re

『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

topchronologydiscographyfilmographybest 10interviewsSSJ presentsfan clubshopblogmail

SSJ presents shop

misic bird

amazon

天然石 パワーストーン

 

sinatra society of japanTOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『ジ・アライヴァル・オブ・ケニー・ドーハム』 /ケニー・ドーハム

『ジ・アライヴァル・オヴ・
ケニー・ドーハム』 /
ケニー・ドーハム

The Arrival of Kenny Dorham/
Kenny Dorham

\2,625 (XQAM-1623) 原盤:
Redlands
録音:1960年
>>購入する  

あの名盤『静かなるケニー』(プレステッジ)の2カ月後に吹き込まれた、ケニー・ドーハムもう一枚の傑作。いつもながらトミー・フラナガンの名サポートぶりが光っている。

 


1.

Stage West/ステージ・ウェスト>>試聴

2. I'm an Old Cowhand/アイム・アン・オールド・カウハンド>>試聴
3.

Stella by Starlight/星影のステラ>>試聴

4.

Song of Delilah/デライラ>>試聴

5.

Butch's Blues/ブッチズ・ブルース>>試聴

6.

Lazy Afternoon/レイジー・アフタヌーン>>試聴

7.

Six Bits/シックス・ビッツ>>試聴

8

When Sunny Gets Blue/ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー>>試聴

9 Turbo/ターボ>>試聴
 

 Kenny Dorhamは日本において「ケニー・ドーハム」と表記されるが、実際の英語の発音は「ダラム」に近い。しかしながら「ドーハム」のほうが日本のジャズ・ファンの間では通っているので、本稿でも「ドーハム」と記述させていただく。

 ドーハムは1924年8月30日にテキサス州フェアフィールドに生まれた。トランペットは独学のようだが、若くしてビリー・エクスタイン、ディジー・ガレスピー、ライオネル・ハンプトンなどのビッグバンドに迎えられ注目を浴びる。そして、チャーリー・パーカーのクインテットのメンバーに抜擢されて一躍有名になるが、その後クリフォード・ブラウン亡き後のマックス・ローチ・クインテットに後任としてスカウトされた。こういった事実を見るだけでもドーハムがいかに優れたトランペッターであり周囲から認められていたかがわかる。
 日本ではドーハムのリーダー・アルバムである1959年の録音『静かなるケニー(クワイエット・ケニー)』(ニュー・ジャズ)の人気が高い。またブルーノートに吹き込んだリーダー作も多くのファンの支持を得ているし、ジョー・ヘンダーソンのアルバムのため書いた「ブルー・ボッサ」は今ではジャズ・スタンダードとして多くのジャズメンたちに演奏されている。しかし、ドーハムがジャズ・メッセンジャーズのオリジナル・メンバーだったことは意外と知られていない。このアルバムと同時にリリースされるJARO原盤のJ.R. モンテローズとは、Jazz Prophetsというグループで一緒に演奏した仲で、60年代に入っても常に演奏活動を全米でおこなっていた。
 リーダー・アルバムは十数枚以上あるが、アメリカでは過少評価されてきたジャズマンだとゲイリー・ギディンズのような評論家たちは位置付けている。
ドーハムは1972年12月5日に48歳の若さで亡くなった。

JAROレーベルについて

 ジャズ・レコード・コレクターたちから、長年にわたり幻のレーベルとされているJAROレーベルについて少し触れておきたい。英国のRankというレコード会社はアメリカに進出して1959年にTop Rankというレコード会社をニューヨークで設立し、エマーシーなどで活躍していたボブ・シャドを責任者として迎え入れた。そのTop Rankのジャズ部門として設立されたのがJAROレーベルである。正式にはJARO Internationalとレーベルに記載されている。JAROは知られる限り8枚のアルバムをリリースしている。
  JAM-5000 Babs Gonzalez/Tales of Manhattan
  JAM-5001 Cootie Williams and Wini Brown
  JAM-5002 Phillip Green/Wings of Songs
  JAM-5003 Georgie Auld/Hawaii on the Rocks
  JAM-5004 JR Monterose/The Message(今回同時発売)
  JAM-5005 Jose Motos/Flaming Guitar
  JAM-5006 Ted Weems/Heartaches
  JAM-5007 The Arrival of Kenny Dorham(本アルバム)
 ジャズ・レーベルといっても5002番トロンボーン奏者のフィリップ・グリーンは限りなくイージー・リスニングに近い。JAROは1961年に活動を休止してそのまま消滅してしまったようだ。当時からジャズはあまり売れなかったのであろう。また親会社のTop Rank社も60年代半ばまでに米国での運営を停止したようである。なお、JAROというレーベル名の由来については、「Jazz At Rank Organization」の略だという説がある。

本アルバムについて

 本作の前に録音されたリーダー作があの『静かなるケニー』(1959年11月13日録音)からもわかるように、このアルバムはドーハムが一番脂の乗っていた時期を記録したもので、モンテローズのアルバム同様にこのアルバムも真の意味で「幻の名盤」といえる。オリジナル・ライナーノートをナット・ヘントフが担当しているので、セッションのコーディネートもヘントフがおこなったものと推測される。
 このセッションの編成はハードバップのグループが常に行っていたクインテットだが、通常のクインテットはトランペット=テナーかアルト・サックス=3リズムであるのに対して、ここではバリトン・サックスのチャールズ・デイヴィスを起用している。今の時代を考えるとちょっと変則編成に思えるが、当時はそうでもなかった。というのも同じトランペッターのドナルド・バードがバリトン・サックスのペッパー・アダムスと組んでクインテット編成で活躍していたこともあり、バリトンとトランペットのサウンド構成は奇異ではなかったようだ。
 前述のモンテローズのアルバム同様に名手トミー・フラナガンがこのアルバムに参加していることも名演が生まれた要因のひとつであり、このアルバムが日本で人気が高いのも肯ける。

演奏曲について

 もともとフラナガンを除くメンバーはレギュラー・グループとして活躍していたので、今回の演奏曲もすべていつものレパートリーであったと想像できる。
 ドーハムの「ステージ・ウェスト」は軽快なアップテンポ・ナンバー。
 ウォーレンの「ブッチズ・ブルース」はテーマをベースが担当する通常のジャム・セッション風のブルースに終わっていないところがユニークである。
 デイヴィスの「ターボ」はミディアム・アップのテンポで1950年代後半のハードバップ風の曲調である。
 他にジャズ・コンポーザー/アレンジャーとして知られるマニー・アルバムのオリジナル曲を1曲取り上げている。その「シックス・ビッツ」という曲はフーガ調のテーマがおもしろい。ソロではドーハムが快調に飛ばす。
 他の5曲はスタンダードで、「アイム・アン・オールド・カウハンド」はソニー・ロリンズも取り上げていたが、このコーニーな曲を飽きさせないアレンジで演奏するクインテットには感心させられる。
 ヴィクター・ヤングの名曲「星影のステラ」はドーハムのミュートによるスロー・テンポのテーマ演奏がなんともいえない。ソロに入ると今度は一転してアップテンポでスウィングしていく。
 これまたヤングが書いた映画音楽「デライラ」はエキゾティックなメロディーを持った曲で、クリフォード・ブラウンを始め多くのジャズメンがレパートリーにしている。デイヴィスはこの曲が好きらしく1990年代に入ってからもデルマークに吹き込んでいる。
 「レイジー・アフタヌーン」はドーハムのみのバラード。ドーハムのリリシズムがなんともいえない。フラナガンのバッキングも絶妙である。
 「ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー」は、今度はデイヴィスのみのバラード。円熟味をたっぷりと持った演奏である。

サイドメンついて

 ピアノのトミー・フラナガン(1930−2001)の参加が本セッションの成功の要因であることはすでに述べた。フラナガンはデトロイト出身。英国に同姓同名の俳優がいるがもちろん血縁関係はない。
 ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』(アトランティック)やソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』(プレステッジ)、そしてウェス・モンゴメリーの『ジ・インクレディブル・ジャズ・ギター』(リヴァーサイド)などのジャズの名盤に参加している。そして長年エラ・フィッツジェラルドの伴奏者として活躍するなど、名脇役として長きにわたってジャズ界に貢献した。

 ベースのブッチ・ウォーレンは、1939年ワシントンDC生まれ。
 ドーハムがワシントンに演奏旅行したときに知り合い正式にレギュラー・メンバーになり、1958年にニューヨークに居を移してそこを中心に演奏活動をスタートした。その後ブルーノート・レコードのハウス・ベーシストのような形で各種セッションに参加した。63年から64年にかけてセロニアス・モンク・カルテットに参加し、同グループで日本ツアーもおこなっている。現在はワシントンに戻っているそうだが消息はわからない。

 ドラムスのアーノルド・バディ・エンロウが、このクインテットでは一番無名だ。
 以前ある雑誌でインタビューを受けていた記事によれば、同郷のフィリー・ジョー・ジョーンズの影響を強く受けたという。またその時に1933年生まれだともいっていた。ニーナ・シモンのバックをつとめていたこともある。
 このアルバムの録音当時はドーハムのクインテットで演奏活動していたようで、レギュラー・ピアニストはスティーヴ・キューンだったが、何らかの理由でフラナガンがレコーディングのためのピアニストとして参加している。またエンロウは当時キューンがトリオで演奏するときのレギュラー・ドラマーもつとめていたという。
 1988年に故郷のフィラデルフィアで亡くなった。

 バリトン・サックスのチャールズ・デイヴィスは1933年生まれ。バリトン・サックスを中心にテナー、ソプラノ、そしてフルートもこなす多彩なリード奏者だが、日本ではあまり知られていない。
 1960年代はエルヴィン・ジョーンズのグループで活動していた。彼のブルージーなトーンのファンはけっこう多く、黒人バリトン・サックス奏者ではセシル・ペインと共にニューヨーク周辺では人気を博していた。筆者は90年代半ばにシカゴのジャズ・クラブで聴いているが、素晴らしいバリトン演奏だったと強く記憶している。
 最近は「チャールズ・デイヴィス・オールスターズ/トリビュート・トゥ・ケニー・ドーハム」というバンドを率いてヨーロッパ各地で活動をおこなっておりアルバムもリリースしている。

(2013年1月15日 妙中俊哉)

パーソネル:
  ケニー・ドーハム(tp except on 8)
  チャールズ・デイヴィス(bs except on 6)
  トミー・フラナガン(p)
  ブッチ・ウォーレン(b)
  アーノルド・バディ・エンロウ(ds)

録音:1960年1月10日/NYC

 

 

 

 

 

Copyright (C) シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン:本サイトで掲載の全ての記事・写真の無断転載を禁じます。