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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>>『ジャズ・イモータル』 /チャーリー・クリスチャンほか

『ジャズ・イモータル』 /
チャーリー・クリスチャンほか

Jazz Immortal/
Charlie Christian, etc.

\2,000+税 (XQAM-1638) 原盤:
Esoteric
録音: 1941年5月/ニューヨーク
>>購入する 10吋盤オリジナル・ジャケット仕様

NYCミントンズ・プレイハウスにおけるビバップ誕生前夜を刻んだ歴史的演奏。モダン・ジャズ・ギターの開祖チャーリー・クリスチャンあるいはディジー・ガレスピーが中心のジャム・セッションで、近年の研究により従来から言われてきたセロニアス・モンクの参加は否定されたが、ジャズの歴史に輝く最重要作の一枚であることに変わりはない。

 


1. Swing to Bop/スウィング・トゥ・バップ >>試聴
2. Stompin' at the Savoy/サヴォイでストンプ >>試聴
3. Up on Teddy's Hill/アップ・オン・テディズ・ヒル >>試聴
4. Down on Teddy's Hill/ダウン・オン・テディズ・ヒル >>試聴
5. Guy's Got to Go/ガイズ・ガット・トゥ・ゴー >>試聴
6. Lips Flips/リップス・フリッピシ >>試聴
7. Stardustu/スターダスト >>試聴
8. Kelouac/ケルアック >>試聴
9. Stardust/スターダスト >>試聴
 

ミントンハウスについて

 正式にはミントンズ・プレイハウスと呼ばれていたこのジャズ・クラブはニューヨーク、ハーレムのホテル・セシールの1階にあった。場所は西118丁目210番地である。ミントンズは、テナー・サックス奏者のヘンリー・ミントンが1938年にオープンし1974年に閉店された。2006年に「アップタウン・ラウンジ・アット・ミントンズ」という名称で再度オープンしたが2010年にまた閉まってしまった。2012年から改装工事が行われたそうだがその後どうなったかは聞かない。
本アルバムのチャーリー・クリスチャンたちの演奏で有名になり、その後チャーリー・パーカーなど著名ジャズメンが出演してきた名門ジャズ・クラブだった。オーナーのヘンリー・ミントンはニューヨークのミュージシャン・ユニオンに登録された最初の黒人ミュージシャンとしても知られている。1940年代にバンド・リーダーだったテディ・ヒルをマネジャーとして雇い入れ多くの著名ジャズメンをブッキングして話題を呼んだ。曲名にヒルの名前がつけられているのはそういう理由からである。

アルバムについて

 本アルバムはジェリー・ニューマン(1918-1970)という当時コロンビア大学に在籍していた学生がミントンズに乗り込み手製のディスク・レコーダーで記録したもので、録音は1941年5月とされる。
ニューマンがミントンズで記録した「バップ・トゥ・スウィング」と「サヴォイでストンプ」の2曲はそれぞれ3分割され3枚のSPの片面ずつにプレスされてリリースされた。1947年のボックスセット『ヴォックス・プレゼンツ・チャーリー・クリスチャン』(Vox VSP-302)である。10吋LPの時代になると1951年に『ジャズ・イモータル』(Esoteric ESJ-1)として再発された。1953年に「アップ・オン・テディズ・ヒル」等、このアルバムに収録されている残りの7曲がやはり10吋のLP『ディジー・ガレスピー/チャーリー・クリスチャン 1941』(Esoteric ESJ-4)として登場した。さらに12吋時代になると、1956年に「ダウン・オン・テディズ・ヒル」を除く8曲が合体して『ザ・ハーレム・ジャズ・シーン・1941』(Esoteric ES-548)となった。残った「ダウン・・・」を加えた全9曲が一枚のアルバムになったのは、1982年仏ヴォーグの『チャーリー・クリスチャン・1941・ライヴ・セッションズ』(500114)のときである。そのCD化が1991年の日ポニー・キャニオン盤『ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン+1』(CECC-00376)だった。今回は、全9トラックを収録したうえで、ジャケットにはよく知られたエソテリックの12吋盤ではなく10吋の『ジャズ・イモータル』を採用した。

 それまでのジャズは2拍ビートでいわゆる「ブン・チャ、ブン・チャ」というリズムで刻まれそこにメロディーがトランペットを中心とした賑やかな管楽器で彩られるというタイプの音楽、という捉え方をされていた。ルイ・アームストロングやアル・ハートなどのスタイルである。その後少しスマートなビートを持つようになり、いわゆるスウィング時代にはサトルなメロディーがポピュラー・ミュージックの主流として1930年代後半から50年代までの間、つまりエルヴィス・プレスリーの出現以前の米国音楽界の王道を進んだ。もっともスウィング時代のジャズというのはダンス・ミュージックのようなもので、ドラマーのバディ・リッチなどは「オレのビッグ・バンドはダンス・バンドではない。ジャズ・バンドなのだ」とTVインタビューで力説していた。
そういったダンス用の決まったリズム・パターンに飽き足らず、よりディープ(?)なジャズを追求するグループが1930年代の後半あたりから現れ始めた。それがこのアルバムに参加しているジャズメンたちである。もっとも全員がその方向を向いていたわけではないが。

 このアルバムは特定のリーダーを持たないジャム・セッションであるが、最初にリリースされた時からチャーリー・クリスチャンがリーダーという形になっていた。このアルバムはクリスチャンにとっても、またジャズ・アルバムの歴史の中でもマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』と共に最重要作品としてランクされるべきものだ。多くのジャズ・ライターたちが指摘する通り、スウィングというスタイルから新たなビバップというスタイルに変わりつつある時代の貴重なドキュメントである。同時にここで聴かれるクリスチャンのプレイはジャズ・ギタリストを目指す人たちの教科書でもある。
参加しているミュージシャンはクリスチャン以外にトランペットのディジー・ガレスピー(1917-1993)、ドラムスのケニー・クラーク(1914-1985)という、その後のジャズ・シーンを引っぱった大物も交じっているが、クリスチャン以外当時はまだスタイルが固まっていない若いジャズメンだったことがわかる。
演奏されているサウンドはまだビバップになりきっておらずもどかしさを感じるところが多々あるし、トランペットのジョー・ガイはスウィング・スタイルそのものだ。一方ケニー・クラークのドラミングはスウィング風ながら時折リズム・パターンをいろいろと変えたりして実験しているし、唯一ガレスピーのソロからは時折モダン・ジャズへの幕開けの予備演奏といったフレーズが飛び出してくる。人によってはこのアルバムを「中途半端なサウンド」と断じるかも知れないが、スウィングからビバップへの過渡期ととらえれば大変ユニークできわめて不思議なサウンドといえる。

 さてこのアルバムのパーソネルだが、別掲がもっとも正しいと思われる。これはカナダのトム・ロードという人物が編纂した『ザ・ジャズ・ディスコグラフィー』に拠っている。その結果、“らしく”聞こえないのはまだスタイルが固まっていないからだといわれていたセロニアス・モンクの参加が21世紀になって完全否定された。これは重要な訂正である。その代わりに、ふたつのテディー・ヒルへのトリビュートにディジー・ガレスピーが参加していたことになった。つまり、クリスチャンとガレスピーは共演していたということだ。ただし、「スターダスト」の2テークと「ケルアック」ではガレスピーは参加しているが、クリスチャンは出てこない。有名どころではほかにドン・バイアスやチュー・ベリーの名前も出てくるが、 “氏名不明”となっている人も少なくない。ジャム・セッションでは順番などあってないようなもので、次から次へといろいろなミュージシャンが入れ代わり立ち代りプレイするので仕方のないことだったといえよう。

クリスチャンについて

 スウィング・スタイルが大勢を占めていたプレイの中で一人「わが道を行く」といった感じのクリスチャンのギターには驚かされる。すでに完全に自分のスタイルを構築しており、これをビバップと呼ぶかどうかは別にしても、今までにないジャズ・ギターのスタイルで演奏していることは間違いなく、その後の多くのジャズ・ギタリストのお手本となった。特に「スイング・トゥ・パッブ」(「トプシー」を借用)のアドリブはギタリストだけでなくすべてのジャズ演奏者にインスピレーションを与え、革新的な演奏を目指すミュージシャンたちに大きな啓示となった。

 チャーリー・クリスチャンは、フルネームをチャールズ・ヘンリー・クリスチャンといい、1916年7月29日にテキサス州ボンハムに生まれ、幼少の頃にオクラホマ・シティに音楽一家だった家族と共に移住してそこで育った。学校の先生からトランペットをすすめられたが、後に父親の残したギターを弾くようになりほとんど独学でギターをマスターした。当時はまだアコースティック・ギターの時代だったがオクラホマからミネソタ州など中西部周辺をサーキットする中で1936年にエレクトリック・ギターを演奏するようになり、その時点ですでに名ギタリストとして各地で高い評価を得ていたという。ツアーに来たアート・テイタムやテディ・ウィルソンたちとも共演し、同じくピアニストのメアリー・ルー・ウィリアムスからクリスチャンの名声を聞いたジョン・ハモンドがわざわざクリスチャンに会いに行きオーディションをおこなってベニ―・グッドマンに推薦したといわれている。ハモンドの話を聞いたグッドマンは半信半疑だったが、演奏を聴いてクリスチャンの才能を見抜き正式なメンバーとして雇い入れた。1939年から1941年までグッドマンのセクステット及びビッグ・バンドに在籍して全米的に知られるようになった。白人のバンドに黒人のクリスチャンが参加して堂々と演奏することは当時のアメリカでは大変ショッキングな出来事だった。そういった社会的な側面だけでなく、クリスチャンの演奏スタイルは当時きわめて斬新で衝撃的なものとしてミュージシャン仲間から注目を集めた。
1942年3月2日にニューヨーク州のリッチモンド(現在のスタッテン・アイランド)で25歳の若さで亡くなっている。荒れた生活を送ったあとの病死だった。
                                         (2014.12.3. 夏目 才)

Recording data (source: The Jazz Discography compiled by Tom Lord)
     1, 2: May 12, 1941 at Minton's Playhouse, NYC
             Charlie Christian (g), Joe Guy (tp), Kenny Kersey (p), Nick Fenton (b),
        Kenny Clarke (ds), unknown (tp), unknown (ts) added on 2
     3, 4: May 1941 at Minton's Playhuse, NYC
             Charlie Christian (g), Joe Guy, Dizzy Gillespie (tp), Don Byas (ts),
       unknown (p), unknown (b), unknown (ds)
     5, 6: May 1941 at Monroe's Uptown House, NYC
             Charlie Christian (g), Hot Lips Page, Victor Coulson, Joe Guy (tp),
       Rudy Williams (as), Don Byas, Kermit Scott (ts), Allen "Pee Wee"
       Tinney (p), Ebenezer Paul (b), Taps Miller (ds)
      7: May 1941 at Minton's Playhouse, NYC
              Dizzy Gillespie, unknown (tp), Don Byas, Chu Berry (ts), unknown (p),
       Nick Fenton (b), Kenny Clarke or Harold "Doc" West (ds)
      8, 9: May 1941 at Minton's Playhouse, NYC
               Dizzy Gillespie (tp), Kenny Kersey (p), Nick Fenton (b), Kenney Clarke (ds)

 

 

 

 

   

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