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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『スクラアップル・フロム・ジ・アップル』 /スタン・ゲッツ

『スクラップル・フロム・ジ・アップル』 /
スタン・ゲッツ

Scrapple From the Apple/
Stan Getz

\2,520 (XQAM-1626) 原盤:
Pacific Delights
録音:1952年 世界初登場
>>購入する  

世界初登場! クール時代のスタン・ゲッツが西海岸のジャズのメッカ、ライトハウスに飛び入りしたときの貴重な記録。ジャム・セッションによる、50分近い熱演が繰り広げられる。

 


1. Scrapple From the Apple/スクラップル・フロム・ジ・アップル>>試聴
2. Love Me or Leave Me/ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー>>試聴
3. Tiny's Blues/タイニーズ・ブルース>>試聴
 

               ライトハウス・オールスターズについて

ライトハウスはヴァーピレツ(Verpilate’s)というレストランとして1934年にカリフォルニア州ハーモサ・ビーチの海岸線沿いにある商店街の一角にできた。ライトハウスという店名に変わったのは1940年である。オーナーのジョン・レヴィンはもともとパーカション奏者で、以前からの知り合いだったベース奏者のハワード・ラムゼイ(英語の発音ではラムジーのほうが近い)からの提案で毎週日曜にバーの横にあるスペースをジャム・セッションの場所とした。1949年5月のことである。最初はベースのラムゼイ、ピアノのハンプトン・ホーズ、ドラムスのラリー・バンカーの3人がハウス・トリオだった。そこに不定期で参加するアルトのソニー・クリスやテナーのテディ・エドワーズ、ウォーデル・グレイなどを入れたジャム・セッションが評判となり、週末だけでなく平日もおこなわれるようになっていく。
客の入りがよくなったことに気をよくしたオーナーのレヴィンは、ラムゼイをマネージャーに抜擢した。そのうちトランペットのショーティ・ロジャース、トロンボーンのミルト・バーンハート、テナーのジミー・ジュフリーらのホーン・プレイヤーが定着してきたので、ハウス・トリオと一緒に「ライトハウス・オールスターズ」として毎晩出演されることにした。その後バンカーとホーズが共にアート・ペッパーのグループに移ったので、シェリー・マンがドラムス、ラス・フリーマンがピアノの席に座った。
リーダーのラムゼイはマネジメント能力に優れた人で、ロジャースやジュフリーにアレンジやオリジナル曲を書かせて、ありきたりのジャム・セッションにならないように気を配った。くわえて、“飛び入り大歓迎”を標榜していたので、ツアーでLAに来る多くのジャズメンたちがライトハウスで客演しそのことがこのクラブの呼び物となった。今夜は誰が来るだろうかと期待を胸に抱いてファンはライトハウスに向かったのである。

このクラブで数多くのセッションを録音したのが、元ドラマーのジャズ・プロデユーサー、ボブ・アンドリュースである。彼が残したライヴ・テープにはライトハウス・オールスターにゲスト参加したジャズメンのものも多い。例えば本セッションとは別のときに収録されたスタン・ゲッツ(1953年・リリース済)、アート・ペッパー(今回同時発売の1953年のソニー・クラークとの共演盤以外に、1952年のライトハウス・オールスターズとの共演盤がリリース済み)、ウォーン・マーシュ(1952年・未発表)、ズート・シムズ(1954年・リリース済)等々である。このほかにもマイルス・デイヴィス(1953年・リリース済)、チャーリー・パーカー、レスター・ヤング、ソニー・スティットなどもライトハウス・オールスターズに客演している。
スタン・ゲッツとアーノ・マーシュの2人のテナー奏者がライトハウス・オールスターズと一緒に共演したテープは本作だけであろう。この夜はレギュラー・メンバーのテナー、ジミー・ジュフリーが来ておらず、当時ウディ・ハーマンのバンドにいたマーシュが代役として出演していたところ、そこにゲッツが現れたのだとアンドリュースは証言している。

ライトハウス・オールスターズのレギュラー・メンバーはその後テナーがボブ・クーパー、トロンボーンがフランク・ロソリーノなどに代わりながら1960年代半ばあたりまで続いた。1960年代に入るとオールスターズの出演する日数は減りどちらかというと全米的に著名なミュージシャンがブッキングされるようになる。キャノンボール・アダレイ、リー・モーガン、エルヴィン・ジョーンズ等々で、ライヴ・アルバムも作られている。
1970年にオーナーのレヴィンが亡くなりルディ・オンダーワイザーがここを購入したが1981年にルディが別のジャズ・クラブを経営することになったため再び売却された。それ以降のオーナーたちはジャズをブッキングしなくなり、店名もライトハウス・カフェとなってしまったが、1990年代に入ると週末のみジャズのライヴが戻ってきた。今は週に3、4晩ジャズが演奏されている。本作の主役のひとりアーノ・マーシュも1990年代に時折演奏していた。

ミュージシャンについて

スタン・ゲッツ(1927−1991)は今更略歴を長々と書く必要もないだろう。スタン・ケントン、ジミー・ドーシー、ベニー・グッドマン、ウディ・ハーマンなどの一流ビッグ・バンドを渡り歩いてきた名手である。1963年に吹き込んだボサノヴァ・アルバムが大ヒッして、ジャズを超えてスーパースターとなった。

もう一人のテナー奏者であるアーノ・マーシュについてはあまり知られていないので少し字数を多くして触れておきたい。同姓にウォーン・マーシュというテナー奏者がいるが血縁関係はないと筆者は両人から直接聞いている。こちらのマーシュは1928年ミシガン州グランド・ラピッド生まれ。
最初はアルト・サックスのプライベート・レッスンを受け、地元のダンス・バンドで働くが、このダンス・バンド時代にテナーに転向した。1951年から53年にかけてウディ・ハーマンのビッグ・バンドに在籍。当時の仲間にビル・パーキンスがいる。いったん故郷のグランド・ラピッドに帰るが1955年から58年にかけてふたたびハーマンのバンドで演奏した。1958年にバンドがラスヴェガスで解散して以来ずっとヴェガスに住んでおり、本稿執筆時点でも時折ヴェガスのローカル・バーで演奏しているようだ。
ある雑誌のインタビューで、最初に影響を受けたサックス奏者としてチュー・ベリー、コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスターを、好きなサックス奏者としてソニー・ロリンズやウォーデル・グレイ、スタン・ゲッツらを挙げていた。
リーダー・アルバムは1990年代に入ってからで、その後は地元のWOOFYというレーベルからトロンボーンのカール・フォンタナとの双頭リーダー・アルバムも含めけっこうな枚数を作っている。因みに息子のランディ・マーシュはジャズ・ドラマーとして活躍している。
ゲッツもハーマン・バンドに1947年から49年にかけて在籍していたので、在籍時は違えどもお互い面識はあったかも知れない。本作が録音された1952年はまだマーシュもハーマンのところにいた時期なので、おそらくツアーでLAに寄ったおりにジュフリーの代役を頼まれてライトハウスへ行ったら、そこにハーマン・バンドの先輩であるゲッツが現れたと推測される。

他のミュージシャンはいつものオールスターズの面々である。ショーティ・ロジャース(1924−1994)、ミルト・バーンハート(1926−2004)、ハンプトン・ホーズ(1928−1977)、シェリー・マン(1920−1984)は亡くなり、1917年生まれのベースのハワード・ラムゼイだけが存命だが、今年11月で96歳だからもう演奏はしていない。現在カリフォルニア州へメットという町で療養中である。

本アルバムについて

このアルバムには3曲しか収録されていないが、各曲とも10数分という長尺の演奏である。最初の曲はチャーリー・パーカーの「スクラップル・フロム・ジ・アップル」。最初のテナー・ソロはゲッツで、ロジャースのソロの後に続くのがマーシュである。ロリンズが好きというマーシュもけっこうゲッツやレスター・ヤングに影響されていたことがわかる。
2曲目のスタンダード「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」も最初のソロがゲッツ。次にバーンハートのトロンボーン、次にマーシュの番であるが、どういうわけかクラリネットに持ち替えてソロをとる。自分のフェイヴァリット・テナー奏者のゲッツに遠慮したのかテナー・バトルは聴けない。そしてロジャース、ホーズとソロが続く。マーシュのクラリネットはレスター・ヤングに近いように聴こえる。
3曲目はドラマーのタイニー・カーンが書いた「タイニーズ・ブルース」である。彼もまたウディ・ハーマンの楽団に在籍したことがあるので、同窓生及び在籍中のゲッツとマーシュがこの曲を選んだのであろう。ここでは意表をついてミルトのトロンボーンのソロから始まる。そのあとは再びクラリネットによるマーシュの演奏である。ロジャースのソロのあとにゲッツが続く。ホーズは快調そのもので、おそらくこの時期が絶頂期であっただろう。彼はこの後すぐに兵役で日本に行くことになる。レギュラーのオールスターズもこのように外部からゲストが加わると刺激されて演奏内容がより濃くなるのがわかる。

(2013年2月13日 ジャズ・プロデューサー 妙中俊哉)

 

パーソネル:スタン・ゲッツ(ts)     
        アーノ・マーシュ(ts on 1, cl on 2, 3)
        ショーティ・ロジャース(tp)
        ミルト・バーンハート(tb)
        ハンプトン・ホーズ(p)
        ハワード・ラムゼイ(b)
        シェリー・マン(ds)

録音:    1952年9月14日
        ライトハウス(カリフォルニア州ハーモサ・ビーチ)

 

 

 

 

   

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