『アフターソーツ』/オードリー・モリス』/
オードリー・モリス Afterthoughts/Audrey Morris 

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ロング・アゴー・アンド・ファー・アウェイ+1/ベヴ・ケリー

『ロング・アゴー・アンドイ・ファー・
アウェイ+1』/
ベヴ・ケリー
Long Ago and Far Away + 1/
Bev Kelly
\2,000+税 (XQAM-1910) 原盤: Reader's Digest
録音:1971/1972年、ロンドン プライスダウン
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いつものジャジーなスタイルから一変、メロウでしなやかなバラード集。 正規のスタジオ録音ながら、米国において通信販売でのみ売られていたレア音源。 ソフト・ロックで人気のアラン・コープランドの参加が嬉しい。

 


1. Long Ago (and Far Away)/ロング・アゴー・アンド・ファー・アウェイ   >>試聴
2. Till the Clouds Roll By/ティル・ザ・クラウズ・ロール・バイ   >>試聴
3. The Very Thought of You/君を想いて  >>試聴
4. I Wish I Didn't Love You So/アイ・ウィッシュ・アイ・ディドゥント・ラヴ・ユー・ソー >>試聴 
5. Until It's Time for You to Go/アンティル・イッツ・タイム・フォー・ユー・トゥ・ゴー  >>試聴
6. We've Only Just Begun/愛のプレリュード  >>試聴
7. Superstarスーパースター  >>試聴
8. Circle Game/サークル・ゲーム >>試聴 
9. Sweet Baby, James/スウィート・ベイビー・ジェイムス  >>試聴
10. Hey There/ヘイ・ゼア  >>試聴
11. Downtown/恋のダウンタウン  >>試聴
12. One Less Bell to Answer/ワン・レス・ベル・トゥ・アンサー  >>試聴
13. At Last/アット・ラスト (ボーナス・トラック)  >>試聴

 
 


ベヴ・ケリーの知られざる13

 ベヴ・ケリーの珍しい音源のCD化である。

 何が珍しいかといえば、まずこれら13曲は1970年代の始めにリーダース・ダイジェスト社のオリジナル企画としてレコーディング、リリースされたが、同社のレコード・ビジネスが雑誌の購読者へのメール・オーダーという形をとっていたため、一般のレコード店に並ばなかったことだ。そのため日本にはレコードもそれにまつわる情報も入ることなく、中古盤が入ってきてもベヴ・ケリーのオリジナル録音ということは見過ごされてしまった。
 次に、ここで聴かれるベヴの唱法である。バック・コーラスにまわったLはともかく、リード・ヴォーカルで歌うメインの12曲は、ベヴを相当聴き込んだファンでも彼女と特定するのは難しいだろう。彼女の特徴である奔放な歌いまわしや自在なフェイク、強いアタックとは正反対の歌だからだ。本作のベヴはメロディーを尊重しその美しさを十全に表現することに専念しており、ジャズ的なフレージングは抑えられている。万人に向けることを編集方針とした『リーダース・ダイジェスト』誌同様、各時代のヒット曲を誰もが親しめるかたちで紹介するという企画意図があったからだ。歌はアドリブやフェイクよりも原曲に忠実に歌うほうが難しい。オーディションを経て選ばれたベヴは、英国のプロデューサー、ジョージ・コーンゴールドの期待に応えると同時に、歌唱力の確かさを証明することとなった。
 そして3つ目は、ジャズ歌手のベヴにしては珍しい曲が多い点だ。彼女のレパートリーの中心は1950年代あたりまでの歌だが、このアルバムでは1960年代の曲(D G H J K)やカーペンターズのシグネチャー・ソングといってもよい1970年代のEやFも歌っている。

ひとり3役のベヴ・ケリー

 ベヴは「ロンドンで行われたレコーディング・セッションは全てにおいて満足のいくものだった」と言い切る。バックにはストリングス(主としてロンドン交響楽団のメンバー)やブラスやコーラス隊が陣取り、ベヴはソロ・パートだけでなく、アラン・コープランドとのデュエットA、さらに曲によっては多重録音によるバック・コーラスのリードもつとめるなど、変幻自在の活躍をみせる。
 ベヴからは「アメリカン・ポピュラー・クラシックスが軽視されているあるいは無視されている今の時代に、素晴らしい時代の音楽とサウンドに溢れた作品が40年近くたって日本で復刻されるのは夢のよう。発売のときが待ち遠しい」とのメッセージが寄せられた。

ベヴ・ケリーのキャリア

 ビヴァリー・ウルフ(ベヴ・ケリー)は1934年6月16日にオハイオ州デイトン郊外のトロイで生まれた。5歳から高校時代までクラシック・ピアノを習い、シンシナティ音楽院では14歳のときに始めた声楽を学び、在学中にプロ・デビュー。その後同じ音楽院出身のパット・モラン(p)とコンビを組んで『スティーヴ・アレン・ショウ』に出演した頃から注目を集め、シカゴに出てジョン・ドゥーリング(b)、ジョニー・ホワイテッド(ds)を加えたカルテットとなり、全員でコーラスも聴かせた。
 レコーディング・アーティストとしてのキャリアは、ベツレヘムで『ザ・パット・モラン・カルテット』(1956)、『ホワイル・アット・バードランド』(1957)などに参加、オーディオ・フィデリティーへの初リーダー作『ベヴ・ケリー・シングズ』(1957)のあとリヴァーサイドで『ラヴ・ロックト・アウト』(1959)と『ベヴ・ケリー・イン・パーソン』(1960)を発表し、『ダウンビート』誌や『プレイボーイ』誌の人気ランキングにも顔を出した。
 ベヴはベツレヘムでアルバムを発表したころ、コーラス・グループ、モダネアーズのメンバーのひとりチャック・ケリーと結婚したが、1961年夫妻はロス郊外のロングビーチに移り、長男のグレッグが小学校に通うようになったのを機にロードの多いステージから退いたが、作詞作曲、ヴォーカル・コーチ、コマーシャルの録音など音楽活動には積極的に関わり続け、1963年に次男のショーンが生まれている。
 1960年代の一時期ステージに戻ったが、1972年に本格的にライヴ活動を再開してロスやサンフランシスコで歌い、1978年から80年までロングビーチのライヴハウス、ジャズ・サファリの共同経営者となり、ここを本拠地とした。
 人生に対し常に積極的なベヴは1960年代に心理学の博士号を取得して、現在もセラピストとして多忙な日々を送るとともに周囲の尊敬を集めている ちなみに、モダネアーズの女性シンガーといえばポーラ・ケリーだが、チャック・ケリーの親戚ではない。

 今回収録の13曲はリーダース・ダイジェスト社がリリースした以下の3枚のLPアルバムに収録されていた。
   『リメンバー』:          @ A B C I L
   『グリーン・グラス・オブ・ホーム』:G H
   『トゥデイズ・ベスト・セラーズ』: D E F J K

アラン・コープランドについて

 1926年10月6日ロサンゼルス生まれの歌手、作詞家、作曲家、編曲者、指揮者。
 小さいときから合唱団に加わり、ビング・クロスビーがアカデミー賞をとった『我が道を往く』(1944)ほか何本か映画に出演して歌っている。除隊後の1948年にモダネアーズに参加し、映画『グレン・ミラー物語』(1954)ではモダネアーズのオリジナル・メンバー役で出演した。1957〜58年TVショウ『ユア・ヒット・パレード』のレギュラー・メンバーとなり、その間にコーラルでアルバム『ノー・サッド・ソングズ・フォー・ミー』を発表している。
1963年モダネアーズを退団してTV『レッド・スケルトン・ショウ』のレギュラーとなり、アラン・コープランド・シンガーズ結成の端緒となった。グループは「ミッション・インポッブル(スパイ大作戦)/ノルウェイの森」のメドレーで、コンテンポラリー・ポップ・パフォーマンスのコーラス部門で1968年度のグラミー賞を受賞している。
ジャズ・ファンがアラン・コープランドの名前を想起するのは、1966年に録音されたカウント・ベイシー楽団とアラン・コープランド・シンガーズの共演アルバム『ベイシー・スウィンギン・ヴォイセズ・シンギン』(ABCパラマウント)だろう。

曲目について

@ロング・アゴー・アンド・ファー・アウェイ
1944年にアイラ・ガーシュインが作詞、ジェローム・カーンが作曲して、ミュージカル映画『カバーガール』(コロンビア)でナン・ウィンが主役リタ・ヘイワーズの吹き替えで歌い、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。同年ヘレン・フォレストとディック・ヘイムズがデュエットしたデッカ盤がヒットしている。
Aティル・ザ・クラウズ・ロール・バイ
1917年にP・G・ウォードハウスが作詞、ジェローム・カーンが作曲して、ブロードウェイの『オー、ボーイ!』で紹介された。1945年に急死したカーンを悼んで製作された伝記ミュージカル映画(MGM・日本劇場未公開)のタイトルになった。ベヴとデュエットで歌うアラン・コープランドのシルキーなバリトン・ヴォイスが実に魅力的だ。
B君を想いて
1934年に英国のバンドリーダー、ソングライターのレイ・ノーブルが作詞作曲し、アメリカへはカサ・ロマ・オーケストラが紹介した。ナット・キング・コールのキャピトル盤が名高い。イギリスの歌をロンドンで録音ということで、ベヴの思いも一入だ。
Cアイ・ウィッシュ・アイ・ディドゥント・ラヴ・ユー・ソー
1947年にフランク・レッサーが作詞作曲して、ミュージカル映画『ポーリンの冒険』(パラマウント)でベティ・ハットンが歌い、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。ダイナ・ショアのコロンビア盤とヴォーン・モンローのヴィクター盤がヒット。丁寧に情緒たっぷりに歌うベヴのアプローチも適っている。
Dアンティル・イッツ・タイム・フォー・ユー・トゥ・ゴー
1965年にバフィ・セイント=マリーが作詞作曲して、自身のアルバム『メニー・ア・マイル』(ヴァンガード)で発表した。ベヴは、1960年代らいしフォーク調の抑制されたメロディーをしなやかに歌い綴っていく。
E愛のプレリュード
1970年にポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルズが作詞作曲し、カーペンターズのA&M盤がビルボード・チャートの2位まで上昇してミリオンセラーとなり、グラミー賞の最優秀楽曲賞にノミネートされた。
Fスーパースター
1970年にレオン・ラッセルとボニー・ブラムレットが作詞作曲し、これもカーペンターズのA&M盤が翌71年にビルボード・チャートの2位まで上昇してミリオンセラーを記録した。
Gサークル・ゲーム
1966年にジョニ・ミッチェルがニール・ヤング19歳のプレゼントとして作詞作曲し、翌67年にバフィ・セイント=マリーのアルバム『ファイア・アンド・フリート・アンド・キャンドルライト』(ヴァンガード)で紹介された。ジョニ自身もミリオンセラー・アルバム『レイディズ・オブ・ザ・キャニオン』(リプリーズ)で歌っている。
Hスウィート・ベイビー・ジェイムス
1969年にジェームス・テイラーが作詞作曲し、テイラー初のヒット・アルバム(ビルボードのアルバム・チャートで3位)となった同名のアルバム(ワ−ナー)で紹介された。カントリー色の強い歌。
Iヘイ・ゼア
1954年にリチャード・アドラーとジェリー・ロスが作詞作曲し、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・パジャマ・ゲーム』でジョン・レイトが紹介し、ローズマリー・クルーニーのコロンビア盤がビルボード・チャートのトップに立ちミリオンセラーとなった。
J恋のダウンタウン
1964年にイギリスのトニー・ハッチが作詞作曲し、ペトゥーラ・クラークのワーナー盤が英国についでアメリカでも大ヒットし、ビルボード・チャートのトップに立ちミリオンセラーを記録して、グラミー賞の最優秀ロックンロール・レコード賞を受賞した。
Kワン・レス・ベル・トゥ・アンサー
1967年にハル・デイヴィッドが作詞、バート・バカラックが作曲して、フィフス・ディメンションのベル盤が1970年にビルボード・チャートの2位まで上昇しミリオンセラーになった。前半でのレイジーでジャジーなベヴのアプローチが印象的。
Lアット・ラスト(ボーナス・トラック)
1942年にマック・ゴードンが作詞、ハリー・ウォーレンが作曲して、ミュージカル映画『オーケストラの妻たち』(フォックス)でグレン・ミラー楽団が紹介した。このトラックのみアラン・コープランドが主役で、ベヴはバック・コーラスにまわる。

(2010年9月27日 三具 保夫)



 

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