re

『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

topchronologydiscographyfilmographybest 10interviewsSSJ presentsfan clubshopblogmail

SSJ presents shop

misic bird

amazon

天然石 パワーストーン

 

TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『ゾーズ・ワー・ザ・デイズ』 /デクスター・ゴードン

78391352

『ゾーズ・ワー・ザ・デイズ』 /
デクスター・ゴードン

Those Were the Days/
Dexter Gordon

\2,400+税 (XQAM-1629) 原盤:
Pacific Delights
録音:1967/69/71年 日本初登場
>>購入する  

1962年にヨーロッパ・ツアーに出たデクスター・ゴードンはロンドン「ロニー・スコッツ」やパリ「ブルー・ノート」に出演し正当な評価と充実した生活を得たことでそのままパリにとどまり、名盤『アワ・マン・パリ』を吹き込んだ。その後はコペンハーゲンを拠点にアメリカと往復しながら1976年までヨーロッパ各地で精力的に活動し、演奏に人生に得難い日々を送った。本作はその頃の3か国を股にかけた熟演・熱演を刻んだ貴重なライヴ作品である。

 


1. Say Califa/セイ・カリファ>>試聴
2. The Rainbow People/ザ・レインボウ・ピープル>>試聴
3. Those Were the Days/ゾーズ・ワー・ザ・デイズ (悲しき天使)>>試聴
4. Fried Bananas/フライド・バナナズ>>試聴
 

 

本アルバムについて

 本アルバムのセッションは、LA郊外のレドンド・ビーチにあったヴァンテージ・レコードの原盤である。1952年にボブ・アンドリュースとジャック・アンドリュース(姻戚関係なし)がスタートしたヴァンテージは10インチ盤シリーズとしてピアニストのハンプトン・ホーズ・トリオ、バド・ラビン・トリオとギタリストのジミー・ワイブル、サックスのアンソニー・オルテガ、そしてヴォーカルのピンキー・ウィンターズ(SSJ XQAM-1044)の5枚を出しただけで活動を休止したが、66年にアンドリュースは以前から数種類のレコード・レーベルを主宰していたフランク・ドノヴァンという友人を出資者に得てレーベルを再興した。まず10インチで出ていたラビンとワイブルをそれぞれ片面に配して12インチ盤として再発した。その後ベン・ウェブスターがケニー・ドリュー・トリオと共演したアルバム及びヴァイオリン奏者のスタッフ・スミスがはやりドリュー・トリオと共演したドノヴァンが供給してくれたアルバムをリリースした。

 1980年代に入って、アンドリュースが50年代前半にロサンゼルス周辺のジャズ・クラブで自らテープ録音していたウエスト・コーストのジャズメンたちによるセッションをインタープレイが買収したが、そのときに10インチ盤の音源も一緒に買って欲しいといわれそれらも同時に購入した。そして当時リリースされていた12インチLPの音源に関してアンドリュースに尋ねると権利を持っているドノヴァンを紹介してくれた。後年ドノヴァンと交渉してニュー・ヴァンテージ・レーベルの名称とロゴの権利及び12インチの音源もまとめて買収することとなった。もっとも取引が実際に成立したのは88年だったが。その中には前述したウェブスターとスミス以外にズート・シムズやウォーン・マーシュのテープが当時未発表で残っていた。他にもソニー・ロリンズやデクスター・ゴードン(本アルバム)、そしてハンク・モブレーなどのテープもあった。しかしすべてがライヴ録音で1曲が非常に長くLPレコード時代においてアルバム化には無理があった。というわけで当時は手をつけずそのまま倉庫に眠らせていた。マーシュとシムズはその後CDとして日本でもリリースされたが、他のアルバムは相変わらず倉庫に眠ったままであった。

 これらはすべてケニー・ドリュー・トリオがバッキングしているセッションで、スウェーデンのアルト・サックス奏者アルネ・ドムネラス(1924-2008)が録音・所有していたテープである。ドムネラスはチャーリー・パーカーやクリフォード・ブラウンたちがヨーロッパ・ツアーに来た時に共演していた実力派アルト奏者で、彼の『ジャズ・アット・ポーンショップ』(Proprius)というアルバムは大変人気があり世界で30万枚以上売れたという。ドムネラスは新ヴァンテージのドノヴァンと親交が深く、自ら関与したラジオやTV番組制作時に記録したセッションをドノヴァンに売却したということだ。本アルバム以外にも、リリースされているケニー・ドリュー・トリオのバッキング・シリーズはすべてドムネラスからの音源である。

デクスター・ゴードンについて

 デクスター・ゴードンは1923年2月27日にロサンゼルスで生まれた。父親は医者でデューク・エリントンやライオネル・ハンプトンの主治医もしていたという。13歳の時にクラリネットのプライベート・レッスンを受け、15歳でサックスに切り替えた。相当早熟な演奏者だったようで、すでにその時期バディ・コレットやチコ・ハミルトンとバンドを組んでプロとして活動していた。ハイスクール卒業後はハンプトンのビッグバンドに参加、その後ニューヨークとロサンゼルスを往復しながら両海岸で活動したが、麻薬中毒になり50年代はあまり目立った活動をしていない。60年代早々に活動拠点をヨーロッパに移した。本アルバムはその時期のレコーディングである。76年には再びアメリカにもどりメジャーのコロンビアと専属契約を結び全米ツアーを定期的におこなった。86年には映画『ラウンド・ミッドナイト』に主演してアカデミー賞にノミネートされたこともあったが、1990年4月25日にフィラデルフィアで亡くなった。

演奏曲について

 このアルバムにはデンマークとオランダで収録されたライヴ演奏が4曲収録されている。サイドメンのうちピアノのケニー・ドリューとベースのニールス=ヘニング・オルステッド・ペデルセンは不動である。
 ゴードンが作曲した「ソイ・カリファ」はデンマークの高校でのライヴで、デンマーク放送協会がTV収録して、過去にストーリーヴィルというレーベルがCD化している(『ジャズ・アット・ハイスクール』)。タイトルはスペイン語のスラングで「メキシカンの悪ガキ」といったところだが、1960年代のスラングなので今は通用しないかもしれない。このメキシカンというのはカリフォルニアに住むメキシカンという意味でカリファという言葉が入っている。ちょっとラテン風の曲で、ブルーノートのアルバム『ア・スウィンギン・アフェア』(1962)に吹き込んでいた。
 「ザ・レンボー・ピープル」もゴードンのオリジナル。中国系アメリカ人小説家のローレンス・イェップの著書に同名の小説があるが、これにインスパイアされたかどうかはわからない。1969年春にアルバム『ザ・タワー・オブ・パワー』(プレスティッジ)のためにスタジオ録音している。
コペンハーゲンの名門クラブ、モンマルトルのハウス・ドラマーだったアル・ヒースが1968年の終わりに帰国したため、次の2曲はドラマーが南アフリカ出身のマカヤ・ウンショコに代わる。
 「ゾーズ・ワー・ザ・デイズ(悲しき天使)」
は、ポール・マッカートニーのプロデュースによる英国の女性歌手メリー・ホプキンのデビュー曲で、ビートルズが設立したアップル・レコードの初期にリリースされた。そういった話題もあって68年にヒットしたが、もとはロシア生まれのラヴ・ソングである。ゴードンは69年にこの曲をレパートリーにしている。
 「フライド・バナナズ」もゴードンのオリジナルで、プレスティッジの『モア・パワー』に吹き込んでいるが、ヴァイブ奏者カル・ジェイダーのレコードもある。

サイドメンについて

 ピアニストのケニー・ドリュー(1928-1993)については長々と説明は不要であろう。ニューヨークに生まれ、一時期カリフォルニアに住みクラリネットのバディ・デフランコのバンドに2年ほどいた。その後再びニューヨークに戻りレスター・ヤングやチャーリー・パーカーとも共演した。ジョン・コルトレーンのブルーノート・アルバム『ブルー・トレイン』でピアノを担当したことでも知られる。1961年にパリに移住し、後年コペンハーゲンに居を構えてスカンジナビアを中心にヨーロッパ全土で活躍した。共演したアメリカのジャズメンは数多く、このセッションのようにレコーディングが残されている場合も多い。
 ベーシストのニールス=ヘニング・オルステッド・ペデルセン(1946-2005)はデンマーク生まれの天才ジャズ・ベーシスト。コペンハーゲンのモンマルトルでデビューしたのは15歳のときだった。カウント・ベイシーに同時期スカウトされたが若すぎて米国政府がビザを発行しなかったそうだ。アメリカのジャズメンたちが必ず出演するモンマルトルでハウス・ベーシストとして主にピアノのケニー・ドリュー、ドラムスは流動的であったがアルバート・ヒース、アレックス・リールほかとハウス・トリオを組んで長年演奏し、アメリカから来たソニー・ロリンズ、ズート・シムズ、ハンク・モブレー、ジョニー・グリフィン、ジャッキー・マクリーンなどの大物ジャズメンとも共演した。そういう環境で腕を磨き、晩年はオスカー・ピーターソンのレギュラー・メンバーとしても活動した。
 アルバート・ヒース(1935年生まれ)は、テナー・サックスのジミー、ベースのパーシーの3兄弟の末っ子である。1975年から78年までこの3兄弟にピアニストのスタンリー・カウエルを加えて定期的に演奏活動していたこともある。初レコーディングはジョン・コルトレーンのプレスティッジ・セッションで、多くのジャズメンのレコーディングやライヴ・セッションに引っ張りだこであった。ヨーロッパには60年代から頻繁に演奏活動し、63年から68年はヨーロッパを拠点にした。このセッションはその時期のドキュメントのひとつである。80年代からはロサンゼルスに住み、以降は教壇に立つことも多く、最近ではスタンフォード大学で教鞭をとっていた。また現在は The Whole Drum Truth というベン・ライリー、チャーリー・パーシップ、ビリー・ハート、ルイス・ヘイズなどが加わったジャズ・ドラム・アンサンブルのリーダー格として活躍している。
 もう一人のドラマー、マカヤ・ウンショコ(1939年生まれ)は、南アフリカのケープタウン出身。1958年にピアニストのダラー・ブランド・トリオのドラマーとして注目されるようになった。59年にヒュー・マスケーラのグループでレコーディングをおこない、62年にスイスに移住。同地のクラブ・アフリカーナで再びダラー・ブランドのトリオで活動し、66年及び69年から70年にかけてコペンハーゲンで活動した。このレコーディングはちょうどその頃の記録である。ここで共演しているデクスター・ゴードンのほかにもスタッフ・スミス、ベニ―・ベイリー、マル・ウォルドロンたちと共演し、現在もヨーロッパ各地で活動している。

(2014.4.25. 妙中俊哉 ジャズ・プロデューサー)

パーソネル:デクスター・ゴードン(ts)
        ケニー・ドリュー(p)
        ニールス=ヘニング・オルステッド・ペデルセン(b)
        アルバート・ヒース(ds on 1)
        マカヤ・ウンショコ(ds on 3, 4)
        不明(ds on 2)

録音:    1967年8月5日(1)    デンマーク
        1969年9月8日(3, 4)  デンマーク・コペンハーゲン(モンマルトル)
        1971年(2)        オランダ

 

 

 

 

   

Copyright (C) シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン:本サイトで掲載の全ての記事・写真の無断転載を禁じます。