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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『オン・ファイアー+5/バーニー・ケッセル』

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『アル・ヘイグ・カルテット+3』 /
アル・ヘイグ

On Fire + 5/
Barney Kessel

\2,400 (XQAM-1639) 原盤:
Emerald / Interplay
録音:1965/1962年
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夭逝の天才ベーシスト、スコット・ラファロが残した録音はどれも貴重だ。本アルバムは1958年にTV『スターズ・オブ・ジャズ』に出演したときのレア音源。加えて、リハーサルの記録を1曲追録。

 


1. Slow Burn/スロー・バーン >>試聴
2. Just in Tme/ジャスト・イン・タイム >>試聴
3. The Shadow of Your Smile/いそしぎ >>試聴
4. Recado Bossa Nova/リカード・ボサノヴァ >>試聴
5. Sweet Baby/スウィート・ベイビー >>試聴
6. Who Can I Turn To/フー・キャン・アイ・ターン・トゥ >>試聴
7. One Mint Julep/ワン・ミント・ジュレップ >>試聴
8. The Gypsy in My Soul/ザ・ジプシー・イン・マイ・ソウル >>試聴
9. Danny Boy/ダニー・ボーイ >>試聴
10. Fly Me to the Moon/フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン >>試聴
11. April in Paris/パリの四月 >>試聴
12. One Mint Julep/ワン・ミント・ジュレップ >>試聴
 

  『オン・ファイアー』はバーニー・ケッセルの魅力がたっぷりとつまったアルバムで、ケッセルの代表作であるばかりかジャズ・ギターの歴史を語る上でも大変重要な作品として位置づけられる。録音は1965年、発売は1966年の夏だった。
 オリジナルはエメラルドというフィル・スペクターが創ったジャズ・レーベルの記念すべき第一号アルバムとしてリリースされたLP(EST-2401)だが、エメラルドは二枚目を出すことなくすぐに活動を停止したため、『オン・ファイアー』はたちまち廃盤となり、いわゆる「幻の名盤」として多くのジャズ・コレクターの垂涎盤として君臨してきた。70年代にいわゆる「幻の名盤」ブームが起こりジャズの廃盤レコードが中古盤オークションで続々と異常な値上がりをみせた。もっとも大半は「名盤」というよりもただ珍しいだけの内容の乏しい「珍盤・迷盤」だったが。そんな中にあってこのアルバムは演奏も第一級の正真正銘の「幻の名盤」である。日本では80年代にLPフォームで再発され90年代後半にはCDで再発された。
 今回は当時主にトリオでジャズの演奏活動をしていたケッセルがTVに出演したときのプレイを追加したので、さらに5曲ケッセル絶頂期の妙技をお楽しみいただけると思う。

バーニー・ケッセルについて

 バーニー・ケッセルは1923年10月7日にオクラホマ州マスコーギーで生まれた。ギターは独学だったという。一般的にケッセルはチャーリー・クリスチャンの直系とされ、16歳の頃に同郷のクリスチャンと一緒に演奏したことがあったという。ハイスクールの時期にはもうプロとして地元で活動していたが、1940年代早々にハリウッドに移住してから本格的にプロの道を歩み、有名なコメディアン兄弟のマルクス・ブラザースの一人、チコ・マルクスのバンドに参加してからその腕前を多くの人に認められるようになった。1947年にはチャーリー・パーカーのサイドマンとしてダイアル・レコードのセッションに参加し、レコードが発売されるや一躍全米に「パーカーと共演したギタリスト」として知られることになった。1950年には短期間オスカー・ピーターソンのトリオに参加したが、ハリウッドのコロンビア映画スタジオでの仕事が主流となりありとあらゆるセッションにジャンルを問わず参加した。サントラの仕事だけでなくロックのセッションにも数多く加わり、例えばビーチボーイズの「ペットサウンド」におけるギターの大半はケッセルである。
 そういった中でもジャズへの情熱は持ち続け50年代はコンテンポラリー・レコードの専属アーティストとして多くのジャズ・アルバムをレコーディングしている。60年代に入っても本アルバムに聴かれるようにジャズ・クラブへの出演もこなし、70年代に入るとコンコード・ジャズ・レーベルの専属アーティストとして多くのアルバムを作り、日本にもツアーをおこなっている。ジャズの演奏活動は80年代に入っても続いたが、1992年に脳溢血をわずらってからはリハビリに専念し、2004年5月6日にカリフォルニアのサンディエゴで亡くなった。ジャズの歴史に残る偉大なギタリストである。

サイドメンについて

 『オン・ファイアー』セッションのベース奏者ジェリー・シェフは1941年1月31日にコロラド州デンヴァー生まれ。60年代後半まで数々のセッションをこなすベース奏者であったが70年代に入りエルヴィス・プレスリーのバックバンドのTCBバンドのレギュラーとして長年プレスリーを支えた。現在も活動しており彼自身のウェブサイトでその近況を知ることができる。
 ドラムスのフランク・キャップは1931年8月20日にマサチューセッツ州ウォースターの生まれ。ドラムスは独学である。1951年にスタン・ケントンのビッグバンドに参加してから知られるようになり、1957年から64年にかけて西海岸で当時はジャズと映画音楽をやっていたアンドレ・プレヴィン・トリオの一員として活躍した。その後はプレヴィンの誘いもあり映画音楽のサントラ・レコーディングの仕事が主流となったが、80年代に入るとピアニストのナット・ピアースとの双頭リーダーで「ジャガーノ―ト」というビッグバンドを率いた。現在はリタイヤーしているようだ。

 TVセッションのベースはバディ・ウッドソンで本名はウィリアム・ウッドソン。ピアニストのカルヴィン・ジャクソンのグループやジェラルド・ウィルソンのビッグバンドなどに在籍した。生年月日その他は詳細不明だが、このアルバムで聴くとリロイ・ヴィネガーに似たタイプのベース奏者のようだ。
 ドラムスのスタン・リーヴィは1926年4月5日フィラデルフィアで生まれた。1942年に16歳でディジー・ガレスピーのグループに参加したという早熟の天才ドラマーで、後にチャーリー・パーカーとも共演している。50年代に入るとスタン・ケントンのビッグバンドで活躍したが1954年に西海岸に住みつき「ライトハウス・オールスターズ」のメンバーとして活動した。並行して数多くのレコーディングにも参加したが、60年代後半あたりからジャズ・ドラマーとしての活動を休止して、プロの写真家としての活動を始めた。90年代後半にカムバックする計画を立てていたが叶わず、2005年4月19日ロス郊外のヴァン・ナイスに亡くなった。

『オン・ファイアー』セッションについて

 『オン・ファイアー』はハリウッドにあった「PJ's」というライヴハウスでのセッションである。「PJ's」はウエスト・ハリウッド市のサンタモニカ・ブールヴァード8151番にあったレストランで、1961年にスタートしたときからライヴ・ミュージックを提供した。メイン・ルームとジュニア・ルームという二つのスペースを持ち、それぞれジャズやロックのセッションが毎晩行われていた。
 メイン・ルームのほうは長年ラテン・ジャズ・ピアニストのエディ・カーノのグループが出演し、ラテン・ロックのスター、トリニ・ロペスのミリオンセラー・アルバム『トリニ・ロペス・アット・PJ's』(リプリーズ)がこの店でライヴ・レコーディングされてから一躍有名になったが、1968年に店が売却されるとライヴ・ミュージックはなくなった。しばらくは同じ店名で営業していたがジェントルメン・クラブ(いわゆるストリップ劇場)に変わり、70年代後半にはつぶれてしまった。
 このセッションに収めらている7曲はすべてケッセルの選曲である。ケッセルのオリジナル「スローバーン」は、ゆっくり燃えていくという意味だが、文字通りシンプルなテーマから演奏がどんどんホットになっていくブルースである。
 スタンダードの「ジャスト・イン・タイム」ではケッセルのスウィング感が素晴らしい。
 ケッセルのバラード演奏が聴ける「いそしぎ」ではスウィンギーな曲とは違う、ケッセルのバラードの巧さが味わえる。
 「リカード・ボサノバ」は当時アメリカで流行っていたので取り上げたのだろう。
もうひとつのケッセルのオリジナル「スウィート・ベイビー」は、ケッセルのミディアム・スローにおける独特のスウィング感が味わえる。
 「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ」は再びバラードで、ケッセルの叙情的な演奏を聴くことができる。
 R&Bの作曲家として有名なルドルフ・トゥームズがザ・クローヴァーズのために書いた「ワン・ミント・ジュレップ」は、ハッカ入りの飲料水のこと。さわやかにスウィングするブルースで、ケッセルはこの曲を気に入っていたようで60年代にはライヴ演奏で必ず取り上げていた。

TVセッションについて

 Interplay主宰者の妙中俊哉氏の話によると、80年代半ばに『オン・ファイアー』のアルバムをアメリカで再発したいと思い、ケッセルにコンタクトしたという。このアルバムの権利はケッセルが持っていることが判明したので、交渉はスムーズに進みライセンス契約に合意した。その時にケッセルから「CDとして再発するならTVセッションのテープもあるから追加してはどうか?」という提案がなされた。そのセッションとはオスカー・ブラウン・ジュニアがホストをつとめ1962年に放映された『Jazz Scene USA』という番組である。この番組の様子はYouTubeで見ることができるが、ケッセルから渡されたテープの曲順は実際にオンエアされた曲順とは違っている。世界で初めてリリースされるこの番組の5曲の曲順はケッセルの要望に沿ったものである。
 「ザ・ジプシー・イン・マイ・ソウル」は1937年にペンシルヴァニア大学のマスク・アンド・ウィッグ・ショ―の50周年を記念して当時の学生二人による作品で、ジューン・クリスティやドリス・デイ、ルイ・アームストロングなどがレコーディングしている。ケッセル独特のスイング感がなんともいえない。
 アイルランド民謡を素材にした「ダニー・ボーイ」、別名「ロンドンデリーの歌」ではケッセルのしっとりとしたバラード演奏を堪能できる。
 「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は1954年に書かれたときは「イン・アザー・ワ―ズ」と命名されていたが、後年ペギー・リーが作者のバート・ハワードを説き伏せて現在のタイトルに正式変更させたというエピソードがある。
 カウント・ベイシー楽団のレコードで有名な「パリの四月」におけるケッセルもスウィンギーな演奏で、ギターのフル・サウンドを楽しめる。ベイシー版のあの有名なリフも引用している。
 最後に『オン・ファイアー』セッションでも演奏していた「ワン・ミント・ジュレップ」。演奏時間はこちらのほうが短いが、ケッセルのエッセンスが見事に凝縮されている。

エピローグ

 当時のケッセルはロックやポップスのスタジオ・セッションばかりの時代だっただけに、ジャズを演奏する機会を得て張り切ったのであろう。両セッションともジャズをプレイする喜びにあふれている。演奏水準も非常に高く、ジャズ・ギターのファンだけでなくジャズ・ファン全ての人が傾聴すべき素晴らしいアルバムである。
                                       (2014.12.5.夏目 才)

パーソネル 1−7  バーニー・ケッセル(g)
              ジェリー・シェフ(b)
               フランク・キャップ(ds)
        8−12  バーニー・ケッセル(g)
              バディ・ウッドソン(b)
              スタン・リーヴィ(ds)

録音     1−7  1965年1月10日、PJ's(ハリウッド)
        8−12 1962年1月12日、CBS-TVで放映

 

 

 

   

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