『バック・トゥ・ザ・ボールルーム』 /    リッチー・カミューカ&バディ・テイト  Back to the Ballroom/ Richie Kamuca - Buddy Tate

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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『ソニー・ロリンズ・プレイズ』 /
ソニー・ロリンズ

Sonny Rollins Plays/
Sonny Rollins, Thad Jones
\2,000+税 (XQAM-1637) 原盤:
Period
録音:1956/1957年 NYC
>>購入する オリジナルLPジャケット仕様

 

 

名盤『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』(ブルーノート)の翌日に録音されたソニー・ロリンズの名演集。悠揚たるチャイコフスキーの『悲愴』交響曲が聴きものだ。当初は10吋アルバムになる予定だったがギャラで揉めて中止になり、サド・ジョーンズの代表作『マッド・サド』未収録の3曲とのカップリングになったが、こちらも劣らぬ熱演だ。

 


1. Sonny Moon for Love/ソニー・ムーン・フォr−・ラヴ >>試聴
2. Like Someone in Love/ライク・サムワン・イン・ラヴ >>試聴
3. Theme from "Pathetique" Symphony/『悲愴』交響曲 >>試聴
4. Lust for Life/ラスト・フォー・ライフ >>試聴
5. I Got It, Thad/アイ・ガット・イット、サド >>試聴
6. Flamingo - If You Were Mine - I'm Thru With Love - Love Walked In/フラミンゴ - イフ・ユー・ワー・マイン - アイム・スルー・ウィズ・ラヴ - ラヴ・ウォークト・イン >>試聴
 
 

ロリンズ絶好調期の隠れ名盤

 ソニー・ロリンズがピリオドというマイナー・レーベルに吹き込んだ唯一のアルバムである。録音日は1957年の11月4日で、ブルーノートの有名なライヴ盤『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』の翌日である。翌12月の11日にはディジー・ガレスピーとの共演アルバム『デュエッツ』(ヴァーヴ)を吹き込み、19日にはそのガレスピーをリーダーに同じテナー奏者のソニー・スティットを加えた『ソニー・サイド・アップ』をやはりヴァーヴに吹き込んでいる。
大名盤『サキソフォン・コロッサス』(プレスティッジ)は前の年1956年の6月だったし、1957年3月には『ウェイ・アウト・ウエスト』(コンテンポラリー)、6月には「ザ・サウンド・オブ・ソニー」(リヴァーサイド)と名盤が目白押しの時期だった。本作『ソニー・ロリンズ・プレイズ』が悪いはずがない。

ピリオド・レーベルについて

 ピリオドというレーベルは1955年頃にニューヨークで立ち上げられたマイナー・レーベルで、エソテリックやカウンターポイントというレーベルを持っていたエンジニアのジェリー・ニューマンがモダン・ジャズを中心としたアルバムのシリーズを出すために設立した。アルバムのプロデュースというか監修はジャズ評論家のレナード・フェザーがおこなっていたようだが、このレーベルについてはよくわからないことが多い。同レーベルの作品ではソニー・ロリンズの本アルバム以外に『アル・ヘイグ・カルテット』(近日SSJより発売予定)やサド・ジョーンズの『マッド・サド』が知られている。またサド・ジョーンズやルノー・ジョーンズ、クインシー・ジョーンズ、ジミー・ジョーンズ、エディ・ジョーンズ、ジョー・ジョーンズらジョーンズ姓を持ったジャズメンを集めて『ザ・ジョーンズ・ボーイズ』というアルバムも出ていたが、1958年か59年頃にエヴェレスト・グループに買収され短命に終わった。
このエヴェレストのオーナーはいろいろとトラブルを起すかなりアバウトな人だった。本作を含むエソテリック/カウンターポイント/ピリオドのアルバムの多くはいろいろなレーベルに転売されたが、同じタイトルを複数のレーベルに売るという無茶苦茶なことをしたため、同じアルバムが複数のレーベルから再リリースされるという事態を引き起こしている。本アルバムはインタープレイ・レコードがエヴェレスト・グループからいろいろな経緯を経て権利を獲得したもので、今回SSJからのリリースはインタープレイから正式にライセンスを受けたものである。

 

アルバムについて

 このアルバムは発売当初から12インチLP盤(SPL-1204)としてリリースされたものである。しかし実際のロリンズは片面のみで、あとの片面はサド・ジョーンズのグループによる演奏となっている。一体どういうわけなのか長年不思議に思っていたが、1990年代に頻繁に日本(主に九州地域)に演奏に来ていたピアニストのギル・コギンスによれば、「このアルバムのロリンズ・セッションは朝にスタートしたと思う。ソニーがヴァンガードの仕事を終えてまっすぐスタジオに来てすぐに始まった。一晩中吹きまくったというのに全く疲れをみせず実に見事な演奏だったよ。ソニーは本当にすごかった。ソニーのレパートリーはすでに知っていたけれど、1曲ずつ録音する前にリハーサルのような感じで演奏したあと実際にレコーディングをしたと思う。いずれにしろ朝の6時か7時ごろからスタートして11時ごろには終わった。アルバムの半分を入れたからね。次の週にまたみんなで集まって残りをレコーディングする予定だったが、翌週ソニーから電話があってレコーディングが中止になったという。その後は声がかからなかったからひょっとしたら他のメンバーで残り分をレコーディングしたのだろうと思っていたけど、リリースされたアルバムを見るとジャケットがソニーのアルバムになっているのに中身はサド・ジョーンズと半分ずつになっていてびっくりした。あとでソニーに尋ねたらギャラの問題だったらしい」。当時スタジオに来ていたレナード・フェザーに「ブルーノートはリハーサル代を払ってくれるのだからピリオドも払ってほしい。次回のレコーディングではギャラを上げてほしい」といったそうだ。しかし、フェザーはたんなる雇われスーパーバイザーだったから「会社のトップに聞いておくよ」としか答えなかったという。結局はあのセッションのギャラ以外払いたくないというレーベル側の意向で、その後のセッションはなくなった。超弱小のマイナー・レーベルにはマイナー・レーベルの経済事情があったのだろうが、この時期のロリンズは絶好調でこの一回目のセッションも素晴らしかっただけに、ファンにとっては実に残念な結果といわざるを得ない。

ロリンズのセッション

 ソニー・ロリンズのグループは3曲のみの演奏である。「ソニームーン・フォー・トゥー」は前夜のヴァンガードでも演奏されている。ロリンズのオリジナルの中では「セント・トーマス」や「オレオ」に次いで有名な曲で、長年レパートリーにしてきた。
ジミー・ヴァン・ヒューゼンがメロディーを書いたスタンダードの「ライク・サムワン・イン・ラヴ」は当時ロリンズだけでなく多くのジャズメンのレパートリーでもあった。
3曲目のチャイコフスキーの「悲愴」交響曲のテーマを素材にしたヴァリエーションを演奏するとはなかなかユニークだ。後年採り上げたマクダウェルの「トゥ・ア・ワイルド・ローズ」という曲もクラシックからのものだったことを考えると、ロリンズはしっかりとクラシックの音楽を研究していたに違いない。

 ソニー・ロリンズは1929年9月7日ニューヨーク生まれ。本稿執筆時点では存命中である。マイルス・デイヴィスなどのグループを経て自分のグループを結成。何度となくジャズシーンから姿を消していたが未だにジャズ・ミュージシャンとしての影響力は強い。
トロンボーンのジミー・クリーヴランド(1926年5月3日〜2008年8月23日)はテネシー生まれ。ライオネル・ハンプトン、マイルス・デイヴィス、クインシ―・ジョーンズなどのバンドを渡り歩いてきた。ロリンズとはこのレコーディングの翌年にも『ブラス・アンド・トリオ』に参加している。後年はハリウッドでスタジオ・ミュージシャンとして活躍した。
ピアニストのギル・コギンス(1928年8月23日〜2004年2月15日)はマイルス・デイヴィスに気に入られマイルスのブルーノート盤にも参加していた。ジャッキー・マクリーンのアルバムにも参加したが1959年頃には不動産業に転職してしまいピアノはプライベートで弾くだけだったそうである。ジャズだけでは家族を養えないからだったという。しかし不動産業を定年退職したあと1990年代から再びニューヨーク周辺のクラブでピアノと弾くようになった。リーダー・アルバムがインタープレイとスモールズにある。日本にも頻繁に来ており主に博多周辺で演奏していたようだ。
ウェンデル・マーシャル(1920年10月24日〜2002年2月6日)は、偉大なベース奏者であったジミー・ブラントンの従兄にあたる。ブラントン同様1948年から50年にかけてデューク・エリントンのバンドに在籍していたこともある。1950年代後半からはブロードウェイのバックバンドで仕事をするようになりジャズからは離れていた。1968年に引退後、故郷のセントルイスで余生を過ごしていたそうである。
 ドラムスのケニー・デニスは1930年5月27日生まれ。ロリンズ同様に本稿執筆時点においても存命で、元気にロスアンジェルス地域で後進の指導にあたっている。ロリンズはもとよりマイルス・デイヴィス、チャールズ・ミンガス、リナ・ホーン、ナンシー・ウィルソンなど著名アーティストと共演してきた。ナンシーとは1960年から70年にかけて結婚しており一人息子がいる。

サド・ジョーンズのセッション

 ロリンズとアルバムを半分ずつシェアしているサド・ジョーンズ(1923年3月28日〜1986年8月21日)のほうを紹介しよう。こちらは名盤『マッド・サド』(SPL-1208)というアルバムのセッションから「アイ・ガット・イット、サド」と「ラスト・フォー・ライフ」で、ジョーンズにつき合っているのはテナーのフランク・フォスター(1928年9月23日〜2011年7月26日)、ピアノのジミー・ジョーンズ(1918年12月30日〜1982年4月29日)、ベースがダグ・ワトキンス(1934年3月2日〜1962年2月5日)、ドラムスがジョー・ジョーンズ(1911年10月7日〜1985年9月3日)である。
バラード・メドレーは1957年1月6日の録音で、トロンボーンのヘンリー・コーカー(1919年12月24日〜1979年11月23日)、テナーのフランク・ウェス(1922年1月4日〜2013年10月30日)、ピアノのトミー・フラナガン(1930年3月16日〜2001年11月16日)、ベースのエディ・ジョーンズ(1929年3月1日〜1997年3月31日)、そしてドラムスがサドの弟エルヴィン・ジョーンズ(1927年9月9日〜2004年5月18日)のメンバーで、このオールスター・セッションともいえる顔ぶれを見るとサドが在籍していたカウント・ベイシー楽団の仲間たちが多いことに気づく。
どちらのセッションも熱のこもった演奏で残りテープといった感じは全然ない。LP時代には演奏時間の関係で一枚のアルバムに収録できなかったが、都合いいことにロリンズと抱き合わせが出来たということだろう。
                                                 (2014.11.18. 夏目 才)

パーソネル:1〜3 ソニー・ロリンズ(ts)
            ジミー・クリーヴランド(tb)
            ギル・コギンス(p)
            ウェンデル・マーシャル(b)
            ケニー・デニス(ds)
        4〜5 サド・ジョーンズ(tp)
            フランク・フォスター(ts)
            ジミー・ジョーンズ(p)
            ダグ・ワトキンス(b)
            ジョー・ジョーンズ(ds)
        6    サド・ジョーンズ(tp)
            ヘンリー・コーカー(tb)
            フランク・ウェス(ts)
            トミー・フラナガン(p)
            エディ・ジョーンズ(b)
            エルヴィン・ジョーンズ(ds)

録音:1〜3     1957年11月4日 ニューヨーク、ベルトーン・スタジオ
    4〜5     1956年12月3日 ニューヨーク、エソテリック・スタジオ
    6       1957年1月6日  ニューヨーク、エソテリック・スタジオ

 

 

 

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