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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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『ザ・メッセージ』 /
J.R. モンテローズ

The Message/
JR Monterose

\2,625 (XQAM-1622) 原盤:
Redlands
録音:1959年
>>購入する  

これぞ、真の”幻の名盤”。過小評価されてきたテナー奏者、J.R. モンテローズの最高傑作が新マスタリング、モノラル音源で待望の復刻。名盤請負人トミー・フラナガンもサポートぶりにも注目。

 


1.

Straight Ahead/ストレート・アヘッド>>試聴

2. Violets for Your Furs/コートにすみれを>>試聴
3.

Green Street Scene/グリーン・ストリート・シーン>>試聴

4.

Chafic/チャフィック>>試聴

5.

You Know That/ユー・ノウ・ザット>>試聴

6.

I Remember Clifford/虹のかなたへ>>試聴

7. Short Bridge/ショート・ブリッジ>>試聴
 

 

 本アルバムのオリジナル盤は、オークションにおいてモンテローズのもう1枚のアルバム、スタジオ4盤と共に、非常に高い価格で取引されていることで知られる。JAROというマイナー・レーベルからリリースされたこともあるが、モンテローズ自身のリーダー・アルバムが少ないという理由もあり、本アルバムは「幻の名盤」となっている。もっとも「幻」であることは確かでも「名盤」というにはほど遠いジャズ・アルバムも少なくないが、本作は、前述したスタジオ4盤と共に「幻の名盤」と呼ぶにふさわしい内容を具えている。

J.R. モンテローズについて

 モンテローズの本名は、フランク・アンソニー・ピーター・ヴィンセント・モンテローズ・ジュニアという。J.R.というのはおそらく最後につくジュニアをとって覚えやすいようにステージ・ネームにしたのであろう。
 1927年1月19日デトロイトで生まれすぐにニューヨーク州ユティカへ移った。最初の楽器はクラリネットで子供の頃にプライベート・レッスンを受けていたという。そして15歳の時にテナー・サックスに転向した。テナーのほうはほとんど独学でマスターし、コールマン・ホーキンスとチュー・ベリーから影響を受けた。過去にジャズ・メディアから受けたインタビューではソニー・ロリンズの影響に関して語っていないが、モンテローズのサックス・トーンにはロリンズの影響も強く感じられる。
 1947年頃からプロとしてニューヨーク周辺のダンスバンドで演奏活動を始め、51年にドラマーのバディ・リッチのビッグバンドに在籍していた。もっともそれは短期間に終わり、その後テディ・チャールズやチャールズ・ミンガスのグループに参加した。
 1956年にはブルーノート・レコードに初リーダー作を吹き込み、その次にくるリーダー・アルバムが1959年11月24日にニューヨークで吹き込まれて本作である。どういう経緯か、ここではジャズ・アレンジャーとして有名なマニー・アルバムがプロデューサーとして参加しているが、もともとJAROがムード・ミュージック主体のレーベルの系列下だったこともあってジャズに詳しいプロデューサーがいなかったからかも知れない。その後スタジオ4レーベルにもう1枚リーダー・アルバムを吹き込んでいる。そのアルバム『イン・アクション』も現在SSJレーベルからリリースされているので、こちらの力作も是非聴いていただきたい。
 1960年代の活動ぶりはあまり記録に残っていないが、60年代後半にヨーロッパに居を移した。特にオランダ、デンマーク、そしてベルギーなどでの活動がたまにジャズ雑誌に載っていた記憶がある。その期間には『ボディ・アンド・ソウル』といったリーダー作を2、3枚リリースしていた。70年代後半からまたアメリカで活動するようになり、Progressiveレーベルからリーダー・アルバムが発表された。80年代に入るとReservoir Musicレーベルで、本アルバムでもピアノを弾いているトミー・フラナガンとデュエットで円熟味を増した演奏を披露した。
その後もニューヨークを中心に演奏活動を続けていたが1993年9月23日に亡くなった。66歳とちょっと若すぎる逝去であった。

JAROレーベルについて

 ジャズ・レコード・コレクターたちから、長年にわたり幻のレーベルとされているJAROレーベルについて少し触れておきたい。英国のRankというレコード会社がアメリカに進出して1959年にTop Rankというレコード会社をニューヨークで設立し、エマーシーなどで活躍していたボブ・シャドを責任者として迎え入れた。そのTop Rankのジャズ部門として設立されたのがJAROレーベルである。正式にはJARO Internationalとレーベルに記載されている。JAROは知られる限り8枚のアルバムをリリースしている。
  JAM-5000 Babs Gonzalez/Tales of Manhattan
  JAM-5001 Cootie Williams and Wini Brown
  JAM-5002 Phillip Green/Wings of Songs
  JAM-5003 Georgie Auld/Hawaii on the Rocks
  JAM-5004 JR Monterose/The Message(本アルバム)
  JAM-5005 Jose Motos/Flaming Guitar
  JAM-5006 Ted Weems/Heartaches
  JAM-5007 The Arrival of Kenny Dorham(今回同時発売) 
 ジャズ・レーベルといっても5002番トロンボーン奏者のフィリップ・グリーンは限りなくイージー・リスニングに近い。JAROは1961年に活動を休止してそのまま消滅してしまったようだ。当時からジャズはあまり売れなかったのであろう。また親会社のTop Rank社も60年代半ばまでに米国での運営を停止したようである。なお、JAROというレーベル名の由来については、「Jazz At Rank Organization」の略だという説がある。
 なお、このアルバムのオリジナルLPは「ステレオよりモノラルのほうが音がよい」といわれており、今回の再発ではモノラル音源を使用している。

本アルバムについて

 このアルバムの魅力は、モンテローズの太くて豊かなサックス・トーンをじっくり味わえることである。そして名伴奏者のフラナガンの絶妙なサポートがよりモンテローズの魅力を引き出していることも指摘しておきたい。モンテローズは自作のオリジナルを5曲も用意してこのセッションに臨んでおり、そこに彼の力の入れようが感じられる。
 「ストレート・アヘッド」はタイトル通りストレートにガンガン吹きまくる。ハロルド・アーレンが書いたスタンダードの「ゲット・ハッピー」のコードを借用している。
モンテローズが長らく滞在したニューヨーク州アルバニーにあるストリートに因んだ「グリーン・ ストリート・シーン」はブルース形式によるブローイング・ナンバー。
モンテローズの愛犬フレンチ・プードルの名を冠した「チャフィック」はワルツ調の曲で、フラナガンのソロが短いながらも素晴らしい。「チャフィック」はアラビア語で「慈悲深い」という意味だそうだ。
 「ユー・ノー・ザット」はラテン調の曲。軽快にテナーが舞っているという感じである。
5曲目のオリジナル「ショート・ブリッジ」は、ミディアム・テンポでテーマが長調と短調で4小節ずつ繰り返されるというユニークな曲作りがされている。曲名の由来はブリッジが6小節しかないため。
 残りの2曲はスタンダードで、コルトレーンのレコードでも人気のある「コートにすみれを」はマット・デニスが書いた名曲。歌ではフランク・シナトラの名唱がある。モンテローズは彼なりの解釈で円熟味のある演奏を聴かせてくれる。フラナガンのソロが聴けないのにちょっと不満が残るが。
 もう1曲はベニー・ゴルソンによるクリフォード・ブラウンへの追悼曲「アイ・リメンバー・クリフォード」。ここでもモンテローズのバラード演奏の魅力が全開だ。

サイドメンについて

 本アルバムが大変魅力的で名盤となった大きな要因がピアニストのトミー・フラナガンの存在であるといっても過言ではないと思う。この名伴奏者は1930年3月16日デトロイト生まれ。
日本でも大変人気の高いフラナガンはやはり伴奏にまわったほうが真価を発揮するジャズ・ピアニストであった。この本アルバムでもその名脇役ぶりを発揮しており、でしゃばらずに上手にモンテローズの良さを引き出している。フラナガンは後にエラ・フィッツジェラルドの伴奏者として長年にわたり活動するが、すでにこの時期から名サポートぶりを存分に発揮している。
2001年11月16日に亡くなった。

 ベースのジミー・ギャリソンは1934年3月3日にフロリダ州マイアミに生まれている。
ジョン・コルトレーンのバンドに在籍していたことで非常によく知られている。オーネット・コールマンとも共演しているが、もともとはハードバップ系のベーシストで、彼の基本的なスタイルをこのアルバムで聴くことができる。しっかりとつぼを押さえたベース演奏は、他の2人のサイドメンと共にモンテローズを盛りたてており、コルトレーン・グループ参加前の貴重なセッションといえる。
また彼の子供の中の3人がそれぞれの道で活躍していることでも知られる。長女のジョイはジャズ・ヴォーカリスト、四女のマリアクレアはダンサー及び振付師、息子のマシューは父と同じベーシストとして、ジョー・ザヴィヌルやハービー・ハンコックたちと共演している。
1976年4月7日に42歳という若さで亡くなった。

 ドラマーのピート・ラロッカ(本名ピーター・シムス)は、1938年4月7日にニューヨークで生まれている。1957年頃からプロとしてニューヨーク周辺で演奏活動をスタートする。ソニー・ロリンズ、ジャッキー・マクリーン、スライド・ハンプトン、ジョン・コルトレーンたちと共演していた。リーダー・アルバムもブルーノート・レコードに吹き込んでいる。
1968年に弁護士試験に合格し、その後は弁護士として活躍したのでジャズの活動を休止していたこともあった。1979年頃からまたドラムを叩き始めるがパートタイム的な活動だった。90年代後半にブルーノート・レコードに再びリーダー・アルバムを吹き込んでいる。復帰してからはピート・ラロッカ・シムスと名前を変えた。
昨年、2012年11月19日に亡くなった。

(2013年1月15日 妙中俊哉)

パーソネル:
  J.R. モンテローズ(ts)
  トミー・フラナガン(p)
  ジミー・ギャリソン(b)
  ピート・ラロッカ(ds)

録音: 1959年11月24日/NYC

 



 

 

 

 

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