人の声は心を温め癒してくれるのだと言う。天災人災折り重なりながら人の世に襲いかかり、人心みな荒廃する一方の現代にあって、人は、救いの心を持った何かを求め心待ちにしているのではなかろうか。もし、待ち焦がれる何かが「歌う」のならば、きっと、その歌声は、このアルバムの主、野村佳乃子の声に近しいに違いない。
このジャズ・ヴォーカル・アルバムには、どこにも「シュビダバ」のスキャットも、原曲の影も形もないアドリブも存在しない。それでジャズか?
簡単に言えば、これがもともとジャズを歌う原形に近いスタイルなのである。第二次世界大戦後に、モダンジャズ・スタイルが発生し、ヴォーカルにも器楽的なアドリブを行う歌手が登場し始めた。「シュビダバ」は、そこ以降の歴史である。それでさえ50年代になってからであるから、20世紀初頭誕生したジャズ史の半分くらいは、野村佳乃子のように、メロディーに忠実に、楽曲の意図を崩さずに歌う、という歌唱法が当然であり自然なやり方だったのである。つまり、これが本来の「ジャズ・ソング」なのである。
では、まるでクラシック歌曲、どこにも凝ったテクニックも小粋なシャレもないか、と言えば、それもハズレで、まず「ちゃんと」歌うことが難しい。さらに、本当にうまい歌手は、ほんのちょっとの息の加減や節回し、呼吸、声音などで、楽譜通りの原形を大きく飛び越えた、独自の音楽世界を構築できるものなのである。だから歌曲でなく「ジャズ・ソング」なのである。そして、野村佳乃子の歌唱はこのレベルであり、今、日本はもとより、アメリカでも探すのが難しい、「正統派」なのだ。
まず、
野村佳乃子の説明をせねばならないであろう。
神奈川県川崎市生まれ。チェンバロ製作研究者である父親の影響で、幼少からバロック音楽などクラシックに親しみ、聖歌隊などに参加する。ただ、音楽の道に進むことなく、多摩美大に進学。在学中に見た音楽劇『上海バンスキング』の吉田日出子の歌に触れ、ジャズの楽しさに目覚める。そして、学生バンドに参加するなど人前で歌い始めた。卒業後は宝石デザインの仕事に就くが、ジャズへの憧れ断ち難く、高橋伸寿氏に師事。以後、場数を踏みながら精進を続け、2000年2月、中国・上海の和平飯店のジャズバンドで、外国人として初めて歌う。また、その本格的歌唱が認められ、04年からスタートした「帝国ホテル インペリアル・ジャズ・コンプレックス」に3年連続出演。08年3月にはスペインのサラマンカで公演する。普段は都内のライヴハウスを中心に活動する。これまで、『Kiss』(01年)と『Shanghai-ed』(03年)の2枚のアルバムをリリースしている。好きなシンガーはリー・ワイリー、ヘレン・フォレストなど。以上がざっとした野村のプロフィールである。
上に挙げた2枚のアルバムも、なかなか魅惑的な作品である。ただ、楽曲に日本語曲など交え、バリエーションには富んでいるが、純粋に「ジャズ」アルバムと呼ぶのは難しかった。さらに、2枚目の制作時からもすでに5年以上が経過。その期間こそ大舞台も踏み、目覚しい成長を遂げたわけで、野村自身も熱心なファンも「次作」を望むようになっていた。そこで、シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン代表の三具保夫氏と知己を得ることになる。三具氏は、フランク・シナトラ研究だけでなく、ヴォーカル全般に広く深い造詣を持つ専門家である。彼が「まったく日本にはいないタイプのシンガー」と折り紙を付け、さらに、SSJレーベルからの制作・発売が決まったのである。
野村佳乃子は、プロフィールにも前述したごとく、幼いころから、自宅にルネッサンスやバロック、古典派の音楽が流れていた。その空気を吸ってきた野村は、歌の原初的な理想の姿を脳裏に焼き付けたのだろう。それは、高品位であり、品格や清潔感、優雅、上質、正確、明晰さを旨とする。そこに、『上海バンスキング』で目覚めたジャズ・フィールが加わる。こちらは、色気や情緒、喜怒哀楽の濃淡といえよう。この二つの相貌が、的確に織り込まれ、美しいパターンとなって表現されるのが、野村佳乃子の歌なのである。
野村佳乃子は、この『マイ・ロマンス』に関してこう語る。
「これまでの2枚は、ある意味、『ご挨拶』だったかなと思います。そろそろ、『やりたいこと』を形にしないといけないだろうというキャリアになってきました」。
「まず、英語の歌だけに特化しようと思いました。私は、日本語も交え、シャンソン、ハワイアンも歌いますが、歌手としての見え方をきちんとしたいと思いました。以前からご指導を頂いている瀬川昌久先生やSSJの方々と出会った影響も大きいです」。
「テーマは、私をこの世界に導いた『ジャズ』です。今回収めた曲目は、まず、ジャズを知らない人が聴いて『ジャズの歌ってこんなに綺麗なんだ』という曲を探しました。まず自分が歌って、ファンタジーを感じるもの。言葉もメロディーも洗練されていて、現実世界より美しいイメージを生み出す歌。現実世界の中のエッセンスを汲み上げ本質的な喜びを表現するもの。SSJの三具さんや小針さんのアドバイスや推薦も受けながら選んでいきました」。
「歌の内容に忠実に歌う、というのが私の原点です。私の歌を誰か大好きな人と一緒に聴いて欲しいし、もし、いなくても、横にいるような気分になって欲しい。だから『マイ・ロマンス』なんです。それと、女性にも受け入れてもらいたい。仕事をしている女性がくつろげて、癒され、気分がよくなるようなCDにしたかった」。
「女性が聴いても美しいと思えるジャズ歌」。これが野村佳乃子の目指すところであることが分かる。確かに、これまで、ジャズ、特に女性ヴォーカルは「男」のものではなかったか。「美しさ」という表現も、ジャズには馴染まなかった。こんなにも清楚な歌なのに、ジャズが生まれた時のように、革命的なのである。その意味においても、野村の歌は、単に黴臭い回顧的な懐メロ・コピーなどではない。21世紀に最も必要な、現代的な側面を持っている、と断言できるであろう。
このアルバムで、見事な演奏を聴かせる伴奏の音楽家は、SSJの提案で決定していった。
まず、音楽監督&アレンジャーにクラリネットの俊英・谷口英治を選定。そして谷口が号令をかけると、レギュラー・セクステットの面々が馳せ参じた。トロンボーンの片岡雄三、テナー・サックスの右近茂、そしてリズム・セクションにピアノの袴塚淳、ベースのジャンボ小野、ドラムスの山下暢彦といった実力者揃いである。
「いつもご一緒している方から初めての方までバラエティに富んだ音楽家の方になりましたが、実力のほどは聴いていただければ、歴然。それは素晴らしい経験でした」と野村。
「谷口さんとは一度ライヴでご一緒したことがありましたが、大変気持よく歌うことができました。実は、私が大学時代に中央大学のバンドで歌っている頃、早稲田大学の谷口さんとはよくニアミスしていたんです。当時から、谷口さんはスター・プレイヤーで、あこがれの存在でした。片岡さんはまったくの初めてですが、テクニックも音楽性も素晴らしいミュージシャンですね。右近さんは、テナー・サックスの尾田悟さんのステージに招かれた時からのお付き合いです。袴塚さん、ジャンボさんは、ここ10年くらいライヴでご一緒させていただいています。山下さんも、学生時代に同好会の講座に来て頂いたことがあります」とメンバーを語る。
相前後するが、簡単にメンバーのプロフィールを紹介しよう。
谷口英治(cl, arr) 1968年、北九州市生まれ。早稲田大学在学中からプロ活動。日本屈指の演奏のほか、プロデュース、作編曲、洗足学園音楽大学講師など活動の場も多彩。06年、SSJレーベルからフランク・シナトラ・トリビュート・アルバム『ムーンライト・ビカムズ・ユー』を発表。
片岡雄三(tb) 1967年、東京生まれ。高校時代から宮間利之とニューハードに参加、現在ソリストとしてファースト・コールの音楽家の位置を固める。『スイング・ジャーナル』誌の08年度・日本ジャズメン人気投票で、トロンボーン部門1位。
右近茂(ts) 1963年、神戸生まれ。オーソドックスなスイング・モダンの若手として注目を集め、北村英治、尾田悟ら大御所と互角に渡り合う。
袴塚淳(p) 1955年、東京生まれ。明治大学在学中にジャズ・ピアノを始め、以後、尾田悟、中村誠一らのバンドにも参加。特にヴォーカリストからの信頼が厚い。
ジャンボ小野(b) 1954年、東京生まれ。高校時代よりウッドベースを始め、サー・チャールズ・トンプソンらと共演。現在、最も音楽家から慕われるベーシストの一人である。
山下暢彦(ds) 1958年、東京生まれ。獨協大学卒業と同時にサンフランシスコに渡米。帰国後さまざまなバンドで活動。
そして、忘れてはならないのが、テナー・サックスのゲストである大御所の尾田悟である。
尾田が言う。「10年ほど前だったかな。『カンザス・スタイルで歌っているおもしろい女の子がいる』と人から紹介されて見に行ったんだ。『おいおい、大正ロマンの声で歌っているぞ』と喜んだね。俺のスタイルが基本的にカンザスだから、それから、ヴォーカルが欲しい時に来て貰ってる。このままの貴重なスタイルで精進して欲しいね」。
尾田悟(ts) 1927年福岡県出身。海軍軍楽隊でサックスの基礎を学び、戦後すぐに福岡の米軍クラブでジャズを吹き始める。47年上京し、森亨オーケストラ、東京ジャイブ、ゲイ・セプテットなど超一流バンドを渡り歩く。一貫して中間派のスタイルにこだわり、独自の音色は根強いファンを持つ。ハンク・ジョーンズ、ルー・タバキンなど海外演奏家との交流も多い。08年を「音楽生活60周年」と位置づけ、活発な活動を行っている。「今度のアルバムには、絶対、尾田さんに参加して頂きたかった」と、野村も思いの丈を語る。
収録曲について
選曲に関しては、野村が語っているように、洗練された古典的「ジャズ・ソング」ばかりで、ほとんどがお馴染みの名曲佳曲ばかりである。最後にトラックごとのミニ解説を。
@イッツ・マジック
(1948年) 映画『洋上のロマンス』でドリス・デイが歌う。品位のある声が静寂を破り、一気に圧倒する。右近のクールなフレーズに続き、野村はコケティッシュにセカンド・コーラスを始め女性の成長を描く。
Aマイ・ロマンス(1935年) ミュージカル『ジャンボ』に使われ、これもドリス・デイが歌いヒットする。丁寧に一音ずつ言葉を積み重ねる。この誠実さに好感。
Bイット・クッド・ハプン・トゥ・ユー(1944年) 映画『アンド・ジ・エンジェルズ・シング』で、ドロシー・ラムーアとフレッド・マクマレイが歌う。野村は、ピアノだけで思いあふれる厚みのある表現で始める。間奏でスイングに移り、小粋でいて最後まできちんとした佇まいを保つ。
Cオール・ザ・シングス・ユー・アー(1939年) ミュージカル『ヴェリー・ウォーム・フォー・メイ』使用。管の合奏と共に珍しいバースから入る。「参った」と言わせる説得力。高い品格で、聴く者に襟を正させる。
Dイッツ・デラヴリー(1936年) ミュージカル『レッド・ホット・アンド・ブルー!』でエセル・マーマンとボブ・ホープが歌う。ピアノのみで有名なバースから始まる。かわいらしさと色気をともなった歌声。軽やかに管に乗ってスイングし、おきゃんなアメリカのお嬢様をイメージさせる。ドライヴ感はアルバム一番。
Eユア・ゲッティング・トゥ・ビー・ア・ハビット・ウィズ・ミー(1932年) ミュージカル『四十二番街』で歌われる。今アルバム指折りの洒落曲。大人の恋の駆け引きを想像させる。野村は、息を混ぜ耳元で語りかけるようにスイングしていく。
Fアイム・コンフェシン(1930年) 1929年にファッツ・ウォーラーが別歌詞で創唱。のち、ルディ・ヴァレーで広まった。袴塚のピアノと尾田のサックスだけを伴奏に、落ち着いて自分の心の底を眺めるような歌唱。そよ風に揺れるオーガンジーの如き声の流れに恐縮する。
Gチェインジ・パートナーズ(1938年) 映画『気儘時代』でアステアが歌う。管合奏に誘われるように入ってくる野村。アレンジも声の質もこの曲のためにあるような完璧さ。このアルバムの白眉のトラックである。
Hアイム・ゲッティン・センティメンタル・オーバー・ユー(1932年) トミー・ドーシー楽団のテーマ曲。片岡、谷口に誘われ、野村が歌詞の途中から歌い出す洒落のめした仕掛け。徹底したテクニックなのだが、それを全く意識させない。
Iアイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー(1950年) ミュージカル『ガイズ・アンド・ドールズ』の名曲。恋に翻弄される女心をしっとりと描き切る。トロンボーンとの調和が、実に美しい。
Jホワトル・アイ・ドゥー?(1924年) 19 23年のレビュー『ミュージック・ボックス・レビュー・オブ1923』で歌われた。Fに続き、袴塚と尾田だけのセット。はかなげなワルツが女性的で、尾田と野村の慈しむような息づかいが、絶品。
Kイースト・オブ・ザ・サン(1934年) レビュー『スタグズ・アット・ベイ』で紹介された。野村は甘く大人びた主人公を演じる。谷口のスイングはスピード感があり、辛口で、野村と爽快な対をなす。
Lア・ブロッサム・フェル(1954年) もとはイギリスの歌。1955年、ナット・キング・コールでヒット。ドラムレスでクラリネット、ピアノ、ベースだけの伴奏。かわいらしい小曲を大人のフィールドに運び込む。
M過ぎし日の恋(アン・アフェア・トゥ・リメンバー)(1957年) 映画『めぐり逢い』のテーマ曲で、@G同様アカデミー主題歌賞にノミネート。ピアノだけのバックで、歌い込む。一編のロマンス(物語)が終了する時、しみじみと心に広がる感動を浮かび上がらせてくれるようだ。
さて、長々と、この『マイ・ロマンス』に関わる感想などを述べてきた。といって、野村佳乃子、及びこのアルバムの魅力をすべて明らかにできるわけはない。音楽は聴かずして何かが分かる、というものではない。ぜひ、ジャズの原点を現代に昇華する『マイ・ロマンス』に酔いしれ癒されて頂きたい。
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【パーソネル】
野村佳乃子(vo)
谷口英治(cl, arr)
片岡雄三(tb)
右近茂(ts)
袴塚淳(p)
ジャンボ小野(b)
山下暢彦(ds)
スペシャル・ゲスト
尾田悟(ts on 7 & 11) |