた。その中からトリオのみの演奏を取り出したという次第だ。
 バラードの「ミスティ・ナイト」はウィルソン流ともいえるオリジナル・テューン。ピアノ演奏だけでなくメロディー作りのうまさを感じさせる。
そ して再び「ソウリン」である。トリオのメンバーはよほどこの曲を気にいっていたのであろう。これら2曲の初CD化はジャック・ウィルソン・ファンにとって朗報だと思う。



2011.6.25. 妙中俊哉
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