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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『ザ・レア・1971・トリオ・セッション』 /オスカー・ピーターソン

『ザ・レア・1971・トリオ・セッション』 /
オスカー・ピーターソン

The Rare 1971 Trio Session/
Oscar Peterson

\2,400+税 (XQAM-1634) 原盤:
Pacific Delights
録音:1971年 世界初登場
>>購入する  

1971年3月、ロンドン・BBCラジオのスタジオで録音されたオスカー・ピーターソン・トリオの快演を世界で初めてリリース。バックはジョージ・ムラツ(ベース)とレイ・プライス(ドラムス)だが、一年も存続しなかったこのレギュラー・トリオが残したレコードはMPSにあるアルバム二枚のみ。これらMPS盤との曲目のダブリは全くなく、レア度はさらにアップ。

 


1. Stella by Starlight/星影のステラ>>試聴
2. Let's Fall in Love/レッツ・フォール・イン・ラヴ>>試聴
3. I Can't Get Started/アイ・キャント・ゲット・スターテッド>>試聴
4. Alice in Wonderland/アリス・イン・ワンダーランド>>試聴
5. I'm All Smiles/アイム・オール・スマイルズ>>試聴
6. Cute/キュート>>試聴
 

 

オスカー・ピーターソンのレア・トリオによる演奏を発掘!

 これは、オスカー・ピータ−ソンのファンにとって、ことのほか嬉しい発掘作品だ。というのも、ジョージ・ムラーツ(本名はJiri Mraz。チェコ語の発音をできるだけ近い表記でカタカナにすると、イリ・ムラース)とレイ・プライスを加えたトリオで活動していた時期が極めて短かったからだ。このトリオによる作品は、これまで1970年11月にドイツ、フィリンゲンで録音された『ウォーキング・ザ・ライン』、『アナザー・デイ』という2枚のMPS盤しかなく、この3人で実際に米国での活動があったという記録も存在しないので、ごく短期間だけ存続したトリオだったと思われる。ここに登場したのは、そんな3人による1971年3月の演奏で、英国BBCのための放送録音のようだ。MPSへのレコーディングから4か月後ということになるが、その時期ずっとオスカーが欧州に滞在していたのかどうかは、その間の録音が全く残されていないのでわからない。いずれにしろこのトリオは、英国でこのライヴ録音を残した翌月の71年4月に来日しているので、そこまでは存続していたということになる。日本から米国に戻って間もなくドラマーのプライスはオスカーの下を去って生地シアトルに戻り、それ以降は同地に留まったまま活動を続けているようで、今もなおシアトルのジャズ・ニュースにしばしば彼の名を見出すことができる。
 ベーシストのムラーツ(1944年9月9日、チェコスロヴァキアのピセック生まれ)は、66年に渡米してバークリー音楽院で学んだ後、ミュンヘンを拠点に活動するようになり、ポニー・ポインデクスターやディジー・ガレスピーなどとの共演を経て70年にオスカー・ピーターソンのトリオに迎えられた。72年にはサド・ジョーンズ〜メル・ルイス・バンドにリチャード・デイヴィスの後任として参加、このバンドとも2度来日を果たしている。その後の活躍ぶりはあらためて触れる必要もないほどだが、サド〜メル・バンドの同僚だったサー・ローランド・ハナをはじめ、トミー・フラナガン、リッチー・バイラーク、テテ・モントリウ、マル・ウォルドロンなど無数のピアニストから共演を望まれてきたことは特筆すべきだろう。

オスカー・ピーターソン・トリオの変遷

 1925年8月15日にカナダのケベック州モントリオールで生まれたオスカー・ピーターソンは、1949年にノーマン・グランツに見出されて米国デビューを果たし、その翌年からしばらくレイ・ブラウンやメイジャー・ホリーとのデュエットで活動したり、モントリオールに戻ってオースティン・ロバーツというベーシストと組んだりしていたが、51年の秋にレイ・ブラウンのベースにギターを加えたトリオを結成、ギタリストはバーニー・ケッセル、アーヴィング・アシュビー、ハーブ・エリスと交代するものの、58年までこの編成のトリオを率い続けた。これは、彼のアイドルでもあったアート・テイタムやナット・キング・コールのトリオをお手本にしたもので、それらのエッセンスを取り入れつつ、よりモダンでドライヴィングな演奏を披露して幅広い支持を得たのだったが、58年の秋にはギターを廃してドラムを加えた新しいトリオを組織し、さらにその名を高めることとなった。所望したエド・シグペンがすぐには参加できなかったため、一時的にジーン・ギャメッジを使ったが、59年に入って間もなくシグペンが加わってオスカー・ピーターソン、レイ・ブラウン、エド・シグペンから成る“ザ・トリオ”(日本では“黄金のトリオ”とも呼ばれた)が誕生、凝った編曲と豪快にスウィングする演奏によって幅広い支持を得ていった。以降オスカーはこの編成のトリオを1972年まで維持するのだが、メンバーはどんどん入れ替わっていく。
 “ザ・トリオ”は、1965年の初夏にエド・シグペンが脱退することによって終結を迎え、代わりに、ホレス・シルヴァーやキャノンボール・アダリーのグループに鋭いリズムを提供してきたルイス・ヘイズがドラマーの座についたが、その翌年には、長年オスカーの相棒をつとめてきたレイ・ブラウンが去り、後任にはキャノンボール・アダリー・バンドでルイス・ヘイズと最強コンビを組んでいたサム・ジョーンズが迎えられた。さらに、67年夏にはドラマーがボビー・ダーハムとなるが、このトリオは70年に解散、代わってオスカーはジョージ・ムラーツとレイ・プライスを加えたトリオを結成して11月にドイツでMPSへアルバム2枚分の録音を行った他、翌年3月に英国で今回発掘された演奏を残し、4月には来日も果たした。帰米してすぐにプライスがトリオを離れたため、オスカーは再びルイス・ヘイズを呼び寄せるが、7月にニースで演奏したのを最後にムラーツが去り、後にオスカーとはしばしば共演することになるニルス=ヘニング・オルステッド・ピーダソンが短期間トリオに加わった。そして、72年5月に来日したときのベーシストはオスカー同様カナダ出身のミシェル・ドナートになっており、このトリオはオーストラリアなどを巡った後にカナダに戻り、7月2日にオタワで解散コンサートを行った。これは、単にこのトリオの解散というだけでなく、1958年以来ずっと続けてきたピアノ〜ベース〜ドラムという編成のトリオでのレギュラーな活動に終止符を打つ、ということを意味していた。
 オスカーは、“ザ・トリオ”以降、最後のトリオまで、ムラーツ〜ヘイズ、ピーダスン〜ヘイズの時期を除くすべてのトリオで1度ずつ来日してくれたので、嬉しいことに日本のファンはドラムを加えたオスカーのトリオのほとんどを生で聴き、少しずつ異なるそれぞれの魅力をこの目で(耳で)確かめることができたのだった。
 トリオ解散以降のオスカーは、ソロ、ジョー・パスやピーダスンとのトリオやクァルテット、オール・スター・セッション、J.A.T.P.への参加...といった活動を続けていくが、再びベースとドラムを加えたトリオをレギュラー化することはなかった。

本アルバム発掘の裏に

 というわけで、BBCで放送するために1971年3月に録音されたテープから作られたこのCDの登場は、レギュラー・トリオの中では比較的短期間しか続かなかった、したがって録音も少なかったグループの演奏をじっくり楽しめる貴重な発掘ということになる。このトリオは、ボビー・ダーハムのようにやかましくなく、節度を持って軽やかで切れの良いリズムを生み出していくドラマー、レイ・プライスの存在によって、全体が爽やかな雰囲気に包まれており、そのあたりが聴きどころとなっている。このテープを所有していたのは、かつてJazztimeとJazzlineというレーベルを設立してウォルター・ビショップ・ジュニアやデューク・ピアソンの傑作を送り出したことのある英国人フレッド・ノースワージーで、彼はJazz Wayという新たなレーベルを立ち上げてこれを世に出すつもりだったのがうまくいかず、妙中俊哉氏のInterplayが買い取って今回のリリースに至ったということだ。ここには6曲の演奏が収められているが、嬉しいことに2枚のMPS盤とは1曲も重複していない。そして、他の録音で聴くことのできる曲も、テンポや編曲が違っていたりするので大変フレッシュに響く。

演奏曲目について

 「星影のステラ」は、ヴィクター・ヤングが1944年の映画『呪いの家』の主題曲として作曲、46年にネッド・ワシントンが詞を書いて、フランク・シナトラの録音などでヒットした名曲。オスカーは1955年に初めて録音しているが、それはストリングズを交えた演奏で、レギュラー・トリオによる正規の録音は『ブルース・エテュード』に収録されているレイ・ブラウン、ルイス・ヘイズとの65年の演奏が唯一のものだった。ここでは基本的にその録音と同じ編曲が用いられているが、メンバーが違うためかオスカーのプレイが65年ヴァージョンよりもやわらかく感じられる。
 1934年の同名映画主題歌としてハロルド・アーレンが作曲、テッド・コーラーが作詞した「レッツ・フォール・イン・ラヴ」は、1954年以降何度も録音しているオスカーお気に入りのレパートリー。これもまた『ブルース・エテュード』収録のサム・ジョーンズ、ルイス・ヘイズとの66年録音ヴァージョンと同じ編曲で演奏されるが、テンポはかなり速めになっていて、オスカーのドライヴ感が凄い。ムラーツのソロは、テクニカルな持ち味を抑えてウォーキングで展開されている。
 「アイ・キャント・ゲット・スターテッド」は、ミュージカル『ジークフェルド・フォリーズ・オブ1936』の挿入歌で、ヴァーノン・デューク(曲)〜アイラ・ガーシュウィン(詞)の作。オスカーにとっては1950年以降おなじみのレパートリーだが、ここでは、彼の華麗で繊細なソロ・パフォーマンスをフィーチュアするための素材として選ばれている。ベースとドラムはエンディングになってようやく現れる。
 「アリス・イン・ワンダーランド」は、「シークレット・ラヴ」などで知られるサミー・フェインが作曲し、ボブ・ヒリアードが作詞したディズニー映画『不思議の国のアリス』(1951年)の主題歌。ジャズ・ファンにはデイヴ・ブルーベックやビル・エヴァンスの名演で知られているが、オスカーも、サム・ジョーンズ、ボビー・ダーハムとのトリオ時代にレパートリーに取り入れている。トリオでの初録音はMPS盤『ザ・ウェイ・アイ・リアリー・プレイ』に収録されているが、ダーハムのドラミングが少々やかましく、それが瑕疵となっていた。ここでの演奏は、3人のバランスも良く、起承転結もはっきりしていて聴きやすい。
 ハンプトン・ホーズやケニー・クラーク〜フランシー・ボラン・バンドの録音でもおなじみの「アイム・オール・スマイルズ」は、1965年のミュージカル『The Yearling』の1曲で、バーブラ・ストライサンドが歌ってヒットした。マイクル・レナードが作曲、ハーバート・マーティンが作詞したモダンなワルツで、オスカーがひとりテンポ・ルバートでメロディーを奏でた後、トリオ全員がワルツ・タイムで軽やかにスウィングしていく。オスカーがこの曲を取り上げた例は他になく、貴重な録音と言えよう。
 「キュート」は、ニール・ヘフティのオリジナルで、彼の編曲をカウント・ベイシー・オーケストラが演奏した録音(アルバム『Basie Plays Hefti』に収録)で有名になった。そこではドラマーのソニー・ペインがフィーチュアされたが、オスカーのトリオは、やはりプライスのドラムをフィーチュアしつつベイシー・ヴァージョンよりはるかに速いテンポで猛烈に飛ばしていく。ここでのソロを聴くとプライスがかなりの腕前であったことを実感させられ、もう少しジャズ・シーンの中心で活躍してほしかったと思わずにはいられない。
                                             (2014.6.6.  大村 幸則)

 

パーソネル:オスカー・ピーターソン(p)
        ジョージ・ムラーツ(b)
        レイ・プライス(ds)

録音:    1971年3月/ロンドン・BBCスタジオ

 

 

 

   

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