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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>>『アル・ヘイグ・トゥデイ!』 /アル・ヘイグ

『アル・ヘイグ・トゥデイ!』 /
アル・ヘイグ

Al Haig Today!/
Al Haig

\2,400+税 (XQAM-1635) 原盤:
Del Moral
録音: 1965年
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世にあまたあるピアノ・トリオ・アルバムの中でも、人気・出来栄えとも出色の一枚。幻の名盤として名高い、アル・ヘイグの通称“ミント盤”がDSDマスタリングで25年ぶりに復活。

 


1. Bags' Groove/バグス・グルーヴ >>試聴
2. The Good Life/ザ・グッド・ライフ >>試聴
3. You Don't Know What Love Is/ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ >>試聴
4. Satin Doll/サテンドール >>試聴
5. Bluesette/ブルーゼット >>試聴
6. Thrio/スリオ >>試聴
7. Brother, Where Are You/ブラザー、ホエア・アー・ユー>>試聴
8. Polka Dots and Moonbeams/ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームズ >>試聴
9. Willow Weep for Me/ウィロー・ウィープ・フォ−・ミー >>試聴
10. Saudade/サウダージ >>試聴
 

 アル・ヘイグは、1940年代の半ば、ジャズがビ・バップという新たなイディオムの誕生によってその姿を根幹から変えようとしていた時期にニューヨークへ進出して注目を浴びるようになったピアニストだ。当時ジャズ・ピアノの世界でビ・バップ・スタイルを確立してシーンの中心にいたのはバド・パウエルだが、バドには、たとえばディジー・ガレスピーにとってのファッツ・ナヴァロのような、良きライヴァルと呼べる存在が黒人ピアニストの中にはほとんど見当たらず、バドの他にはジョン・ルイス、デューク・ジョーダンなどが活躍していたものの、彼らのスタイルはバドを直接追ったものではなかった。したがって、アル・ヘイグを筆頭にジョージ・ウォリントン、ジョー・オーバニー、ドド・マーマローサなど、40年代半ばからビ・バップ・シーンで頭角を現したピアニストの多くは白人だった。白人ピアニストの中には、レニー・トリスターノのように、ビ・バップを深く理解した上で謂わばそれをひっくり返し、息の長いホリゾンタルなフレージングと斬新なハーモニー・センスを特徴とする“裏返しのビ・バップ”(一般的には“クール”と呼ばれた)を築き上げた巨人もいたが、その一方、この時期のジョージ・ウォリントンやジョー・オーバニーのように、できるだけバド・パウエルのスタイルを忠実に受け継ごうとしていた白人ピアニストも少なくなかった。
 そんなシーンの中でアル・ヘイグが際立つ存在感を示したのは、彼が、バド・パウエルを強く意識しながらも、まずはピアノをきちんと美しく響かせることに意を注ぎ、狂気を秘めた閃きと異様なテンションで満たされたバドの音楽とは異なる、香気と典雅さを漂わせた音楽性を確立していたからだ。ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーのグループに起用されていたときからアルのそのような音楽性はひときわ輝いていたが、その後彼の音楽はさらに熟成度を増していき、美しい音色の中に独自の艶と芳醇な香りを湛えつつも全体にピリッとした緊張感が漲るようなものとなっていった。それは、モダン版テディ・ウィルソンとでも呼びたくなるような洗練されたスタイルで、1965年に録音されたこの『アル・ヘイグ・トゥデイ!』には、そのような成熟した姿が記されているわけだが、残念なことに、諸々の事情のため、アルが1960年代に残したレコーディングはこれだけ。アルバムの充実度を見ると、この時期にもっと録音してほしかったと思わずにいられない。
 もともとアルのピアノは、典型的なビ・バップ・フレイズを弾いているときでもどこかに不思議な静けさや落ち着きを感じさせるものだったが、60年代のヘイグは、その個性をそのまま持ち続けながらも、70年代以降の彼に見られるようになったきらびやかさやつめの甘さなどはなく、程よいハード・バップの香りと余裕のようなものを漂わせている。アルは自分に対して一切妥協を許さぬストイックな姿勢を一生貫いた男だったが、この『アル・ヘイグ・トゥデイ!』には、そんなアルが思わず見せてしまった暖かな人間味が感じられ、それがこのアルバムに他とは異なる魅力を与えているように思う。

アル・ヘイグのプロフィール

 ここで簡単にアルの生涯を振り返っておくことにしよう。アル・ヘイグ(本名Alan Warren Haig)は、ニュージャージー州ニューアークで1922年7月19日に生まれている。9歳でピアノを始め、1940年にオバーリン大学へ入学。音楽を専攻して2年間学んだ後、1942年から44年まで沿岸警備隊に勤務して隊のオーケストラでクラリネットとサックスを吹いた。除隊後はボストンでルディ・ウィリアムズのバンドに加わったが、同じ年にニューヨークのユニオン・カードを取得、レス・エルガート楽団やタブ・スミスのグループで演奏する傍ら52丁目のクラブに出入りしてチャーリー・パーカーと出会い、パーカーとディジー・ガレスピーが結成したグループに招かれてビ・バップ・ピアニストとしての第一歩を踏み出した。その後は、スタン・ゲッツやチャーリー・パーカー、さらにはウォーデル・グレイ、ズート・シムズ、アレン・イーガー、ハービー・ステュワードといった名だたるサックス・プレイヤーたちの下でプレイして高い評価を得、1954年3月には、渡米したアンリ・ルノーのプロデュースでフランスのスウィング・レーベルのためにトリオでレコーディングを行った(後に米国では『アル・ヘイグ・トリオ』というタイトルでピリオド・レーベルから発売)が、そのセッションの終了後、エンジニアをつとめていたスタジオのオウナー、ジェリー・ニューマン(“ミントンズ”でチャーリー・クリスチャンなどを録音したあのニューマンだ!)の提案でさらにレコーディングを続け、こちらはエソテリックというレーベルから『ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ』というタイトルでリリースされた。この年にはもう1枚、ギタリストを加えたクァルテットでピリオドに録音を行っており、3枚とも充実した内容だが、中でも『ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ』の素晴らしさは群を抜いている。
 プレイはそんな最高の状態だったのに、アルの仕事は増えず、それ以降1950年代のレコーディングは、ドナルド・バードやフィル・ウッズとのプレスティッジ・セッション(『ザ・ヤング・ブラッズ』(1956年)と、『チェット・ベイカー・イン・ニューヨーク』(1958年)への参加に留まった。アルの難しい性格やアルコールが問題だったと言われているが、いずれにしろ、60年代に入るとさらに録音は減り、このミント盤『アル・ヘイグ・トゥデイ!』が60年代唯一の作品となってしまう。1968年の10月には妻のボニーが自宅で階段から転落して亡くなるという悲劇がおこり、アルは何と殺人の嫌疑をかけられてしまうのだが、結局ボニーは泥酔して足を滑らせたということになり、アルは起訴されずに終わった。そんなこんなで辛い時期を過ごしていたアルだったが、1974年にトニー・ウィリアムズの招きでヨーロッパ・トゥアーを敢行し、その間に英国でスポットライト・レーベルへ行ったレコーディングが『インヴィテイション』というタイトルでリリースされると、これが大成功を収め、再び大きな脚光を浴びることになる。その後はスポットライトやいくつかの日本のレーベルに次々と作品を残していったが、1982年11月16日にニューヨークで心筋梗塞のため亡くなった。

             『アル・ヘイグ・トゥデイ!』について

 この『アル・ヘイグ・トゥデイ!』は、1965年7月6日にニューヨークで録音されており、共演メンバーはベースのエディ・デハーズとドラムのジミー・キャップス。アルはしばらくレコーディングから遠ざかっていたわけだが、肩に力が入ることもなく、自己の内部からにじみ出るものを淡々と綴っている。輝かしいフレーズと、それが通り過ぎて行った後に残る深い陰影との対比がこれほど鮮やかに刻まれた演奏は他にない。言いかえれば、スピード感と静けさとの同居。この一種不思議な佇まいにこそアルの真骨頂があり、それをこのアルバムでたっぷりと味わうことができるのだ。随所に聴かれるバピッシュなフレイズの中に潜む繊細さ、柔らかさ、哀感といったものに、あるいは逆に、スタンダード・ナンバーのメロディーを崩さずに優しく何気なく弾いているときに感じられるビ・バップ・スピリットに、アルの個性がくっきり浮き彫りとなっている。

 収録されているのは10曲。1960年代ならではの選曲もあっておもしろい。たとえばサッシャ・ディステルが1962年に書いた「ザ・グッド・ライフ」。トニー・ベネットやフランク・シナトラでヒットしたこの曲をアルはボサ・ノヴァのリズムで演奏している。トゥーツ・シールマンスの「ブルーゼット」は、美しいメロディーを持ったジャズ・ワルツで、アルの可憐な右手のラインが絶妙。また、オスカー・ブラウン・Jr.の「ブラザー、ホエア・アー・ユー」では、ニグロ・スピリチュアルズの香り漂うテーマからアルが力強いソロを構築していく。とてもダイナミックな演奏だ。
「スリオ」は、アル自身が書いたこのアルバム唯一のオリジナルで、新鮮なハーモニーが印象深い。バピッシュなフレイズの中にバド・パウエルとの個性の差が感じ取れる。「サウダージ」は、ブラジル帰りのデハーズが書いた明るいボサ・ノヴァ。いかにも60年代らしい雰囲気にあふれた曲だ。
残る5曲はおなじみのジャズ・オリジナルやスタンダード・ナンバー。ミルト・ジャクソンの「バグズ・グルーヴ」は、悲しげな雰囲気を漂わせた演奏だが、暗くはならずに深いニュアンスを織り込んでいくあたりがアルならでは。ジーン・デ・ポールとドン・レイの映画主題歌「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」では、失った恋人への想いを綴る歌詞を頭の中で噛みしめるように歌いながらプレイしている(に違いない)アルのタッチが重いけれど優しげに響く。「サテン・ドール」は、デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンの共作だが、アルはエリントンの書いた「ホワット・アム・アイ・ヒア・フォー」を冒頭に置き、テーマ・ステイトメントをデハーズに担当させている。「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームズ」はジミー・ヴァン・ヒューゼン(曲)〜ジョニー・バーク(詞)のコンビによる名曲。バド・パウエルの手法を用いながらもまったく異なった歌を綴っていくアルのバラード演奏が素晴らしい。アン・ロネル作「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」は、トミー・フラナガン、レッド・ガーランド、ウィントン・ケリーといったピアニストが演奏するとどこかグルーヴィなムードの漂う曲だが、アルは随所にファンキーとすら言えるフレイズや華麗なアルペジオを挟みながらハード・バピッシュなプレイを繰り広げている。
                                    (August 18, 2014  大村幸則)

パーソネル:アル・ヘイグ(p)
        エディ・デハーズ(b)
              ジミー・キャップス(ds)

録音:    1965年7月6日、ニューヨーク

 

 

 

 

   

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