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『レッツ・ビー・フランク』 / ピーター・マーシャル with カラブリア・フォーティー Let's Be Frank/ Peter Marshall

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan
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Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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『アル・ヘイグ・カルテット+3』 /
アル・ヘイグ

Al Haig Quartet + 3/
Al Haig

\2,000 (XQAM-1640) 原盤:
Period / Interplay
録音:1954/1952年
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夭逝の天才ベーシスト、スコット・ラファロが残した録音はどれも貴重だ。本アルバムは1958年にTV『スターズ・オブ・ジャズ』に出演したときのレア音源。加えて、リハーサルの記録を1曲追録。

 


1. Sweet Lorraine/スウィート・ロレイン >>試聴
2. Tea for Two/二人でお茶を >>試聴
3. You Go to My Head/ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド >>試聴
4. You Stepped Out of a Dream/ユー・ステップト・アウト・オブ・ア・ドリーム >>試聴
5. Undecided/アンディサデッド >>試聴
6. The Man I Love/ザ・マン・アイ・ラヴ >>試聴
7. Woody'n You/ウディン・ユー >>試聴
8. Stella by Starlight/星影のステラ >>試聴
9. Someone to Watch Over Me/サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ユー >>試聴
10. How About You?/ハウ・アバウト・ユー? >>試聴
11. Saunder's Meanders/サンダーズ・ミアンダーズ >>試聴
12. Taking a Chance on Love/恋のチャンスを >>試聴
 

                    

アル・ヘイグについて

ビバップ時代の素晴らしいピアニストであったアル・ヘイグは、1922年7月19日にニュージャージー州のナットレーに生まれニューアークで育った。従来は7月22日生まれといわれてきたが、ヘイグの二番目の妻が書いた『Death of Bobop's Wife』には「彼のパスポートによれば7月19日生まれ」と書かれているのだ。自宅にあったピアノに幼少の頃から親しみ母親を説得してプライベート・レッスンを受けるようになった。ジャズは子供の頃からラジオで聴いており、テディ・ウィルソンのピアノに影響されたという。オーバリン大学に入学する頃にはもうラウンジでプロとしてピアノを弾き、1945年にディジー・ガレスピーにスカウトされチャーリー・パーカーも加わったグループのレコーディングをギルド・レーベルでおこなった。当時はまだバド・パウエルのレコードが発売されていないこともあって、多くのピアニストたちはヘイグをバップ・ピアノの手本にした。1952年から一時期西海岸に住んでいたこともあるが、1950年代は主にニューヨークでパーカー、スタン・ゲッツ、チェット・ベイカーたちと共演した。
1960年代に入ると日本のジャズ・ジャーナリズムにはあまり活動のニュースが入ってこなくなったが、60年代の前半はシカゴで演奏していた。当時のマイルス・デイヴィス・クインテットで代役を務めたことも、1〜2度あったという。1964年ごろ再びニューヨークに戻ったが、演奏活動は隣の州であるニュージャージー周辺が多かったのであまりジャズ雑誌には載らなかったと思われる。1965年には60年代唯一のそして幻の名盤として名高い『アル・ヘイグ・トゥデイ!』(デル・モラル・レーベル、通称ミント盤)を発表した。
ヘイグが再びジャズ・ジャーナリズムに姿を現したのは60年代後半で、3番目の妻の殺人容疑で逮捕されたときだったが、裁判で無罪となり再び演奏活動に戻ることができた。
1970年代に入るとヨーロッパでの演奏活動が多くなり英国のスポットライト・レーベルやフランスのムジーカ・レーベルからアルバムをリリースしている。アメリカでもインタープレイ・レーベルに6枚のアルバムを残している。
1982年11月16日にニューヨークの自宅にて心臓発作で亡くなった。まだ60歳であった。

本アルバムについて

本アルバムのオリジナルはピリオド・レーベルのSPL-1104というカタログ番号で1955年に10吋LPとしてリリースされた。プロデューサーはレナード・フェザーで、録音はニューヨーク、1954年9月14日である。後にこのレーベルはエヴェレスト・グループに買収されたが、それまでにソニー・ロリンズ、サド・ジョーンズ、そしてラルフ・バーンズなどのアルバムをリリースしており、ジャズ専門のマイナー・レーベルとして1950年代中ごろには結構活動していた。
ヘイグのサイドメンに関してはベースのテディ・コティック(1928-86)以外、ギターのベニー・ウィークスやドラムスのフィル・ブラウンについてはわからないことが多い。コティックは、マサチューセッツ出身で最初はボストン周辺で活動していたが、ニューヨークに出てからはチャーリー・パーカーやビル・エヴァンズとの共演で知られる。
演奏されている9曲のうち8曲はよく知られたスタンダード曲である。1曲だけディジー・ガレスピーのオリジナル「ウディン・ユー」というビバップ曲があるがアプローチは他のスタンダード曲と違わない。このアルバムを聴いてわかるように、ヘイグのピアノはゴリゴリのビバップというよりは、ビバップのスイング感を持ちながらもっと滑らかなソフィスティケイトされたスタイルといえる。聞き流すとカクテル・ピアノのように聴こえるが、それがヘイグの流麗なピアノ・テクニックというかピアノ・タッチなのである。生前のヘイグはいつも「ピアノを打楽器として演奏しているピアニストが多い。だがピアノはメロディー楽器だというアプローチで私は演奏している」と語っていた。

追加曲について

今回の再発にあたっては3曲追加されている。ヘイグのロサンゼルス時代(1952年4月〜翌53年5月)にパシフィック・ジャズに吹き込まれたセッションで、1952年9月6日に4曲レコーディングされた。今回リリースされる最初の2曲はSPでリリースされ(SP-603)、残りのトリオによる1曲はパシフィック・ジャズのオムニバス・アルバム『Pianist Galore』(JWC-506)に収録された。
ヘイグとパシフィック・ジャズ・レコードのオーナー/プロデューサーだったリチャード・ボックとはあまり波長が合わず、些細なことで1953年早々に二人の間で諍いが起こったようだ。「ボックとの契約が成立しなかったのだから権利は自分にある」と主張したヘイグは原盤を全部持ってその年の5月にニューヨークへ帰ってしまった。一方のボックはパシフィック・ジャズの10インチのLPシリーズのカタログ番号18番にヘイグのアルバムを予定していたが、ヘイグが新しいレコーディングを拒否しさらにニューヨークへ戻ってしまったため、ヘイグが1954年に吹き込んだセッションを仏ヴォーグ・レーベルからライセンスしてもらおうとしたが、これまたヘイグが拒否したので万事休す。結局18番は欠番になってしまった。
ヘイグがニューヨークに持ち帰った録音はラッカ―盤4枚に刻まれていた。当時はまだテープが高価だったためテープ録音は普及しておらず、パシフィック・ジャズもスタジオ録音は直接ラッカ―盤に刻んでいく、いわゆる「ダイレクト・カッティング」方式をとっていたからだ。そのラッカー盤はヘイグの死後も大切に保存されていたので60余年を経て今回復活することとなった。ただし、未発表だった4曲目のトリオによる「ストライク・アップ・ザ・バンド」は、ヘイグ自身が持っていた時期から保存状態が悪くまた損傷があまりにもひどいため修復できず、今回のアルバムには加えられていない。

ハリー・ババシン名義のSPで出た「ハウ・アバウト・ユー?」「サンダーズ・ミアンダーズ」の2曲はヘイグ、ババシン、ボブ・エネヴォルセン、ラリー・バンカーのカルテットである。エネヴォルセンは「ハウ・アバウト・ユー?」ではベースを、「サンダーズ・ミアンダーズ」ではテナー・サックスを担当し、チェロの指弾きがババシンで、バンカーはヴァイヴを演奏するなど、いわゆるドラムスレスの変則カルテットになっている。スタンダードの「恋のチャンスを」はエネヴォルセンの抜けたトリオで、通常のピアノ/ベース/ドラムス編成である。

共演者について少し触れておきたい。チェロのハリー・ババシン(1921-1988)はウエスト・コースト時代のヘイグと非常に親しかった。ババシンは「トレード・ウィンズ」というレストランのラウンジでジャム・セッションのプロデュースをしていたが、ババシンの誘いでヘイグもそこで頻繁に出演しライヴ録音もいくつか残されている。そういった関係から今回のレコーディングにも駆り出されたと想像される。
ヴァイヴ奏者のラリー・バンカー(1928-2005)はもともとドラマーとして知られた人である。この録音当時はアート・ペッパーのカルテットのレギュラー・ドラマーとして活動していた。その後チェット・ベイカーのピアノレス・カルテットにチコ・ハミルトンの後任として参加した。1960年代にはビル・エヴァンズ・トリオのレギュラー・ドラマーとなり、その後はハリウッドのスタジオでの仕事がメインとなった。
ボブ・エネヴォルセン(1920-2005)はこのアルバムではテナー・サックスとベースを担当しているが、一般にはトロンボーン奏者として知られている。彼は他にトランペットや各種リード楽器、ピアノなどもこなすマルチタレントで、バンカーと共にハリウッドのスタジオでは引っ張りだこの人気者だった。
「ハウ・アバウト・ユー?」と「恋のチャンスを」はスタンダードだが、「サンダーズ・ミアンダーズ」はハンプトン・ホーズのオリジナルで、「意地悪サンダーズ」とでも訳すのか。この曲は当時のウエスト・コーストのピアニストであるバド・ラビンも吹き込んでいるが、ホーズ自身のレコードは見つからなかった。ヘイグとホーズの間に親交があったかはわからないが、ヘイグは当時どこかでこの曲を聴いて気に入りレコーディングしたのだろう。これら追加の3曲はヘイグのLA時代を伝えるきわめて貴重な記録といえる。
                                         (2014.2.9.  夏目 才)

パーソネル アル・ヘイグ(p on 1 - 9)
              ベニー・ウィークス(g on 1 - 9)
        テディ・コティック(b on 1 - 9)
        フィル・ブラウン(ds on 1 - 9)

        アル・ヘイグ(p on 10 - 12)
        ハリー・ババシン(cello on 10, 11 / b on 12)
        ボブ・エネヴォルセン(b on 10 / ts on 11)
        ラリー・バンカー(vib on 10, 11 / ds on 12)

録音     1954年9月14日 1 - 9
           1952年9月6日   10 - 12

 

 

 

 

   

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