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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>>『ア・グランド・ナイト・フォー・スウィンギング』 /ビリー・テイラー・カルテット

『ア・グランド・ナイト・フォー・
スウィンギング』 /
ビリー・テイラー・カルテット featuring
ウェス・モンゴメリー & w.
ジョー・ウィリアムス

A Grand Night for Swinging/
The Billy Taylor Quartet featuring
Wes Montgomery & with
Joe Williams

\2,520 (XQAM-1621) 原盤:
Pacific Delights
録音:circa 1964年
>>購入する  

ビリー・テイラー・トリオにウェス・モンゴメリーが客演し、ゲストにジョー・ウィリアムスを迎えた、貴重な放送音源。
ウェスの歌伴は珍しい。

 


1. There Will Never Be Another You/ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー>>試聴
2. The More I See You/ザ・モア・アイ・シー・ユー>>試聴
3. It'a a Grand Night for Swinging/イッツ・ア・グランド・ナイトー・フォー・スウィンギング>>試聴
4. A Bientot (Afterthoughts)/ア・バーント (アフターソーツ)>>試聴
5. Capricious/カプリシャス>>試聴
6. Body and Soul/バディ・アンド・ソウル>>試聴
7. Paraphrase/パラフレイズ>>試聴
8. Freedom (Theodora)/フリーダム (セオドーラ)>>試聴
9. Let's Make the Most of a Beautiful Thing/
レッツ・メイク・ザ・モースト・オブ・ア・ビューティフル・シング>>試聴
10. More Than Likely/モア・ザン・ライクリー>>試聴
11. Have a Good Time/ハヴ・ア・グッド・タイム>>試聴
12. Until I Met You (Corner Pocket)/アンティル・アイ・メット・ユー (コーナー・ポケット)>>試聴
13. I Won't Cry Anymore/アイ・ウォーント・クライ・エニーモア>>試聴
14. S'posin'/スポージン>>試聴
15. All My Life/オール・マイ・ライフ>>試聴
16. Alone Together/アローン・トゥギャザー>>試聴
 

 本アルバムは過去に2度日本でリリースされている。どちらもウェス・モンゴメリーの名前を前面に出し、うち一枚はジャケットにウェスの写真を使っていた。売上枚数を上げたいという販売側のマーケティング的な思惑によるものだろうが、これは事実を歪曲している。このセッションは「ビリー・テイラー・カルテット及びゲスト・ヴォーカリスト、ジョー・ウィリアムズ」として全米のラジオ局で放送されたもので、リーダーはピアノのビリー・テイラーだったことをここでハッキリと記しておきたい。
 録音は1964年の春にニューヨークでおこなわれたと推測される。当時のウェスは確かにジャズ・ファンやジャズ評論家の間ではそれなりに認められた存在であったが、大ブレークする前ということで、このセッションではサイドマンのひとりに過ぎない。

The Navy Swings」について

 「The Navy Swings」というのは、米国海軍が若い人材をリクルートするために番組スポンサーとなっていたラジオの音楽番組で、1950年代初めごろにスタートしたと思われる。1回15分のショウで最初の頃は16インチ(40センチ)LPのトランスクリプション盤としてラジオ局に配布されていた。第一回目はレッド・ニコルス(cor)とマリオン・モーガン(vo)である。
 ジャズ・コンボとヴォーカリストの組み合わせで15分の番組内に海軍のリクルート宣伝を入れながら演奏を2曲、その間にヴォーカリストが2曲歌うというセッティングが多かったが、たいていの場合ヴォーカリストのバックは同時出演のコンボが務めた。1950年代の後半にはレコードのサイズが12インチに代わるが、ジャズ・コンボ&ヴォーカリストというフォーマットは踏襲された。番組は1966年か67年まで続き、その後は「Your Navy Presents」と名称が変わり、どちらかというとR&Bやロックに近いミュージシャンが出演したが、60年代終わり頃には番組自体が消滅したようである。
 16インチ盤も12インチ盤も片面に15分番組を1本ずつ収録し、2枚一組で計4番組分のセットでラジオ局に配布されたようである。放送日はラジオ局によって違っていたが、多くは毎週一回で一ヶ月4回の放送だったと記憶している。
 「The Navy Swings」に限らず、ミュージシャンやヴォーカリストたちはお国のためということで国の機関が提供するラジオ番組には無料で出演した。

ミュージシャンについて

ビリー・テイラー
 日本ではほとんど人気がないが、アメリカでは大学のコンサートがいつもソールドアウトになるほどの人気で、これはテイラーが著名なジャズ音楽教育者であったことが要因だと思われる。
1921年7月24日にノースカロライナ州グリーンヴィルに生まれたがすぐに家族と共に首都ワシントンに移住してそこで育った。ヘンリー・グラントというデューク・エリントンも教えた教師にクラシカル・ピアノを習い始め、13歳でプロとしてデビューした。ヴァージニア州立大学に入学し最初は社会学を専攻していたが、後に音楽に変更。卒業後にニューヨークへ出た。
 1944年にベン・ウェブスターのカルテットに参加して注目され、その後長らく当時の名門ジャズ・クラブ「バードランド」(現在NYCにあるクラブとは違うオーナーが持っていて場所も違うところにあった)のハウス・ピアニストとして活躍したが、その時期にチャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、スタン・ゲッツなどの大物ジャズメンのバックを務めている。
 その後ラジオのDJとしても活躍したが、何よりも「ジャズ教育」というカリキュラムを各地の大学に強く勧めた功績を強調したい。1975年にマサチューセッツ大学のアムハ―スト校で修士号及び博士号を取得し、以後Dr. Billy Taylorと呼ばれるようになる。他の大学からも名誉博士号を数多く授与され、アメリカのジャズ教育の中心人物として活躍した。
 2010年12月28日に亡くなっている。

ベン・タッカー
 1930年12月13日テネシー州ナッシュヴィル生まれ。ハイスクールでチューバを学び、テネシー州立大学で音楽を専攻。地元のクラブでジャズ・ベースを弾いていたが、陸軍に入隊。4年ほどいて除隊した。
 その後西海岸でピアノのカール・パーキンス、サックスのアート・ペッパーやウォーン・マーシュのグループで活躍した。1959年にニューヨークに進出して、ローランド・ハナやクリス・コナーのバックを務めた。ニューヨークではフルート奏者のハービー・マンのグループに参加し、タッカーの書いた「カミン・ホーム・ベイビー」が大ヒットした。そのおかげで多額の印税収入を得て、ラジオ局を購入。その後はセミリタイア生活で悠々自適の人生を送っていたが、90年代の終わりからクラブで再びベースを弾き始め、CDまでリリースするようになった。現在も時折ニュージャージー周辺で演奏しているという。

グラディ・テイト
 グラディ・テイト(グレイディのほうが英語に近い)は1932年1月14日ノースカロライナ州ダーラム生まれ。ドラムスは独学。ハイスクールの頃から地元でプロとして活動していたが、ダーラムに来たクインシー・ジョーンズに認められて彼のバンドに参加。しばらくジョーンズとツアーをした後63年にニューヨークに引っ越し、その時にビリー・テイラーに請われてトリオに参加した。なかなか渋いノドを持っておりヴォーカル・アルバムまで作っている。現在も時折ドラムスを叩いている。

ウェス・モンゴメリー
 ジャズ・ギターの歴史を語る時に決して外せない偉大なギタリスト。本名はジョン・レスリー・モンゴメリーであったが、ミドルネームのレスリーが訛ってウェスと子供の頃に呼ばれていたところからウェス・モンゴメリーという名前になったという。
 1923年3月6日インディアナ州インディアナポリス生まれ。地元ではティーン時代すでに注目を浴びていたが、ライオネル・ハンプトン楽団に入団して全米に知られるようになった。兄弟にベーシストのモンク、ピアニスト兼ヴァイビストのバディがいて、兄弟でグループを組んでいた時期もあった。ハンプトン楽団の後に地元インディアナポリスとロスを行き来しながら、パシフィック・ジャズを経てリヴァーサイド・レコードと専属契約を結び一躍脚光を浴びた。1960年から67年までは、64年と65年を除いて、ダウンビート誌の評論家投票でジャズ・ギタリスト第一位を獲得している。
 1964年以降はヴァ―ヴやA&Mからリリースされたクリード・テイラーのプロデュースによる一連のイ―ジー・リスニング・ミュージックのアルバムがヒットして大ブレークした。66年頃からは全米のヴァラエティや音楽のTV番組に頻繁に出演するようになり商業的にも大成功を収めた。もっともその成功も長くは続かず68年6月15日自宅で心臓麻痺のため亡くなった。まだ45歳であった。

ジョー・ウィリアムズ
 このセッションでモンゴメリーよりも名前が大きく出ているのがヴォーカリストのジョー・ウィリアムズである。
 1918年12月12日ジョージア州コーデルで生まれ、幼少の頃にシカゴに移住。子供の頃は協会でゴスペルを歌い、またゴスペル・グループを結成してすでにティーン時代に稼いでいた。
 1938年にジミー・ヌーンのバンドに参加してから名前が知られるようになり、翌年にはコールマン・ホーキンス、42年にはライオネル・ハンプトン、そしてアンディ・カークなどのバンドを渡り歩いた。54年にカウント・ベイシー・バンドの専属ヴォーカリストとなり61年まで在籍した。
 1999年3月29日に80歳で亡くなるまで元気で活躍していた。

本セッションのいきさつ

 1963年後半から64年初期にかけてビリー・テイラー・トリオはハーフノートに出演していた。そこに不定期に加わっていたのがウェス・モンゴメリーである。ハーフノートと言えば同じピアニストのウィントン・ケリー・トリオとの共演盤が有名だが、それ以前にこのビリー・テイラーとも共演していたのである。したがってこの番組でテイラーのレギュラー・バンドにウェスが客演するのは自然な流れであったといえる。ジョー・ウィリアムズは当時の「The Navy Swings」番組の常連で、おそらくプロデューサー側もビリー・テイラー側も彼が参加することに異存はなかったであろう。

本アルバムの収録曲について

 インストが8曲、ヴォーカルが8曲といういつものパターンで制作されている。実際の番組はまずカルテットが演奏して、次にヴォーカル、そしてカルテット、最後にヴォーカルである。しかし毎週一回15分の番組とは違い、全16曲を1枚のアルバムで通して聴くという観点から、ここでは最初にインストを8曲、その後にヴォーカルを8曲という風に並び替えている。
 以前日本でリリースされたアルバムでは4曲目が「A Bientôt」と表記されていたが、番組中でウィリアムズは「Afterthoughts」と紹介している。また「Freedom」と表記されていた曲は、テイラーが書いたオリジナル曲「Theodora」(ビリー・テイラー夫人の名前)だと番組中で紹介されている。

パーソネル:
  ビリー・テイラー(p)
  ウェス・モンゴメリー(g)
  ベン・タッカー(b)
  グラディ・テイト(ds)
  ジョー・ウィリアムズ(vo on 9-16)

録音:1964年春ごろ

放送開始:1965年

オリジナル・トランスクリプション:
49GH: 1, 9, 2, 10
    50GH: 3, 11, 4, 12
51GH: 5, 13, 6, 14
    52GH: 7, 15, 8, 16

                           (2012.9.2. 妙中俊哉 ジャズ・プロデューサー)

 

 

 

   

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