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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『ウエストコースト・ストリングス+1』 /ダイアン・ハブカ

『ディープ・イン・ア・ドリーム』 /
スコット・ラファロ

Deep in a Dream/
Scsott LaFaro

\2,520 (XQAM-1619) 原盤:
Pacific Delights
録音:1958年
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夭逝の天才ベーシスト、スコット・ラファロが残した録音はどれも貴重だ。本アルバムは1958年にTV『スターズ・オブ・ジャズ』に出演したときのレア音源。加えて、リハーサルの記録を1曲追録。

 


1. Rehearsal Blues/リハーサル・ブルース>>試聴
2. There Is No Greater Love/ゼア・イズ・ノー・グレーター・ラヴ>>試聴
3. BeBop/ビ・バップ>>試聴
4. Flamingo/フラミンゴ>>試聴
5. Crow's Nest/クロウズ・ネスト>>試聴
6. Liz-Anne/リズ・アン>>試聴
7. Tumbaro/ツンバロ>>試聴
8. Cherry/チェリー>>試聴
9. Deep in a Dream/デイープ・イン・ア・ドリーム>>試聴
10. Chart of My Heart/チャート・オブ・マイ・ハートブ>>試聴
11. You Are My Lucky Star/ユー・アー・マイ・ラッキー・スター>>試聴
12. Until the Real Thing Comes Along/アンティル・ザ・リアル・シング・カムズ・アロング>>試聴
 

                      アルバムについて

本アルバムは、スコット・ラファロが1958年に滞在していたロサンゼルス周辺で参加した各種セッションを集めたもので、すべてジャズ・プロデューサーの故ボブ・アンドリュースが自分のテープ・レコーダーで録音したものである。

(1) 1958109
「リハーサル・ブルース」は、その名の通りリハーサルのセッションをそのままレコーディングしたもので、ひとつの曲として完成されたものではない。アンドリュースのメモによると、当時オープンしたばかりの自分のレコード店の裏にあった倉庫でラファロのベース、ヴィクター・フェルドマンのピアノ、そしてスタン・リーヴィーのトリオにスペースを提供してリハーサルをさせていたという。そこでアンドリュースは自分のテープ・レコーダーで録音をしたのだが、テープかレコーダーの調子が悪かったという。1曲しか残っていないのはそのためである。
ラファロは当時このトリオで定期的に活動していたが、フェルドマンはスタジオ・ワークに多忙だったため彼の代役にソニー・クラークが入ることもあったそうだ。クラークの入ったテープはアンドリュースではなく別の人が持っているといわれるが、現時点で真相は定かでない。

(2) 19581110
「ゼア・イズ・ノー・グレーター・ラヴ」、「ビ・バップ」、「フラミンゴ」の3曲はABC-TV 『Stars of Jazz』に出演した時のものである。同年1月にこのトリオはコンテンポラリーにレコーディングしており、当時レコード店向けに発行されていた『シュワン』というカタログによれば、そのアルバム『ジ・アライヴァル・オブ・ヴィクター・フェルドマン』(C-3549)はこの年の8月にリリースされている。3人がテレビに出演してこれら3曲を演奏したのはアルバムをプロモーションするためだったと考えられる。3曲がいずれもコンテンポラリー盤に比べてよりタイトな演奏なのは、レコーディング以降トリオとして定期的に活動をしていたからだろう。なおあるディスコグラフィーでは、これらの3曲はコンテンポラリー盤と同じだという記載があるが、TV出演した折の別セッションである。オリジナル・テープには司会のボビー・トゥループが「コンテンポラリーからアルバムがリリースされた」とアナウンスしている。

(3) 1958630
これも(2)と同じ番組に出演した際のものだが、こちらは同年2月にカル・ジェイダーがスタン・ゲッツとレコーディングしたファンタジー盤(3266)がリリースされたことに伴うプロモーション用の出演であろう。スタン・ゲッツは出演していないが、ピアノのヴィンス・ガラルディとドラムスのビリー・ヒギンズは参加しており、パーカッション奏者のバーナード・ヴェラルディが追加されている。「クロウズ・ネスト」と「リズ‐アン」は同アルバムからで、もう1曲の「ツンバロ」を含めすべてジェイダーのオリジナルである。ジェイダーとはレギュラー・グループとして定期的に演奏したようではないが、後述するベーシストのパター・スミスによるとラファロはラテン・バンドとの共演を非常に好んでいたという。

(4) 195847
このセッションはテナー・サックスのリッチー・カミューカがリーダーというセッティングで、サブ・リーダー格がトロンボーンのフランク・ロソリーノといったところだ。リズムがフェルドマン‐ラファロ‐リーヴィーという陣容で、これも(2)及び(3)と同様に『Stars of Jazz』からである。こちらのセッションはYouTubeで流されているので、観られた人も多いと思う。
最後の2曲ではヴォーカリストのルース・プライスが歌っている。プライスは、当時ピアニストのデイヴ・グルーシンの奥方だった人で、現在はロスの「Jazz Bakery」というジャズ・クラブのオーナーでもある。コンテンポラリー・レーベルにリーダー・アルバムを作っており、1950年代半ばから60年代にかけてLA周辺で活躍した。

スコット・ラファロについて

正式名はRocco Scott LaFaroで、1936年4月3日にニュージャージー州ニューアークで生まれ、1961年7月6日に交通事故のため弱冠25歳で亡くなった。大変短い人生を駆け抜けたジャズ・ミュージシャンである。
小学生の頃にピアノを学び、中学生でベース・クラリネット、高校でテナー・サックスに移り、ベースをスタートしたのは18歳と遅かった。にもかかわらずベーシストとして成功したのはその前から音楽への関わりがあったからと推測できる。地元のイサカ大学に在学中からプロとして活動を始めて、バディ・モロウ楽団に参加して全米ツアーをおこない1956年に同バンドがロサンゼルスに着いた時に退団した。そしてロス周辺のウエスト・コーストでチェット・ベイカー、リッチー・カミューカ、スタン・ケントン、ベニー・グッドマンなどスタイルに関係なくいろいろなミュージシャンたちと共演した。後にニューヨークで共演するオーネット・コールマンと出会ったのもこの頃だと思われる。ロスを後にしてニューヨークに進出してビル・エヴァンス・トリオに参加してから多くの人たちに認められるようになった。またその間にも前衛ジャズ派のオーネット・コールマンとも共演しており、ヴァーサタイルなジャズ・ベーシストとして名を上げた。
1961年7月4日(米独立記念日)にニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでスタン・ゲッツ・カルテットの一員として参加した2日後に亡くなったのである。

ラファロのベース・スタイルは当時としては大変斬新で、ある意味においてジャズ・ベースに新しい境地を拓くものであった。しかし前述したオーネット・コールマン同様にこのスタイルを受け入れてくれるジャズメンは多くなかったようである。
例えばピアニストのクロード・ウィリアムソンとラファロの話をした時である。「いつものベーシストのドン・プレルが事故か病気でギグに来ることができなくなったので代役としてビリー・ヒギンズがスコット・ラファロを紹介してくれた。リハーサルの時間もなくそのままジャズ・クラブのステージに上がって最初に決めていたスタンダード曲からスタートした。テーマを弾いている時は問題なかったけど、私のソロの時にラファロは自分勝手なメロディーを弾き出すんだ。私は自分のソロの時は、コード進行に伴ったウォーキング・ベースだけでいいと言ったのだけどね。いいベーシストだとは思うけど、自分のスタイルには合わないと感じた。だからラファロとは2度と一緒に演奏しなかった」。
もう一人のピアニスト、ジョー・オーバニーの証言である。「ムショに入る前にラファロを聞いたよ。チェット・ベイカーとやっていたかな。もうあの頃は自分も薬漬けだったからラファロに、ヤクないかい?と聞いたことがあった。そしたら自分はロスに来たばかりだからこちらが聞きたいよ、といっていた。それでラファロのベースはどうだったって? 今までのジャズ・ベースの在り方を根本的に変えた男だね。チャーリー・パーカーが生きていたら絶対自分のバンドに入れたと思う。自分も彼と一緒にやりたかったけどすぐにムショに入ったからその機会がなかったのが残念だ」。
ラファロのロス時代に仲の良かったベーシストのパター・スミス(実兄がカーソン・スミス。チェット・ベイカー/ジェリー・マリガンのピアノレス・カルテットのオリジナル・ベーシスト)は、「ラファロがロスのジャズ・シーンに登場したときはインパクトがあったね。正に革新的なベーシストだったよ。ある人は背を向けたけど多くのベーシストはジャズ・ベースにはまだまだ可能性があると感じたものさ」。

ラファロのベース・スタイルに対しては当時からいろいろな意見があったのだ。まだまだ発表されていない未発表録音を引き続き探し、近い将来発表したいと筆者は思っている。

(2012.9.3. 妙中俊哉 ジャズ・プロデューサー)

レコーディング・データ & パーソネル
 1958年10月9日: 1
   ヴィクター・フェルドマン(p)
   スコット・ラファロ(b)
   スタン・リーヴィー(ds)
   カリフォルニア州レドンド・ビーチのレコードヴィル

 1958年11月10日: 2-4
   ヴィクター・フェルドマン(p on 2/vib on 2 - 4)
   スコット・ラファロ(b)
   スタン・リーヴィー(ds)
   ABC-TV『スターズ・オブ・ジャズ』

 1958年6月30日: 5-7
       カル・ジェイダー(vib)
   ヴィンス・ガラルディ(p)
   スコット・ラファロ(b)
   ビリー・ヒギンズ(ds)
   バーナード・ヴェラルディ(perc)
   ABC-TV『スターズ・オブ・ジャズ』
   
 1958年4月7日: 8-12
   リッチー・カミューカ(ts)
   フランク・ロソリーノ(tb)
   ヴィクター・フェルドマン(p)
   スコット・ラファロ(b)
   スタン・リーヴィー(ds)
   ルース・プライス(vo on 11, 12)
   ABC-TV『スターズ・オブ・ジャズ』

 

 

 

   

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