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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『ホリデイ・フライト/』 /アート・ペッパー

『ホリデイ・フライト』 /
アート・ペッパー with ソニー・クラーク

Holiday Flight/
Art Pepper with Sonny Clark

\3,150 (XQAM-1624/5) 2枚組 原盤:Pacific Delights
録音:1953年
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西海岸のジャズのメッカ、ライトハウスに飛び入りしたアート・ペッパーとソニー・クラークの競演が新リマスタリングで再登場。二人の共演は、ステージもレコーディングもこれ以外にはなく、歴史的にも極めて価値のある記録。

 


1-1. Brown Gold/ブラウン・ゴールド>>試聴
1-2 These Foolish Things/ジーズ・フーリッシュ・シングズ>>試聴
1-3. Tickle Toe/ティックル・トウ>>試聴
1-4. Tenderly/テンダリー>>試聴
1-5. Strike Up the Band/ストライク・アップ・ザ・バンド>>試聴
1-6. Night and Day/夜も昼も>>試聴
2-1 Deep Purple/ディープ・パープル>>試聴
2-2 Blue Bird/ブルー・バード>>試聴
2-3 'S Wonderful/スワンダフル>>試聴
2-4 Pennies From Heaven/黄金の雨>>試聴
2-5 Holiday Flight/ホリデイ・フライト>>試聴
 

 

本アルバムについて

1953年3月30日に録音されたアート・ペッパーとソニー・クラークの唯一の共演盤である。1978年にStraight Ahead Jazzレーベルから2枚のLPに分けてリリースされた。第1集のカタログ番号はSAJ-1001、第2集がSAJ-1004。因みに1002番がショーティ・ロジャースのビッグバンド、1003番がウォーデル・グレイ・セクステットであった。このレーベルは故ボブ・アンドリュースと筆者の二人で立ち上げた会社で、アンドリュースの古いテープからレコードを作っていこうという計画だったが、二人とも忙しく結局4枚しかリリース出来ずに終わった。このアルバムは形を変えで日本でも何度かリリースされているが、LPに収録できなかった長尺の「ホリデイ・フライト」はCD化のときに追加されコンプリートな形となった。

以下はアンドリュースから聞いたこの唯一無二のセッションの録音裏話である。
彼は自分のテープ・レコーダーを持っていつものようにジャズ・クラブ、ライトハウスへ行き、いつものメンバーでジャム・セッションがスタートした。ショーティ・ロジャース、ミルト・バーンハート、ジミー・ジュフリーたちである。レギュラーのシェリー・マンに代わってツイン・バス・ドラムセットで有名なボビー・ホワイトがドラムスの席に座った。ベースはもちろんハワード・ラムゼイ(英語ではラムジーが近い)。だがレギュラー・ピアニストのハンプトン・ホーズが来ない。しばらくはピアノ抜きで演奏が始まり、そのうちにアート・ペッパーも加わってアルトを吹き始めた。ペッパーはライトハウス・オールスターズのレギュラー・メンバーではなく、その夜はいわゆるシットインだった。ライトハウス・オールスターズのセッションではゲスト・アーティストに敬意を示してゲストにフィーチャリング・ナンバーを演奏してもらう習慣があった。スタン・ゲッツ、ウォーン・マーシュ、ズート・シムズなどがそうであったように、ペッパーも全員から「じゃあ、頼むよ」という感じでいったんベースとドラムスを残して他の連中がバンド・スタンドから降りて行った。ところがペッパーが「ピアノの伴奏がないとうまく吹けない」と言い出したので、たまたま客席にいたソニー・クラークがピアノに座ったのである。客席にいるミュージシャンからの推薦だった。最初にバンド・スタンドでペッパーとクラークが簡単に打ち合わせすぐに演奏になったが、ペッパーのオリジナルの「ブラウン・ゴールド」で始まったからアンドリュースは驚いたという。当時クラークは21歳。その2年ぐらい前から西海岸に住んでいて一部のジャズメンからは注目されており、アンドリュースも親友であったハンプトン・ホーズからクラークの将来性を聞かされていた。このアルバムで聴かれるように、初めて共演したとは思えないくらい息が合っている。
「ブラウン・ゴールド」が終わっても他のミュージシャンたちはバンド・スタンドに戻らなかった。「そのままやれよ」と音楽監督的立場のショーティ・ロジャース(リーダーはラムゼイ)から合図があり、「ジーズ・フーリッシュ・シングス」、そして「ティックル・トウ」と続いた。ペッパーは「テンダリー」をクラークに任せてトリオでたっぷりと演奏させたあと再び加わり、こうして90分を超えるノンストップのステージが聴けるのである。

                               共演ミュージシャンたちの証言                 

私はのちにショーティ・ロジャースにインタビューしたときに聞いたのだが、ロジャースもソニー・クラークには注目していた。「クラークはホーズから紹介された。ホーズがギグに来られない時はクラークに代役をやってもらったこともあるよ。当時の彼のピアノ・スタイルがホーズと似通っていたからね。バンドのカラ―にも合っていたし、ホーズが刑務所に入ったときにレギュラー・ピアニストに雇いたかったけど、バディ・デフランコとか多くのジャズメンたちがクラークを雇いたがっていた」と貴重な証言をしてくれた。  
ペッパーにもこのアルバムを出すための契約を交わす際にクラークのことを尋ねてみた。「以前からハンプトン・ホーズが高く評価していることは知っていたし、他のジャズ・クラブでも聴いていたので素晴らしいピアニストだと思っていた。でもまさかあの日ライトハウスに来ていたなんて。ライトハウス以外で共演したかって?昔から一緒に演奏していたという感じだったけれど、あれ1回きりだった。私はすぐに刑務所に行ってしまったし、出てきたとき彼はもうニューヨークに引っ越していたからね」。
以上がこのアルバムに収められたセッションの裏話である。過去に“アート・ペッパー・ウィズ・ソニー・クラーク・トリオ”としてリリースされたが、このようにジャム・セッションから偶然生まれたセッションなので、リズム・セクションを“ソニー・クラーク・トリオ”と呼ぶのは相応しくない。

                     ミュージシャンについて

アート・ペッパー(1925−1982)とソニー・クラーク(1931−1963)の二人は日本において非常に人気の高いミュージシャンなので、今更両名の略歴を長々と書く必要もないと思われる。ただ、ペッパーはアメリカでも人気があるが、クラークのほうはどちらかというと無名に近い。この二人が共演したというのは奇跡に近く、しかも録音されていたことはジャズの歴史上大変価値のあることといえる。
クラークは、クロード・ウィリアムソンの後釜として、1956年正式にライトハウス・オールスターズのレギュラー・ピアニストとして座っている。オールスターズのリーダーであったハワード・ラムゼイがスカウトしたのである。そのきっかけとなったのが1953年のこのセッションだったといっても過言ではない。クロード・ウィリアムソン曰く「ハワードが熱心に口説いてライトハウスに参加させたジャズメンは二人だけだった。一人がマックス・ローチ、もう一人がソニー・クラークさ」。もっともクラークは翌年にニューヨークへ引っ越してしまった。
このセッションで1曲だけ「ブルー・バード」でチェロを弾くハリー・ババシン(1921−1988)は、もともとはベース奏者である。ノース・テキサス大学出身で最初のプロ・デビューは1940年、ビル・ウェア・バンドだった。1947年にピアニストのドド・マーマローサのトリオで初めてチェロでジャズのレコーディングしたことで知られている。その後ジャズ演奏のかたわら「ノクターン」や「ジャズ・クロニクル」といったマイナー・レーベルを立ち上げ運営していた。
1曲飛び入りするベースのハワード・ラムゼイ(1917−)は当時のライトハウス・オールスターズのリーダーであった。1970年代に入るとライトハウスの近くにコンサート・バイ・ザ・シーというジャズ・クラブを開き長年クラブ経営者として活躍した。ベースの腕は平均点ぐらいであったが、リーダーシップ能力や経営手腕のほうは優れていたようでビジネスマンとして成功した部類に入ると思う。本稿執筆時点でカリフォルニア州へメットというところで隠遁生活を送っているという。
ドラムスのボビー・ホワイト(1926−)はルイ・ベルソン以前にツイン・バス・ドラムスを使ったドラマーとして知られる。数年前までライトハウスのサンデイ・ジャム・セッションに定期出演していたがその後の消息はわからない。
「ブルー・バード」というチャーリー・パーカーのオリジナルでコンガとチェロの音が聴こえるが、アンドリュースのメモには、コンガがライトハウスのオーナーのジョン・レヴィン、チェロがハリー・ババシンとある。
                        (2013年2月10日 ジャズ・プロデューサー 妙中俊哉)

パーソネル:アート・ペッパー(as except on Disc 1 - 4)
      ソニー・クラーク(p)
      ハリー・ババシン(b, cello on Disc 2 - 2)
      ボビー・ホワイト(ds)
      ハワード・ラムゼイ(b on Disc 2 - 2)
      ジョン・レヴィン(conga on Disc 2 - 2)

録音:  1953年3月30日
      ライトハウス(カリフォルニア州ハーモサ・ビーチ)

 

 

 

   

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