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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『イングルウッド・ジャム・1952』 /アート・ペッパー

『イングルウッド・ジャム・1952/
アート・ペッパー

Inglewood Jam 1952/
Art Pepper

\2,400+税 (XQAM-1632) 原盤:
Pacific Delights
録音:1952年 世界初の統合版
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アート・ペッパーが1952年にロス郊外のジャズ・レストランで繰り広げたジャム・セッソンの記録。 後半2曲は偶然から生まれたバップ・ピアノの名手、アル・ヘイグとの唯一の共演として特に貴重だ。チェット・ベイカーも参加。

 


1. Rifftide/リフタイド >>試聴
2. Strike Up the Band/ストライク・アップ・ザ・バンド >>試聴
3 Billie's Bounce/ビリーズ・バウンス >>試聴
4. On the Alamo/オン・ジ・アラモ >>試聴
5. Crazy Rhythm/クレージー・リズム >>試聴
6 I Remember You/アイ・リメンバー・ユー >>試聴
 

 本アルバムはジャズ・ドラマーであり録音マニアでもあったボブ・アンドリュースがロサンゼルス郊外の「トレード・ウィンズ」で収録したライヴ作品である。
 「トレード・ウィンズ」は、ロサンゼルス国際空港から車で10分ほど行ったイングルウッド市マーケット・ストリートの334番地にあったポリネシアン風のレストランで、1940年代後半にオープンした。そのレストランのオーナーがジョー・チャステック(Joe Chastek)という人物で、ジャズ・ベース奏者のハリー・ババシンと親交があった。1951年の暮れにババシンは、チャステックにレストランのバー・ラウンジのスペースをジャズのライヴ演奏に使わせてくれるよう交渉し、月曜日のみジャズ演奏の場を提供してもらうことになった。ラウンジのスペースは狭く50〜60人分の席しかなかったそうで、有名ミュージシャンが来ると立ち見のほうが多かったという。月曜日というのは大半のジャズ・クラブは休業日としていたので、ババシンは多くのジャズメンたちに呼びかけていわゆる「マンデー・ナイト・ジャム・セッション」の仕掛け人として活躍することとなった。
 ババシンの呼びかけでこのアルバムでも聴けるアート・ペッパーやチェット・ベイカーたちが常連として参加した。ちなみにチャーリー・パーカーも西海岸ツアーの際には時折出演したが、その記録がチェット・ベイカーやソニー・クリスとの共演アルバム『イングルウッド・ジャム』として以前リリースされたことがある。1952年6月16日(月曜日)のセッションで、これもボブ・アンドリュースの録音だった。
 本アルバムはその約2カ月後の8月18日月曜日のセッションである。なおザナドゥー・レーベルからアル・ヘイグ名義で『ライヴ・イン・ハリウッド』のタイトルでリリースされたアルバムがあるが、そちらは同じ「トレード・ウィンズ」でも同年8月4日(月曜日)のジャム・セッションで、チェット・ベイカーやアルト・サックスのソニー・クリスが参加していた。
 「トレード・ウィンズ」におけるジャズのライヴ演奏は月曜日のみ1950年代後半まで続き、このレストランは1960年代半ばまで営業していたが現在は取り壊されショッピング街になっている。

ジャム・セッションの内幕

 本アルバムには8月18日におこなわれた2つの違ったグループによるセッションがおさめられている。以前はそれぞれのセッションが別々のアルバムとしてリリースされたこともあったが、今回は1枚にまとめられて理想的なかたちとなった。
 両方のセッションに参加しているのは、チェロで参加しているプロデューサー的存在のハリー・ババシン以外にアルト・サックスのアート・ペッパーやテナー・サックスのジャック・モントローズ、そしてトランペットのジャック・シェルドンの3人である。もっとも全員がすべての曲でソロを取っているわけではない。この夜の主役的存在であるペッパーは当時ハンプトン・ホーズとカルテットを組んで「サーフ・クラブ」に長期出演中であったが、月曜日は休みなのでこのジャム・セッションに参加したのだろう。
 テープをまわしていたボブ・アンドリュースによる証言が残っている。この晩の最初のグループの演奏は午後5時ごろから始まったが、ピアノのラス・フリーマン、ベースのボブ・ウィットロック、ドラムスのビリー・スナイダーのリズム・セクション3人は7時過ぎから映画スタジオでの仕事が入っていた。当日その旨を知って驚いたババシンは西海岸に引っ越してきたばかりのピアニスト、アル・ヘイグに電話をして急遽来てもらうことにしたという。ベースのギル・ビーコンとドラムスのディック・ステイトンはアンドリュースの知り合いだった。第2セットが始まったのは10時過ぎで、第1セットとの間には相当な時間差がある。第2セットにはこのレストランでのジャムの常連だったチェット・ベイカーも参加しているが、彼はいつも第2セットにしか現れなかった。

アート・ペッパーとアル・ヘイグ唯一の共演

 ジャム・セッションは、ほとんどアレンジメントがなくジャズメンたちのソロのたらいまわしで面白くないという人も多い。それはそれで理解できるが、若いジャズメンにとって腕を磨く上で不可欠なものである。ペッパーはもとよりモントローズ、ベイカー、シェルドン、フリーマンなどみな当時は20歳代の若手だった。
 ジャム・セッションのもう一つの楽しみは、レコードでは通常めったに共演しない面子の共演である。このセッションの目玉は、アル・ヘイグとアート・ペッパーの一期一会の顔合わせだ。もっとも共演によるプレイは2曲のみで、しかもそのうち1曲ではペッパーのソロはない。しかし大変貴重な記録であることには変わりない。
 ヘイグは生前ペッパーを高く買っていた。1970年代のことだが、新作『再会』(インタープレイ/SSJ XQAM-1617)のピアノにヘイグを起用する案が浮上したことがある。人選には人一倍うるさいヘイグだが、この時はふたつ返事で承諾している。ところが、レコーディングする段になってペッパーがぐずぐずしていたためヘイグの都合がつかなくなって、彼の起用は幻で終わってしまった。

ミュージシャンについて

 この8月18日のセッションの主役はアート・ペッパー(1925‐1982)である。今更ペッパーの経歴を書く必要はいないだろう。麻薬渦で人生の大半を棒に振った感のある人であったが、その素晴らしい演奏スタイルはすでに出来上がっているのが感じられる。
 相棒のジャック・モントローズ(1928‐2006)はペッパーとディスカバリー・アルバム(後にサボイから再発された)のセッションで共演している。レスター・ヤングから強い影響を受けた、地味だが味のあるテナーマンだ。1950年代後半からはほとんどラスヴェガスで演奏活動をしていた。
 ジャック・シェルドン(1931年生まれ)はこのセッション参加者の中で本稿執筆時においてベースのウィットロックと共に健在である。もっとも今はもう演奏はしていない。
 ラス・フリーマン(1926‐2002)は長年チェット・ベイカーの相棒として活動してきた名ピアニストである。影響を受けたピアニストはジョー・オーバニーとアル・ヘイグである。
 そのヘイグだが、すでに1945年にチャーリー・パーカーとの共演レコードで全米に知られるビバップ・ピアニストであった。多くのピアニストだけでなく他の楽器奏者からも敬意を持たれていたことを記しておきたい。何しろ1940年代半ばにはまだバド・パウエルのレコードは発売されておらず、パーカーと共演したヘイグをビバップ・スタイルのモデルとして多くのピアニストがコピーした。フリーマンだけでなく、ルー・レヴィーやクロード・ウィリアムソンも生前にそう語っていた。
次にベースとドラムスであるが、ベースのボブ・ウィットロック(1931年生まれ)以外の3人はジャズ界ではほとんど無名といっていいだろう。映画スタジオでサウンドトラックのレコーディングを専門におこなうミュージシャンだったようで、レコードで名前を見ることはないし、どんなジャズ人名事典にも載っていないが、楽器の腕前は相当なレベルだ。
 第2セットで参加するトランペットのチェット・ベイカー(1929‐1988)も改めて書く必要はないだろう。
 アル・ヘイグ(1922‐1982)。もともとニューヨークに住んでいたが1952年春の結婚を機にLAに移ってきたが、その結婚はうまくいかず1年足らずでニューヨークに戻ってしまった。したがってこのアルバムはヘイグの西海岸時代の貴重な録音のひとつということになる。ヘイグとババシンは親しかったらしくパシフィック・ジャズへのレコーディングでも共演している。
 最後にベース奏者のハリー・ババシン(1921‐1988)だが、チェロをジャズ演奏に取り入れたパイオニア的存在でもある。もっとも演奏スタイルはピッチカート(指弾き)のみだが。人望もありこういうジャム・セッションのまとめ役としてウエストコーストのジャズ・シーンで多大な貢献をなした人物である。

                        演奏について

 アンドリュースの持っていったテープの量が限られていたので6曲しか録音されていないが、それでも1時間ほどの演奏が記録されている。
 この時代のライヴ・レコーディングの中では「ライトハウス」でのジャム・セッションが知られているが、このアルバムでは東海岸のジャム・セッションといってもいいくらい熱い演奏が繰り広げられている。「ライトハウス」のセッションのスタイルはカウント・ベイシーをモダンに進化させたものだと感じているが、こちらトレード・ウィンズのセッションは東海岸のビバップのスタイルをそのまま継承したものに近いのではないかと思う。選曲は典型的なジャム・セッション用で、大体はババシンが決めた。
 中ではペッパーの演奏がやはり一番光っていると思うが、第2セットの最初の曲にペッパーは参加していない。アンドリュースのメモには「トイレに行っていた」となっている。いずれにせよこういうレコーディングが残されたおかげで1952年のライヴ・シーンがどのようなものだったか検証できることはファンにとってラッキーだと言える。
                                        (2014.8.25. 夏目 才)

パーソネル ◆アート・ペッパー(as on 1 - 3, 5, 6)
        ◆ジャック・モントローズ(ts on 1 - 6)
        ◆ジャック・シェルドン(tp on 1 - 6)
        ◆ハリー・ババシン(Cell on 1 - 6)
        ◆ラス・フリーマン(p on 1 - 3)
        ◆ボブ・ウィットロック(b on 1 - 3)
        ◆ビリー・スナイダー(ds on 1 - 3)
        ◆アル・ヘイグ(p on 4 - 6)
        ◆ギル・ビーコン(b on 4 - 6)
        ◆ディック・ステイトン(b on 4 - 6)
        ◆チェット・ベイカー(tp on 4 - 6)

録音     ◆1952年8月18日
        ◆カリフォルニア州イングルウッド、  トレード・ウィンズ

 

 

 

   

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