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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』 /アル・コーン・フィーチャリング・ズート・シムズ

『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』 /
アル・コーン・フィーチャリング・
ズート・シムズ

My Funny Valentine/
Al Cohn featuring Zoot Sims

\2,400+税 (XQAM-1633) 原盤:
Pacific Delights
録音:1974年 世界初登場
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アル・コーンとズート・シムズはウディ・ハーマン楽団からの独立後も機会あるごとにステージやレコーディングで共演してきた。本アルバムは1974年の晩秋にスウェーデン最南端の町マルメでのコンサート・ライヴ。名盤『モータリング・アロング』(ソネット)のちょうど一週間前の録音だが、重複は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」のみ。

 


1. My Funny Valentine/マイ・ファニー・ヴァレンタイン>>試聴
2. Medley: Jean 〜 Polka Dots and Moonbeams 〜 Solitude/
  メドレー: ジーン 〜 ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームズ 〜 ソリテュード>>試聴
3. Softly As in the Morning Sunrise/朝日のごとくさわやかに>>試聴
4 Blue Hodge/ブルー・ホッジ>>試聴
 

 

アル・コーンについて

 アル・コーンのフルネームはアルヴィン・ギルバート・コーンという。1925年11月24日にニューヨークのブルックリンで生まれた。ユダヤ系の中流家庭に育ち、小学生の頃にクラリネットを親からプレゼントされてプライベート・レッスンを受けるようになり、同時にピアノ・レッスンも始めた。腕前はハイスクール在学中すでにプロ級で、ビッグバンドなどの編曲もするようになった。コーン同様サックス奏者でアレンジャーのマニー・アルバムがコーンから聞いた話では、ハイスクールの音楽教師から少し手ほどきを受けたあとはほとんど独学で身につけたという。
 1943年にジョー・マーサラのビッグバンドに参加。その頃からテナー・サックスを吹き始め、ジョージ・オールドなどのバンドを経てウディ・ハーマンのバンドに参加する。コーンが名を上げたのはハーマン率いるセカンド・ハードというビッグバンドのサックス・セクションのメンバーになった頃からで、ズート・シムズ、スタン・ゲッツ、サージ・チャロフたちと共に“フォア・ブラザース”として有名になった。しかし、残念なことにコーンはサックス奏者としては一流と見られていない。このフォア・ブラザースの他のメンバーが凄すぎたのだ。
 とはいえハーマン・バンドでは編曲も提供するようになり編曲者として大いに評価された。サックス奏者としては過小評価されていたが、一流のアレンジャーとして誰もが認める存在で、ハーマンを辞めたあともいろいろなビッグバンドに編曲を提供した。トニー・ベネット、ペギー・リー、リナ・ホーンほか多くのヴォーカリストのアルバムのアレンジも手がけ、ヴォーカリスト以外にもビル・エヴァンスを始め多くのジャズメンのコンサートやレコーディンクのために大編成の管弦楽のアレンジも多く手がけた。コーンのアレンジはジャジーでしかも構成がしっかりしていたのでミュージシャンやヴォーカリストたちから引っ張りだこだった。

 演奏者としてのコーンは、フォア・ブラザースで同僚だったズート・シムズと1956年以降コンビを組んで不定期ではあったがシムズが亡くなる1985年まで一緒に活動し、レコードも残している。それが“アル・アンド・ズート”というネーミングで大変有名な2サックス・バンドで、同じ楽器とはいえサックス・バトルという競演型ではなく協調型のグループであった。多くの評論家やファンはこの2サックス演奏を「上手いのがズート、ちょっと落ちるのがアル」という聞きわけをしていた。これは残念なことである。確かにズートのような超一流テナー・サックスと一緒に演奏したから比較されてしまったのであってコーンのテナー演奏は決して酷いものではない。このアルバムに聴かれるように大変スムーズで滑らかなサウンドを持っており創り出すメロディーのフレーズは理にかなっている。一方のズートはどちらかというとちょっと粗っぽいところもあるが、壊れそうで壊れない緊張感を与えてくれる存在だった。いずれにせよ、世間の評価はズートが「A+」とすればコーンは「B-」というものだった。しかし筆者の気持ちとしてはコーンに「A-」をあげたい。このアルバムを聴いていただければその意味を理解いただけるだろう。
 コーンは1970年代に入るとソロのリーダー・アルバムをザナドゥ・レーベルに吹き込み、1980年代に入るとコンコード・ジャズに移籍した。そして1988年2月15日にペンシルバニア州ストラウズバーグで亡くなっている。まだ63歳だった。最初の妻は、ヴォーカリストのマリリン・ムーアで、ベツレヘム・レーベルから共演アルバムを1枚出している。ムーアとの間に生まれた息子のジョー・コーンはジャズ・ギタリストとして東部で活躍している。

本アルバムについて

 1960年代初め頃にJazztimeやJazz Lineといったマイナー・レーベルからアルバムをリリースしていたのがフレッド・ノースワジー(193 -2007)である。ウォルター・ビショップ・ジュニアの『スピーク・ロウ』というアルバムはそのひとつで、日本のジャズ・コレクターから大いに注目された。
フレッドはイギリス生まれの熱烈なジャズ・ファンで、本場ニューヨークのジャズに触れたいがために1950年代の半ばにアメリカに移住してきた。マンハッタンにあった「サム・グーディーズ」というレコード店で働く傍ら多くのジャズメンたちと知り合いになり、特にズート・シムズ、アル・コーン、ウォルター・ビショップ・ジュニア、ロッキー・ボイドたちと親交を深めた。そして前述のレーベルを立ち上げるもすぐに頓挫してしまった。その間にジャズ・クラブを経営していたこともあったという。
 ジャズ・レーベルがダメになったとはいえ、自分で稼いだお金が貯まるとその後もせっせとジャズ・アルバムの制作に励んだ。いつかまたレーベルを復興させようと思っていたのだ。1966年のハーフノートでのコーンとズートのセッションも一部はノースワジーがレコーディングしたもので、後年筆者のインタープレイからリリースされた。プレスティッジ・レーベルからリリースされたペッパー・アダムスとズート・シムズのアルバム『エンカウンター!』(1968録音)も彼のプロデュースによるものである。他にランディ・ウェストン、ハロルド・ヴィックやケニー・ドーハムなどのアルバムも制作しており、それらはいろいろなレーベルからリリースされた。
 ノースワジーは、1984年にカリフォルニアに移住してからCextonというレーベルでプロデューサーとして働き、当時あった地元のタワー・レコード店でジャズ・アルバムの買い付け担当をしていたこともある。
 フレッドはこつこつと自分で制作したアルバムをJazzwayというレーベルを立ち上げてまとめてリリースすることを考えていたがなかなか実現しなかった。1990年代に入ってJazzwayが権利を持っていたアルバムの大半はインタープレイによって買収された。本アルバムもその中の一枚で、フレッドと親交のあったコーンから買い取ったテープが音源である。ズートはその時点でパブロ・レコード専属だったのでアルバム・ジャケットにズートの名前を出せないということで長い間オクラになっていた。
 フレッドのメモには1974年11月のスカンジナビア・ツアーでのセッションとあり、スウェーデンの最南端に近いスウェーデン第三の都市マルメ(Malmö)のヴィクトーリア・テオフテン(Victoria Teatern)という劇場風のクラブでの演奏となっている。ドラムスを代えただけの同時期のアルバムが地元のソネット・レーベルから『Motoring Along』としてリリースされたことがあるが、ズートの名前がジャケットに記載されたため、パブロ・レコードのオーナーであるノーマン・グランツからクレームがついたというエピソードが残っている。世界初登場となる本アルバム『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』もソネット盤もなかなかの名演揃いだが、ダブリは一曲しかない。

サイドメンについて

 彼をサイドメンというのはおかしいかも知れない。本当は双頭リーダーなのだが、ズート・シムズ(1925-1985)についてはすでに語りつくされていると思う。コーンの良き相棒として1950年代から亡くなるまで一緒に演奏していた偉大なるテナー・サックス奏者である。生前のズートに会ったときに尋ねたことがある。「アルと喧嘩したことはないのですか?」その答は「たまにあったと思うけど、酒を飲んだら忘れてしまうからね」。筆者は残念ながらコーンと会ったことがないので同じ質問はできなかった。このアルバムでは2曲でソプラノ・サックスを演奏している。
 ピアニストのホレス・パーランは1931年1月19日ピッツバーグ生まれ。子供の頃に患った小児麻痺で右手が普通の状態ではないのだが、それを克服してプロのピアニストになった。最初はワシントンでソニー・スティットのメンバーとして1952年から57年まで活動し、その後2年ほどチャールズ・ミンガスのグループにいた。1973年にデンマークのコペンハーゲンに移住し、以降はコペンを中心に演奏活動を続けている。リーダー・アルバムは米国時代にブルーノートから、デンマークに移ってからは主にスティープルチェイスからリリースされている。
 ベースのフーゴ・ラスムセンは1941年3月22日デンマーク生まれ。北欧だけでなくヨーロッパ全土で活動している。テディ・ウィルソン、デクスター・ゴードン、ベン・ウェブスターなどアメリカの大物ジャズメンとも共演した。参加したアルバムは800枚以上に及ぶという。
 ドラムスのアレックス・リールは1940年9月13日デンマークの生まれ。ビル・エヴァンス、ケニー・ドリュー、ボブ・ブルックマイヤーほか、ラスムセン同様多くのアメリカ人ジャズメンと共演をしてきた。リーダー作である『The Riel Deal』(Stout)は1996年にデンマークのグラミー賞ジャズ部門で優秀アルバムに選ばれている。ラスムセン同様、今も元気に活動中だ。

演奏曲について

 1曲目「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はバラードではなくミディアム・テンポで演奏される。アル、ズートともテナーを吹いており、滑らかな口調がアルで少し荒れっぽい音がズートという違いを耳になじんでいただきたい。
 2曲目はバラード・メドレーで、ズートのソプラノ・サックスで始まる。詩人で作詞作曲及び歌もこなすロッド・マッケン(マッキューンのほうが原音に近い)のオリジナル曲「ジーン」は1969年のヒット曲である。筆者のハイスクール時代、マッケンの詩集は女子高生の間で大変人気があった。フランク・シナトラもマッケンの歌を集めたアルバム『A Man Alone』(リプリーズ)を作っていた。続いてはホレス・パーランのピアノをフィーチャーしたジミー・ヴァン・ヒューゼンの名曲「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス」、そしてコーンのテナーでエリントン作の「ソリチュード」でメドレーを締め括る。コーンのソロは大変味わい深い。
 3曲目は有名なスタンダードの「朝日のようにさわやかに」である。ズートのソプラノがテーマを吹き、コーンのテナーがオブリガードを担当している。クインテットは快調にスウィングする。ヨーロッパ録音とは思えないスウィング感だ。
 最後はエリントン・バンドの重鎮だったアルト・サックス奏者のジョニー・ホッジス作「ブルー・ホッジ」である。テーマはユニゾンだが、一人のダブル・レコーディングかと思ってしまうほどで、それだけ似ているということだ。ソロの先発はコーンで、ピアノ・ソロを挟んでズートになる。両人とも大変ブルージーな演奏であるところに注目したい。
                             (2014.2.23.  妙中俊哉 ジャズ・プロデューサー)

 

パーソネル:
     アル・コーン(ts)
     ズート・シムズ(ts on 1, 4 & ss on 2, 3)
     ホレス・パーラン(p)
     フーゴ・ラスムセン(b)
     アレックス・リール(ds)

録音:  1974年11月18日
      ヴィクトーリア・テオフテン(スウェーデン、マルメ)

 

 

 

   

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